157.憧れたのかもしれない
「あ、うん。気をつけてね」
軽くこちらに合図を出して、ラスプは白砂敷きの庭に降り立った。ボムッと狼の姿に変化すると一気に跳躍して塀を飛び越え行ってしまう。上着を拾い上げた私は廊下の欄干に寄りかかり、すっかり陽の暮れた空を見上げた。ハラハラと舞い降りる白い花にふるりと身を震わせる。
「……」
一つ決意した私は、無人のアトリエに引き返してある物を探す。ちょうどいいサイズの物を見つけて手に取り、そしてそれを裏返して軽く目を見開く。
「本当に、いい親子だったんだね」
誰に言うとでもなく呟いて、折りたたんで彼の上着の内ポケットに入れる。なんだか暖かい気持ちになって、私はしばらく上着ごとその紙を抱きしめていた。
***
すぐ戻ると言ったのに、ラスプが戻ってきたのはそれから二時間ほど経ってからの事だった。
「おかえり――うわ寒っ! 吹き込むから早く入って!」
今夜の天気は大荒れで、ちらつくだけだった雪は猛烈な吹雪にレベルアップしていた。さぞ寒かろうとタオルを持って駆け寄ると、ラスプはこの雪に負けないくらい蒼白な顔をしていた。
「やべぇ、見つからん」
「あ、やっぱり……」
ボソッと呟いた私に、全身白くなった雪男は目をひん剥く。慌てて雪を払いのけてあげながら説明をした。
「さっき女中さんからこの辺りに例の花は咲いてないって聞いたの」
実は先ほど女中さんがお夕飯を運んできてくれたのだけど、彼女は後ろでひとまとめにした髪に花を模した髪飾りを着けていた。それをめざとく見つけた私はチャンスとばかりに話しかける。
――その髪飾り、とっても素敵ですね。この国のお花ですか?
――これですか? えぇ、『雪魂花』という花を模したものです。雨に濡れると花びらが透ける美しい花なんですよ
ビンゴ! ガラスで造られた花飾りを見ながら、私は好奇心がうずいてたまらない! って感じの声を出す。
――うわぁ、本物を見てみたいです! この辺りで咲いてるんですか?
――それが残念なのですが……
続けられた話はこうだった。雪魂花は以前はどこにでも咲くありふれた花だったけど、環境の変化によりここ数年は霊峰の山頂付近でしか見ることが出来なくなってしまったらしい。
「見つかんねぇわけだ、くそー」
悔しそうにつぶやいたラスプはブルブルッと頭の雪を払う。私はタオルでそれを抑え込みながら話を続けた。
「もう今から山に入るのはムリだよ。明日サイゲツさんにお願いしてみよう」
「それしかねぇか」
観念したような赤毛を犬でも拭くようにガシガシとタオルドライする。
特効薬の材料はできればコッソリ手に入れたかったけど、予想が外れてしまっては仕方ない。友好の証にとか適当な理由をつけておねだりしてみよう。
「アキラ。おいアキラ」
どうやらこの島ではただの花として認識されてるみたいだし、下手なことを言わなければ貰えるかもしれない。私の演技力の見せどころね。
「……おいってば」
「ん? んわぁ!?」
ふと我に返った私は、すぐ目の前にある顔に奇声を上げる。どうやら身長差があるせいで無意識の内に引き寄せてしまったらしい。鼻先が触れ合いそうなほど近い。笑ってごまかすこともできず、見つめ合ったまま沈黙が降りる。暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音だけが聞こえた。
「っ!」
彼の両手が動く気配がして、私は思わずぎゅっと目を閉じて身構えてしまう。次のアクションを待ち構えていた私の顔面に、予想外の感触が襲いかかった。
「ぶっ!」
「お前、相変わらず無防備なのな」
いきなり顔面に布をかぶせられ、私はわたわたと両手を動かしてしまう。こ、これ両手でピンと張ったタオルを押し付けられてる。踏ん張らないと後ろに倒れてしまいそうで、足元にグググッと力を込めながらべしべしと腕を叩いて抗議する。
「もご、もがもが! もわっ!?」
急に顔面への圧力が外れ、突っ張っていた反動でラスプに向かって倒れ込んでしまう。私は頬を胸板に押し付けたまま、痛いほどに逸る心臓の鼓動を感じていた。ふいに頭に手をポンと乗せられる感覚がする。
「アキラ」
ぽつりと落とされた声は、なんだか妙に落ち着いていた。確認するように問いかけが続けられる。
「勇者を、エリックを助けたいんだよな?」
言葉の意味を考えることで、感じていた恥ずかしさが国王としての意識に切り替わる。私は顔を上げ、見下ろして来る赤い瞳をまっすぐに見つめた。
「もちろん。私たちの国を魔焦鏡なんかで滅亡させたりしない。悪意を持った企みなんかに絶対負けないんだから」
その言葉に、ラスプはわずかに目を見開いて――そして笑った。
「そう、だな」
「?」
「オレは、お前のそういうところに……」
言葉を次ぐことなくスッと離れた彼は、背中を向けると何事も無かったように話し始めた。
「風呂入って来る。ベッドはあっちの主賓室使ってくれ。オレは自分の部屋で寝るから」
「あ、うん」
「明日が勝負だ、頑張ろうな」
それだけ言い残し、赤いしっぽが扉の向こうに消えていく。私は床に落ちていたタオルを拾い上げ、眠る支度を整えてから主賓室のベッドに潜り込む。
ふと暗闇の中で手を伸ばし、隣に赤いもふもふが居ない事にむぅっと眉を寄せる。どこかほっとしたような、それでいて少しだけ残念なような妙な気持ちを抱えたまま、目を閉じて眠りに落ちていった。
***
翌日になっても天気は回復しないままだった。猛烈なブリザードは収まっていたけれど、それでも小雪がちらついている。
鈍色の空から落ちて来る雪の華を横目に、私は回廊をラスプと連れだって歩いていく。準備が整ったとのことでいよいよ挨拶開始だ。
「昨晩はよく眠れましたかな?」
昨日の玉座で再び皇帝代理のサイゲツさんと向かい合う。今日も彼は偉そうに肘掛けにもたれ掛かっていた。その横にはシュカさんが控えて、こちらも変わらず無感情なまなざしを向けている。両脇にずらっと控えていたはずの侍女たちは今日は見当たらなかった。一呼吸置いた私はにこやかに当たり障りのない返事を返す。
「えぇ、とても快適に過ごすことができました」
「それは何より」
さて、と。ここからいよいよ本題だ。まずは本来の名目である『結婚のご挨拶』をしようとしたところで、向こうが先に切り出した。
「当然のことながら、今回の申し入れが政略婚だということはこちらも把握しております」
「んぐっ」
出しかけた言葉を呑み込んだため、ヘンな声が出てしまう。それを楽しそうに見ていたサイゲツさんは、肘をついたまま片方の手を広げた。
「分かっております、現在ハーツイーズさんは人間領から攻め込まれようとしている。その為に我が国の戦力が欲しいのでしょう? 違いますか?」
(と、お見通しだと思わせる。ここまでは成功)
動揺したふりを見せた私は、あちこち視線をさまよわせてから観念したようにフーっとため息をついた。
「お見それいたしました、さすがは暁城を治めるサイゲツ殿。こちらの思惑はすべてお見通しというわけですね」
私の目的は穏便にやわやわな同盟を結ぶことだ。適度に相手を持ち上げていい気分にさせて、おみやげに大本命の花を貰う作戦。その為だったらいくらでも媚びへつらってやるわよ。プライド? そんなもん腹の足しにもなりゃしないわ! 胸に手をあてた私は下手に願い出る。
「えぇ、そうです。聡明なサイゲツ様率いるラル・デネ・アレアの精鋭軍団に、ぜひともお助けいただきたいのです」
「ほう?」