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154.朱き月の都-ラル・デネ・アレア-

「うるせぇぇ……こっちはお前と違って三半規管が優秀すぎるん……うぷっ」


 虚ろな表情でこちらを振り仰いだラスプは、今にも死にそうな青い顔で口元を抑える。お昼も食べられず散々リバァァァス!!したからか、二度ほどえずいたあと頭を落として完全なる行き倒れ状態になってしまった。合掌してから部屋を出る。


 調理室でコップ一杯の水を貰って部屋に戻ると、ラスプはベッドに腰掛けて俯いていた。横に掛けて水を差しだすと、小さく「悪い」と、言って受け取った。両手で抱えて少しずつ飲む様子がなんだか小さい子みたいで吹き出しそうになってしまう。それをこらえるために私は話をふった。


「もうすぐ瘴気発生エリアだって。ヘンな臭いしてたけど、ここからでも分かった?」

「とっくに鼻がイカレてる。今この船内で臭いと感じるのはお前だけだろうな」

「あはは、そうなんだ……」


 じゃあ、さっきのシュカさんもすました顔してたけど鼻はマヒしてたんだろうか? 嗅覚が鋭すぎるってのも場合によっては不便かも。だって今何か食べても風邪ひいた時みたいに何の風味もしないってことでしょ? 人間で良かった。


 そんなことを考えていると、水分補給をして多少回復したのかラスプが顔を上げる。おしゃべりでもしてれば少しは気がまぎれるかな。


「なんでこんな臭いがするんだろうね、ラスプは何か知ってる?」


 そう問いかけると、木のコップを抱えたままの彼はふだんより低い声で答えた。


「ラル・デネ・アレアから流れ出てる川のせいらしいが、詳しいことは知らん」

「なにそれ、汚染水?」

「さぁ……『命の還る神聖な川』とか言われてたけど、原因は不明だ」


 うーん? 何だか色々と謎の多そうな川だ。あ、そうだ、謎と言えばこれから取りに行く神秘の花も謎だ。グッと身をかがめた私は、ないしょ話でもするように声を潜めた。


「ね、そういえば例の花ってどこにあるか目星ついてる?」


 ラル・デネ・アレアにしか咲かないという幻の雪魂花。下手したらあちこちを走り回って探すはめになるかと覚悟していたのだけど……


「透明に近い白い花だろ? ガキの頃はちょっと山に入ればすぐに咲いてた。隙を見てすぐに取れると思う」


 弱々しくもニッと笑った顔につられる。それは朗報だ。ドク先生は一輪でもあれば大丈夫って言ってたし、この分ならヨユーヨユー!


 よしよし、計画としては、ラスプのおじさんっていう皇帝代理に婚約ご報告をして(あわよくば交流の同盟なんか結んじゃったりして)隙を見て花をゲットし帰国。その後は解毒剤を作って貰ってエリック様を復活、そしてメルスランドとの誤解を解いてルシアンおよびサイードを告発する。よし、完璧!


 その時、船が一度大きくグラリと揺れて私の肩にぽすりとラスプの頭が乗ってきた。ドキッとして横を見ようとすると、ズルズルと体重がのし掛かってきてベッドに倒れ込みそうになってしまう。


「えっ、ちょっ……ちょちょちょ」


 慌てて片方の腕で突っぱねるようにラスプを支えると、少し距離を開けた彼は口元を抑えながら青ざめた顔で言った。


「うぷっ、またのぼってきた……」

「ぎゃああ! 私の上で吐かないでよ!」



 ***



 それからさらに数時間後、船内は急激に冷え込み始めた。私は手首ちゃんが用意してくれた荷物の中から暖かい服装に着替える。インナーを二枚重ね、もこもこの白いニットに厚手のタイツとロングスカートを装備する(その下に毛糸のパンツをこっそり仕込んでいるのは内緒だ)手首・足首・首をしっかり保温して薄茶のコートを羽織り、最後に白いポンポンのついた帽子を被ればだいぶ寒さはマシになった。


(あー、あったかい。魔法のヒートテック様様だ)


 これこれ、私が雪国に行くからってキルト姉妹が考えてくれた新作がすごいのだ。なんでも火系統の魔術と糸を組み合わせた新素材らしく、一本一本の繊維の中がホッカイロのように微かに発熱しているらしい。これさえ着ていればどんな極寒の地でもへっちゃらなのだ! ……ただ、製作コストは目玉が飛び出るほど高いらしく、まだ試作段階とのこと。持続性も難アリって言ってたっけ。まぁ今回の旅くらいなら大丈夫だろう。


 マフラーの巻き方を色々試していると、コンコンとノックの音がした。続けてシュカさんの声が聞こえてくる。


「魔王殿、瘴気区域は抜けました。じき到着いたします」

「はーい」


 荷物を背負って出ると、同じタイミングで隣の部屋からラスプが出てきた。相変わらず顔色はさえないけど、ようやく船を降りられるのでホッとしているようだ。シュカさんに導かれて甲板に出た私は目の前に広がる光景に目を剥いた。


「うわっ」


 一時は鼻がもげそうなほどだった刺激臭は収まっていたのだけど、海自体が発光でもしているかのように鮮やかな蛍光グリーンに輝いている。傾き始めた太陽の色なんて一切受け付けません! と、言わんばかりの主張具合だ。手すりに掴まって覗き込むと、水自体は透き通っているのだけど魚の影は一つもなかった。


「すんごい色だけど、これ自然の色なの……?」

「これが瘴気発生の原料ですね。ラル・デネ・アレアの川から流れ込む原液自体はこのように無臭なのですが、海水と混ざり合うことで瘴気と臭いが発生するのです」


 シュカさんは麻痺から治り始めたらしい鼻をマッサージして答えてくれる。続けてさらりと恐ろしいことをいった。


「瘴気の海に落ちても一週間寝込むだけで済みますが、この原液に落ちると引き上げた時にはミイラになっていますので絶対に落下しないようご注意下さい」

「ひぇっ」


 脅されて手すりから一歩退く。メロンクリームソーダっぽくて美味しそう……とか思ってたけど、劇物だ! そう怯えながら船首に回ると、めざす目的地が見えてきた。


「あれが朱き月の都!」


 これまで誰も立ち入ることができなかった厳戒の地は、名前に反して雪で白く染まった島だった。中央に尖った山を据え、そのふもとから海に向かって広がるように町が形成されている。中央に見える大きめの平べったい建物がお城だろうか。ここからでも立派な造りなのが見て取れる。


「上陸いたしましたら、村を抜けて暁宮殿へと向かいます。上り坂を歩いて頂く事になりますがよろしいですか?」

「うん、全然平気だよ」


 ライカンスロープなら自分で走った方が速いので馬車なんかは島に一台も無いんだそうだ。まかせてよ、私だって伊達に毎日ハーツイーズ城への坂道登ってるわけじゃないんだから。



 ゆっくりと接岸した船は錨を下ろして停泊する。足元で揺らめく海水にビビりながらも桟橋を渡り、私はついに禁忌の島へと上陸を果たした。うーんすごくない? ただの人間がですよ? これは歴史的快挙なんじゃなかろーか。なんとなく誇らしい気持ちで胸を張っていると、いきなり後ろから帽子を押し込まれた。


「ドヤ顔してるとこ残念だが、この島に来た他種族はお前が初めてってわけじゃないからな」

「んがっ。え、そうなの?」


 帽子のズレを直しながら顔を上げると、横にきたシュカさんがその問いに淡々と答えた。


「そうでしたね、先代魔王殿にも同じようにこの道を歩いて頂きました」


 先代ってことは……アキュイラ様もこの地に来た事があったんだ! 確かめようとしたその時、急に頭がツキンと痛み、ほとんど忘れかけていた記憶の再現が始まった。



『初めまして、あなたがこの国の皇子様ね?』

『……』

『大丈夫、わたしは全部わかっているから。我慢しなくていいんだよ』

『……』

『ちゃんと悲しんであげようね』



 これは……ラスプと最初に出会った時に再現された記憶だ。でも今回はあの時よりもさらに鮮明に見えた。うずくまる小さな赤い狼の毛の、一本一本まで。


「どうした?」


 急に黙り込んだ私を不審に思ったのか、ラスプが赤毛を揺らしながらこちらを覗き込む。その時のアキュイラ様って、もしかしてラスプを迎えに来たの?

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