153.あの日の想い
「限界!? 限界ナノ!? ヤッター、その時が来たら僕が魂刈り取るゥー!!」
有ろうことか喜び勇んで両手を掲げた紫めがけて冷たいおしぼりがふっとんでいく。そこからしばらく攻防戦が続き、ついに耐えかねたらしい主治医が別室から顔を出して怒鳴りつけた。
「やっかましいぞ! ここをどこだと思っとる!!」
「センセー、だってエーリカがぁぁ」
カエル先生に泣きつくペロだったが、ゲシッと足払いされ転がった。ため息をついた医者は魔術を乱発するエーリカの前に立ち苦言を申した。
「手首、気持ちはわかるがヤツの挑発に乗るでない。あやつはわざと煽っておるのだぞ」
「えー、僕本心だヨー、わざとじゃないモン」
「抑えよ抑えよ」
再び挑みかかろうとするエーリカを吸盤のついた手で抑えつけ、医者は彼女と眠り続けるエリックを見比べた。
「しかし未だに信じられんのう、おぬしがまさか勇者の妹だったとは」
その言葉で暴れていたエーリカは動きを止める。魂の形を見ることができる死神sの目を通してみれば、確かにそこにある二つの魂はよく似通っていた。
カリカリと筆記音が医務室に響く。顔を上げればベッドの脇に置かれたサイドテーブルの上で、まるで見えない手が羽根ペンを握っているかのように動いていた。そこに現れた文章を一同は覗き込む。
“ご主人様は、わたくしが黙って居たことを怒るでしょうか?”
エーリカが殺されたのは、先代魔王アキュイラが降臨してからしばらく経っての事だった。エリックの妹として城に上がっていたエーリカは、ある日の真夜中、魔族領に居るはずの騎士団から緊急の呼び出しをされた。曰く、兄のエリックが敵地で重傷を負ったと。
慌てふためいたエーリカはよく確認もせず、付き添いの騎士と共に魔族領へと入った。そして人気のない森の中でその騎士に後ろから斬り殺されたのである。すべては元老院の反魔族派の仕組んだ罠、王と勇者を『打倒・魔族派』に追い込むためのエサとして、エーリカは惨殺されたのである。
もし自分があの時、一言でもリヒター王に言い残してから出ていれば、あるいは迎えに来た騎士を少しでも疑うことをしていれば、魔族と人との関係はまた違ったものになっていたかもしれない。
悔やんでも悔やみきれないエーリカはさまよう霊体となった。しかし実体のない魂ではどうやっても真実を伝えることはできない。アキュイラが病死し、いよいよ人間側が魔族領に総攻撃をしかけようと秒読み段階に入った時、好機は訪れた。
『れっつ、ネクロマンシぃぃぃー!!』
墓場に立つ黒髪の女性を見下ろした時、エーリカはなぜか彼女に近しいものを感じた。
残念ながらその女性にネクロマンサーとしての才能はさほど無いようだった。しかしエーリカは諦めなかった。全身まるごと蘇生は厳しいが、一部のパーツならいけるかもしれない。そう考え、地中の再生されていく死体を見回す。生首……は、ダメだ。しゃべる口はあるがビジュアルがホラーすぎる。そうだ、手が良い。筆談もできるし細かな作業もできる。
そうしてこの世に再び生を受けたエーリカは、すぐに事情を打ち明けようとした。都合のいいことに自分をよみがえらせてくれた女性は新生魔王としてこの国の立て直しを計画しているらしい。だが、『手首ちゃん』と名を与えられ、彼女と共に過ごす内に、真実を明かそうという決意は少しずつ挫けていった。
和平への道を全力で疾走するあきらに、秘密にしたままでも上手くいくかもしれないと期待を抱いてしまったのだ。正直なところ、自分がこのような事になってしまったことをエリックに知られたくないと言うのもあった。きっと兄は怒るだろう。勝手に死んでごめんなさいと、打ち明ける勇気がどうしても持てなかったのである。
だがそれもこんな状況になってしまえば後悔しかない。願うのはどうかあきらが無事に帰ってきて、エリックを復活させてくれることだけだ。その時こそ自分が妹であることを二人に話し、未練なくこの世を去りたい。
エーリカは視界を上げる。視線が合うことはないと思っていたのに、白い死神は手元ではなく確かにこちらを見ていた。
「ん、今はあきらを待とう。きっと大丈夫、あのこの性格はきみ自身がよく知ってるはずでしょ」
普段はのんびりと感じるグリの口調が安心感をもたらす。空気が変わったその時、ドクがドブ色の液体で満たされたビーカーを持ってきた。
「よし、そうとなれば何としてでもこの勇者の命を維持しなければな。ペロの取ってきた薬草をたんまり入れた特製芋ジュースじゃ。栄養価も高いぞ」
「わぁ、コンペ時のアレ。ついに病人食に」
「エーリカぁ、僕も手伝ウー!」
きっと大丈夫だ。自分を励ましたエーリカは、介添えをしようと思うように動かない身体に喝を入れ動き始めた。
***
心配していた船酔いもなく、ラル・デネ・アレアへ向かう船は順調に航路を進んでいた。いや、航路のことはさっぱりだからシュカさんのいう事を信じるしかないんだけど。
「ん?」
昼食後、甲板に立って海を見ていた私はそれに気が付いた。それまですがすがしいだけだった潮の香りの中に異質な臭いが混ざりこんでいる。なんていうか……我慢できなくはないんだけど胸の辺りがムカムカしてくるようなすえた臭いだ。
「魔王殿、船内にお入り下さい。じき瘴気の発生する近海エリアに突入します」
「え、もう?」
シュカさんに呼ばれ私は甲板を引き返す。船内に入ろうとした時、ライムが言っていた瘴気シールドが船を覆い始めた。マストに掛かっていた帆が下ろされ、帆と同じ生地の布が傘のようにゆっくりと張られていく。アトラクションみたいでちょっとテンション上がった私は足を止めて上を仰いだ。
「すごーい、すっぽり覆っちゃうんだ。これで瘴気を防げるの?」
「いえ、これだけでは気密性が低いので隙間から入り込んできてしまいます。中央に開けられた穴が見えますか?」
シュカさんの指す先を見ると、確かに天蓋の中央には大きめの丸い穴が開けられていた。その時、船室から筋骨隆々な乗組員さんが出てくる。彼はこちらにちょっと会釈をしたかと思うと甲板の端へ向かった。出航から気になってたんだけど、甲板には謎の筒状の部品が邪魔にならないよう寝かせて固定されている。彼はそのベルトの金具を外すと、重たそうな筒を一人で立てて天井の穴にドッキングをした。下にあった台座に筒を固定すると、横についていたハンドルをクルクルと回し始める。一連の流れを見ていたシュカさんが説明をしてくれた。
「あの筒を上空まで伸ばし、風魔導で汚染されていない空気をドーム内に取り込みます」
「あぁ!」
合点がいった私は思わず手を叩いた。つまりあれだ、忍者の『すいとんの術』といっしょだ。竹筒を水面から出して呼吸をする、みたいな。
「とは言え、この方法も完璧ではありません。お身体に差し障りがあるといけませんので魔王殿は船内へどうぞ」
「わかった、ありがとう」
シュカさんの気づかいにお礼を言って船内に入る。船室までの階段を下りるとヘンなうめき声がどこかから聞こえてきた。あてがわれた二部屋の内の一つを開けると、床に転がっていた赤いものが目に入る。苦笑いを浮かべた私はその傍にしゃがみ、ぺたんと寝てしまった耳をつついてみた。
「命に代えても私を守ってくれるんじゃなかったのー? 隊長さん」