149.政略結婚(仮)
シュカさんは私から視線を外して、少し離れた位置に立っていたラスプを見据える。
そう、狼島の使者としてやってきた赤髪の少女は、ラスプの妹だったのだ。厳しい視線を向けられたお兄さんはと言えば、返答に困ってグッと詰まったように身構える。私が助け船を出そうとした時、サイドテールを払った彼女は自らの問いかけに対してクールに自答した。
「もちろん先だって聞いてはいましたが、にわかに信じられませんでしたから。お兄様を『婿』に欲しいだなんて」
ライムが提案した驚きの方法。それは私がラスプに結婚を申し入れるという作戦だった(もちろんふりではあるけど)。一つ頷いた私は改めて確認する。
「知っての通り今この国は危機に直面しているわ。人間にこのまま黙って滅ぼされるわけにはいかない。そこで我がハーツイーズとそちらの国との結びつきを強めたいのです」
「同盟を前提とした政略結婚、ということですね?」
シュカさんが押さえた眼鏡の向こうで赤い眼差しを光らせる。私は胸に手をあててこう返した。
「えぇ、もちろんそれもあるけど――何より私がラスプのことを愛してしまったから」
目を閉じ神妙に語るも、その心の内はすさまじく複雑だった。うぐぅ、私とラスプの『保留状態』で、この台詞はかなりクるものがある。ラスプごめん、こればっかりはお芝居だと割り切って……くれるかなぁ、ひどいことしてるなぁ、私。
良心の呵責に苛まれていると、ふぅっと息をついたシュカさんは組んでた腕を解いて、白いブーツの踵をカッと合わせた。
「わかりました、魔王様をお招きできるのは光栄なこと。元よりお連れする予定で護衛艦も連れてきましたのでいつでも出立できます」
おぉ、キリッとした表情がカッコいい。颯爽と大広間に入ってきた時から思ってたけど、超有能な女ジェネラルって感じ。……チャコが見たらヨダレ垂らして飛びつきそう。そんな事を考えながらお礼を言う。
「ありがとう、ちなみに連れていく人なんだけど――」
「魔王様と兄の二名でお願いします。それ以上は申し訳ありませんが認められておりませんので」
やっぱりダメか。わかってはいたけど本当に警備が厳しいのね。ここで粘って話が白紙に戻っても困るので、素直に受け入れる。
「わかった。人間側に嗅ぎ付かれると厄介だからできるだけ秘密裏に事を進めたいんだけど、船はどこに?」
「魔族諸島側の西海岸に。ちょうどいい横穴を見つけ停泊させているので見つかる心配はないでしょう。魔王様が着く頃に合わせて移動させておきます。出立はいつ頃に致します?」
問いかけにチラッと窓の外を見た私は、暮れなずむ秋の空に判断を下した。
「明日の早朝にしましょう。できるだけ早い方がいいわ」
***
翌朝、東の空がようやく白んじてきたぐらいの時間帯に、私は赤い兄妹と共に城下町を下っていた。城壁の門まで来たところで、見送りの人たちに後の事を託す。
「それじゃあグリ、すぐに戻るから後のことは任せたからね」
「……」
「眠いのは分かるけど、こういう時くらいしっかりしてよ!」
せめて目を開けろ!と叱ると、ようやく死神様はパチっと目を開けた。ふ、不安だ……。
まだ眠そうな表情をしていたグリは、おもむろに私の手を取ると手首に付けていたブレスレットを確認するように触り始め小さく呟く。
「ん、まだ大丈夫かな」
離して貰ったので、貰ったアクサセリーを改めて見つめる。繊細な銀のブレスレットは昇り始めた朝日を反射して美しく輝いていた。鈍く光る魔石をいじりながら私は言う。
「大丈夫って、おまもりの効力のこと?」
「まぁ、そんなとこ」
ドワーフさんが、このブレスレットは強力な護符になってるって言ってたっけ。旅のお守りとして心強いけど、ピンチになったらピカーっと光って守護神でも現れるんだろうか? なにそれちょっと見たい。
その時、後ろから急に肩を掴まれ、ふわっとした毛が頬を撫でる。内緒話でもするように身をかがめて耳打ちをしてきたのはダナエだった。
「おいアキラ、出かける前に一つ。アイツどうするんだ?」
「あいつ?」
誰の事か分からないでいると、ダナエが頬に手の甲をあて胸をグッと張る。お嬢様笑いのポーズにもう一人の『ルシアン被害者』の事を思い出した。
「あ、忘れてた……」
「一応、牢に放り込んであるけどよ、一晩中わめき散らしてうるせぇのなんのって」
舞台での大役を終えたダナエは、今では牢屋の監守として働いている。んーっとしばらく考えた私はポンと手を打ち、彼女の処遇を決めた。
「――ってことで」
「ふーん、アタシの時と同じ奉仕刑ってか。けど、あのお嬢様がそれを黙って受け入れるかねぇ」
「世間の厳しさを知るにはちょうどいいんじゃない?」
ベルデモール嬢の事はダナエに任せて、私は手首ちゃんから旅用のリュックを受け取る。雪国だって聞いてるから防寒具なんかがぎっしりだ。
見送りの人たちに手を振って、狼形態に戻ったラスプの背中にしがみつくこと一時間ちょっと。ようやく西海岸が見えて来た。
ゆるやかな丘を登り切った時、一気に視界が広がり私は思わず感嘆の声を上げる。重たく暗い色の海が左から右まで一直線に続き、はるか遠くには島々がぼんやりと霞がかって見えている。話には聞いてたけど、実際この目にするのは初めてだ。あの先に広がっているのが魔族諸島なんだ。
「見えてきましたね、ここからは歩きましょう」
横でボムッと音がして、シュカさんが狼からヒト形態に変化する。背負っていた私の分のリュックを手渡してくれるのだけど、私はその頭部をまじまじと見ていた。視線に気づいた彼女が表情を変えずに短く尋ねてくる。
「なにか?」
「あ、えっと、シュカさんは耳とか生えてないのかなーって」
場を和ませたくて微笑みながら言うのだけど、彼女は笑顔につられることもなく淡々と答えた。
「変化する時はどちらかに固定すべきですから。元のパーツが残るのは未熟な証拠です」
その発言に、ちょっと離れた位置にいたラスプの口元がキュッと結ばれ、耳としっぽが瞬時に消え去る。き、気にしてる。
ケモ耳の方が可愛いのになぁ~とか考えていたその時、丘のふもとから駆け上がって来る人物が目に入った。見慣れた少年の出迎えに私は大きく手を振る。
「ライムー! 船は見せて貰えた?」
「アキラ様ぁ~、うんっ、すっっっごくカッコいいんだ! 早く来てきてっ」
手首をつかまれ、引っ張られるように海岸まで小走りで駆けていく。到着した私を待っていたのは、六艘からなる護送艦だった。大きなマストが三本連なる帆船で、前に箱根で乗った事のある遊覧船ぐらいの大きさだ。だけど遊覧と言うには船体が黒く塗りこめられているのでなんだか強そうな印象を受ける。波で小さく上下する船を前に、ライムは勢いよく両手を広げた。
「ホントにすごいんだっ、船底は腐食を防ぐために特殊な塗料が塗ってあるし、何よりすごいのがあの後ろの部分、見える?」
彼が興奮気味に指しているのは、船の船尾に設置された横長の箱だった。拳を握りしめ、瞳をキラキラさせながらライムはその説明する。
「あそこには折りたたみ式のフードが収納されていてね、引き出せば船全体をすっぽり覆えるんだってさっ! それなら瘴気がただよう海域に突入しても平気なんだって。そうだよね? 風司のオジさん」