145.魔焦鏡『リフレクションカノーネ』
(よしっ)
パッと顔を上げた私は、集まって来てくれたみんなを見回しながら話し始めた。
「非常事態宣言ね。今はできるだけ国民がいつも通りの生活を維持できるよう各自が尽力してちょうだい。判断は皆を信じて任せるけど困ったらすぐ私に相談して。慌てる必要は無い、魔王がなんとかしてくれるって安心させなきゃ」
力強く頷いた彼らが慌ただしく散開していく。隣に立ったラスプがちょっとだけ驚いたように尋ねてきた。
「なんとかできるのか?」
「それをこれから考えるのっ」
そちらをキッとにらみ付けながら叫ぶ。まったくもーこの人はーっ!
その後、『治安維持部隊』と『情報収集部隊』を編成し、私個人ではこれ以上できることはないと判断して今日のところは休むことにした。これからしばらく休めなくなりそうだから今のうちに寝だめしておかなきゃ。
検査中のエリック様や、向こうの国に動きがあったらすぐに知らせてと言い残し自室に入る。戴冠式のままだった服装を解いた私はベッドに倒れ込んだ。うつ伏せのまましばらく静止する。
「……」
不安な夜は更けていく。この部屋からでも、ハーツイーズ城全体がそわそわしている空気が伝わってくる。身体を起こした私はちゃんと眠るべく布団の中に入り込んだ。
だけどそうすると今度はコチコチと部屋の時計の音が妙に気になってしまう。寝なきゃと思うほど頭がさえていく。困った、完全に悪循環だ。大丈夫、安心しなさい私、すぐにどうこうって事はないはず。自警団だって育ててる、ドワーフ島と共同開発した新開発兵器だってある。だから安心して寝……寝……
(寝られるかぁっ!)
ガバァと起きた私は、水でも飲んで落ち着こうとベッドを出る。だけど窓の側を通り過ぎる時、コンコンと叩かれてそちらを見た。カーテンの隙間から見えた濃灰色の髪に窓の留め金を外す。
「あなたね、普通に中から入って来るって出来ないわけ?」
呆れたように言うと、リカルドは窓枠に腰掛けたまま真剣な顔でこう返してきた。
「城内は混乱してるし、取り次ぎすんのも面倒くさいだろ。それに内密にしておきたい話だったしな。魔王、耳に入れておきたい情報がある」
その切り出しに、さっきの「悪い知らせ」がよぎってギクッとしてしまう。私の強ばった表情を見たのだろう、フッと笑ったリカルドはこう続けた。
「そんなに身構えるなよ。まだ確証のある話じゃない、俺の憶測の域を出ない話なんだがルシアンの発言が引っかかってな」
「発言?」
懐からシガレットケースを取り出した彼は、指先を擦り合わせるとタバコの先端をつまみ火をつけた。ふーっと白い煙を吐いてから話を切り出す。
「宰相さんを捕まえたとき、ヤツが『種火にちょうどいい』って言ったの聞いたか?」
「う、うん。何のことだろうって思ったけど」
ルシアンがルカを連れ去ったのは、単純にこっちのブレインを抜き取り弱体化させるため。そんな風に思っていたけど、他にも目的があるんだろうか。リカルドは片方立てた膝に手首をかけ、話し始めた。
「かなり昔の話だけどな、俺はメルスランド城に一度潜入したことがある。王家が密かに所有してるって話のアーティファクトに探りを入れるためだ。知ってるか? 魔導師ロゴスの最高傑作にしてその存在を世間からひた隠しにされた超魔導兵器――魔焦鏡『リフレクションカノーネ』」
聞いたこともない名称に首を振りながらも、不吉な響きに冷や汗がにじみ出る。そうか、と小さく答えたリカルドは話を続けた。
「コイツは反射って名の通り、種火となる魔力を放り込むと内部でエネルギーを次々と反復増幅させ魔導砲として発射するシロモノらしい」
「そ、んなものがあっちのお城にあるの?」
震える声で尋ねると、彼は難しい顔をしながらタバコの灰を落とした。
「いや、あくまでもうわさ話だ。俺はそれを確かめたかったんだが、あと一歩のところで掴まっちまってな。……その一件で俺は当時勤めていた大手の新聞社を干された。政府の圧力に負けたんだ」
なめらかな黒い線になっているレーテ川を遠くに見ながらリカルドは語る。喋り過ぎたと思ったんだろう、急にこちらに振り向いた彼は話を本筋に戻した。
「あの吸血鬼は、その生け贄にするために連れ去られたんじゃないのか?」
確かに、ルカはこの国でも指折りの魔力の持ち主だ。種火にされた彼が魔焦鏡の中で分解・反射され、増幅されたエネルギー砲がハーツイーズ国に向けて発射される……。なんて効率的なシステムなんだろう。素晴らしすぎて吐き気がする。
「……教えてくれてありがとう、参考にします」
固い表情でお礼を言うと、リカルドは何も言わずに一つ頷いて出て行った。階下のベランダに飛び降りて去っていく音が聞こえる。
ヨロヨロとベッドに寄った私は、腰を下ろして顔を覆った。そうか、サイードたちはそんな切り札を持っていたからあんなに余裕だったんだ。目を閉じるとバラバラに分解されていくルカの姿と、エネルギーが充填された砲口がこちらに照準を当てるイメージが浮かんでしまう。今にも、もしかしたら五分後にでも発射されるのかもしれない。
恐怖で震えていると、控えめに扉がノックされる音がした。ためらいがちな音に緊急性は感じられなかったので、私は小さく返事を返してベッドから降りて鍵を開ける。そこに立っていた人は、私の顔を見下ろすなり失礼なことを言った。
「ひでぇ顔。また泣いてたのか」
「……なんだろう、すごいデジャブを感じる」
既視感を余計に感じさせたのは、ラスプがほわほわと湯気を出すマグカップを持っていたからだった。渡されたそれを覗き込むと、いつかと同じようにホットミルクが注がれていた。
ベッドに腰掛けて、優しい甘さのそれを少しずつ呑み込んでいく。息をつく合間にぽつりぽつりと横に座ったラスプに先ほどの最終兵器の話を打ち明ける。カップが空っぽになる頃には、私は号泣しながらわめき散らしていた。
「どうしよおぉぉ、もっ、もう今度こそ、だめ、だめかもしんない。みんな死んじゃううう」
「だぁもう落ち着けって! 鼻水出てんぞ」
空になったマグカップを取り上げられて、代わりにタオルを渡される。ぶぴーっと鼻をかむと、呆れたような表情でこちらを見ていたラスプは口を開いた。
「あのなぁ、ちょっとは冷静になれよ、仮にそんな兵器があったとして、こんな真夜中に予告なしに撃ちこんでくるわけないだろ。オレでも分かるぞ」
「そ、そう、なの?」
「まだこっちの国には大勢のニンゲンもいるんだ。それを無視してサイードの野郎が攻撃してくるとは思えない」
「あ」
そうか。勧告もなしに発射して人間を巻きこんだら、さすがにメルスランド国内から非難が出るだろう。あの計算高いサイードがそんなミス犯すはずない。そんな簡単な事も見落とすほど私は混乱してたのか。
バツが悪くなって黙り込むと、ラスプは軽く息をついて言った。
「らしくないな」
「ごめん、ルカが死んじゃうかもって、聞いた辺りから、私ちょっとおかしい」
しゃくりあげながらそう返す。相当ひどい顔になってるんだろうなぁ。でも散々ラスプの前では泣いてきちゃったし、見られたところで今さらか。
そんなわけで、気のすむまで目から感情をダダ流す。なんでこの人の前だと素直に泣けるんだろう。ようやく落ち着いてきた頃になって、ふわりと頭に手を乗せられた。
「気負い過ぎるなよ」
右を見ると、真剣な色を宿す瞳と目が合った。大きな手が後頭部でゆっくりと動くのを感じる。低く穏やかな声がすぐ間近で響いた。
「最悪、お前は死にそうになったら元の世界に離脱できるんだろ」
「でも、その方法を知ってるルカが――」
「ならオレがどこかに逃がしてやる。絶対に守るから」