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143.だから言ったじゃないですか

 ごくりとみんなが息を呑むのを感じる。私もさすがに緊張して思わずひじかけに置いた手をギュっと握りしめた。ふいに視線をあげたエリック様と視線が合う。張り詰めた緊迫感の中、目元をやわらげた彼は静まり返った水面に一石を投じた。


「おめでとう、君はやりとげたんだ」


 ワ……ッ!と、爆発するような歓声が巻き起こる。私は思わず立ち上がり、大歓声の中、玉座から駆け下りた。幹部のみんなも集まってきて全員が集合する。


 感激で言葉が詰まってしまい、一心にエリック様を見上げる。辺りはもうお祭り騒ぎで、紙吹雪や帽子やらが空中に舞いまくっていた。勇者は見る者すべてを安心させるような笑みを浮かべながら言葉を続けようとした。


「今後もよき隣人として……」


 だけどその時、彼の右背後に控えていたベルデモール嬢が不審な動きをした。素早く屈み、大きく膨らんだ自らのスカートの中から何かを取り出したのだ。一歩踏み込んだ彼女は鳶色の瞳をギラつかせ、アンダースローでそれをこちらに投げようと――


「させるかっ!」

「きゃあっ!?」


 間一髪、瞬きするよりも早く動いたラスプが彼女の腕を掴んで引き倒す。現行犯で取り押さえられた彼女は悲鳴を上げ、沸き立っていた会場内の空気が一瞬にして変わった。みんな戸惑ってざわざわとする中、ベルデモール嬢の顔のすぐ横に何かがベチャッと落ちた。黄色いカスタードが無残に飛び散る……パイ?


「ちょっと! こんな手荒な真似をしてなんのつもり!? かよわい婦女子に対してひどいじゃない!!」


 少しも悪びれていない彼女はうつぶせの状態でわめき散らす。その剣幕に馬乗りになっていたラスプは困ったような声を出した。


「いや、何のつもりかはこっちのセリフなんだが……」

「ちょっとした冗談でしょう! 痛い痛い痛い!! ひどいわ、絶対腕が折れているわ! 裁判よ、断罪よ!! お父様に言いつけてやるんだからッ!!」


 警備隊長は「どうする?」と、視線だけでこちらを見上げてきた。私は指示を出そうと口を開きかける


 この瞬間を、彼は待っていたのだ。みんなの視線がベルデモール嬢に集まったこの時を。


「ル――」


 会場内で気づいたのは偶然視線を上げた私だけだったと思う。スッと動いた金髪がごく普通の足取りで移動する。あまりの自然さに周りの人たちは誰も気に留めていない。だけど私はその手に握られた物をハッキリと見てしまった。


「ベルデモール嬢、これはいったい何の真似だ。外交の行く末を決める場でこんな悪ふざけを――」


 憤怒した勇者が、ベルデモール嬢を諌めるため一歩詰め寄る。その背後に表情を失くした『彼』が立った。


「エリック様!」


 まさかと思った。何かの間違いであってくれと思った。そのためらいが声を出すのを一瞬遅らせてしまった。私は喉の辺りでとどまっていた不安を蹴り上げる。不安は鋭い声になり、エリック様が顔を上げる。


 ドッと、鈍い音がした。


「あ……」


 私が手を伸ばした先で、目を見開いた勇者は自分の腹部を見下ろす。何者にも穢されないはずの白い騎士服が見る間に赤く染まっていき、エリック様はぎこちない動きで自分を刺した犯人を振り返った。信じられないような声でその名を呼ぶ。










「……ルシアン?」


 ニコッと笑った勇者の部下は、脇腹を貫通していたナイフを思い切り左に引き切った。鮮やかな赤がパッと華開き、無敵の象徴であったはずの男が倒れ伏す。どう、と重たい音が響き、一拍遅れて大広間はハチの巣をつついたような騒ぎになった。


「あれ、さすがに致命傷はまぬがれたか。まぁいいや、どうせ助からないし」


 そんな騒ぎを前に、実行犯は軽い笑みを浮かべて言い放つ。私は背筋の辺りがぞわっとするのを感じた。その口調はこれまでと少しも変わらないルシアン君そのものだったからだ。そのせいで未だ目の前の惨状が悪い冗談なのではないかと疑ってしまう。「じゃじゃーん、なんちゃってー! ドッキリでしたー! ね、ね、驚いた?」って、懐っこい笑顔で今にも言い出すのを期待してしまう。


 だけど、血糊でもなんでもない赤い海に沈んだ勇者は苦し気に顔を歪ませている。うめき声にひっぱたかれた私は、もつれそうになる足を何とか動かして彼の傍らに膝を着いた。慎重に抱き起すとエリック様はうっすらと目を開ける。荒い息の合間に掠れる声が漏れ出た。


「ルシアン、なぜだ……」


 色んな感情が込められた問いかけだった。返り血で半身を赤く染めたルシアン君は、苦笑しながらそれに答える。


「やだなー先輩、だから言ったじゃないですか」


 彼は目を開く。底のない、深淵のような瞳が現れた。


「オレ、演技ちょー得意って」


 ――はいはーいっ、オレ演技ちょー得意っ!!


 ザッと、自警団の面々が彼を取り囲む。圧倒的に不利な状況だと言うのに、ルシアンは軽い調子で無造作に立ち、唇についた血をペロリと舐めとった。


「アキラ様、こっち」

「運ぶよ」


 ライムとグリが寄ってきて、ぐったりと力を失ったエリック様を運ぶのを助けてくれる。苦痛に顔を歪める彼は尋常じゃないくらいの汗をかいていた。駆け付けたドク先生が容態を確認するのをルシアンは面白そうな目で見ているばかり。ターゲットを逃した割にずいぶんと落ち着いている。


 ルシアンは持っていた血まみれのナイフを鞘に戻して懐に入れた。代わりに何か別の物を内ポケットから引き出す。黒いチョコボールのような球体だ。ピンポン玉くらいの大きさで赤いラインがぐるりと半周入っている。勇者を刺した犯人は、身構える周囲を物ともせず、もてあそぶようにそれを手のひらで転がし始めた。やがてある人物に目を留めるとニィと笑う。ボールを持っていない方の手でまっすぐ指差すと、よく通る声で話しかけた。


「ご指名だよイケメン宰相さん。ウチの主人のとこからアンタが盗んだ『例の物』、その身で清算してもらうってさ」

「!?」


 指の先にいた人物――ルカは目を見開いた。私は言い知れぬ不安を感じて駆け出す。だがそれと同時にルシアンが行動を起こした。


「アーティファクト『鳥籠ドルツヴァング』。咎人をその罪の重さに応じて捕獲しろ」


 命令に応えボールがぶるっと震える。次の瞬間、黒い球体は破裂するように広がった。伸ばされた触手が驚いているルカの手に、足に巻きついて全身を覆っていく。


「ルカ!」

「このっ」


 私と同時に走り出していたラスプが、剣を引き抜きルシアンに切りかかる。腰を落とした敵は、騎士の聖剣ではなく、どこかに仕込んでいた二本のナイフでそれを迎え撃った。


 激しい剣戟の音が響く中、ルカの元へと駆け付けた私は得体のしれない黒い物を剥がそうと試みる。だけど触手は素通りして掴むことができなかった。全身を拘束された吸血鬼は真っ黒いボールになり縮み始める。手のひらサイズになったアーティファクトは宙を飛び、あっけなく使役者の手中に収まってしまった。


「回収かんりょーう。おぉ、さすがに魔力もズバ抜けてるようで。種火にちょうどいいね」

「てめェ!」


 激昂したラスプがさらに追撃をかけるため踏み込む――のだけど、ニヤッと笑ったルシアンがカウンターを喰らわせるように何かをばら撒いた。


「ぶわっ!?」


 まさかこの局面で目つぶしをされるとは思わなかったのだろう、視界を失ったラスプは本能的に後ろに跳ぶ。結果的に言うとその行動は正しかった。ためらいなく振られたナイフは確実に喉元を狙っていたのだから。

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