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141.咎人たち

 否定してほしかったわけじゃない、ただどうしようもない心の内を誰かに聞いて欲しかっただけだった。だから次に聞こえてきた言葉は遠慮なしに私の頭をガンと殴りつけた。


「帰ればいいんじゃね」

「んなっ!?」


 あまりにも軽く言われたものだから、思わず耳を疑う。だって、そんな平然と帰れって……。


 落ちた体勢のまま無造作に座っていたラスプは、頭をかきながらゆっくりと立ち上がった。階段の一番下に座っている私を見下ろしながらすぐ目の前に立つ。


「お前がオレたちを信じて託して帰るってんなら、それでいいじゃねぇか」


 その言葉はどこまでも率直で、スッと心に溶け込んでいく。いつものようにこちらの頭をわしゃっと撫でた彼は真剣な顔つきのままでこう続けた。


「迷ってもいい、悩むだけ悩め。でも心は捻じ曲げるな。お前の人生はお前だけのものだ、そうだろ。泣くほど悩んで出した結論をオレたちは否定しない」


 ふしぎだな。普段は鈍感だの女心が分からないとか散々からかわれてるのに、この人は本当に欲しい言葉を必要な時にくれる。


 目を細めて口の端をつりあげたラスプは、とても優しい声でこう言ってくれた。


「こっちの事は気にするな。お前がまた来る時まで何とかするから。いつまでも待ってる」


 離れていく、その背中を視線で追った私は、思わず立ち上がって声を掛けていた。


「あの、例の返事だけどっ」


 ぎくぅっとあからさまに尻尾が跳ねる。しばらくして恐る恐る振り向いたラスプは、耳は寝て尻尾を巻き込むという完全なビビりスタイルになっていた。ジト目になりながら口をとがらせこう言う。


「そ、れに関しては、もうちょい後でいいだろ? まだ数日あるわけだし」


 ぎこちない動きでまた背を向けた彼は最後に一言ポツリと言い残し、正面玄関から出て行った。


「オレだって最後くらいはいつも通りに接したいんだ、頼む」



 ***



 先ほどまで薄雲が広がるだけだった秋空は、急に陽が陰りひやりとした空気が流れ込むようになってきた。やがてポツポツと雨音が窓枠を叩き始める。緩慢な動きで窓を閉めた吸血鬼は、長い指をそっとガラスに沿わせると静かに目を閉じた。背後の気配には気づいていた。だからこそ急に声を掛けられても驚くようなそぶりは見せなかった。


「『俺もあの男みたいに、後腐れなく送り出せたらどんなに良かっただろう。何も事情を知らず、気楽に見送れるバカ犬が羨ましい』」

「……何の話です?」


 ようやく振り向くと、向かいがけのソファにだらしなく持たれている死神の姿があった。重たい前髪の隙間からうろんな瞳で見つめられ、自分もこんな目をしているのかと心のどこかで思う。


「代弁。顔に書いてあるよ」


 いくら死神が魂を見ることができると言えど思考までは読めないはず。そこまで分かりやすかっただろうかと、吸血鬼は再び窓に向き直り、面白く無さげに顔を歪ませた。


 雨足が強くなってきた。まるで今の自分の気分を象徴しているようだ。蟻地獄にずるずると引き込まれるように気持ちが落ちていく。それを気遣う様子もなく死神は容赦なく追い打ちをかけてきた。


「どうするの、もう時間がないよ」

「分かっています」


 嫌と言うほど理解している。これまで主と仰いできたあの者はおそらく元の世界へ戻るだろう。先ほどの引き留めもまるで意味のないこと。なぜあの時、無意識のうちに手を伸ばしてしまったのだろうか。


 うぬぼれるつもりは無いが自分は他の有象無象に比べれば少しは賢いと思っていた。主の性格を考えても、あの程度で思いとどまってくれる可能性などゼロに等しいことは分かっていたはず。非効率的な事だと、やるだけ無駄だとわかっていたはずなのに、なぜ


 めまぐるしい思考も時間にしてしまえば一瞬だったらしい。会話は流れ、珍しく口調を早めた死神がこちらの主張を即座に否定する。


「『分かっている?』いいや分かってないね、あきらがあきらで在り続けていることが何よりの証拠だ。リュカリウス、あんた本当は――」


 ピシッと、ガラス窓に亀裂が走った。黙り込む死神には振り返らず、吸血鬼は添えていた指先を離した。


「あなたも……共犯でしょう?」


 沈黙が降りる。しばらくして詰めていた息をふぅっと吐いた死神は上体を起こした。開いた足の間に乗り出し、いつも通りのゆったりした語調で言葉を紡ぐ。


「そうだよ、罪の意識は消えない。だけど俺はあきらの意思を尊重することにした。ルカ、何も知らずに押し通せるラインはとっくに越しているんだ。これ以上はお互いの為にならないよ」


 窓枠に着いた手が冷たい。完璧だったはずだ、自分はいつだって正解を選ぶことができた。なのにどうして今回は


 苦し気に胸元を握りしめた吸血鬼は、消え入りそうな声で同じ立場のはずの者に問いかけた。


「なぜ、あなたは覚悟ができたのですか?」

「好きだから」


 何の迷いもない声が返される。表情に乏しい死神だが、その瞳は確かに愛情と哀しみを含んでいた。


「愛しいから、あの澄みきった魂を濁らせずその意に沿いたい。帰るっていうんならちゃんと連れて行くし、その結果、二度と口を聞いて貰えなくなったとしても……悲しいけど頑張る」


 自分にはまだその覚悟はできていない。この期に及んでまだバレないための方法を模索している。どうして黙して置きたいのか、その意味を考えることを頭のどこかが拒否している。


(認めてしまえば、彼女を裏切ることに)


 室内には壁時計の重たい音が規則的に響いていた。タイムリミットは刻一刻と迫っている。吸血鬼は俯いたまま苦肉の策を出した。


「『山野井あきら』を、消してしまえば」

「本当にそれでいいと思ってる?」


 呆れを通り越し憐れむような死神の声に、彼はただ奥歯をギリと噛みしめていた。



 ***



 戴冠式当日は、気持ちよく晴れたいい日になった。玉座で執り行うので朝から城のみんなが慌ただしく走り回っている。


 リヒター王の書簡と言葉を持ってくるのは予定通りエリック様だ。式が始まる三時間前にハーツイーズ入りして打ち合わせをする――のだけど、なぜか『今回も』想定外のお客さんが一緒にくっついてきた。


「なぁに、何か言いたいことでもありますの?」

「い、いえ」


 ゴージャスな金髪に鳶色の瞳。これで会うのはえーと、三度目になるだろうか。お人形さんのような容姿を持ちながらやる事はそこそこえげつないベルデモール嬢が、エリック様の傍にピタッと付いていたのだ。彼女は例の扇子を口元に当てながらエントランスホールのあちこちに視線を走らせる。ふっと鼻で笑うとウチの城の感想を述べた。


「なんだか客人を迎えるにしては殺風景で陰気な印象ですわね。それとも魔王サマがお住まいですから、このぐらいがお好みなのかしら。ホホホホホ」


 か、感じわるーい! 確かにこのエントランスホール光の入りは悪いけど、夏場なんかはひんやりしててけっこう快適なんだから!


「だって……高そうな壺とか絵画は最初に全部売っぱらっちゃったし」


 私は指先を合わせて小さく呟いたのだけど、お嬢様はその独り言をしっかり拾ったらしい。勝ち誇ったようにますます声高になった。


「え? え! さぞ歴史があるだろう高級な美術品を金策だけのために売り払ったですってぇ? んまー、いかにも芸術の分からなそうな方がやりそうなことですわね。まぁでも良かったんでなくて? そのおかげでこの土着感あふれる田舎っ……こほん、素朴な暖かみのある国をお造りになれたんでしょ? 芸術品なんて理解できない方にとっては無用の長物ですものね、美術品もその方が幸せでしょうし。まさにゴブリンに真珠。ケットシーに小判というヤツかしら。アハハハ!!」


 むかぁー!! なによなによ、ゴブリンが真珠つけて何が悪いっていうのよ! ウチの国のドワーフ職人さんは相手を見て売ったりしないわよ!

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