140.「信じる」という呪縛
これまでの実績を見て、ついに審判が下される日だ。とは言え、ちょいちょい来ている書面の内容は明るいもので心配はしていない。予定では玉座で私が結果を聞いて終了のはずだ。
「楽しみだねー、頭のサイズとか聞かれちゃったし、王冠とかサプライズで用意してくれてるんじゃないかな」
私は自分の頭に触れながら軽く笑う。どんなデザインだろう? 載せやすいように髪型はアップじゃないほうがいいかな。エリック様に載せてもらえたりして?
「経済効果もいい感じだったし、豊穣祭は毎年の恒例行事にしようか。来年はどんな催しを――」
そこまで言ってハッとする。ルカの方を見ることができなくて、窓枠に着いた手をギュっと握りしめて木目を見つめる。
来年の豊穣祭、その場に私は居ない。このところ、ハーツイーズ国のこれからの事を考えると悲しくて苦しくてねじ切れるように心が痛む。これまでは普通にできていた未来を語るということが、どうしようもなく切なくてたまらない。居ないんだ、私だけが居ないんだって。
もう決めたことだ。日本で待ってくれている人の事を思い浮かべて感情を押し殺そうとする。その時、ふいに左の頬に触れられた。反射的に振り向くと、どこか哀し気な色を宿す青がこちらをひたと見据えていた。
ゆるい風が吹き込んできて私たちの髪を揺らす。一文字に引き結ばれていた口が開き、空気を揺らす。
「主様、どうしてもこの国に留まっては頂けませんか?」
縋るような声が耳から入り、やわく心臓を握りこんだ。痛みと呼ぶにはぬるいそれは、甘くて苦いチョコレートみたいな誘惑だった。
……このタイミングで、それはずるい。泣きそうになるのをなんとか堪え、視線をそらして反対側に顔を向けた。声が震えないよう精いっぱい固い声を出す。
「できない。言ったでしょう、私はあくまで仮の国王。その願いは聞けない」
冷たく突き放すような声色だと自分でも思うのに、ルカはそれでも食い下がった。
「認められてすぐに国王が居なくなるのはどうかと思いますが」
「それに関してはきちんと説明する。私が異世界から来たって正直に公表して、帰らなきゃいけないことをちゃんと分かってもらう。後任も決めて、そうしたら私の役目はおしまい。もうこの国に『魔王の生まれ変わり』っていう肩書きは必要ないから」
私は最初から一時的な助っ人。これで間違ってない、正しいんだ。
でも、正しいって何? と、私の中のもう一人の私が問いかけてくる。余計なこと言わないでよ、このまま有耶無耶で残り続けるなんて、そんなの出来るわけない。
葛藤していた私の耳が、ほとんど聞き取れないぐらい小さなルカの声を捕らえた。
「帰ろうとしない方が幸せかもしれませんよ」
帰らない方が、いい? その声の真剣さが引っかかり、思わず振り向いて尋ねていた。
「どういうこと?」
「……」
だけど彼は複雑な表情でジッとこちらを見降ろすばかり。しばらくして、引き留めるためのでまかせだと判断した私は念を押すように確認した。
「約束、守ってよね。転移の鏡は修復できたの?」
半年前、ルカに召喚された私は、その鏡を通り抜けこちらの世界にやってきたと言う。無意識のうちに暴れて粉々にしてしまったそれを、帰るまでにちゃんと直すことも魔王をやる条件に含めていたはずだ。
しばらく無言でいたバンパイアだったけど、ふいに悲しげに目を伏せたかと思うと観念したように言った。
「まだ調整は必要ですが、戴冠式が終わる頃までには」
割り切れない思いはあったものの、ひとまず胸を撫でおろす。よかった、これで元の世界に帰る道は確保できたわけだ。「帰らない」と「帰れない」では天と地ほどの違いがある。
「そっ、か。まだ帰る日を決めたわけじゃないけど、いつでも使えるようにしておいてね」
気落ちしたようなルカにそれ以上言うのが何だか後ろめたくて、私はそれだけ言い残し部屋から出て行こうとする。
「っ、」
ところが物理的な引っかかりを感じて歩みを止める。振り向けば私の上着の裾を捕らえたルカが、少しだけ驚いたように目を見開いていた。自分の手を見下ろしそっと離す。
「申し訳ありません。なぜ私は……」
戸惑ったように手のひらを見ていた彼は、しばらくしてぽつりと呟いた。
「主様は、演説の際「信じる」と仰いましたが、それはある種の呪いだということにお気づきですか」
思いがけない言葉に私は目を見開く。俯いた金髪が外からの風になびきサラサラと揺れる。わずかに上げられた青い視線が私をまっすぐに射抜いた。
「私も「信じて」います。あなた様がこの国に残って下さる事を」
言葉を返せずグッと詰まった私は、何も言わずにその場を後にした。
***
あぁそうか、信じるって聞こえはいいけど、言い換えれば呪縛に他ならない。期待を一方的に押し付けて、願いに沿わせようとする鎖なのかも。
ひんやりとした空気と薄暗さが心地いい昼下がりのエントランスホール。人気がなくシン……と、音が聞こえてきそうな中、階段の一番下に腰掛けながら私はぼんやりとそんなことを考えていた。
ふいに冷気が腕を撫で、左腕を押し上げるように何かが膝に手をかけてくる。キューと小さく鳴いた彼女は、産まれた時に比べると二回りほど大きくなった氷竜だった。
「ステラ」
上から来たの? と、振り返ると、ちょうど通路から出てきた赤と目が合った。なぜか胸の前に茶色い紙袋を抱えていて、豚肉と野菜を混ぜたタネを小麦粉の皮で包んで蒸した――私の世界で言う肉まんをパクついている。自警団の黒い制服をひるがえしたラスプは首を傾げながらこちらに降りてきた。
「なんだ、サボりか?」
「違うわよ、考え事してただけ」
ムッとして言い返すと、下りてきた彼に「がぽっ」と口の中に肉まんを押し込まれた。咀嚼するともちもちの生地に肉汁が染みこんでで非常においしい。
「おいひい。どうしたのこれ」
「厨房寄ったら自警団への差し入れだとよ。こら、お前にはもうやっただろうが」
ねだるようにステラがラスプの足に手をかけるのだけど、一蹴されてブーっと鳴く。最近覚えた抗議の声らしいんだけど、なんとなく表情も不服そうに見えて笑ってしまう。
同じように軽く笑ったオオカミさんは自分がくわえていた残りを半分に割ると軽く放り投げた。顔を輝かせた幼竜がバネ仕掛けのように跳び上がり、パクリと見事な空中キャッチを披露する。はぐはぐと嬉しそうに食べる彼女の背中を見ながら私は感想を述べた。
「ずいぶん成長したよねぇ、前はよちよち歩きだったのに」
「誰かさんに似てよく食うからな。飼い主に似るっていうのは本当だったのか」
「ぐっ」
ニヤニヤと笑いながらそう言われたので一瞬つまる。だけどフッと笑った私は同じやり方で切り返すことにした。
「じゃあ心配だわ、このまま行くとこのコ、不運でいじられ役なキャラになっちゃうかも」
「……どういう意味だコラ」
低ぅい声で期待通りの反応が返ってきて、思わずぷはっと噴き出す。そういうところだよって言ったら怒るんだろうなぁ。食べ終えて戻ってきたステラが甘えるようにすり寄って来る。私はそのひんやりした頭を撫でてやりながら口を開いた。
「冗談冗談。でもこのコが一番懐いてるのってあなただし、きっと面倒見のいい優しい女の子になると思う。あと数か月もしたら――」
また、寂しさがこみ上げてくる。そういったステラの成長も見届けないまま私は帰るんだ。
「……」
「!? お、おい。どわああ!?」
さっきは堪えることに成功した涙が、なぜか今回はだばーっと流れてしまった。ぎょっとしたらしいラスプが階段を踏み外し、珍妙な叫び声を上げながら横を転げ落ちていく。盛大に尻もちをついた彼を見て、私は鼻をすすりながら何となしに視線を上げた。壊れた手すりはすでに修復されていて、そこだけ真新しい木材が使われている。
「私、無責任なのかな」
あそこから落ちて、ちょうど下を通りかかったラスプを押しつぶしてしまったんだ。今はもう、遠い記憶。
「私がここに留まるのを望まれているのは分かってる。それを信じてついてきてくれた種族だっている。それを裏切ることになるのかな……」