139.心穏やかに
何てことは無い、理不尽に連れてこられた私は慣れ親しんだ日常を……日本を異世界に作りたかっただけなのだ。
「その話をした時、優しい国なんておとぎ話だ、夢物語だと鼻で笑われて一蹴されました。それでも不安をかなぐり捨てて、ただがむしゃらに走って走って走り続けて……そうしたら、いつのまにか私の周りでたくさんの人が笑っていました。この結果を成功と見るかどうかはリヒター王にお任せするとして……私は概ね満足しています。ハーツイーズは私の自慢の国です」
少し笑って言うと、観客席のあちこちで同意するように国民たちがウンウンと頷いてくれる。みんなで作り上げてきた国は、そりゃまぁ完璧なメルスランドさんからしてみればいびつだったりデコボコに映るかもしれない。だけどそういったところも含めて「味」なんだと、分かってくれるだろうか。
「あとこれだけは言っておきます。劇の中では明るく綺麗な側面しか描きませんでしたが、本当のことを言えばハーツイーズにだって犯罪はありますし、悪いことを考えている人だって一定数います」
ここまできて急に落とすのかと、背後からルカの無言の圧力が掛かる。違う違う、そうじゃないって。苦笑いを浮かべた私は、一番伝えたかった事を口にした。
「でも私は信じてます。誰だって根っこの部分は心穏やかに暮らしたい、その為には人に優しくするのが一番の近道だって。この国の国民ならみんな知ってるはずだから」
心穏やか。語感の良さだけで決めた国名に、そんな意味が含まれていただなんて思いもしなかった。知っててグリは提案したんだろうか。偶然の一致かな?
最後に背筋をしゃんと伸ばして視線を上げた私は、リヒター王が居るあたりをひたと見据え、真剣な顔で話を締めくくることにした。
「痛みを知れば人に優しくできる。虐げられてきた魔族はこの世界の誰よりも善良になれる可能性を秘めている。魔王として、この地に住まう者の代表として、私から王に最後のお願いをして締めさせて頂きたいと思います。どうか、その御心に沿った公正な審査をよろしくお願い致します」
最後に深々と頭を下げると、パチパチとまばらな拍手が起こる。やがてそれはさざ波のように少しずつ大きくなっていった。やれることは全部やった。私は澄み切って落ち着いた心境のまま、靴のつま先をいつまでも見つめ続けていた。
***
魔王による締めの挨拶を待たずして、その線の細い男は会場を後にしていた。暗がりの通路の先に『協力者』を見つけ、よく磨かれた革靴をカツンと鳴らして歩みを止める。
「見事に大逆転されてしまったようで」
どこか楽しんでいるような口調に苛立つこともなく、サイードは懐から手のひら大もある水晶を取り出した。布にくるまれているにも関わらずまばゆい光を放っているそれは、この会場から盗んだ魔力が膨大な量であることを示していた。
「詰めを誤るとはらしくない」
クツクツと心底楽しそうな声を出す『協力者』にわずかな笑みを浮かべ、サイードはその横をすり抜けた。
「まさか、全て計画通りさ。今日のちょっかいはちょっとした感動の演出のお手伝いというヤツさ」
「強がり……じゃないみたいですね」
なるほど、台無しになればそれでよし。乗り越えてもいずれ来る審判の日には――そこに思い当った『協力者』は、この若き野心者のしたたかさを改めて再認識した。つまり今日の結果はどちらでも良かったらしい。
先に帰ると告げたサイードは下り階段の手すりに手を掛け、目元を細めてみせた。
「今の奴らは喜びもひとしおだろう。だがそれでいい、その分落差の表情を楽しませて頂くさ」
***
「三百、二百、百……クリアー!!」
机に重ねて行った名簿リストの一枚を、カウントと共に大仰に置く。ワッと歓声をあげるライムと手首ちゃんと一緒に、私も両手を上げて人口のノルマクリアを喜んだ。
「これだけあれば安全圏だね、ほら見てまだ結構余裕あるよ」
残る名簿リストを振って音を立てる。食糧生産問題は私のチート土魔導のおかげもあって余裕でクリアしてるし、リヒター王から課せられた三つの課題はほぼパスとみて間違いないだろう。ところがデスクで頬杖をついていたルカだけは、積み上げられたリストを横目で見て浮かない顔つきだった。
「当初の計画ではもう少し行くと思ったのですが。セニアスハーブの騒動が本当に惜しいです。あれさえなければダブルスコアも夢ではなかったでしょうに」
「向上心ありすぎ! いいんだって、百も二百も達成は達成なんだから」
ご機嫌な私はデスクを回り込んでルカの肩を一つ叩く。ずっとデータをまとめてくれた彼はこの課題の功労者だ。お疲れ様。
「ボクみんなに知らせてくるねっ、リカルドおじさんが結果が出たらすぐに教えてくれって言ってたし」
パッと立ち上がったライムが跳ねるような足取りで出ていく。それを追うように、手首ちゃんもティーセットを浮かせながら退出していった。そのタイミングを見計らったようにルカが報告を上げてくる。
「ライムは白です。押収した照明の一つを開けて構造を確認しましたが、意図的なタイミングで魔力を放出するなどといった仕掛けはないようでした」
「そう……」
私はホッとして胸を撫でおろす。あのタイミングで魔力を奪えるとしたら、会場の魔道具全てを開発した技術者の彼が一番疑わしい。けれどもありがたいことに杞憂だったみたいだ。大切な仲間を疑うのは自分でもどうかと思ったけど、「そうだった」場合が一番最悪のパターンだから、疑ったこと自体は後悔していない。我が国きっての匠を信じていたからこそ念のため調査を命じて正解だった。なんて、結果論だけどね。
開け放った窓辺に寄りかかった私は、軽くため息をつきながら薄雲の広がる秋の空を見上げた。
「やっぱりサイード単体の犯行だったのかなぁ」
「何か、我々のあずかり知れぬチカラを彼は持っているのかもしれませんね。あれだけの魔力を一度に吸収できるなんて術は聞いたことがありません。可能性があるとしたら――」
――アーティファクト
小さく呟いた私とルカの声がハモる。ダナエが持っていたのは花を咲かせる程度だったけど、文献をたどるとそれらしい物が過去にはあったらしい。とっくに所在は不明になっているけど、サイードが密かに入手して所有しているのかも。ルカがまとめに入る。
「いずれにせよ、今後はエネルギーを魔力ばかりに依存するのは控えましょう」
「そうね、例えば照明は燃料の違うもの二種類用意して交互に置くとか」
「いいですね。でしたら予備燃料を搭載して、供給が切れたら自動で切り替わる燭台をライムに作って貰いましょうか」
「それ普通に便利そう! コストを考えたらメインタンクは~」
二人でしばらくアイディアを話し合う。来るなら来なさいってなもんだ、踏まれても反発して成長するだけの気概がこっちにはあるのよ。
ふと私は窓から見える街並みを眺めた。お祭りが終わって数日経ち、ひと段落ついた城下町はそれでもどこか楽しそうで賑やかだった。横に来て窓枠に手をかけたルカが少しだけ呆れたように意見する。
「リヒター王からの正式な通達はまだだというのに、浮かれすぎですね」
「でもまぁ、ほぼ決まったようなものでしょ。みんな嬉しいんだよ」
メインストリートを見下ろせば「ハーツイーズ国おめでとう! 目抜き通り商店街一同」なんて横断幕が貼られちゃってる。トゥルース社の新聞でも存続決定で勝ち確だと書き立てられているせいだ。同じように苦笑を浮かべたルカがこう続ける。
「提出書類も揃いましたし、七日の勇者訪問には間に合いそうです」
「結果発表を持ってエリック様がやってくるんだよね」