137.ハーツイーズ建国物語3
隣に座るルカの手がピクリと動き、緊張したのが空気を通して伝わってきた。けれども次に顔を上げた時、ダナエは『魔王アキラ』に戻っていた。
『ですからどうかお願いです勇者様、今一度こちらを滅ぼすのを思いとどまっては頂けないでしょうか? もちろん、これまでの禍根が全て消えるわけではないのは重々承知しています、ですがあなた方ニンゲンと同じように我ら魔族も生きています。家族があり、友が居て、共に泣き笑い、ささやかな幸せを享受する心穏やかな日々を望んでいるのです』
舞台はその後、リヒター王から返答を受け国民が喜ぶシーンに移った。メルスランドからの正式な書簡をみんなで広げて覗き込む。
『勇者どん、思ったより話の分かる人だったなぁ』
『とりあえずは様子見ってことで、半年見逃して貰えるらしいぞ』
『なんて寛大な王様なんだ』
『ニンゲンって思ったより優しいのね!』
よしよし、人間側を持ち上げて心象を良くするシーンだ。これを見て切り捨てられるのはよっぽどのひねくれ者だけだろう。
『そうよ、世界全体が変わり始めているのを感じる?』
魔王アキラが両手を掲げると、演出の一環で舞台に次々と花が咲いていった。よかった、ここは私が土魔導を監修したんだけどちゃんと機能してくれたみたいだ。
『ところで魔王様、リヒター王に発表する課題は何にするつもりで?』
『そうね、ハーツイーズの成り立ちを追った演劇なんてどうかしら? 九月の最終日を豊穣祭と定め、みんなの技術の粋を集めた発表会をやるのよ』
それが今日、この場の事だと気づいた観客たちから感心の声が漏れ出る。お判りいただけただろうか、まごう事なきノンフィクションは今この時も進行形で続いているんですよ、皆さん。
『衣装はぜひとも、わたしにお任せを!』
『カラクリを使って舞台装置すごいのにしようよっ、アキラ様が地中からカッコよく登場するんだ』
『舞台で使う小道具はウチに任せてくれよ』
マイスター制度の職人役が次々と挙手をすればするほど、舞台で使われている技術に注目が集まるはずだ。身に着けているアクセサリーもそう、声を客席まで届けている技術もそう、歌やダンスだって、一つ一つがこれまで積み重ねてきた成果なんだ。
『みんながそれぞれ持つ能力を最大限に発揮できる一つのステージを作り上げよう!』
セニアスハーブのトラブルの件もちょっと挟み、仲違いする両種族を魔王アキラが身体を張って止め……うっわ痛そう、今さらだけどよく私あんな無謀な事したな。いよいよ劇中の時間と現在が近付いていく。
「!」
だけど私はここで気づいた。四つ離れた席のサイードがさり気なく手を振ってどこかに合図を出したのだ。動いた!
私は周囲にバレないように肘掛けを指先で素早くトントンと叩いた。右隣に座るルカがこちらを向いたので目配せをする。何か異変が無いかと目をつむって魔力の流れを追っていたバンパイアは、突然ハッとしたように照明を見上げた。同時に舞台ではダナエが締めのセリフに入っている。
『最初は本当に小さくて、吹けば飛ぶようなちっぽけな国だったかもしれない。だけど――!』
突然だった、何の前触れもなく全ての照明が落とされる。いきなりの暗闇に私は緊張して立ち上がった。なに、どこかで爆発が起こったりするの!?
ところが暗闇に乗じて謎の襲撃犯が来るとかそういった最悪の展開は無く、ただただ会場は暗闇に包まれただけだった。けれども一時中断した舞台は尻切れトンボ状態で、演出にしては長すぎる間に少しずつ観客席がざわめきだす。ま、まずい……。
「何かトラブルかい?」
「えっと……」
怪訝そうなボリス様が暗闇の中で尋ねてくるのだけど、回答できない。
ここまで上手くやってきたのに、このままじゃ最後の最後で台無しになってしまう! どうして? さっき魔力電池をはめた時は何でもなかったのに、私の責任? どうしよう、どうしよう!
手が汗ばんで背中を冷たい手で何度も何度もつつかれているような感覚が走る。考えがまとまらない。すぐにでも切り抜けなきゃいけないのに、このままじゃ……!
パニックに陥りかけたその時、私の耳に力強い歌声が届いた。我に返った私は舞台の、歌の出処と思われる方に顔を上げる。この声、ダナエ?
♪最初は誰もが一人だった 居場所を求め さまよい歩いていた
これ……最後に歌うはずだったエンディング曲だ。楽団の演奏も入り、歌声は少しずつ重なっていく。あ……そうか、気を利かせたみんながラストを先取りして場をつないでくれているんだ! 無音で止めるよりは不自然じゃない。
「おいアキラぁ!! 聞いてるかこのポンコツ魔王!」
それまで演じていた『魔王アキラ』の声から一転して、地声のダナエが声を張り上げる。ちょっと、いくら照明落ちてて見えないからってどんな呼びかけよ!?
「何やってんだ、早くこの状況をどうにかしろよ! こんな中途半端な終わり方させやがったら今度こそぶちのめすぞ!」
わかってるわよ! 相変わらず口が悪いわね! どうにかしなきゃいけないのは分かってるけど、でも……っ
「いいか? 一度しか言わないからよく聞けよ。最初は疑った時もあった。やっぱりニンゲンなんて信用できないと思った時もあった。でも、そんな感情も全部受け入れた上でお前はこんな大役をアタシに任せてくれた。それにどれだけビビったか分かるか!? 悔しいけど…………嬉しかったんだよ! だからっ、お前が信頼してくれたように、アタシもお前も信じる!」
それまでおろおろするだけだった心が、その言葉を聞いた瞬間スッと落ち着いた。続けざまに他の役者からも私に向けたメッセージが飛んでくる。
「魔王さまぁー、早く照らしてよー!」
「今までの苦労に比べたら、こんなトラブル朝飯前ですよね!?」
「終わったら打ち上げパーティーするんでしょーっ」
「アンタならできる! 根拠はないけど絶対大丈夫!」
「ちょっとぐらい失敗しちゃっても、終わりよければすべてよし。だっけ?」
「ずっと前から好きでしたー!」
あはは…………まったくもう、みんな好き勝手いってくれちゃって。俯いて口の端を吊り上げていた私だけど、心の内にふつふつと勇気が湧いてきた。ダナエの叫ぶような呼びかけが続く。
「アタシはこの国が好きだ、大好きだ! 負けない、諦めるなよ、絶対に優しい王国を造るんだろ!?」
その声で心が決まった。視線をキッと上げた私はハイヒールを脱ぎ捨て、椅子の下にコッソリ隠していた靴に履き替える。
「リヒター王、申し訳ありませんが少し席を外します」
「あぁ、いくらでも待つとも」
どっしりと構えた王様に笑い返してその場を離脱する。照明が落ちて二分ほど、人間の私でも少し目が慣れてきた。ルカとラスプを伴なってボックス席を出ようとする。その時、すれ違いざま一瞬だけサイードと目が合った。
「っ、」
確かに彼はあざ笑っていた。頬杖をついてせせら笑うようにこちらを流し見ている。私は足を止めないまま一度だけきつくにらみ返した。こんな嫌がらせ、絶対に負けないんだから!
タンッと一足飛びに通路に飛び降りた私は、照明が設置してある方角を見上げる。そちらの様子を見に行こうとしたところでルカに引き留められた。
「お待ちください、おそらくは照明塔に向かっても無駄足になります。先ほど魔力の流れを観測していましたが、何者かに会場内の魔力のすべてを吸収されてしまったようです。このままでは復帰は難しいかと」
「何者っていうか、あのニヤけ野郎の仕業だろ! だぁもうっ、魔力に関してはオレはお手上げだぜ!」