135.ハーツイーズ建国物語
サイード様も公式な場ということで、前回よりもきっちりした身なりをしていた。灰色の髪を後ろに撫でつけ秀でた額を強調している。男らしくがっしりとしたボリス様を見た後だからか、そのスマートないでたちが余計に印象付く。しかし彼が見た目以上に危険人物であることを知っている私は、牽制の意味も込めてこちらから切り出した。
「まさかおいで頂けるとは思いませんでした。長旅でお疲れでしょう、セニアスハーブでもご用意いたしましょうか?」
全部お見通しだと、視線に敵意を含ませて直視する。それに少しもひるんだ様子はなく彼は平然と返してきた。
「お気遣いどうも。あいにく私には喫煙の習慣がないのでご遠慮させて頂くよ」
「……」
じっと睨みつけたまま時間が経過する。ふっと薄笑いを浮かべたサイード様――ううん、サイードはすれ違いざまに私にだけ聞こえるように耳打ちをしてきた。
「あまり自分が賢いと思い込まないことだな。だが無様に足掻く様は見ている分にはとても楽しい。よく踊ってくれることを期待しているよ」
言葉の意味を理解してバッと振り向いた時にはもう、彼はボックス席へと入っていくところだった。ギリッと噛みしめ拳を握りしめる。ただの揺さぶりだ、負けるもんか!
「聞こえた?」
傍らにいたラスプに問いかけると、厳しい表情をしていた彼は一つ頷いた。だけどふいに眉根を寄せるとヘンな事を言い出す。
「あの男、どこか怪我でもしたのか?」
「え?」
「一瞬だけ血の臭いがした」
そこまで言われてあぁ、と合点する。私は左手を持ち上げると少しだけ盛り上がっている肉の部分を指でなぞった。
「私の臭いじゃない? さっきまた傷口が開いちゃったから」
「いや、アキラの匂いとは違う」
本能からかクン、と鼻をひくつかせたラスプは、いきなり私の左手を取ると匂いをかぎはじめた。腕をたどり首筋にうずめるように顔を近づけてくる。ちょ、ちょっと!?
「やっぱり違う」
「あ、の」
そこでようやく我に返ったのか至近距離で視線が合う。見る間に顔が赤くなっていく彼と同じくらい、私も赤くなっているんだろう。頬が燃えるように熱い。
弾かれたように離れた私たちは、気まずい雰囲気の中で黙り込んだ。誰もいない通路で、遠くから楽しそうなさざめき声が聞こえる。どれぐらい過ぎたんだろう、バクバクと鳴る心臓を押さえながら私はおそるおそる沈黙を破った。
「き、今日の劇が成功して、落ち着いたら、話すこと、あるから……」
「お、おう」
再び会話が途切れる。どんな顔してるんだろう、口を開くのも息を吸い込むのも難しくて苦しくなる。チラッと見上げるとラスプは小さく視線を泳がせていた。だけどふいに決心したかのようにこちらをまっすぐ見つめる。聞き逃しちゃいけない気がして自然と背筋が伸びるのを感じた。
「アキラ、その、さっきはあぁ言ったけど、っ、今日のお前すごく綺――」
「主様」
「「どぁぁ!?」」
いきなり後ろから肩をポンと叩かれ二人して飛び上がる。冗談じゃなく気づかなかった。振り向いた先にいた金髪のバンパイアがいつも以上にビシッと決めた格好でニコニコと微笑んでいる。りゅかりうすさん……。
「そろそろ開演のお時間ですよ、お手をどうぞ」
「あ、ハイ、ドウモ」
絶妙なタイミングで話の腰を折ったルカはエスコートするため手を差し伸べる。私はぎこちなくも手を重ねて一歩踏み出した。せせら笑うような表情を浮かべた彼は後ろを振り向いて問いかける。
「おやラスプ、何か言いかけましたか?」
「っ、ンでもねぇよ!! チクショー!」
「あはは……」
なんだかいつも通りのやり取りに少しだけ安堵する。苦笑を浮かべながら私は歩みを進めた。ボックス席の扉の前まで来た時、左側に立つルカがこちらを見降ろして私にだけ向ける優しい笑みを浮かべる。
「ご立派になられましたね」
とくんと、彼にしては珍しく裏のない言葉が胸を突く。ふいにこの人と一番最初に会った時の事が思い出された。誰もいない玉座、あなたは魔王の生まれ変わりだと、我らを導いてくれと訴えたルカはあの時と少しも変わらない。私は?
「そう、かな、少しは魔王らしくなれたかな?」
向こう側から扉が開かれるのを待つ間、正面を向いて照れながら応える。てっきりいつもの上げて落とすような返しが来るかと思っていたのだけど、続けられたのはしっかりとした肯定だった。
「えぇ、とても」
急に鼻の奥がツンとして、視界がぼやぁと滲みだす。目の淵に溜まった水滴をギリギリの表面張力でなんとか堪えていると、横からスッと伸びてきた親指が優しく拭っていった。
「まだ泣くのには早いのでは?」
「、あなたがいきなり優しくするからでしょぉ……っ」
「本心を言っただけですのに。相変わらず泣き虫なんですね」
ずるいよ、ここで「まだまだです」とか言ってくれたらこんな顔しなくて済んだのに。そうこうしている間にも、目の前の扉がゆっくりと開かれていく。暗かった通路に会場側からのライトが差し込んできた。
「さぁ、背筋を伸ばして顔を上げて。皆があなたを待っていますよ」
ワァァと歓声が聞こえてくる。涙の元栓をキュッと締めた私は、視線を上げ口角を吊り上げた。光の中へ一歩踏み出す――
***
午後五時、ハーツイーズの命運をかけた劇が開幕した。照明が落とされ客席にわずかなざわめきがただよう中、どこからともなく物哀し気な人魚の歌声が流れてくる。少しずつ明るくなっていくライトの先には、ステージの両脇に作られたセットに腰掛ける人魚たちがコーラスを響かせていた。
――話し紡いで金の糸、調べ奏でて銀の風。これよりお話するのはこの地であった真実の物語です
――今から遡ること半年前、荒れ果てた土地で懸命に命をつないでいる者たちがおりました
私やリヒター王が座っている脇に設置された緑の球から、ナレーションの声が聞こえてくる。それと同時に舞台が明るくなり、ボロボロの衣装をまとい疲弊しきった役者たちが見えてきた。
『どうして、もう殺すのも殺されるのもたくさんだ』
『でもヒトを襲う事でしか私たちは生きていけない。ニンゲンは私たちを憎んでいる、それと同じくらい私たちも……』
――彼らは、ニンゲン達から忌み嫌われる魔族と呼ばれる種族でした。嫌われるのも仕方のない話です。ヒトを襲い、金品を強奪し、そして反撃され殺される生き方しか知らない生き物だったのですから
『お父さん、もうずぅっと帰って来ないんだ。おいしいもの一杯食べさせてやるからなって約束して出て行ったの』
ゴブリンの子供がスポットライトの中で気落ちしたように進み出てくる。顔を歪ませた彼はボロボロと大粒の涙を流した。
『お父さん、ボクお腹すいても平気だよ、もうワガママ言って困らせないから……お母さんのヘンな咳が止まらないんだ、夜のお布団が寒くて眠れないんだ。またみんなでくっついて寝よう? そうしたらきっと暖かいよね。だから、だから帰ってきてよぅ、おとうさぁぁん……』
嗚咽を漏らしながら何度も何度も少年は顔を拭う。ピアジェがソロで歌い上げる悲哀の歌が響く中、上手の方に弱くライトが当てられ客席から息を呑むような声が上がった。倒れ伏す大人ゴブリンの背中には折れた矢が幾本も突き刺さっていたのだ。
――彼らは必死でした。今日を生きるため、明日に命をつなげるため、憎まれると知りながらも大切な者が一日でも長く生きれるようにヒトを襲い、殺され……どれだけそんな日々が続いたのでしょう、ある日その人は突然現れました。