133.ドレスアップ
途端に勇者様の表情が曇る。前々から調子は悪かったみたいだけど、ここに来て急激に体力が衰えてきたらしい。自力で歩くのさえ難しくなり公務として表に出る機会が減ったとも。答えるのを避けたエリック様は、弱々しく微笑んでこう返した。
「王は今日の日をとても楽しみにしていた。その期待に応えてあげてくれ」
「はいっ」
元気よく答えたその時、階段を誰かが慌ただしく駆け上がって来る音が響く。振り向くと見慣れた金髪が顔を出したところだった。
「主様、ここに居ましたか! いい加減パシリはやめてご自身の身支度を!」
「えぇ~? またまたぁ、そんなに焦らなくたってまだ――」
半笑いで観客席から身を乗り出した私は、太陽の位置にぎょっとする。まだ午前中だろうと思っていたのに、燦々と輝くお日様は真上をとうに通り越していたのである。
「えっ、うそ!? まだお昼食べてな――じゃなくて、もうそんな時間!?」
慌てた私はエリック様に一礼してその場を立ち去った。どうした私の腹時計、いつもなら下手な時計よりよっぽど正確なのに、緊張しすぎてお腹減ってないんだろうか。あ、いや、お腹減ってるわ。どうやら設置作業に熱中しすぎたらしい。
賑わう街中に入り、城への分かれ道まで一緒に走ってきたルカは、そこで足を止めて声を張り上げた。
「後の事は皆にお任せ下さい。盛装でお出迎えするのもホストとしての役割ですよ!」
「ありがとう!」
最後に一度大きく手を振って城への坂道を駆け上がる。確かにそのとおりだ。あとはみんなに任せよう!
***
軽食のサンドイッチを口に詰め込み、大浴場で軽くシャワーを浴びた私は、手首ちゃんに手伝って貰い自室で身なりを整え始めた。
髪を乾かして、キルト姉妹がこの日の為に仕立ててくれた華やかなドレスに袖を通す。オフショルダーで色は淡い水色。フィッシュテールというデザインが特徴的で、折り重なるスカートの前部分は膝が出るくらい短いのに後ろがくるぶしぐらいまである。その上に光沢のある薄い布をふわっと重ねているので、わずかな明かりを反射してキラキラ輝いているのがとても美しい。まるでおとぎ話のお姫様が着ているようなキルトブランド渾身の作品だけど、着ているマネキンが私というのが何とも――いやいや、そういう思考がいけない! チャコも言ってたじゃない、形から入るのは悪いことじゃない、立派な服に似合うような中身になればいいだけだって。卑屈な根性は今ここで捨てるべし! 自信なく着られたんじゃこのドレスが可哀想だ。
(よし!)
気合いを入れてドレッサーの前に着席した私は、ブラシを手に乾かしっぱなしだった髪を丁寧に梳き始める。こちらの世界に来て約半年、肩甲骨の辺りだった髪は少し伸びて腰に届くぐらいになっていた。手首ちゃんに熱した鉄の棒でゆるく巻いてもらい、両サイドを残して編み込みを入れつつアップスタイルにして貰う。左耳の後ろ部分に大きめの白いコサージュを差し込み、あちこちの角度から点検して頭は終わり。
次に鏡台の脇に置かれた木の小箱を開け、ドワーフ職人さんに作って貰った装飾品を取り出した。ドレスの色に合わせた鉱石をはめこんだネックレスにイヤリング、指輪など。どれもシェル・ルサールナから頂いたパールがあしらわれていて繊細なデザインながらも舞台で映えるような存在感がある。
「手首ちゃん?」
その時私は、鏡台の上でゼェゼェとしんどそうに上下している彼女に気づいた。メイク道具を取ろうとしていた彼女は、ハッとしたようにこちらに向き直る。
「大丈夫? なんか疲れてる?」
“いえいえ、とんでもない”とでも言いたげにジェスチャーを返した手首ちゃんは、こちらの肩に乗ってきてメイクを開始した。おしろいをはたきながら机の上にあるいつもの筆談セットが動き出す。
――昨夜、夜遅くまで舞台メイクを考えていたものですから少し寝不足でしたの。申し訳ありません
「そっか、これからみんなのメイクも手伝いに行くんだっけ」
この後、手首ちゃんには舞台袖で出演者たちの色付けを手伝って貰う手はずだ。裏方として役割を持ちたいと挙手してくれたのを思い出す。アイラインを引いて貰うため目を閉じると不思議なものでこれまでの思い出が走馬灯のようによみがえってくる。
「いよいよだね、ここまで長いようで短かったな。手首ちゃんを蘇生させたのがつい最近の事みたい」
ふいに顔周りで動いていた気配が消える。目を開けると、いつの間にか肩から飛び降りていた手首ちゃんが鏡の後ろから何かの箱を取り出したところだった。
「私に?」
見覚えのあるケースの蓋をあけると、中には美しい鉱石がついた髪飾りが入っていた。深く澄んだ青色は私が一番好きな色だ。
「綺麗……ドワーフさんのところで買ってきたの?」
タップ一回は「はい」の合図。筆記用具を引き寄せた彼女は、今度は自分の手で文字を綴り始めた。
――ご主人様、こんな姿のわたくしが普通に買い物ができる国を作って下さり本当にありがとうございます。二度目の人生を送ることができるだなんて、想像もしていませんでした
文面を目で追った私は、じーんとして胸を押さえる。そんな、こっちの勝手な都合で蘇生させてしまったのに、なんて嬉しいことを言ってくれるんだろう。
「こっちこそ今までありがとう……って、これじゃ今ここで最後のお別れみたいだね」
照れ笑いでごまかすと手首ちゃんはちょっと身体を傾けた。顔なんて無いはずなのに、その時たしかに彼女がはにかんだのが伝わってきた。
――こういう節目でもないと機会を逃してしまいますから。ご主人様、ありがとう わたくしは幸せ者です
笑い返して、貰った髪飾りをコサージュの脇に留めた。全ての支度を終え、私は私を正面から見つめる。不安・期待・ワクワク・ドキドキ、全ての感情を混ぜ合わせたような表情で、鏡の向こうの魔王アキラは少し青ざめたような顔をしていた。異世界からやってきたちっぽけな一人の女は、真の王になれただろうか? いや、なる! 口角を上げて立ち上がった瞬間、不安はほとんど消えていた。
「行こう!」
***
西の空を見事な茜色に染めていた夕陽が水平線の向こうに消えていき、豊穣祭・夜の部が始まろうとしていた。
ウリ科の植物をくりぬいたランタンを持ちながら、子供たちがはしゃいだように客席を駆けていく。屋外演劇場はこれから始まる劇を一目見ようとたくさんの人が押し掛けていた。うちの国民だけじゃない、人間領からきたお客さんや、あまりこの辺りでは見かけない変わった種族なんかもいる。
二階の観覧席は大きく三つの箱に分かれていて、中央はもちろんリヒター王と王族の方専用のVIP席。その両脇は人間専用の有料観覧席になっていて、それぞれの箱のバックには端から端まで繋ぐ道が一本通っていて歩けるようになっている。スタジアムの通路をイメージして貰えば分かりやすいだろうか。
そんな通路の人通りが少ない場所で、私は探していた人物をようやく見つけた。曲がり角の先にいたラスプは公式の場だからか、いつもは動きやすいように簡略化してる自警団の礼服をちゃんと着こなしていた。ドレスアップした姿を見て驚かせようとした私は、聞きなれない女性の声に足を止めた。
「それでは、私はこの辺りでお暇します」
「おいシュカ!」