132. 撫でて! 褒めて!
「え?」
「……」
思わず間抜けな声が漏れ出て、妙な沈黙が場を駆け抜ける。ハッと我に返った私は腰に手をあててポーズを決めた。
「あ、あぁ! 望むところよ! あなたがどういう選択をしたのか、み、見るのが楽しみ……えー、見守らせて貰……貰う、ます」
黄色いトパーズみたいな瞳を真ん丸にしていたダナエだったけど、見る間にジト目になったかと思うと地の底から這うような低い声を響かせた。
「忘れてたな?」
「そ、んなこと、ないよ」
「こっちを向けえええ! 目をそらすな!」
両頬を掴まれて強制的に正面を向かされる。あちゃあそうだった、ダナエは私への贖罪と復讐のために配役を受けたんだ。近頃あまりになじみすぎていたからすっかり忘れ以下略
「お~ま~え~は~! 一人で空回ってるアタシがバカみたいじゃないか!」
「ごめん、ごめんってば! 謝るから機嫌なおしてダナエ様!」
「まったく」
最後に一度ほっぺたを引っ張られて解放される。肩を落としたリュンクスは気を削がれたように去ろうとする。その背中に向かって、私はひりひりする頬を押さえながら追いすがるように手を伸ばした。
「待って、本当にごめんってば。舞台ちゃんとやってくれるよね?」
頭の上に生えた大きな三角耳がピクッと動く。足を止めゆっくりと振り向いたダナエは、これまでになく真剣な顔をしていた。
「もう一度言う。客席で見ていろ」
それだけを言い残し、今度こそ本当に行ってしまった。舞台裏は慌ただしく、こちらの様子に気を留めている人は居ない。
「大丈夫、だよね?」
「勝算のない賭けはしないんじゃなかったの?」
隣にきたグリに平坦な声で言われ、頭を一つ掻く。その瞬間、持ち上げた左腕に痛烈な痛みが走った。うめきながら抑えるときっちり巻かれた包帯にわずかに血がにじんでいる。
「あいた~、また開いちゃった。なんでこんな治りが遅いんだろう?」
実はここ最近の悩みの一つがこれだ。例の仲裁に入って切られた事件からだいぶ経つと言うのに、怪我の経過が思わしくない。ちょっとずつ良くなってきてはいるのだけど、しょっちゅう傷口が開くので三歩進んで二歩下がる状態が続いている。おかしいな、表彰されたことがあるくらいの健康優良児だったのに。
「貸して、塞ぐよ」
簡単な治癒魔術の使えるグリが左手を取って持ち上げる。いつかのようにぽぅっと患部が暖かくなり、じぐじぐとむず痒いような感覚がする。ふと視線を上げると綺麗な灰色の目が私の傷口を真剣に見下ろしていて、流星群の夜を思い出しかけてしまう。慌てた私は意識をそらすため口を開いた。
「それにしても治癒魔術って便利よね。いっそそのままパーッと綺麗に治せない?」
「ダメ。前も言ったけどこれは応急処置。あきら自身の生命力を使って治癒してるんだからやりすぎると良くないよ。本来は自然の治癒力に任せるべきだけど、今日は大事な日だから特別」
「はぁい」
確かに、ドク先生もあまりこの方法は推奨してなかったっけ。なんでも過去調子にのって治癒しまくった人が一気にミイラになった事例があったとか。そんなわけで大人しく治療が完了するのを待つ。
(あ……)
ふと、ぬるま湯に包まれているようなこのぬくもりを、最近どこかで体験したような気がして記憶をたどる。ほどなくして思い当った私は目の前の白い人を見上げて微笑んだ。
「ありがとう」
「?」
「玄関ホールで倒れたとき、助け起こしてくれたのもあなただったんでしょう?」
ほとんど意識を失いかけていたけど、この暖かさは覚えてる。大きな手で支えて貰い、とても安心して身を任せられたことも。沈黙は肯定。そう判断した私は破顔して続けた。
「グリって優しいよね」
「……あきらだけにかもよ?」
いつものように綺麗な笑みを浮かべたグリは、治療を終えて離れて行った。入れ替わるように大道具・小道具担当が走りこんでくる。
「そこどけてー! あぁもうそこそこっ、なんで火薬箱の上に座ってくれちゃってんのさっ。これ地下に運び入れといて!」
「何か手伝おうか?」
声をかけると、ようやくこちらに気づいたライムが急ブレーキをかける。じぃっと私を一心に見上げていたかと思うと、突然ニカッと笑った。
「撫でて! 褒めて!」
「え? えらいね」
要求通りに茶色いふわふわの髪に手を乗せて撫でてあげる。しばらくご満悦そうにニマニマしていたライムだったけど、パッと後ろに飛びずさると元気よく箱を頭の上に持ち上げた。
「よぉーっし充填完了! アキラ様ありがとう、大好き!」
「えへへ、私も」
幸せな気持ちが伝染して、はにかみながら愛情表現を返す。素直に好意を伝えてくれるからこそ、こっちもそのままの気持ちを返せるのだ。ライムのこういうところは本当にすごいと思う。再び走りかけた彼は、思い出したように急ブレーキをかけポケットから小さな皮袋を取り出した。
「あ、じゃあ一つだけお願いしてもいい? 二階の観覧席に照明用の魔力水晶をはめ込んで来て欲しいんだ。そっちも行くんでしょ?」
「いいよ、任せて」
シャリと涼やかな音がする袋を受け取って、垂れ幕をくぐりステージに出る。演劇場もたくさんのスタッフが動いていて、席の掃除をしたり売店の準備などで大わらわだ。こちらに気づいた数人が笑って手を振ってくれるけどすぐ作業に戻る。私も急ごう。
***
親指の爪ほどの魔力水晶を取り出し、設置されている照明の基盤部分に最後の一個をカチッとはめる。脇にある大きなレバーを手前に引くと、白い光線がステージに向けて発射された。当てられてしまったゴブリンが眩しそうにこちらを見上げる。オッケーオッケー。ガチャンと押し込んでオフにする。
両サイドに設置された二か所のライトの点検を終えた私は、木製の階段を軽快に降りて下に向かう。と、その途中でVIP席で話し込む二人の姿を見つけて手を振った。
「エリック様ー、ラスプー!」
図面を手に警備の最終打ち合わせをしていた二人が揃ってこちらを見上げる。最後の一段を飛ばして着地した私はそちらに小走りで駆け寄った。
「どうです? 不便なところとか不安に思うところとか無いですか?」
「大丈夫、いま部下に最終で確認させているところだよ」
エリック様の言う通り、VIP席のあちこちにはメルスランドの騎士団の皆様がいらっしゃって、怪しいところが無いかどうかバンバン叩いたり脱出経路を確認していたりする。王様をお招きするんだから当たり前よね。こちらとしてもきっちり点検して貰った方が気持ちよく公演できる。
「しかし助かるよ、上下するカゴだなんてよく思いついたものだな」
エリック様が後方の出入口付近に設けられたエレベーターを見て感心したような声を出す。九月最後の視察に来た時、最近リヒター王の調子が芳しくないと聞いて私がアイデアを出した物だ。木で作られたカゴを滑車で経由して上に引っ張り上げる原始的なものだけど、お年寄りに階段を登らせるよりこちらの方が快適だろう。私は鼻高々で胸を張る。
「我が国はバリアフリーを目指しておりますから! あ、移動が困難な方にも優しいって意味です」
「『優しい国』はこういうところにも気を使っていると、なるほど」
そこまで話した私は、声のトーンを落として気になっていたことを問いかけた。
「王様、具合はどうなんですか?」