131.ハーツイーズ豊穣祭、スタート!
ん? と、思って顔を上げると、こちらを見下ろしていた灰色の瞳と目が合う。スカートのすそを払いながら立ち上がった私は、考えるまでもなく答えていた。
「楽しいよ。ルカに連れてこられた時はなんで私がこんな目にとか思ったけど、今はまったく後悔してない。ううん、むしろこんな体験ができてラッキーだと思ってる」
返事を待たずに足元をザっと擦って踵を揃える。星屑草の光が舞い散る中、私は後ろで手を組んで笑った。
「ねぇ、魂の形が見えるグリなら最初から気づいてたんでしょ? 私がアキュイラ様の生まれ変わりなんかじゃないって。でもそれでいいの。たとえ間違いだったとしても私はこの場に居て、みんなと一つの目標に向かって走っている」
いつだったか、この人に責任と覚悟はあるかと聞かれたっけ。あの時は迷ってばかりで帰りたいってこぼしたけど……今は違う、後悔なんてない。
正面に向き直った私は、グリの目をまっすぐに見つめて嘘偽りのない気持ちを伝えた。
「私は山野井あきらとしてこの国を治めている。みんなを導くリーダーよ」
「……」
「……今だけね」
笑って付け足すとグリはなぜか一瞬だけ泣きそうな顔をした。だけどしばらくするとつられたように微笑みぽつりとこぼす。
「ごめん」
「?」
近寄ってきた彼は私の手首に手を伸ばす。貰った魔石留めのブレスレットが明かりを反射してきらりと光った。
「たとえ君がどんなに辛い道を歩むことになろうとも、それは君が悩みぬいて選んできた道だ。俺にそれを奪う権利はないよね」
「え、ちょっ、グリ」
「エゴだったんだ」
両手の指をからませ引き寄せられる。あまりの至近距離にうろたえると顔が近付いてくる。ギュッと目をつむった瞬間、おでこに何かがコツンとぶつかった。
「っ、」
「あきら」
この人が私を呼ぶ柔らかい響きが好きだ。跳ねる鼓動のままおそるおそる目を開けると、グリはまるで祈るように目を閉じていた。からめた指をギュっと握りこまれる。
「俺は最後までいるから、君が望む限り、傍に居させて」
それは、いつかの悲痛な祈りとどこか似ていた。遠くで歓声があがる。それでも私たちは動かず、星が降りしきる中たたずんでいた。
***
国の行く末を決める運命の日、ハーツイーズ領は穏やかな晴天に恵まれた。
実りの秋を象徴するかのように城下町は鮮やかな紅葉の飾りで彩られ、人々の楽しそうなざわめき声がメインストリートを満たしている。あちこちに露天が出現し、国外から来店したお客さんを目や舌で楽しませている。小さな人だかりの中心では大道芸人がここ一番の芸を決め、その横では金物通り商店街による仮装ミニパレードなんかも行われ歓声があちこちで上がっていた。私もそんな中を和やかに見回りながら――
「どいてぇぇぇ!!」
なんてことはなく、腕いっぱいに布を抱えながら道を爆走していた。転げそうになりながらも、悲鳴を上げる人々の隙間をぬって下り坂を駆けていく。なんで当日になってもこんな慌ただしいかなー、もうっ!!
「よう魔王、そりゃ舞台の衣装かい?」
「リカルド!」
横からパシャッとシャッターを切られ、足を止めずに横を見る。いつの間にか伴走していた新聞記者はお祭りらしく小粋な服装に身を包んでいた。長い脚を灰色のスラックスで包み、整髪料で撫でつけた頭にはハンチング帽。ストライプ柄のシャツにはこじゃれたカフスボタンが留められていて、胸ポケットに挿したペンには手首ちゃんを模したストラップがぶら下がっていた。私は緑色の衣装を抱え直しながら質問を肯定する。
「そうなの、今朝になってチャコがやっぱり裾のデザインをやり直すって言い出して、やっと完成したところっ」
「なるほど、言い出したら聞かないもんなあの嬢ちゃんは。それより聞いてくれ、メルスランドで情報誌が売り切れ続出だってよ」
ニィと笑った彼は数日前に売り出された旅行ガイドブックを取り出した。『これで全部まるわかり!ハーツイーズ豊穣祭』にはうちの国への行き方や安全対策、今日のスケジュール、演劇のざっくりとした内容からおみやげに到るまで緻密な情報が掲載された、いわゆる異世界版るるぶである。それをパラパラめくりながら編集長は話し出した。
「すげぇーよなぁ、今も関所が入国者で大混雑らしいし、もう夜に向けて劇場の席取りが始まってるらしいぜ。おっ、フォーチュンスイポテ。ありゃ団長さんらのアイデアらしいな。あっちはカレーか。じき昼時だし大量に用意してるなぁ」
「食べたくなるからやめてぇ!」
この忙しさではお昼もままならないだろうと悲鳴をあげる。私もゆっくり食べ歩きしたいよ~! 涙とヨダレを呑んだ私は、我が国きってのマスコミをひたと見つめた。
「取材もバッチリ決めてよ!」
「まかせとけっ、来なかったヤツを後悔させるぐらいに、この活気をしかと書き留めてやるぜ!」
グッと親指を立てたリカルドは、メルスランド側からやってきた人間にインタビューをするため脇道に逸れて行った。私もこの荷物を届けるため、すっかりリッパな門構えになった城門を潜り抜ける。
興味津々で街へとやってくる人たちの波を避けて、脇道を劇場に向かって疾走する。途中すれ違った何人かに「あーっ、魔王アキラだ!」や「アキラ芋の人だ!」とか指を指されたけどニコッと笑い返すだけで立ち止まりはしない。サインは後でおねがいします!
「おまたせっ、村人と自警団役の衣装できたよ!」
舞台裏に飛び込むと、劇に出る役者たちが大混乱の中準備をしていた。控え室なんてものはないので、みんなそこらへんの草原に座り込んでメイクや衣装合わせをしている。私は手早く衣装を渡そうと役者を探してあちこちを見る。すると小道具を入れる箱の横あたりで手を振っている青年が目に入った。いたいた!
「はい、おまちどうさま。チャコが遅れてごめんなさいって」
「ありがとうございます、僕、魔王様のためにがんばります!」
短い栗毛の青年がはにかんだ笑顔で受け取る。するとその横にいた同い年ぐらいの青年がからかうように軽く小突いた。
「なーに言ってんだ、お前のセリフ二つしかないくせに」
「二つだから余計に緊張するんだよっ」
あははと笑った私は、くるりと振り向いてみんなを見回した。自然と注目が集まる中で最後の檄を飛ばす。
「誰かのために、家族のために、自分のために、未来のために……理由はどうであれ、今日まで頑張ってくれたみんなのおかげで舞台を成り立たせることができる。お給料も出ないボランティアなのに集まってくれて本当にありがとう。きっと大丈夫。ちょっとぐらい失敗しちゃっても、そういうのも全部含めてハーツイーズっていう国なんだって、リヒター王に伝えてやろう!」
ニッと笑った私は、握りしめた拳を天高くつき上げた。
「いくぞー!」
オォォーッと、地を揺るがすような呼応が返ってくる。一致団結したみんなは再び準備に取り掛かる。その時横にスッとやってきた白い影が少しだけ拗ねたように言った。
「そんな演説やられちゃったら、舞台監督である俺の立場は?」
「期待してるわよ監督さん」
バシッとその背中を叩くと、少し先で横切る魔王アキラが視界に入る。呼び止めると舞台衣装の青いドレスを身にまとったダナエは足を止めた。いつもの好戦的な雰囲気は成りを潜め、スカートの裾を持ち上げ流れるような一礼をしてみせる。わずかに開いたまなざしが一瞬だけ鋭い燐光を走らせた。
「……さて、ついに本番の日がやってきたわけだが。アタシがぶち壊しにするかもしれない舞台を、せいぜい観客席で震えて見ているんだな」