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124.思い上がるな

「ちょっと待ってよ、どっちも落ち着いてってば!」


 さすがにまずいと判断した私は躍り出て両腕を広げる。だけど牙をむき出しにした父親ゴブリンはこちらを見ようともしない。人間の父親だけはこちらを見たのだけど、鼻を鳴らすとさげすんだように私に言い放った。


「あぁこれはこれは魔王様じゃないですか、なぁアンタこりゃ詐欺じゃないのか? 新天地と聞いたからわざわざやってきたのに」


 悪意をたっぷり詰め込んだ声が心をざわめかせる。


 人の上に立つってこういうことだ。不満も愚痴もなにもかも矢面に立って一身に受けなきゃいけない。覚悟していたはずなのに、鉄の心を持たなければいけないのに、


「こんな国、移住してくるんじゃなかった!」


 言葉にすればそんな短い一文は、私の心をやすやすと切り裂いた。広げていた両腕が自然と落ち、父親の目線がこちらから外される。


「もうたくさんだ、人間領に帰るぞ!」


 子供の腕をひっぱる人間の父親。男の子は混乱したように引きずられながら父親を見上げた。


「帰るって、引っ越す前のおうち? やだよ! お祭りは? ブリーといっしょに舞台に出るって約束したのに!」

「聞き分けなさい!」

「やだぁぁぁ!!」


 ついに泣き出した男の子をブリーは悲しそうな目で見送っている。よせばいいのに人間の父親は捨て台詞のように吐き捨てた。


「あんなケダモノの息子と遊んで居たらお前まで牙が生えて醜いバケモノになってしまうぞ!」

「てめぇ、言わせておけば!」


 子供を侮辱されたゴブリンが目を見開く。カッとなった彼は下ろしかけていた肉切り包丁を水平に振りかぶり、息子の制止を振り切って駆け出した。鈍色の『殺せるもの』が夏の熱光線を反射してギラリと光る。


「――!?」


 肉薄していたゴブリンは寸前でたたらを踏んだ。驚愕の表情を浮かべ凶器を引こうとするのだけど、完全に収めることはできなかった。


 最初に感じたのは冷たさだった。刃物自体の冷たさが左の手の甲から入り肘にかけて走り抜ける。意外な温度に驚く間もなく、次の瞬間焼けつくような鮮烈な痛みが脳を突き上げた。ざっくり切られた左腕から鮮血がパッと噴き出し、生ぬるい温度が腕を伝っていく。


「魔王、さま……」


 先ほどまで野次を飛ばしていた民衆が水を打ったように静まり返る。痛みを意識の外に追い出し、ハッ……と、短く息を吐いた。


「なにと、闘ってるわけ?」


 俯いているせいで髪の毛がバラりと落ちている。こめかみ辺りに滲みだす脂汗を感じる。痛みと失血で大声あげて喚きそうになりながらも、低く抑えるような声が自分の口からあふれ出した。


「俺たち魔族の領地? 人間の新天地? 思い上がるな、ここはどちらの物でもない。私の国よ」

「アキラ様! 血が!」


 ようやく追いついたライムの声がすぐ間近で聞こえる。身体を支えるように手が伸びて来たけど、私はそれを振り払って顔を上げた。感情のままに――叫ぶ。


「子供たちの方がよっぽど賢いわ! こんなつまらない諍いを繰り返して、勝手に泥沼にはまっていく姿がこの子たちのお手本になるとでも思っているの!?」


 振り切った指先についていた血液がパタタッとレンガに飛び散る。二人の父親は目を見開いてこちらを見ており、私は何も言わずにただ見つめ返した。これ以上言わなければ分からないようでは本当に救いようのないバカだ。


「双方、恥を知りなさい」


 それだけを言い残し毅然と立ち去る。人垣が自然と割れ城への道が開けた。


 左腕からドクドクと溢れる血が抑える右手のすきまから零れ落ちる。もうこの頃になるとアドレナリンでも出まくっているのか痛みは感じなかった。代わりにやけにふわふわして足元がおぼつかない。


(いむしつ、どくせんせい、みてもらわなくちゃ)


 なんとか城の正面玄関までたどり着く。エントランスホールに入るとぐるりと世界が一回転して石造りの床が頬にひんやりする。この床、いつのまに壁になったんだろう、何か赤い液体でべちゃべちゃしてるし。あれ? どっちが上?


(ちょっと、まずいかも)


 ぼんやりとそんなことを思いながら立ち上がろうとする。だけども脳からの命令に身体はまったく無反応だった。すごく眠くて、まぶたが重たい。


 ふいに肩をつかまれて反される感覚がする。上体を起こされて誰かに抱え込まれるのだけど、それが誰かもわからないくらい私は落ちかけていた。すぐ近くで息を呑む気配がして左手をぎゅっと握られる。それだけですごく安心できて、私はギリギリのところで掴んでいた意識の糸を手放した。


 するり、と。捕まえていた風船が手の中から抜けていくようなこの感覚を、前にもどこかで体験したような気がした。


 あの小さな部屋。

 自分だけの城。


 落ちていくのは、倒れているのは――



 ***



「事故です」


 清潔感あふれる医務室のベッドに押し込まれたまま、私は同じ言葉を繰り返した。左側に置かれた丸椅子には納得のいかなそうな顔つきをしたバンパイアさんが一人。


「あれは、私がたまたま走り込んだところに肉屋のおじさんの包丁があっただけです。不慮の事故だったんです」


 念押しのようにもう一度繰り返すと、頭を抑えていたルカは今日何度目になるか分からないため息をついた。


「王を傷つけた物は死刑。一度目に続き二度目までお咎めなしでは何の為に法を作ったのやら」



 あの後、ぶった切られ血を失いすぎた私は見事に気絶した。目が覚めるとドク先生の医務室で、怪我をした左腕は包帯でグルグル巻きにされていた。話を聞くと縫合が必要なほどだったらしく、気絶している間に縫ってくれたのだとか。まったく覚えてないから後から聞いた話なんだけどね。今も傷口はじぐじぐと痛むけど転げまわるほどじゃないし経過は良好とのこと。本当にドク先生が居てくれてよかった。


 そんなわけで、当面の問題は傷よりもこのお目付け役さんのお小言の方だった。丸一日経って目覚めてからと言うものかれこれ一時間はみっちりお説教され、やっと落ち着いたと思ったら今度は私に傷を負わせた者への処遇をとか言い出すのだ。ほぼ【当たり屋】みたいなものだったから、さすがに肉屋のゴブリンおじさんが可哀想すぎる。


「だから事故だってば、不問でよし!」


 この話はもうおしまい! と、ばかりに言い切ると、ようやく諦めてくれたらしいルカはどこか宙に視線をさ迷わせながらよだれを垂らした。


「それにしてもあんなに大量の血を流してしまうとはもったいない。私の物ですのに」

「私の血がいつあなたの物になったって?」

「極上の喉越しとほのかな甘み、鼻から抜ける芳醇な薫り……いつも隣に居ますのに飲み干さず押しとどめている私の理性を褒めて頂きたいものですね。毎夜夢に見るほど渇望しているのですよ」

「地面でも舐めてくれば」


 半目で冷たく言い放ったその時、医務室のドアを開けて来訪者がやってきた。背の高い人物と低い人物は会話を交わしながらこちらにやってくる。リカルドとドク先生だ。


「じゃあ、そのデータを後でまとめて――よぉ魔王! 名誉の負傷だな」


 軽く片手を上げて挨拶したリカルドだったけど、私が返す前にルカが顔をしかめて言い返す。


「なにが名誉な物ですか、主様の無謀さが招いた無駄傷ですよ」

「そうでもねぇぜ? どうやら運がこっちに向いてきたようだ」

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