122.ボーダーライン
「それは助かるけど、保険会社が調査って……」
「顧客の身元を確かめるのは保険会社として当然でしょう?」
クスクスと黒い笑みを浮かべる顧問アドバイザーさん。イキってるわけじゃなく、この人マジでこれを機に自分の会社に調査部門を併設するつもりだ……。わかっちゃいたけど、ルカの影響力は私の力をとっくに凌駕している。その気になれば多分この国の乗っ取りも余裕なぐらい。
(幸いなのは、ナンバーツーポジションの方が動きやすいからその気は無さそうってところだけど)
警戒心が働いて横目でチラリと観察する。気づかない内に私もルカの傀儡になっていたりするんだろうか? そもそも私を国王に擁立したのはこの人だしなぁ。無いとは思うけど自分の意見はしっかり持っておかなきゃ。
そんな密かな決意をしていると、何やら考え込んでいたルカはしばらくして切り出した。
「主様、もしセニアスハーブが実際に我々魔族を服従させるような成分を含んでいたとしたらどうします?」
「どう、って」
どうしたら良いんだろう。麻薬と同じで国内に持ち込むのを一切禁止にする? でも依存しかけているヘビースモーカーも居るって話だし、ややこしい話になってきそうだ。
「……大丈夫だよ、そんな成分ないってドク先生が証明してくれるはずだから」
自分を安心させるように言うと不安がすこしやわらぐ。そうだよ、私が魔族と築き上げて来た信頼はこんな葉っぱなんかで作られたものじゃないはずだから。
ところがルカは黒い葉をじっと見つめたまま妙なことを言い出した。
「この葉が我ら魔族の首輪でも、『そうでなかった』としても、どちらに転んでも少し面倒なことになるかもしれません」
「え?」
「調査には少し時間を下さい。それでは」
疑問符を浮かべる私を一人残して彼は行ってしまった。どういうこと? そんな成分無い方がいいに決まってるじゃない。
結局、その言葉の意味を私が知るのは少し後になってからだった。
***
八月が終わりを告げる頃になっても、セニアスハーブの件は進展を見せなかった。
みんな調査を懸命に続けてくれているのだけど、なにぶんそれぞれ仕事がある中で平行してやらなくちゃいけないので思うように真相がつかめない。ドク先生がお風呂に浮かんだまま寝たところで私からみんなにブレーキをかけた。ドクターがストップされてどうするんですか先生。
「ねぇ、だからこの前も言ったでしょう? 魔族と人間とで売り値を買えちゃダメって」
「……」
そうこうしている間にも街中の雰囲気はどん底まで落ちていた。店のカウンターの奥からチラッとこちらを見たキツネの獣人は、また帳面に視線を落として小さく答える。
「そう言われましても、あちらさんがやってるのと同じことをやり返してるだけですよ」
私はその返しにため息をついて肩を落とす。見ての通りこれまで上手くやってきた魔族と人間との仲がここにきて一気に悪くなってしまったのだ。
最初は酒場でのささいな諍いだったらしい。セニアスハーブを吸っていた魔族相手に冗談交じりに言った人間の一言が始まり。相手を激怒させ、大乱闘に発展してしまったのだと留置所に放り込まれた本人たちから話を聞いた。そこからは坂を転げ落ちるように町全体の雰囲気が悪化していった。今までも種族の違いによる考え方の差や不満はあったんだろう。少しずつ積み重なっていたそれらが今回のセニアスハーブが植え付けた不信感で一気に爆発してしまった。
この店みたいに種族を見て値段を吊り上げるのは当たり前。ひどいところになると『ニンゲンお断り』だの『野蛮な魔族立ち入り禁止』だの紙を張り出してる店まで出始めている。どちらが先に始めたかなんてもう誰にも分からない。完全な泥沼状態だ。
帳簿をパタンと閉じたキツネは緑のまなざしをこちらに向けてため息をつく。その目には不信感がありありと見てとれた。
「どうしてワッチらだけが言われなきゃならんのです。魔王様がニンゲン寄りだからですかい?」
「あなた達だけに言ってるわけじゃない、私は平等に人間にも言っているわ。ただ聞き入れてくれないだけで――」
「そろそろ店を開ける時間なんで、申し訳ないですがお引き取り願っても宜しいでしょうか。ニンゲン様に居られるとお客が来ないんですよ」
「あっ、ちょっと」
背中を押されて裏口から追い出される。後ろでパタンと扉が閉じた音に思わず怒鳴りこんでやろうかと思ったのだけどやめた。人間の私が居たら確かに商売のジャマだろう。
裏口から通りに戻ると一斉に視線が突き刺さる。すぐにそらされるのだけど歩みを進めるごとにひそひそと話し声が後ろから聞こえてきた。
(種族の差別を無くしたくてこの国を作ったのに……)
じわっとにじみかけた涙を気合いでひっこめる。しっかりしろあきら! 泣いて解決するぐらいなら事態はここまで深刻化してない!
厳めしい顔つきで肩を怒らせ歩く私に恐れをなしたのだろう、道行く魔族がぎょっとしたように両脇に避けていく。そうこうしている間に中央通りに突き当たった。最近ではこの通りを境にして西側に魔族、そして東側に人間が分裂してしまっている。
私は俯いて足元を見つめた。赤いレンガ敷きのメインストリートが高い高い壁のように感じる。近頃では城に遊びにくる子供たちの数も減った。親から『向こうの子』と遊んではいけないと言われているのだそう。
(人も魔族も、どうしてボーダーラインを引きたがるんだろう。ばかみたい!)
足元をダンッと踏みつけて、城への上り坂を歩きはじめる。
自分と違うから? 見た目? 風習? 区分けすることでそんなに安心できるの? いったい何と戦っているんだろう。
「――様――アキラ様!」
私を呼ぶ声にハッと振り返る。見れば坂の下から見慣れた茶髪の少年が駆け足で登って来るところだった。目の前まできた彼は膝に手をついて息を切らしている。
「もーっ、そんなに怖い顔してどうしたの? 何回呼びかけても止まってくれないんだもん」
「ごめん、考え事してた」
ここ連日の暑さに合わせるようにライムは涼し気なセーラースタイルをしていた。ずれた白いマリンキャップを直しながらニコニコと微笑む。
「ほら、もっといい顔しなきゃ。憧れの王子さまにそんな顔見せられないでしょ?」
王子様? と、聞き返す前にその後ろからやってきた人物が目に入った。白さが眩しい長袖の騎士服。ひるがえすマントの下からのぞく聖剣。その柄に付けられた宝飾がきらりと光る。若葉色の瞳と目があった瞬間、私は反射的に叫んでいた。
「エリック様!?」
「やぁ、しばらく」
暑さをみじんも感じさせない爽やかな笑顔を勇者様は浮かべている。片手を上げる彼を前に私は激しく混乱していた。えっ、どうしてここに? あまりの暑さに白昼夢でも見てるの?
「定期視察で来たんだが、連絡が来ていないか?」
「いえ、届いてます! でも手紙では確か二十七日って、明日の金曜のはずじゃ……」
ここで私たちの間にニュッと割り入ったライムが呆れたように腕を組む。片目だけをちらりと開け視線を流してきた。
「今月の二十七日は木曜日。アキラ様さー、忙しすぎて部屋のカレンダーめくるの忘れてたって言ってなかったっけ?」
「…………あぁぁっ!」
言われてみれば!! 手紙を確認した時点で前月の七月のカレンダーを見ていたはずだ! 曜日が一日ずれてるのに思い込みで金曜で予定組んでしまったのか! 慌てて頭をブンブン下げて非礼を詫びる。
「ごめんなさいごめんなさい! お出迎えにも行かずにとんだご迷惑を!」