119.遺憾のイ
結局、疑惑の記事が載った朝刊は差し止めることができなかった。その記事だけで物申したら莫大な損害請求をされてしまうだろうし、そもそも表向きは私の事を褒めてるから抗議できる大義名分がこちらにはない。
どの道、こういう記事が出て来たということは今後も似たような手口で印象操作が続くだろう。なら真実を突き止めてこちらから叩き返すしかない。
「えぇと、しかしあれッスね、オイラがこんなところに呼び出されるのはちぃとばかし落ち着かないというか、へい」
そんなわけで私たちは調査を開始した。玉座の間でしどろもどろになり、脱いだ帽子を揉み絞るばかりに握りしめているのは青サビ色をした小型のワイバーン君だ。居心地悪そうにそわそわする彼に私は穏やかに言ってあげる。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。こらステラ、今日は遊びにきたんじゃないの、大事な話があるんだから外で遊んでなさい」
『ぶーぅ』
いつも構ってくれるワイバーンおじさんの姿を見つけ、私の隣にいた彼女は喜び勇んで駆けだそうとした。だけど私にたしなめられて不満そうな鳴き声を出す。ワイバーン君はそれを見てちょっとだけ笑いを浮かべたのだけど緊張した様子は解かないままだった。私は真剣な顔をして向き直る。
「今日あなたを呼び出したのはいくつか聞きたい事があったからなの。セニアスハーブの現物を持ってたりする?」
先日話した時、彼はパイプを燻らせていたはずだ。スゥっと鼻に抜ける独特の清涼感を覚えている。
「あ、そういう事でしたら」
ホッとしたように肩の力を抜いたワイバーン君は、斜めがけにしていたカバンの中からお弁当箱サイズの木箱を取り出した。
ルカと二人で近寄って観察する。蓋を開けると中は仕切りで縦二つに分けられていた。右側には飴色のパイプ、左側には乾燥した葉っぱを刻んだものがギッチリ詰め込まれている。葉はほとんど黒に近くて指で摘まむとパラパラと落ちていった。なんだかお焼香っぽい。
「これがセニアスハーブ?」
私自身はタバコとか吸わないから分からないんだけど身体に害とか無いんだろうか。依存性とか。
同じように見聞していたルカは手のひらに置いて擦り合わせたり匂いを嗅いだりしている。もっと詳しく調べるつもりなのか、しばらくして短く願い出た。
「少し頂いても?」
「どうぞどうぞ、どうせしばらくは吸わない――」
ワイバーン君は言いかけて「んぐっ」と、息を呑み込んだ。目を白黒させたあと、気まずそうにうなだれながら口を開く。
「……オイラ、新聞を運ぶ仕事だしあの記事も読んだッス。でも仕事は仕事だから、魔族諸島に運んだッス。ごめんなさい」
「いいって! 別に謝るようなことじゃないよ、下手にその新聞だけ運ばなかったら余計に勘ぐられちゃうだろうし。やだなぁ、そんな落ち込まないでよ」
慌ててその腕をバシバシ叩いてフォローしてあげる。ところがふいっと一歩退かれて手は虚しく宙を掻いた。ワイバーン君は目を合わせないまま帽子を握りしめている。やがて搾りだすように苦し気な声がその大きなギザギザの口から流れ出した。
「魔王様、あの記事って本当なんスか? オイラも喫煙してるけど、魔王様のことはリーダーと尊敬してるけど、でも」
――この気持ちって造られたものなんッスか?
続けられた言葉に私は答えることができなかった。目を見開いて立ち尽くす私に気づいたんだろう、彼はぎこちない笑顔を浮かべて両手を振った。
「あ、良いッス良いッス答えなくて。そんなわけ無いですもんね。じゃオイラはこれで……」
ワイバーン君は小さく会釈をすると、太いしっぽを引きずりながら退出していった。その後ろ姿を見つめながら私は内心ショックを受けていた。箱ごとハーブを受け取ったルカが横に立って声をかけてくれる。
「これは国王の威信にも関わる重大事件です、最優先で全力を注ぐことにしましょう。大丈夫、突き詰めていけば真実は必ず見つかりますよ」
珍しく素直になぐさめてくれるルカが優しい。だけどへこんでいるのを即座に見抜かれてしまったのに気づいて慌てて気を引き締める。拳を握りしめた私は音をたてて閉まる大扉を見据えながらハッキリと言った。
「このハーブを誰がどんな目的で持ち込んだかは分からないけど、でも私は人の気持ちを操作するような真似はしないわ。絶対に」
***
――ここ数日でハーツイーズに掛かった暗雲を打ち払うように、魔王はそう語ってくれた。今後の動向に注目したい。
数日後、トゥルース社から発行された新聞を広げるとそんな文字が飛び込んでくる。リカルドが担当している「ハーツイーズ潜入レポ」内で、人間領に向けてこちら側の声明を発表したのだ。
けれども私は晴れない気分で新聞をたたんで脇に寄せる。ななめ右の席に座っていたラスプが、手にした肉サンドを口に詰め込んだ後、その紙面を引き寄せた。
「この写真すごい顔してんな、お前」
「こっちは怒ってるのよ、笑顔で映ってたら変でしょ」
私だって出来ることならこんなしかめっ面をメディアに載せたくない。だけどここは厳しい態度を見せておかないと。遺憾のイというやつだ。
ラスプの真向い、ボウルからオートミールをすくって食べていたライムがごくんと呑み込んだあと、スプーンを口元にあてて困ったように眉根を寄せた。
「でもさー、なんとなくだけど街中の雰囲気も変だよね。ボクたちだけに対してだけじゃなくて、全体的によそよそしいっていうか」
そうなんだ。例のハーブのウワサが出始めてからというもの、人間と魔族間の空気が微妙な物になっている。やはり一度芽生えてしまった疑惑はしっかり刈り取らないと!
「自警団の中にも吸ってる奴がいたけどよ、微妙に依存性があるらしくて重度のジャンキーは疑いながらも吸うのを止められないみたいだな」
だけどそのやる気もラスプのくれた情報で一気に落ち込んでしまう。依存性があるとなると、いよいよ制御アイテムっぽくなってしまうなぁ……。状況は依然不利のままだ。
「アキラ様、どうするの?」
「ルカと二人で色々対策を考えたの。この声明文もそうだし、あの記事を書いた植物学者のギュンターさんっていう人にもコンタクトを送ってみたわ。まぁ、まだ返事はないんだけどね……」
手紙を持たせたルカの使い魔コウモリが、ヘトヘトになって帰ってきたのが今日の明け方らしい。その場で返事を貰えなかったのでいったん戻して、再度訪ねる予定だ。
その時、大広間の扉を開けてずんぐりとしたシルエットが入ってきた。私は立ち上がって手を上げる。
「おはよう、ドク先生。朝食は済んだ? よかったら一緒にどう?」
「いや結構、夜食がまだ腹の中に残っていてな。あぁすまぬ、水だけ一杯貰えるかな」
ライムからコップを受け取ったドク先生は、ひといきにそれを呷るとながい息をついた。
「あのハーブの成分調査だが、もう少し時間をもらえるとありがたい。なにしろ見たこともない植物なのでな、せめて近い種がこちらにあればのう……」
「そっか……」
毒や薬に詳しい彼にハーブの成分調査を頼んだのが二日前の事。けれどもこの表情を見るに結果は芳しくないようだ。夜食ってことは徹夜で調べてくれたのかな。私は少し微笑んでこう続けた。
「わかった、でも無理はしないでね」
「このワシが知らぬ植物があるというだけで我慢がならんのだ、待っておれ……すぐにでも解き明かしてみせよう」
おおう、学者の意地というやつですか? それで無理して倒れられても心配――あぁ、行っちゃった。足取りすっごいふらふらしてるよ、とりあえず寝てください先生、二徹はやばいって。
後で医務室に顔を出すことを頭のメモに書き留めて腹ごなしをする。ラスプとライムはやる事が多いので通常通りの仕事に向かってもらった。それと入れ替わるように地面から出て来たのは紫の目隠れさんだった。
「さっきドクセンセとすれ違ったケド、死相出てたヨ。だいじょぶ?」
「死神がそれ言うとシャレにならないからやめて……」
くるっと回転しながら出て来たペロは、メモ用紙を私の手の中にポトリと落とした。そのまま指を沿えて上から下までダーッと羅列された人物名をなぞる。
「ホイホイ、頼まれてたリストだヨ。行商人のツテだト、この辺りが有力な情報持ってそうカナ」