109.冷やしシャツはじめました
お城の前の噴水広場。燦々と輝く太陽の下で、屈強な筋肉を盛り上げた男たちが一列に並んで勢ぞろいしている。彼らのシャツは皆一様に水で濡らされており、端からポタポタと滴る水滴が足元の焼けたレンガに落ちては瞬間的に蒸発していく。
私が合図を出すと、彼らと対面するようにちょこんと噴水の縁に座らされていたステラがカパッと口を開けた。さほど間を置かずに冷気が断続的に発射され、目の前で一列に並んでいた男たちのシャツがみるみる内に凍りついていく。
「うひぁぁ~、きもちいいぃぃ」
「ひんやりするなぁ、生き返るー」
氷竜のスポットクーラーを浴びた男たちは、私が差し出した空き箱に次々とメル銅貨を入れてはお礼を言って仕事に向かっていった。これから炎天下での作業だけど、ステラの魔力で凍らされた冷凍シャツを着ていれば午前中いっぱいは涼しいはずだ。
「ステラすごいよ! こんなに貯まった!」
「キュッピぁ!」
残された私たちは箱を覗き込んで嬉しい重みに歓声をあげる。よーし、頑張った君には奮発してガラハド諸島から輸入したステーキをつけてあげよう!
バイト代を箱から布の袋に詰め替えようとしゃがんだ私は、ある用件を思い出して口を開く。
「そうだ、注文しておいた首輪ができたって連絡があったんだ。このままアクセサリー屋さんに取りに行こうか」
「ピぃ」
つい最近この国にやってきた装身具マイスターは、武器の加工などを得意とするドワーフ種族の若い青年だ。繊細な作品を作る彼は新進気鋭のデザイナーとして注目されている……って、リカルドのインタビューにあったっけ。査定人のペロも文句なしに太鼓判を押したので、腕試しがてらステラの首輪を注文したのが一週間くらい前の話。出来栄え次第では舞台で役者が身に着けるアクセサリーを頼みたいと考えている。
「ん?」
お金の移し替えを終えて立ち上がった時、私は視線を感じてそちらに顔を向けた。噴水が流れ落ちる向こう側でこちらをぼーっと見ている男性と視線が合う。私と同じくらいの歳だろうか、ほどよく筋肉のついた体型と、ちょっと短い栗毛が爽やかな印象を与える。手にしたタオルを握りしめたままの彼に、私は噴水の音に負けないようちょっと大きめの声で話しかけた。
「おはようっ、あなたも冷やしシャツの注文?」
「あっ、はい。いえっ、えっと、その」
ピッと跳ねた青年は、しどろもどになりながらこっちへやってきた。しばらくあちこちに視線をさ迷わせていたのだけど、はにかんで頭を掻く。
「それじゃあ、お願いできますか?」
「そのシャツで良いの? じゃあ脱いで、噴水で濡らして、また着てそこに立って」
さっきと同じ手順でシャツを凍らせると、栗毛の青年は驚いたように自分の服をひっぱる。ガチガチに凍らず柔らかさを維持する秘訣はステラの企業秘密です。
「本当に涼しいですね!」
心底嬉しそうな笑顔にこちらまで嬉しくなる。笑い返した私は、彼が噴水の傍に置いておいたタオルを首にかけてあげた。こちらも同様に氷の魔法がかけられていて、冷気が肩を滑り落ちる。
「はい、こっちはおまけ」
「えっ」
「特別サービス、次回もよろしくね」
にこっと笑いかけると、なぜか口元を腕で覆い隠した青年はコインを私の手にぎゅっと押し込んで逃げるように街へと下って行った。ばいばーいとステラと一緒に手を振って見送る。
「……愛想を振りまきすぎても、勘違いさせてしまうだけですよ」
突然、背後から上がった声に振り向く。聞きなれた声でわかっていたけど、今日も上から下まで完璧に整えられたルカが噴水の縁に長い脚を組んで腰掛けていた。頬杖をついてなんとなく白けたような視線をこちらに向けている。私は挨拶もそこそこに腰に手をあてて反論した。
「愛想を振りまくって、ただの接客でしょ。こういう地道なところでまた来てもらえるかどうかが決まるんだから」
基本よ基本、日本じゃコンビニのバイトでも笑顔が必須スキルなんだから。ところがルカは不機嫌な顔を隠そうともせずに目を細めた。
「だからと言って、あんなにべたべたと触れることはないでしょう。男は単純なんですよ」
「あはは、まさかぁ。私、そういう対象として見られない自信はあるのよ! 元いた世界でも残念な女いじられキャラだったし」
ドヤッと親指で自分を指して見せる。『山野井は違うんだよなぁ~』『そうそう、女として見れないっていうか』なんて学生時代に笑い飛ばされた記憶がよみがえる。なんでかどこへ行ってもそういう扱いをされて来たので慣れてしまった。お笑い枠というんだろうか、間違っても高嶺の花ではないとはわきまえている。
「たちの悪い……」
額を抑えて頭を振るというアメリカナイズな動きをする吸血鬼。だから心配ないって、仮にそんな人がいたとしてもハッキリ断れるから。私ノーと言える日本人よ。
「ルカも服を冷やして欲しいの? でも、あなたなら自分で冷気魔導で涼しくできるんじゃなかったっけ」
不要です、と言われたのでステラを伴なって移動する。立ち上がったルカも後ろからついてきながらお小言を続けた。
「とにかく、下々の者に気安く触らせるのはおやめください」
「ほんとに今日はどうしたの? 『距離の近い国王』になるのは悪くないってあなたが言ってたことじゃない」
「限度と距離感が大事だと言うんです。特に男はご注意ください、脳みそと下半身が直結している生き物ですからね」
「ブーメラン刺さってるけど大丈夫?」
「私は良いんです」
「良くないわよ」
まさかセクハラ吸血鬼さんに忠告される日が来ようとは。そうこうしている間にアクセサリー屋さんの前に到着していた。
貸店舗の店構えは自由に改装していい事になっているので、ショーウィンドーには赤いビロードの上に並べられた装飾品たちがキラキラと輝いている。高級感あふれる緑色のドアを押し開けるとチリリと可愛らしいベルの音が降ってきた。
「こんにちはー、頼んでおいた首輪を取りに来たんですけどー」
中に呼びかけるも反応は無い。店内はガラス張りのショーケースが縦向きにずらりと並べられていて左奥には作業場が設けられている。何気なく視線を走らせているとその作業台に乗っていた人物と目が合った。
「……」
身体の大きさは子供くらいしかないのに立派なアゴひげを蓄えた彼こそが店主でありアクセサリーマイスターのドワーフである。彼はこちらをジロッとにらみつけた後、軽く会釈をすると持っていた金やすりを動かす作業に戻ってしまった。うーん、相変わらずすごい迫力。怒ってるわけではないらしいけど、子供とか泣きそう。
「はいはぁーい、いらっしゃいませー」
微妙な空気に苦笑を浮かべていると、どこからか明るい声が聞こえてきた。パタパタという足音と共に、右側から現れた梯子が左に向かって走って来る。ショーケースの影からようやく出て来た梯子には、豊かな茶色い髪をバンダナで抑えた女性ドワーフがついていた。いえ失礼、こちらが本体ですよね。
私の腰くらいしかない彼女は、作業場に梯子を立てかけると胸の前で両手を合わせて「まぁっ」と顔をほころばせた。
「魔王様じゃありませんか、ようこそようこそ、お待ちしてましたのよ」
「連絡ありがとう、首輪が出来上がったって聞いたんだけど」
「今お持ちしますわぁ」
歌うようにご機嫌な彼女は職人ドワーフの奥さんだ。明るい彼女は無愛想な旦那さんの代わりに接客を担当している。つまりキルト姉妹のコットンと同じ立ち位置ね(実際この二人はご近所さん同士で仲がいいらしい)足取り軽く店の裏に引っ込んでいった奥さんは、お弁当箱くらいの箱を手に戻ってきた。
「とーっても素敵に仕上がりましたのよ、まぁウチの人の作品ですからね。ほら!」