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108.ドーナツ会議

 ダナエの襲撃事件から数えて三日。私は手にしていた紙束をローテーブルに置くとふぅっとため息をついた。


「この脚本なんだけど、やっぱり私主体に書くんじゃなくて国民視点で書き直せないかな」


 向かいのソファでおやつのドーナツをむしゃむしゃ頬張っていたグリが、相変わらず眠たそうな眼差しのまま一つ瞬いた。私も山盛りにされていた一つを取って口に運ぶ。チョコも何もかかっていないオールドファッションだけど揚げたてで外はサクサク、中はふわっとした食感がおいしい。


「……鬼編集長」

「失礼ねっ、中途半端なものはゆるさないって言ったのはあなたでしょ」


 ビッと原稿を指で抑えて反論する。左手ではドーナツをむさぼるのをやめない。


「これも悪くはないんだけど、どうしても私視点で話が始まってる。ハーツイーズはあくまでも国民主体の国ってことをアピールしたいのよ」

「そうなると、冒頭をかなり書き直すことになるかな」


 徹夜かー、なんてぼやいたグリがドーナツをくわえたまま原稿を順々に送っていく。わかったわよ、その最後の一個は食べていいから。


 今日は曇り空で夏にしては涼しい風が吹き込んでいたので、執務室の窓は開け放っている。レースのカーテンがひるがえるのを眺めていると、ペンで変更点を書き入れていたグリがのんびりと口を開いた。


「ライムの方も段取り着いたって。あさってから着工するってさ」

「ほんと?」


 我らが匠には会場作りを任せてある。街の外に作る野外劇場はVIP席付きのスペシャルステージだ。後で本人からくわしく聞かせてもらおうと思っていると、舞台監督は楽しそうにペンを振った。


「会場から作るから、大がかりな仕掛けも地下に仕込みやすいって言ってた。国民視点にするなら、救世主あきらがステージ割って大地から出てくる演出とかどうかな」

「……多少のフィクションは認めるけど、私ただの人間だからね」


 へらっと笑ったグリは「面白そうなのに」と小さく呟いた。そこでふと気づく、この死神様、出会った当初に比べて何だか表情が豊かになって来てる気がする。


 その内、大口開けて笑うようになるんだろうか、ちょっと想像つかないなぁ。なんて考えている間にも報告は続いた。


「マイスター達にも協力してもらって、剣とか衣装とかの小道具も原案提出されてきてるよ。そっちの総括はペロに頼んだ」

「あの審美眼もちなら安心して任せられるわね」

「まぁね」


 なんだかんだ言いつつ、ペロの事は認めてるんだ。腐れ縁って言ってたけど何年来の付き合いなんだろう? たぶんこっちは答えるの嫌がるだろうから機会があったら向こうに聞いてみよう。


「使いたい小道具とかはこんなものかな。で、そろそろ役者のオーディションを始めようかと思うんだけど」


 話がそこまで進んだ瞬間、私は口の端をつりあげてシュパッと挙手した。


「監督! それに関して一つ推薦があります!」


 ? とでも、頭の上にでも浮かべそうな表情でグリは次の言葉を待つ。説明しようと口を開きかけた瞬間、開けっ放しになっていた窓から来訪者が飛び込んできた。


「ここに居たかァーッッ!! おいどういうことだっ!」


 くるっと一回転して見事な着地を決めたのは、オレンジ色の髪から突き出た猫耳が特徴の野性的な彼女だった。今日も抜群な身のこなしでバネでも入っているかのように立ち上がる。私は彼女に向き直ると小さく手を振った。


「ちょうどいいところに。ルカに釈放して貰ったの?」

「あぁそうさ、とんでもない話を同時に持ってきてくれたけどな! なぁ、嘘だろ? あの性悪吸血鬼のたちの悪い冗談なんだろ!?」


 爛々と輝く金の瞳がまっすぐにこちらに向けられている。視線だけで射殺せそうな物騒さだったけど、私はあえて無視してグリに紹介した。


「こちら暗殺者ダナエさん」

「知ってる」

「今度の劇で『魔王あきら』役をやって頂こうかと」

「へー」

「へぇ、じゃないっ!!」


 我慢の限界に達したのか、近寄ってきたダナエがローテーブルにダンッと拳を叩きつけた。


「ふざけるなっ! なんでアタシが!」

「まぁまぁ落ち着いて、ドーナツたべる?」

「要るか!」


 おいしいのに。差し出した最後の一個をむしゃると、ダナエは急に目つきを鋭くして手をパキパキと鳴らし始めた。構えた手から猫のようにニュッと鋭い爪が飛び出る。


「なんの枷もなしに釈放するだなんてずいぶんと舐められたものだ。そのふざけた事をぬかす口をすぐに封殺してやる!」


 威勢よく振りかぶった手が空中でピタリと止まる。固められてしまったかのように動かない彼女の首には、いつの間にか鋭い大鎌の刃があてられていた。


「悪いけど、これでも一応護衛だから」


 瞬間移動したとしか思えない静かさで、あっさりと彼女の動きを封じてしまったグリが言う。天と地ほどの実力差を感じ取ったのだろう、ダナエは青い顔をしてヒッと息を呑み込んだ。死神様はいつもののんびり具合もどこへやら、冷えた声で追い打ちをかける。


「止まったのは賢明だね。あと一歩踏み込んだら間違いなく切ってた」

「グリ、その辺でいいって」


 脅すのはこのくらいで十分だろう。ニィッと振り返った私は悔しそうな顔で立ち尽くすダナエに向かって指を振る。


「というわけだから暗殺は諦めてね。ちなみに一人の時を狙っても結果は同じだと思うから、またクシャミ爆弾を喰らいたいっていうんなら話は別だけど」

「……クソッ」


 ドッカと床にあぐらをかいて座り込んだ彼女は、それでも忌々し気に睨みつけながら聞いてきた。


「それで、どうしてアタシが劇の役なんて話になるんだよ?」


 立ち上がった私は彼女の前まで来ると腰に手をあてて見下ろした。ふふんと軽く笑って選択肢を与える。


「これは奉仕刑よダナエ。二度と私の命を狙わないと誓い、役を引き受けてくれるなら暗殺の件は帳消しにしてあげる」

「……断ったら?」

「そうね、その場合は残念だけど十年くらい牢屋に入って貰おうかしら。農作業付きでね」


 どう考えても破格の条件だ。散々迷った挙句、彼女はそれでも闘志を消さずにこう返してきた。


「フン、いいだろう。引き受けてやる。そんでもって舞台を台無しにしてやるから覚悟しておけ」

「いいわよ」


 しれっと切り返したのがよほどカウンターパンチになったのか、目をむいたダナエはびっくりした顔で固まってしまった。交渉のコツは相手の意表をつくこと。まだまだね。


「そうなったら私の采配ミスだったって事だもの。あなたに託すのは私の責任。あなたが失敗させたとしても私が全責任を負うわ」


 こちらからの謎の信頼に、気味が悪そうな目でこちらを見つめてくる猫ちゃん。私はその手の中に脚本のコピーを押し込んだ。


「じゃあこれ、まだ修正が入るとおもうけどだいたいこんな話。他の役者がそろい次第、稽古始まるみたいだから読み込んどいてね。部屋は街の宿をとってもいいし、城の空き部屋を使ってもいいから。その場合は手首ちゃんを訪ねるといいわ」

「え、ちょっ―― 脂! この脚本めっちゃドーナツ染み込んどる!」


 汚ァ! とか叫ぶダナエの背中を押して部屋から追い出す。パタンと扉をしめた私は振り返ってグリと視線を合わせた。さっきまでの殺気はどこへやら、ぼーっとした彼はゆるく問いかけて来た。


「ギャンブル?」

「勝算のない賭けはしないタイプなの。要は本番までにこの国を好きになって貰えばいいのよ。自分から協力したくなるようにね」


 嫌いだった人に好きになって貰う。それはハーツイーズの最終的な目標だ。つまりダナエ程度を『落とせない』ようでは今後のこの国に不安が残る。


「本番までの二か月間で、自分の目で見て、感じて、考えてもらう。そうやって最終的に出した答えが否定だったとしても、それは彼女の意思だわ。むりやり従わせるような真似はしないけど、でも」


 ふぅっと息を吐いた私は窓際によって街並みを見下ろした。少しずつ賑やかになっていく城下町は今日も活気にあふれている。きっと大丈夫、友達になれる。


「自信しか無いのよね」

「あきら……」


 ゆるく微笑んだグリは、こちらに手を伸ばしてきたかと思うと口の端をぬぐった。


「ドーナツの食べカスついてる」

「あ、はい」

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