105.ドラゴンとワイバーンの違いって?
売り言葉に買い言葉。決まった時の猛烈なブーイングを思い出しながら口をついて出た言葉に彼は顔を上げる。すやすやと眠り続ける氷の華のような生き物を見て少しだけ遠い目をした。
「ステライオナ」
「ステラ?」
「夜空に輝く一番星を意味する名前じゃよ。フロギィ族にはそぐわぬ名前であるがこの子なら名前負けすることもなかろう」
カチリと、パズルのピースをはめたかのような感覚がする。私は自分と同じぐらいの高さにある肩をべしべし叩きながら声を上げた。
「先生すごい! ぴったりじゃない! ステラ。綺麗だしスーくんって愛称も可愛いと思う」
ステラ、ステラと何度も呼ぶたびにしっくりくる。付けた早々で悪いが改名しよう、良かったねゆで太――じゃなくて、ステラ!
入り口の扉から茜色の夕日が差し込んでくる中、そろそろ部屋で寝かせてあげようと抱え直して立ち上がる。別れの言葉を告げて階段の一段目につま先を掛けたところで私は足を止めた。右を向くとドク先生は差し込む斜陽ギリギリの位置で石段に腰掛けたまま手元のカルテをじっと見つめている。
「先生、この名前って、もしかして誰かに付けようとした名前だったりする?」
尋ねると彼はビー玉のような目を閉じ、静かに一言だけこぼした。
「……昔の話じゃよ」
そろそろお風呂に入ろうと、坂道を登って来る子供たちのはしゃぐ声が外から聞こえてくる。私は緩やかに右にカーブする階段を登り切って、背を向けたままこう答えた。
「さっきフロギィ族にはそぐわない名前だって言ってたけど、私はそんなこと無いと思うな。でも、せっかく貰った名前だもの、大切に呼ばせて貰うね。ありがとう」
彼はどんな気持ちでこの名前をくれたのだろう。夜空に輝く一番星、か。その名に恥じぬような子に育てなくちゃね。
***
それから数日後。私はだいぶここでの生活に馴染んできたステラを連れて城の前の噴水広場に居た。目の前には大きな翼をもつ青さび色の生き物――メルスランドにお忍び視察した際に運んでくれたワイバーン君が居る。彼はふかしていたパイプの火を消し、ふしぎそうに見上げているステラを観察した。
「こりゃ間違いなくドラゴンッスね。しかもかなり純血に近い氷竜の一族とお見受けしたッス」
パイプを斜めがけカバンの中にしまったワイバーン君は、翼のついた前足でステラの折りたたまれた翼をほら、と広げてみせた。
「知ってます? ワイバーンとドラゴンの違い。オイラは前足がそのまま翼になってるッスけど、この子は翼部分とは別に前足がある。これは上級種族にしかない特徴なんス」
「へぇ、知らなかった。この子も飛べるようになる?」
もしかしたら背中に乗せて貰えるかも? と、淡い期待を込めながら聞くと(ファンタジー世界の夢よね)ワイバーン君は翼をパッと離しながら説明してくれた。
「純粋な筋力だけで飛ぶワイバーンとは違って、本体が重くなるドラゴンは風魔導を補助に使って飛ぶと聞くッス」
「なるほど、ルカが先生になれるかな」
高い魔力を有するのもドラゴンの特徴なのだとか。産まれたての赤ちゃん竜でも食糧庫をガチガチの冷凍庫にしちゃうくらいだもんなぁ、そりゃ恐れられるわけだ。
反抗期とかあったらどうしよう……なんて考えている横で、ワイバーン君はステラの頭をデレッとした表情で撫で続けている。
「それにしても美人さんだなぁ~、傾国の美姫竜とかになるんじゃないスか」
「び、き? え、姫?」
「うん? この子メス竜ッスよ? 気づかなかったんスか?」
い、いやぁ、確かに美しい生き物だとは思ったけど、メスかオスかだなんて人間には判断がつかないんじゃないかな……。先生先生ドク先生、GJ、危うく『ゆで太』なんて名前のお姫様になるところでした。馬鹿なのアホなの誰のせいだ私か。
ドッと噴き出す汗を拭っていると、あやし続けていたワイバーン君が追い打ちをかけるようにとんでもない事をいう。
「これだけ将来有望なら、そのうちオスが求愛に来るかもッスね~」
ぞぞ~っと別の意味で汗が噴き出した。ハーツイーズ国の上空を旋回する竜の群れのイメージが浮かび上がる。なんとかこの子がお年頃になる前に対策を考えておかなければ。
「ね、ねぇ、竜って喋れるようになるのかな? っていうか大人竜とは対話できる?」
「そりゃもちろん。高い知性を持ってるッスから。ただプライドが天より高い方たちなんで、最初は相手にされないかもしれないッスねぇ」
でも魔王様ならきっと大丈夫ッスよ、なんてフォローされるけど、果たしてそうだろうか。頭からパクっと丸のみにされたら嫌だなぁ。
「いっぱい話しかけて愛情を注いで上げてくだせぇ。賢そうな顔をしてるしきっといい子に育ちますよ」
にへら、と笑いながら言われたのでつられて微笑み返す。そうだね、ステラの里親として、立派にこの子を育てればドラゴン達とも仲良くなれるかもしれない。
何はなくともまず知識だ、噴水広場のベンチに腰掛けた私はじゃれ合う二匹を見守りながら質問を重ねた。
「ドラゴン島のこと、もっと教えてくれない? 確か魔族諸島の遠く離れた北西にあるんだっけ」
「へい、孤高のドラゴンたちが住まう島は、この世の最果てにあるんス。厳重に立ち入りが制限されてるのでオイラも遠くからしか眺めたことが無いッス。卵を盗んだと思われないようにしたいッスね」
そこなんだ。敵に回したくない種族ナンバーワンであるドラゴン様のお怒りを買わないようにするには、何らかの対策を考えなきゃいけない。
「先手を打って『親を探しています』とか新聞に載せたら、噂が届いてくれるかな……」
「あ、それ良いと思うッス」
尻尾を左右に大きく振っていたワイバーン君が、首だけこっちに向けて反応する。ステラはそれを追いかけてコロンと転がる。
「近頃オイラ、タクシー業の傍ら配達も始めたんスよ。ほら、人魚運送さんの真似をちょこっと」
あんなに大量の荷物は輸送できないんでせいぜい小包ですけどね。なんてはにかむ。いやぁ、空輸ってだけでもアドバンテージ高いと思うけど。
「で、人間向けの新聞を何種類かルート配送してるんスけど、その中にトゥルース社の新聞も含まれてるんッスよ。きっと届くはずッス」
「へぇ、魔族諸島でも、こっちのこと結構関心持ってくれてるんだ!」
嬉しくなって言うと、ワイバーン君はそりゃもう! と、太鼓判を押してくれた。
「建国して四ヵ月経ったハーツイーズは、今や魔族諸島の注目の的ッスよぉ! オイラが届けてるのは、商売根性たくましいドワーフ島とか、ウィッチ商会とか、あとは故郷のワイバーン領ぐらいッスけど、そこから噂がバラけて行ってるらしいッス。きっとドラゴン島にもそのうち届くはずッス!」
そっか、少しずつだけど影響が出てきているのかな。見られていると思うと緊張するけど、期待に応えるためにも頑張らなくちゃ! 立ち上がった私は拳を天に突き上げた。
「よぉーっし、政治も子育ても頑張るぞー!」
「おーッス!」
「キュイーッ」
だけど、この時点の私は楽観的思考になっていて考えもしなかったのだ。注目が集まるっていうのは、何も好意的な物ばかりじゃないってことを。
「……」
そう、まさにこの瞬間、噴水の影から憎しみに満ちた目がこちらを睨みつけているだなんて、これっぽっちも……。
***
その日の晩、いつものように空っぽの浴槽にステラを放した私は「おやすみ」と呟いて扉に手をかける。バスタブの縁にアゴと前足を掛けた彼女はご機嫌そうにキュウと一言だけ鳴いた。さすが氷の竜、ひんやりしたところがお好みらしく、産まれたその日からここをねぐらにしている。ご丁寧に自分で氷を張って温度を下げているもんだから、本来の浴槽としての機能は死んでいる。まぁ、私は日頃から下の大浴場に入っているから、別に良いんだけどね。
部屋に戻った私は、寝る前にグリから渡された原稿を下読みしようと壁際のデスクに向かう。でもなんでだろう、本当に些細な違和感を覚えて部屋の中を見回した。ピリリと肌があわ立つような、そんな――