103.孵化
横向きに並べられた棚をスーッと透過していくペロを追って、一列になった私たちは棚を回り込もうとする。光源のない食糧庫はやはり霜が降りていてところどころ凍り付いていている。それらが持ち込んだランタンの灯りを反射してキラリと光る。
「ん?」
油断なく進んでいたその時、足に何かが当たってコツンと音をたてた。半円を描くように足元に転がってきたそれを目にした私はランタンを掲げて一瞬考え込む。一抱えもあるサラダボウルぐらいの卵の殻だ。持ち上げると青白い表面は氷のように冷たくて、内部は少しだけしめっている。なんだろう、見覚えがある、ような。
「!!!」
思い出した私はバッと振り返る。すぐ後ろに居たルカが驚いたように目を開くのと同時に、先に進んでいたラスプがすっとんきょうな声をあげた。
「おわっ! なんだコイツ!?」
立ち止まった私たちを追い抜かして、後続のみんなが駆けていく。残された私は殻をよく見えるよう差し出し、もつれそうになる舌を必死に動かした。
「ルカ、どうしよう、すっかり忘れてた! これ、シェル・ルサールナでおみやげに貰った卵だよ!」
「ではこの先に居るのは――」
彼の言葉を遮るように、ピィィィィ! と、甲高い鳥のような鳴き声が食糧庫に響き渡る。みんなの悲鳴が上がる中、再度振り返った私の目の前に「それ」が着地した。
氷でできた白銀の槍。サファイヤのような青い目と視線が合った瞬間そんな印象を抱く。体全体を覆う硬質そうな鱗が光を受ける度にキラキラと光り、折りたたまれたコウモリのような翼もすべて青みを帯びた白色。威嚇するように前傾姿勢になった四つ足の生き物は、かすかに震えながらこちらをにらみつけていた。世の中にこんな美しい生き物が居るのかと見惚れてしまう。
「ドラゴン……」
ルカのつぶやきが刺激になったのか、小さな白いドラゴンがガァッと口を開けた。驚いた私の手からランタンが滑り落ちる。しまったと思った時には遅く、床に激突した光源がすさまじい音を立てて割れてしまった。
「主様!」
ドン、と肩に衝撃が走ったと同時に壁に押し付けられる。かばってくれたルカの背中の向こうを青白い光が一瞬で通り抜け、子竜は目にも止まらぬスピードで私たちが開けた穴から出て行ってしまった。
「ルカ! 大丈夫!?」
「肩を掠めました、すさまじい威力ですね」
私を押し付ける体勢から身体を離した彼は己の左腕に触れる。見ている間にも肩からパキパキと凍っていき手の先まで氷で覆われてしまった。まさかと思って棚を回り込むと、先に行ったみんなも足やら腰やらを氷で床にガッチリ固定されてしまっている。
「動けないよぉぉ」
「なんだってあんなのが食糧庫に居るんだ!」
いやぁ、それは……そのですね……。そういえばあれを持ち帰った時、直後に起こった食中毒騒ぎで卵の存在をすっかり忘れてた。あの騒ぎの中、その辺りに置いておいたのを誰かが見つけて食糧庫に運んだのだろう。そして放置された卵は暗く静かな食糧庫でひっそり孵化してしまったと。
「って、冷静に分析してる場合じゃない! 早く捕まえないと」
「おい待て、これどうにかしてくれ――」
ラスプの懇願が聞こえたような気がしたけど、そんな悠長なことやってらんないのよ! ルカと一緒に駆けだした私は廊下に躍り出る。元々霜が降りていた外はさらに悲惨な事になっていた。夏も近いと言うのにそこかしこに氷山ができている。
「マズいマズいマズい! これ以上被害が出る前に捕まえないと!」
「まさか有精卵で、しかも生きていたとは思いませんでしたね。これ溶けるんでしょうか?」
ルカが凍り付いて篭手みたいになってる腕を走りながら柱にガンガンぶつけている。逃げ出した子竜を追うのは簡単だった。道しるべのようにあちらこちらに氷漬けにされた被害者が落ちているのだ。城で働く彼らは駆け抜ける私たちに向かって声を投げて来た。
「魔王さまぁ~、何なんですかさっきのはぁぁ。あっちです、あっちに行きました!」
「でも冷たくてちょっと気持ちいい……暑いですし今日はこのままサボっててもいいですかね?」
だぁぁ、アンタらねぇっ! でも凍っているだけで死傷者が出てないのが幸いだ。そう判断したのはルカも一緒なのか、緊張をゆるめた様子の彼は後ろから気楽に発言した。
「怯えて足止めの為だけに凍らせているようですね、殺意が無いのか、産まれたばかりで力の扱いを分かっていなのか」
「見つけた!」
ようやく追いついた子竜は悲鳴を上げて逃げ惑う人たちの隙間を縫うように走り回っていた。やがて袋小路に逃げ込んでしまい、たたらを踏んだ彼(彼女?)は、こちらに向き直り怯えたように後ずさりする。
「ふふふ、さぁ観念しなさい。ここらが年貢の納め時よ」
「思いっきり三流悪役のセリフですが大丈夫ですかそれ」
念のため気をつけて下さい。と、後ろから言われるのだけど、任せなさい! 走ってる間に作戦を考えたんだからっ!
「手首ちゃん!」
バッと片手を上げて合図すると、天井がバコンッと外れて白いシーツを構えたメイドが落ちて来る。ふわりと翻るその端を捕まえた私は、子竜を抱き込むようにシーツをかぶせた。
――ピキュイ! キュイ~~ッ!!
急に暗くなってビックリしたのか、子竜はしばらくもぞもぞしていた。だけどその動きは次第に鈍くなっていく。
――キュゥゥ……
一分くらい経って、もう大丈夫と判断した私はシーツを中身ごと抱え上げた。布をそっと捲ると、胸にひたとくっついている子竜が青い目でこちらを見上げていた。安心させるように少し微笑んでゆすってあげる。
「よしよし、怖くない、怖くない」
「急に大人しくなりましたね、なんの魔法です?」
横から覗き込んできたルカが物珍しそうに観察する。私は子竜を見つめたまま静かに答えた。
「気が立った猫とかこの方法なら大人しくなったりするから試してみたの、上手くいって良かった」
たぶん暗くて狭い卵の中の記憶がまだ新しいのだろう、シーツを再びかぶせると子竜の震えはようやく収まった。
***
「どうすんだよ、それ」
執務室のソファに腰掛けてた私の膝には、きょとんとした顔の子竜が可愛く首を傾げている。じぃっとそれを見つめていた向かいのラスプは、ビシッと指を突き立てると怖い顔をして怒り出した。
「竜だぞ竜! 今にこの城よりでっかくなってオレらを片っ端から丸呑みにしちまうぞ!」
「もー、おおげさだなぁ。じゃあどうしろって言うのよ、こんなちっちゃい子を今すぐ放り出せっていうの? それはあまりにも可哀そうでしょ」
「元いた場所に捨てて来なさい」
「オカンか」
それに元いた場所って言っても、これピアジェから貰った食用の卵だったんだから。彼女は海を漂流していたのを拾ったって言ってたし、親のところって言ってもねぇ。
仲間にしたい私を後押しするように、ニコニコ笑ったライムが横に掛けて子竜の鼻先から額にかけて指で何度もなぞる。子竜は気持ちよさそうに目を細めた。
「ボクもさんせーい、こんなに可愛いんだもん。それに冷却動力が居ればこれからの暑い季節、いろいろと研究に役立ちそうだし」
「糞は畑の栄養になるしね」
「竜は魔物のシンボル的存在です、うまく懐かせれば成長しても国のいいマスコットにもなるかもしれませんね」
続けてグリとルカも賛同してくれる。その発言が引っかかったのか、ラスプは眉をひそめて意見した。
「……お前ら、自分たちの都合のいいように利用しようってのか」