97.役割分担
「コットン! 個人情報の流出だけはしないように!」
「個人情報?」
路地裏からこちらの様子を窺ってる新聞記者をクイッと指した私は、念押しとばかりに宣言しておいた。
「魔王のスリーサイズなんて紙面に載った日には、王室御用達の看板降ろして貰いますからね」
舌打ちをして引っ込んでいくリカルドを睨みつける。あの男、どこまで情報網を広げるつもりなのよ。
その後、姉妹に見送られた私はお城へ戻るため蛇行する緩やかな傾斜を登り始めた。メインストリートには同じ作りの店舗がずらっと並んで入居してくれる人を今か今かと待っている。ぽつぽつと入り始めてはいるけど寂しい印象は否めない、まだこれからだ。
「ん? 何の騒ぎ?」
前方に人だかりを見つけた私はそちらに足を向ける。あそこは確かせっけんとか日用品を売るお店じゃなかったっけ。ざわめく中心では誰かが話し合いをしているようだ。
「ですからぁ、言うほど売れてはねぇんですよ。商売なんて初めてなもんで勝手が分からないせいでしょうねぇ。お客の入りもそこそこです。へぇ」
お店の主人がヘコヘコと頭を下げる相手を見た私は、人混みの中でも目立つ金髪に声を掛けた。
「ルカ! 何かあったの?」
人垣がさっと割れて通してくれる。振り返ったバンパイアは晴れない表情で一つため息をついた。彼が事情を説明する前にツンツン頭にバンダナを巻いた雑貨屋の主人が割り込んでくる。
「あぁ、魔王様! 聞いてくだせぇよ、最初の決まりじゃ売れた数だけ消費税を収めるってぇ話だったじゃねぇですか。それなのにこの宰相さんは余分に税金を収めろって言い出すんですぜ? ひどい話じゃありませんか」
え、と傍らの税集担当を見上げると、すぅっと目を細めたルカは急に纏う雰囲気を変えた。魔族特有の威圧感が流れ出す。
「ブタ箱に入りたいと言うのなら話は別ですが、ずいぶんと舐められたものですね」
「な、なんでぇ、権力を笠にいう事を聞かせようってか?」
当然だけど一般人である雑貨屋の主人は怯んだように一歩下がった。それを見たルカは冷笑を浮かべながら何かの紙切れをご主人の目の前で縦半分に引き裂いた。
「あぁ!?」
「こんな意味のない帳簿の提出は結構。あなたがメルスランドで購入し、関所を通過したときにカウントした数と、店内にある数を調べれば売上など一発で出てきますが? 何なら各家庭にある個数を数えてもいいですね、手間はかかるでしょうが発覚した時に発生する罰金で帳消しにできると思いますし」
「いっ!?」
なるほど、売上の数をごまかして脱税しようとしたのね。イの一番に商売を始めるタイプだから頭の回転は速いけど、その才能で悪い方面にひらめいちゃったか。
ここでクスリと笑ったルカは、ドSの本領を発揮した。腕を組んで口元に手をあてながらゾクゾクするような視線で相手を見下す。
「これから大変ですねぇ、罰則はもちろんですが悪評が広まってしまえば、貴方の店で買おうとする人なんて誰も居なくなるでしょう。その内、同業者が出て来たら見向きもされなくなりますよ。お子さんも生まれたんでしたっけ? 路頭に迷う定めの家に生まれてくるとはなんと哀れな子でしょうか。従業員の皆さんも早めに辞表を出すのをおススメしますよ」
「あんたぁ……」
奥さんが輪の中から出てきてすがるようにご主人の袖を掴む。店の中で不安そうに見守っていたゴブリンとケットシ―のコンビも困ったように顔を見合わせた。
「反論は終わりですか? では、脱税第一号として牢の中で良い見せしめになって頂きましょうか」
「こらルカ、いい加減にしなさいっての」
ぽこんと、クリップボードが良い音を立ててルカの頭にヒットする。振り向いた彼にそれを返すと、私は冷や汗を流して立ちすくむご主人の正面に立った。
「今回はうっかり申告する数を間違えちゃっただけでしょ? 次回から気をつけてね」
「……」
それでも俯いたままのご主人の肩を、私は元気づけるようにバシバシと叩き始めた。
「だーいじょうぶ! 時代の流れを読んで真っ先に商売を始めたあなたの事だもの、心配しなくたって、その商才があればこのお店は大きくしていけるって!」
がくりと肩を落としたご主人は、小さく「次から気をつけます」と呟いた。よしよし、丸く収まったわね。
正しい帳簿を再提出すると約束して、私とルカは城への道を並んで戻り始める。道すがら私は隣の彼にだけ聞こえるように言った。
「わざとでしょ」
「何がです?」
「私が止めるの知ってて、あんな冷たい言い方したのね」
ルカは書類を挟んだクリップボードを小脇に抱え直して、面白そうな笑みを浮かべた。
「そろそろ主様があの場所を通りかかる時間かと思いましたので」
やっぱり。私が来た途端、急に攻勢になったからもしかしてとは思ったのよ。結果的だけ見れば『魔王が寛大な心で雑貨屋の主人を許した』みたいな図になったけど、
「ルカがわざわざ汚れ役を買って出る事はないのに」
「魔王様のイメージアップの為なら安いものですよ、教育の為のアメと鞭とでも言いましょうか」
きっとこの人は私が止めてくれるだろうと確信していたからあんな強気に出たのだ。うー、なんだかルカに上手く操作されたような気がして悔しい。確かに効果的ではあるけどさぁ!
「私ばっかりいいとこ取りして、ルカが皆に嫌われるのは心苦しいんだけど……」
「構いませんよ、ごく一部の親しい人を除けば、他人にいくら嫌われようが些細な事です」
前を向いたままの青い瞳はどこまでもクールで、他人を寄せ付けない心の壁を感じさせた。個人の考えの違いってやつなのかな、本人が気にしてないならそれで良いんだけど。
視線に気づいたのか、こちらに振り向いたルカはそれまでの氷のような表情から一転、ほころぶような笑顔を浮かべてみせた。
「もちろん、主様に嫌われたら生きていけませんけどね」
流れるような声が優しく耳に触れ、脳内に染みこんでいく。意味を理解した瞬間、一気にぶわっと顔が熱くなった。
うっ、ぐ、ぐぅぁぁ~~! こういう恥ずかしいセリフをしれっと言えちゃうんだからなぁ。慌てて顔を背けてバックンバックン言ってる心臓をいなす。顔、熱い。絶対、真っ赤になってる。
「え、っと、税制に関して、他にトラブルは起きて、ない?」
つっかえながらも何とか話題を変える。幸いそれ以上からかわれる事もなく、ルカは経過状況を話してくれた。
「そこそこ上手く回っているかと。質問に来る国民もだいぶ少なくなりましたから」
税制が始まった初日はなかなかにカオスだったことが思い出される。よく理解してない人の好さそうなおばあちゃんが私に直接お金を渡しに来たり(それも全財産!)お金を他人から強奪しようとする悪いやつが現れたり(もちろんすぐ自警団にしょっぴかれてお縄になったけどね)慌てて相談窓口をお城の一階に開設したんだけど、その日は陽が落ちても訪れる人が絶えなかったっけ。
「じき第一回の徴収期限です。私の見込みでは幹部の生活費ぐらいは賄えそうですね。初回としてはこんなものでしょう」
ところで……と、語調を変えたルカはこんな事を聞いてきた。
「私が商売を始めるのはありですか?」