94.異世界トイレ事情
それから少しだけ時間は流れて三週間後、爽やかな気温の中でも日差しが少しずつ強くなってきた。五月の中旬ってところだけど気候は日本とほぼ同じってのが不思議よね、異世界なのに。
私はそんな事を考えながら城からの下り坂を歩いていた。あぜ道でしかなかった道には赤味を帯びたレンガが敷かれ、整地された両脇には建物の土台となる基礎工事が組み始められていた。トンテンカンテンと小気味良い音があちらこちらから聞こえてくる。
「アキラ様~」
規則的なリズムの合間に挟まれた声に視線を向ける。我らが小さな棟梁は道の真ん中でこちらに手を振っていた。彼を囲うように屈強な男衆が輪を作っていて、どう見ても建設現場に子供が一人紛れ込んでしまったような光景だ。けれども愛くるしい姿をした少年こそがれっきとした彼らのリーダーなのである。私が花束を抱え直しながら手を振り返すと、筋骨隆々な男たちははにかんだ笑顔を浮かべながら会釈をしてくれた。
「お疲れ様、ケガとかない?」
「今のところへーきだよ、さすが普段からぷー兄ぃにしごかれてるだけあって、みんな力持ちで助かってるんだ! すごいよねぇ~」
無邪気に褒める少年に自警団の面々はデレデレの表情になる。わかる、わかるよ、こんな天使のような笑顔で褒められたら何でもしてあげたくなっちゃうよね。「じゃあよろしく」と、ライムから指示を出された彼らはそれぞれ持ち場へと解散していった。残された棟梁は腰バッグから別の図面を取り出し眉間に皺を寄せる。
「言われた通り下水道の『管』は敷いたけど、問題はどうやって川の水を高台にくみ上げるかなんだよね。お城のお風呂みたいに少しだったらボクの手押しポンプで充分なんだけど、街全体を上から洗い流せるような量ってなると、さすがに魔族のパワーでも……」
そう、この『ハーツイーズ城下町計画』を立てるとき、私が真っ先に提案したのが下水システムだった。あんまりこういう事って言いたくないんだけどさ、お城のトイレとかボットン便所だからね? 今はもう慣れたけど、風の強い日とか下からふわぁぁっって……うぅ、やめよう。とにかく異世界トリップに夢みてる人に言いたい。中世ヨーロッパ風とか見た目はいいけどトイレ事情はマジでやばいぞ!
「そこを何とかおねがい! 街の衛生環境を考えても下水は絶対に必要なシステムだと思うの!」
必死に頼み込むと、ライムはニコッと笑ってピースサインをしてみせた。
「なーんてねっ、実は新しい機械を開発中なんだ。油を燃やす機械式のポンプなんだけど、それなら断続的に汲み上げられるし何とかなると思う。あとはアキラ様の屋上ファームに貯水タンク作ったでしょ? あれのおっきいバージョン作って雨水貯めようかと思って。あとは水魔導を使える人を見つけられれば、空気中の水分から生成できそうなんだけど、そっちは人材次第かな……まぁ、色々アイデアはあるから任せておいてよ」
おー、さすがはライム。エンジニアマイスターなだけあるわね。この世界には魔導っていうエネルギーがある。機械と魔導、両方に長けた彼ならきっと夢のようなことでも実現してくれるはずだ。
「期待してるね。ところでここをメインストリートに決めたの?」
「うん、お城の正面玄関が南向きだからそのまま下にダーッと伸ばしてみた。今はまだ狭いけど、あっちの建物からそっちまで全部レンガ敷き詰めるから最終的には十メートル幅くらいの大通りになる予定」
出来上がった光景を想像してみる。通りに面したおしゃれな店舗が立ち並び、視線を上げれば正面にお城が見える。なかなかサマになるんじゃない? ちなみに大通りに面したこのお店たちは国の不動産にするつもりだ。ゆくゆくは店子に入って貰って賃料を国の収入にするつもり。
「あっちでガンガンレンガ焼いてるからね、すぐにふもとまで道を敷けると思うよ。この貸店舗も基礎工事が終わったらパパッと建てちゃう。いっぱいお店作ろうね、賑やかになるよーっ」
パッと両手を広げたライムは、活き活きとした表情で未来図を語った。よろしくねと別れを告げた私はさらにメインストリートを下る。途中からレンガがまばらになり、ふもとに着くころにはいつものあぜ道に変わっていた。降りて来る途中にも見えていた石垣のところには赤いしっぽがゆらゆらと揺れて、その石垣の建築材料を運ぶスライム達に指示を出している。
「だぁから、そこから微妙にカーブさせるんだって! 街を取り囲むように造るって言っただろ、直線でどうやって円をつくる気だお前らーっ!」
「おつかれー」
後ろから声をかけると、のろのろとラスプは振り返った。盛大な溜息をつくと「十五分休憩」と指示を出してそこらへんの岩に腰掛けた。両足を開いて頭を抱える。
「なんでこっちはスライムばっかなんだよ……あいつら言われたら言われたことをひたすらやり続けるから始末に負えねぇ……」
「あはは……」
城下町を造ろうと決めた時、下水の次に私が提案したのが城壁だった。とりあえず区画を決めてしまおうと思ってね。元あった村もまとめてぐるっと囲う感じでと指示したまでは良かったのだけど、さすがにカイベルクみたいに立派な物は作れない。そこで初めは簡単な石垣のような物にしようということで落ち着いた。こうして隣に立ってみるとわかるのだけど、ほんとに簡素だ。高さなんて私の胸くらいしかない。でもこんなんでも野犬は入ってこれなくなるだろうし、畑を襲撃していた害獣に襲われる心配もぐっと減ったはずだ(とは言っても、魔族がひしめいてるこの街に襲撃しようだなんて度胸のある魔物は最近は居なかったんだけど)
で、どうしてラスプがこんなに消耗しているか。その原因は人員の割り振りにあった。力仕事で駆り出されているのは自警団の面々だ。今、街の方でライムたちと一緒に作業をしているのが人間とかゴブリンとか手先が器用で図面を理解できる種族たち。そして石垣作りに割り振られたのが、とにかくパワーはあるけど単純作業しかできないスライム達だったというわけ。
「だんちょ、だんちょ、お花きれいですね~」
「ちょうちょ、飛んでますよ~」
休憩時間中、ゆるゆるのほほんと跳ねまわるスライム達にラスプはますますうめき声を上げる。ふ、ふふっ、なんか幼児と保育士さんみたい。
「お前らなぁっ、もっとまじめにやれよ! あんな複雑な関所つくった癖になんでこんな単純な石垣が作れねぇんだ!」
「だって、あの時はライム様が居てくれましたし」
「そう、指示されなくても頭にビビッと来るんだよね。ここでこうしなきゃ! って」
「ねー」
「だんちょ、テレパシー飛ばせないんですか?」
「できるわけないだろ……」
どうやらスライムは同じ種族の間でだけ通じる特殊なコミュニケーション能力があるらしく、関所遊園地を作った時はそれを利用したらしい。ライムが数十人もいるような物だから、そりゃあれだけ完成が早かったわけだ。
「心が折れそうだ……」
「まぁまぁ、わーむ君も手伝ってくれてるんでしょ?」
落ち込むラスプを励まそうと姿が見えない巨大ミミズの話題を出す。そういえばと顔を上げた石垣建設班リーダーは辺りを見回した。
「さっきから姿が見えないな?」
ちょうどその時、ぴぎゃああと悲痛な鳴き声が聞こえて、だいぶ離れた所の土がもこっとせり上がる。続けて地面から出たピンクのしっぽがビタビタとのたうち回った。
「わーむーーー! おまっ……その辺りは岩盤あるから気をつけろって言ったろ!! 挟まってんなら早く言えー!」
慌てて救出に向かう狼さんとスライムたちに私は苦笑を浮かべるしかなかった。柔らかい風が吹いて手元の花束から甘酸っぱい香りが立ち昇る。いけない、そろそろ約束の時間だ。建設班に別れを告げた後、私は村外れのあの場所へと向かう事にした。