93.見ないフリ、気づかないフリ
なぜかラスプは白けたような顔つきでこちらを見ていた。ケッと毒づくとお皿を引き寄せて自分一人でかき込み始めてしまう。
「あぁぁっ、ずるい! ひとりじめはずるい! なんで!?」
「さぁなー! なんでだろーなー!!」
それから何とか返してもらったガレットを黙々と食べる。これを食べたらいい加減寝なきゃ、夜も更けてきたしいい時間だ。
(明日はライムと下見して城壁の材料になる物を決めなきゃ、それが終わったらルカと税率の打ち合わせをして……そうだリカルドのインタビューもあった。それからピアジェにも連絡とって近況を聞かなきゃ。マイスター制度の基準決めもやらなきゃいけなかったっけ)
スケジュール整理をしているうちにブツブツ呟いていたらしい。それまで黙って居たラスプが急にこんなことを問いかけて来た。
「なぁ、アキラ」
「ん?」
「つらくないか? 人の上に立つって、ものすごい重責だろ」
彼はテーブルに頬杖をつきながらこちらを見ていた。なんだろう、その表情は心配も確かに含まれていたんだけど、どちらかというとふしぎそうな色合いが濃い。んー、と考えていた私はフォークを置き言葉を探す。偽る必要も無いかとそのまんまの気持ちを伝えることにした。
「つらくないって言ったら嘘になるかな。ほとんど休めないし、ちょっとしたトラブルであっちこっち走り回らなきゃいけないし」
「……」
「でも今はヘコたれてる暇なんか無いくらいに忙しいからね。それに、結構たのしんでるんだよ。こんな経験、元の世界に居たら絶対できなかったから」
うん、これは本音だ。一介の事務員が王サマだなんて日本じゃ絶対にありえないもの。やりがいっていうのかな? 前にライムも言ってたけど、私も明日が来るのが待ちどおしい時がある。
「心配してくれてありがと、優秀な団長さんを筆頭にみんなが居てくれるから大丈夫だよ」
笑って感謝を伝えるとラスプは口の端を吊り上げて少しだけいじわるそうな顔をした。グラスの飲み口部分を持って振りながら応える。
「ふん、そうやっておだてて繋ぎとめておく作戦か?」
「そんなんじゃないよ、ホントにそう思ってるんだって」
ムッと来て言い返すとラスプは前を向いて残っていたワインを一気に呷った。沈む直前の夕陽にも似た瞳がカンテラの灯りを反射して揺らぐ。
「ずいぶんと信頼してるようだけど、オレは明日いなくなってもおかしくない存在だぜ。ルカと違ってアキュイラに誓いを立ててるわけでも無ェしな。義理立てする必要もない」
「えっ、それ困る」
思わず反応すると、彼はクックと噛み殺すような笑いを喉で転がした。空になったボトルを見つめながら、言葉遊びをするかのように繰りかえす。
「オレはそこまでこの国に忠義を立ててるわけじゃない」
「じゃあ……どうして居てくれてるの?」
「さぁ、なんでだろうな」
当ててみろと言われているような気がして考え込む。グリみたいに私たちのことを友達だと思っていてくれてるから? それとも単に帰る場所がないだけ? 意外と野心深くて地位とか名誉を狙ってるとか。妥当なところで予想をつけた私は先回りで釘をさすことにした。
「言っておくけど、今すぐお給料なんて上げられないからね? 今でもカッツカツなんだから――あ、わかった、ご褒美か! そうでしょ、回りくどい言い方するなぁ」
なるほど、ラスプだって頑張ってくれてるもんね、負担で言えばみんなの中で一番かかってたかもしれない。ここまで文句の一つや二つは、まぁ、あったかもしれないけど、何だかんだ言いつつ凄い量の仕事をこなしてくれた。その鬱憤がここで顔を出し始めたんだろう、だからこんな事を言い出したと、わかったわかった。
「よーし、何が欲しいの? どーんと言ってみなさい!」
力強く言った私とは真逆のテンションで、ラスプは物憂げな視線をこちらに流してきた。気だるげに赤毛をくしゃりとかき乱しじっとこちらを見つめている。そのまなざしに鼓動が跳ねた。
(え、えぇ、っと)
だって、いつも暑苦しいくらいキリッとしてるのに、この時ばかりは熱を含んだ妙に色っぽい目だったんだもの。ドキドキしている内にその口が開かれる。噛み含めるような声さえ、いつもとは少し違う気がして
「オレが欲しいのは、地位でも名誉でもない」
「じゃあやっぱりお金とか、あっ、おいしいもの? なんて」
コト、と空のグラスを置く音にビクッと跳ねる。次の瞬間、右肩を掴まれて引き寄せられた。小さく悲鳴をあげて反射的にベンチに手を着くのだけど何が起きたのかよくわからない。状況を理解しようとしたところで急に両頬を掴まれた。グイと上げられた視界いっぱいに、燃える赤が映りこむ。
「わからないのか」
落ち着いた低い声が鼓膜をビリビリと震えさせる。カンテラのぼやりとした光の中、精悍な顔に至近距離で見つめられ私は声にならない声を漏らすしかできなかった。全身がカーッと熱くなって心臓が痛いくらいに暴れている。な、なんっ……
「ら――」
覆いかぶさられて体重が掛かり、耐えきれなくなった私はドサリとベンチに背中から倒れ込む。押し倒された私は自分とはまるで違う固い身体に抑え込まれパニックに陥った。悲鳴を上げようとしてふわりと彼の匂いが鼻を掠める。男の人の匂い。と、同時に間近で聞こえて来るスゥスゥという気持ちよさそうな声。
(寝てる――!!)
って、うわっ! お酒くさっ! 顔に出ないだけでめちゃくちゃ酔ってるじゃないこの人!!
なんとか力を失った赤毛布の下から抜け出すことに成功した私は、逃げるようにその場を後にした。まだ熱く火照る頬を抑えながら星明かりが差し込む廊下を足早に進んでいく。
(ああああああもうなんだったの!! 人騒がせなら七不思議騒動と同レベルじゃないっ、うわぁぁうわぁぁぁぁあああ)
恥ずかしさを振り切るように次第に足早になり、部屋に着く頃には全力疾走になっていた。バタンと閉めてドア伝いにずるずる落ちていく。欲しいものは私、の心…………ではないだろう。
「色欲ってこと? もー、満月でもないのにお盛んなんだからなぁ」
誰が居るわけでもないのに口に出して言う。そうすると次第にそれがほんとのような気がしてきて落ち着いていった。うん、酔ってる酔ってる。だって私みたいなガキ興味ないって言ってたし。男の人だし、色々たまってるだろうっていうのは分かるけど、女の人を当てがって欲しいとか私に言わないでよね。まったく。
ふぅっと息をついた私は、それでも逸る心臓をなだめようと手をあてた。違う違う、これも走ってきたせい。ぎゅっと自分を抱きしめるように腕を回す。
(だから、こんなにドキドキしてるのも、きっと何かの間違い――)
***
「なぁアキラ、昨日喰い始めた辺りから記憶が曖昧なんだが、オレなんかヘンなこと言ってなかったか?」
次の日、朝食を食べていると不安そうな顔をしたラスプがそんなことを聞いてくる。一瞬返事にためらった私は、そちらを半目で見やりながらこう答えた。
「あのね、さすがに国が主体になってそういうえっちぃお店を出すのはどうかと思うの」
「はっ?」
「たぶんそのうち民営でそういうお店も出てくると思うから、それまで我慢してね」
「ちょっと待て、何の話だ!?」
剥き卵片手に立ち上がったラスプはテーブルを叩きつけ前のめりになる。その横で半笑いを浮かべたライムが率直に感想を叩きつけた。
「わぁ、ぷー兄ぃサイテー」
「いや違っ……何を言ったんだオレは!?」
私は答えることができずに、うつむいてひたすらトーストをサクサク齧るしかなかったのである。