知らぬ世界をめざして
目を開けると、そこには一面の銀世界が広がっていた。胸が震えるほど感動して、息が止まるほど幸せだった。
今までの地下の生活では見たことのない光景に一瞬で僕の心は奪われた。
世界に氷河期が訪れ、人々が地下で生活するようになったのは僕が生まれるよりもずっと前の話だ。発展した科学技術の庇護下にある地底暮らしはそこまで不便を感じさせるものではなかったが、こういった綺麗な景色や感動といったものとは無縁だった。
僕はまだ何者にも穢されていない一面の雪景色へと一歩を踏み出した。踏み出した足が雪に大きく沈む。この雪の柔らかさも初めて体験するものだった。
「息が白い……」
景色にばかり気を取られていて気づかなかったが自分の吐息は白くなっていた。前に姉が地上では息が白いと言っていたことを思い出す。
「あ、そうだった」
そこで自分の本来の目的を思い出した。一年前に行方を晦ませた姉を探すこと。それが僕の目的だったのだ。
そもそも僕たちの住む地底では外に出る機会はほとんどない。地上の出入り口の整備をする職の人を除けば一度も外の景色を見ることなく人生を終えることも珍しくはない。それは別に禁止されているわけではなく、ただ単にその必要がないからだ。
だがそれでも半数近くの人々は外に顔を出す。それは十八になる時だ。十八歳未満の子供だけは外に出ることを許されていない。それはもしはぐれるようなことがあれば捜索は非常に困難だからだ。故に十八になり地上への外出が許されると一度はその景色を見ようとする者がいるのはなんら不思議ではない。
姉もそんな一人だった。彼女は二年前、十八になると同時に外の景色を見に外に出て、そしてこの綺麗な光景に心を奪われた。それから姉はよく外に出るようになった。夜間は気温が下がり危険であるために、外出は控えるように言われているにも関わらず外出して両親に怒られたりもしていた。
そんな姉がいつものように外出したある日。姉は帰ってこなかった。それからしばらく、昼の間だけ付近の捜索が行われた。しかし姉は見つからず、結局捜索は打ち切りとなった。
それから一年と少し過ぎた今日。僕は十八歳を迎え、外の世界へと足を踏み出した。姉を探すということは日帰りで成し遂げられるようなことではない。なぜなら姉はすでに付近にいるとは考えられていないからだ。だから僕はそれなりの装備を整えて外に出た。一年間で貯めた貯金を使い果たし、考え得る最高の防寒具と寝袋、そして当分の生活必需品と拳銃を購入した。拳銃は獣に襲われた時のためだ。使い方は父にみっちりと仕込まれている。姉を見つけるための準備は万全だ。
自分の目的と決意を再確認したうえで、僕は雪に足を取られながら一歩、また一歩と踏み出した。
それから数時間歩き続けた。まだ身体の疲労は限界ではなかったが既に日は傾いてきている。そろそろ寝床の準備をしなくてはならない。
比較的柔らかい雪をかき集めるとそれで山を作るように積み重ね、固めていった。そしてある程度の大きさを確保したら中の雪を掘り出して完成だ。これは本を読んで真似ただけの即席のかまくらだ。強度は十分ではないかもしれないが、少なくとも夜の吹雪をしのぐことはできる。
僕は荷物をかまくらの中に置くとポケットから携帯端末を取り出す。これは自分がどの方角にどれだけ移動したかを確認できる機械だ。これは出発の際、母が僕に戻ってこられるようにと渡してくれたものだ。
「まだ移動距離十二キロかぁ」
十分な距離を稼いだように思うがまだ初日だ。これからどうなっていくかわからない。僕が最初の目的地と定めたのは昔大きな街があったとされる場所だ。地下の出口から九十キロ近く離れた場所である。
姉は地上の世界を文献で調べられるだけ調べていた。もし姉が目指すならばそこだろうと僕は当たりをつけていたのだ。一日で工程の七分の一程度進めたのだから幸先は良いほうだろう。
僕はカバンから燃焼材の缶を取り出すとかまくらの中央において火をつける。これは一見普通の缶詰なのだが中に入った燃焼材は3時間ほど燃え続け暖を取ることができる。
寝袋に下半身だけ入った状態でその炎を見つめる。地下ではあまり見る機会のなかった炎だ。地下での生活に炎は必要ない。加熱ならば電子加熱器で事足りる。もし事前に炎の扱いを訓練していなければ見ただけでも慌てふためくことになっていただろう。
しばらくの休憩の後、僕は食事を摂ることにした。食事といっても簡素な栄養食品だ。これだけ歩いたのだからしっかりとしたものを身体が求めるかと思ったが、実際はそんなこともなく、バー状のそれで満足することができた。疲れた体というのは意外にもしっかりとした食事より軽めのものを求めているらしい。
栄養と一緒に水分もとれる携行食を食べきると途端に眠気が襲い掛かってくる。疲れと適度な満腹感、そして外より暖かい空間が僕を眠りへと誘っている。そして僕にはその眠気を遠ざける理由などなかった。
寝袋にすっぽりと全身を入れると火が消えないうちに僕は眠りに落ちた。
何日歩き続けただろう。最初のうちは初めての地上に感動や興奮を覚えていたが今はそれもない。ただ雪の中を歩き続ける。
携帯端末を取り出し距離を確認すると既に八十キロもの距離を踏破していた。もうそろそろ目的の場所につくはずだ。
何を考えることもなく歩き続け、やがてずっと視界に捉えていた山が山ではないことに気づく。
「これは……建物?」
ようやく訪れた変化に足が早まる。近づけば近づくほどそれが人工的なものであるということがわかる。それは氷漬けになった建造物だった。ところどころ崩れ、氷漬けになった山だと思っていたのはビル群だったのだ。
「これがビル……。こんなに高い建物が昔は普通にあったなんて」
地下では高い建造物など無縁だった。当たり前といえば当たり前だ。広い洞窟の中に建てられる建物などたかが知れている。
久しぶりに得る外での感動に足も早まる。ほとんどのビルが一部損壊しているが、綺麗に氷漬けになっているものもあった。
そんなビル群の中に他とは一線を画すビルを発見した。他のものと同じように高層であることは変わらないのだが、ただ一つ違う点がある。頂点がドーム状になっているのだ。
そのビルに近づいた僕は躊躇することなく中へと足を踏み込む。どちらにせよもうすぐ日が暮れるのだ。風や雪を凌げる建物の中に入るのが合理的だ。
割れて枠だけとなった入口から中に入り階段から上を目指す。
「うわぁ、すごい!」
思わずそんな声をあげてしまうようなものがそこにはあった。長く巨大な筒。これを僕は知っている。知っているとは言ってもそれは知識だけのものであったが。それは巨大な天体望遠であった。ドームの外まで伸びる筒はきっと空を目指しているのだろう。
僕はひとまず荷物を置くと夜に備えて野営の準備を始める。建物の中とはいえ夜は冷える。僕はかまくらで過ごすのと同じ要領で火を焚きバーをかじる。達成感のおかげかいつもよりもバーの味がおいしく感じた。何よりいつもと違うのはただ夜が過ぎるのを待つだけではないということだ。
外から差し込む光がほとんどなくなり、室内を照らす光が炎だけになると僕は望遠鏡をのぞき込むために存在するであろう座席へと向かう。初めて外に出るときに感じたのと同じ高揚感がある。
座席に腰かけ望遠鏡をのぞき込もうとしてそこに何か紙が貼りつけられていることに気づく。何か書いているようだが炎の明かりはこちらまで届かない。既に望遠鏡に興味を取られている僕は特に気にすることもなく紙をポケットにねじ込むと望遠鏡をのぞき込んだ。
目に飛び込んできたのは闇に輝く光の煌めきだった。地下のプラネタリウムでしか見たことのない景色に言葉にならない感動を覚える。よくよく考えれば雪景色にばかり目を取られ空など見ていなかった。それ故にその感動はより大きく感じたのかもしれない。綺麗な夜空に心を奪われ、時間も忘れ星々と戯れた。
それからしばらく僕は天体望遠鏡のビルを拠点に過ごした。昼は街の散策を行い姉の痕跡を探し、夜は星々に心を癒した。しかしそんな生活もしばらく続くと姉の痕跡が見つからないことに対する焦燥感へと変わる。
このまま先を目指すべきか否か。そろそろ決断しなければならない。一度戻って方策を練り直すのもありだろう。いやむしろそうするべきだろう。僕はそう判断する。
数日過ごした野営地の片づけを始める。そこでポケットから紙切れが落ちた。それは望遠鏡のところに貼ってあった紙だった。そういえばそんなものがあったと内容に目を通す。
『これを読んでいる君へ。この紙を見つけたということは、きっと望遠鏡を覗いたことだろう。そして心を奪われたんじゃないだろうか? 私はそうだった。だからもっときれいなものを探してここを出ようと思う。世界にはオーロラというものがあるらしい。私はそれを探しに行こうと思う。もし君も興味を持ったのなら私と同じところを目指してみるといい。もっと素晴らしいものを求めて北へ』
紙にはそう書かれていた。オーロラという単語に気を取られた。だがそれ以上に気をひかれたのは文章の下に書かれていたイラスト。熊ともウサギとも似つかないそのイラストには見覚えがあった。姉が外に憧れ始めた頃に書いたイラストと寸分違わぬ姿だったのだ。
「姉さんは相変わらずだなぁ」
興味を持ったものに全力で向かっていく姉は外のことをよく人に話していた。そして今もそれは変わらず、自分の素晴らしいと思ったものを他人にも教えようとしているようだった。
思わぬところから姉の手がかりを見つけた。まだ戻るには早いようだ。僕もこのまま旅を続けよう。姉の素晴らしいと思ったものを見て、世界を知り、そして再び会うために。
北を目指して――
学校のサークルで書かせて頂いた作品です。今回は冒頭縛りということで、冒頭第一段落のみ先輩に書いて頂いた文章になっています。
楽しんでいただければ幸いです。