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断片その二(1)

 空巣に入られた。

 そう思った。そういう惨状だった。




 怪我をした明くる日、私はフェルさんに付き添われ、午前中のうちに病院へ行き、――あばら骨にひびが入っていると告げられた時はちょっとばかり意識が遠退いたが――サポーターのような物を巻かれ、薬を処方してもらって帰宅した。

 ひびといってもほんの少しだったけど、絶対安静を念押しされた為、暫く会社を休む事に。

 何があったのかとメールをしてきたくるみには、わざわざ心配をかけるのもなんだと思い、転んだとだけ返した。


 それから一週間と四日。

 思うように身体を動かせないのは不便だったが、甲斐甲斐しく世話を焼きたがったフェルさんのおかげもあって、完治では無いけれど仕事に復帰できるまでに至った。

 今日は金曜日。月曜から出社だ。嬉しさと安堵で浮かれていた私は、久しぶりに外食する事にした。

 ずっと気遣わしげだったフェルさんも安心したのか、この時は穏やかに笑んでいて、実に快味に満たされた時間だったと思う。少なくとも私は、とても楽しかった。

 月曜から仕事頑張るぞー、とか。調子に乗ってお酒解禁しちゃおう、とか。

 そんな浮かれ気分でした。さっきまでは。


 空巣かと。

 最初にそう断じたのには訳がある。

 最初の異変は玄関扉で起こった。鍵がかかっていなかったのだ。そして恐る恐るノブを回し、中を見たら――


 そこには何もありませんでした。


 いや本当に、冗談抜きに、見事に何も無かったのだ。小さいながら我が家だった筈の部屋は、まるで不動産屋と一緒に見た空き部屋に戻ったかのように、がらんとしていた。

 部屋を間違えたのかとも思った。しかし何度確かめても、そこは間違いなく203号室の私の部屋だった。

 そして現在。

 開いた玄関の向こうに面食らって、忘我の状態に陥った精神を引き戻したのは、何かが背中に当たる感触だった。


「動くな」


 低く、囁くようなバリトンの声。ぎくりと固まった私の背中に、何かが押しあてられる。何か、面積からして細い、棒状の何か。その先が私の背中、中心より少し低めの背骨を、ごり、と圧迫した。

 頭を駆け巡った最悪の想像。浮いた汗がこめかみを伝った。

 ごくりと唾を飲み込むのが精一杯で、身動ぎひとつ出来ない私に満足したのか、背後の存在が再び口を開いた。


「そう、大人しくしていれば、悪いようにはしない」


 恐らく部屋をこんなにしたのは、この人だろう。台詞がもう悪人丸出しだし、何より、背中に当てられている物が、人参やマジックペンだとは思えない。私としては人参であって欲しいけれど。

 家捜し中のところ、私が帰って来てしまったとかその辺りだと思う。私にとってもこの人にとっても、最悪の事態になった訳だ。フェルさんを買い物に行かせた事が悔やまれる。何故酒を飲みたいなどと思ったんだ私。

 不幸中の幸いがあるとすれば、それは私がこいつの顔を見ていない事。命あっての物種だ。このまま去ってくれたら、諸手を上げてもいい結果。最も悪いのは、背中の何かが威力を発揮してしまう事態だ。けれど、相手がとった次の行動は、私を困惑させた。


「訊きたい事がある」


 一瞬聞き間違えたのかと思った。だってこの状況で私に何を訊くって? そんな事より逃げたい筈だ。普通罪を犯した後って、逃げる事を考えるものではないのか。

 訳が判らなくなりそうな私になんて構わず、声は続ける。


「お前は誰だい」


 誰って言われても。名前を問うているんじゃないのは判る。でも私は、私にはこう訊かれる意味が判らない。何を訊かれているのかが判らない。だから答えようがない。

 黙っている私を不審に思ったのか、背中に当たる圧が強くなった。ひ、と喉から引き吊った声が漏れる。


「……答えたくないか」


 いや答えようがないんです!


「では質問を変えよう」


 恐怖で足が震えている。焦りで口の中はカラカラだ。その一方で、私は不思議な既視感が湧くのを感じていた。何だろうこの違和感。しかしそれに気付く前に後ろから質問が飛ぶ。


「誰の差し金だい」


 差し金? 何が。空巣が? こいつは空巣の犯人じゃない?

 困惑する一方。

 こいつが空巣でないのなら。

 明滅する既視感。浮上する可能性。

 私は、これを、こんな奇妙極まりない質問を、知っている? 突然現れて、お前は誰だと問う。ああ、それは――


「ぁ……なた、」

 擦れた声は、自分の物。

「あなたは――」

 そして私の声は途切れた。


 代わりに響いた、カラン、と何か軽い物が落ちる音。それから。


「ミホ!」


 振り向かなくても判る。竦んで動けなかった筈の身体は魔法が解けたように滑り出し、振り向く。


「逃げろ!」


 どうやったか知らないが、よじ登ったらしく、外通路の鉄柵、手すり部分に片足を乗り上げていた。白に近い程の金色の髪の男、を羽交い締めにしたあの人と、目が合った。


「フェルさ――」


 驚きと、不安と、焦りと、恐怖と、ほんの少しの安堵。それら全てが一気に去来し、私の身体を鈍らせる。


「逃げろミホ!」


 だが、必死の形相で叫んだ彼に、びくりと肩が揺れ、頭から言葉が消え失せた。

 逃げ……、え?

 俄かに狼狽える。逃げろ。逃げる。言われた事を反芻し、漸く意味を掴む。が、

 ――否、駄目だ。

 逃げてはいけない。

 私は正解等知り得ない。この場で一番良い判断は、フェルさんに従う事かもしれない。けれど私はその時、何故だか強く、逃げるべきではないと思った。全くの根拠も無しに、それこそ直感と言っていい程の理由で。

 私は、首を横に振った。


「い、いえ。いいえフェルさん」

「ミホ……?」


 私の様子がおかしいと、フェルさんが訝しむよう眉を顰めた時、隣の部屋のドアが開いた。

 はっとしたのも束の間、迷惑そうな表情の隣人が、そこからそろりと顔を出した。

 煩いと言わんばかりだった隣人は、フェルさん達を見てギョッとし、説明を求めるように私を見詰める。いかん、やばい、そんな言葉が瞬時に浮かぶ。


「すっ、すみません!」


 慌てて何度も頭を下げる。と、隣の若い男性――大学生らしい――は、小さく大丈夫かと訊ねてきた。そりゃあ特殊過ぎる状況だからね! 訊くよね! 私でも訊いたろうと思うよ……!


「はい、大丈夫です。すみません。何でも無いんです。お騒がせしてすみませんでした」


 なんとか笑顔を浮かべて返せば、隣人は軽く会釈だけして、部屋へと引っ込んだ。一先ずほっとする。いや目は物凄く怪しんでたから誤魔化しきれてないんだろうけど。

 私はぎろりとフェルさんを睨む。


「中に、入ってください」


 私の唐突な一言で、今度はフェルさんがギョッと目を剥いた。


「何を、そんな事――」

「いいから。こんな所で騒がれたら困ります」


 身体をずらし玄関へのスペースを開け、中へと指をびしっと差す。


「そこの人も話なら、中、で……、」


 金髪は目を細め、じっと私を見詰めていた。まるで見定めようとするように。虚偽を探るように。

 私はこの時初めて、その顔をきちんと見た。見て、こんな状況下で私はぽかんと惚けた。いやだって惚けるしかなかった。


 ……男? まずそれが最初に湧いた疑問。

 背は、かなり高い。フェルさんと同じか、それ以上あるかもしれない。馬鹿みたいに口を開けて私が見上げる先には、怖いくらい綺麗な顔があった。言い表すとしたら、絶世の美女。そう、美女。

 整えられた眉。長い睫毛はくるんとカールし、瞼はパールの粉でも振ったのか、キラキラと甘く輝き、スッとひと描きされたアイライナーが、その甘さを引き締めるかのようだった。唇には真っ赤なルージュ。透けるような白い肌に一層映えていた。うん、これなんて美女。

 いやでも、声は男の人みたいだった。と言うか男としか思えないだろ。なんだかローブのような物を着ているから体格はよく判らないが、それにしたってこの背の高さ。


「……あ、と、あの、」

「竜の国の仕業とはねえ」


 唐突に喋った金髪に、ぱちぱちと瞬く。声、やっぱり低い。あれ? あれえ?

 目の前の美貌の容姿と、滑らかな低音が結びつかない。腹話術みたいだ。


「違う」

「何が違うってのさ、竜の特攻隊副隊長さんが何を今更」

「だからそうではない。違うんだ」

「は、言い訳ならグデナの国でするんだね!」

「っ!」


 ぶわ、と髪が舞い上がる。

 は? 何これ。

 謎の金髪のローブらしき服が、バタバタと暴れている。風? 急に、風が生まれた……?


「くっ、待て白の! 彼女は私と関係無い!」

「ふん、まだ言うか」


 その不可思議な風は、一瞬にして、爆発した。

 否、風は爆発なんてしない。吹くだけだ。けど私はその時、何かが爆発したように感じたんだ。

 つまり、それは爆風。ゴッという、こんな凶暴な風の音を、生まれて初めて聞いた。

 爆風を浴びたのは、私では無かった。




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