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断片その一(15)

 月曜日。平日に休めるなんて、幸せだ。

 しかし普段なら9時過ぎまでぐうぐう寝ている私も、多少は緊張しているのか、案外早く目が覚めた。同居人には及ばないけれど、7時台に朝ご飯を済ませたのは、私にしては珍しい。


 今は食休みする私を余所に、フェルさんは洗濯機の前で微動だにしないでいる。いつまで眺めるつもりか、暫くは動きそうにない。目が釘付けだもんなあ。

 放っておいて着替えるか。

 思ったら立ち上がり、自室へと向かう。フェルさんが漸く顔を上げた。


「着替えてきます」


 部屋を指差し言えば、こくりと頷かれる。また回る洗濯機に視線を戻したのを見て、思わず小さく笑ってしまった。夢中か。

 着替えを済まし戻っても、彼は微塵も動いていなかった。だから夢中か。

 ドラム式だから中が常に見えている為、目を離すタイミングがないのかもしれない。つまり止まるまでああしている可能性が高いってわけだ。

 ……うん、テレビでも見よう。


 それから――

 馴染みのニュース番組を見ているうちに、洗濯機が止まったようだ。座ったまま首を伸ばし、狭いダイニングをひょいと覗けば、フェルさんと目があった。


「止まりましたー?」

「恐らく」


 そんな神妙な顔しなくても。

 もたもたと立ち上がると洗濯機に近づき、ほらほらと両手を振ってフェルさんを端に追いやる。

 カゴに移してから部屋へ、部屋からこじんまーりしたベランダへ。フェルさんは鴨の子よろしく後ろをついて回る。

 うーん、お母さんになった気分だ。

 下着が入ったネットだけをこっそり別にして、残りを干していく。凄く……視線を感じます。

 ここ2日、今日を含め3日、かなりの頻度で彼の視線を感じる。

 やりにくさが無いわけではないけれど、私は出来る限り視線を無視する事にしていた。

 見て安心するなら、いくらでも見ていい。


「干竿は、変わらないのだな」

「かんざお? あ、これ?」


 背後からの声に、物干し竿を示しながら振り返ると、フェルさんは何やら感慨深そうに頷く。


「そうだ。ふむ、しかし素材は見ないものだな。此処は不思議な素材が多い」


 安価のステンレス製なんだけど……そっか、無いのか。


「物ハサミも素材だけが違う」


 フェルさんが指でつまみ上げたのは、洗濯挟み。カチカチと何度か開閉させる。


「フェルさんが持ってると、異様に小さく見えますねそれ」


 もう手からして大きいもんなあ。こういう時、ああこの人男のひとなんだなって思う。


「それを言うなら、ミホが持つと大きく見えるぞ」

「ええ、私標準ですよ」

「いや小さい。小さいし細い。ミホはもっと食べた方がいい」

「さっき標準とか言ったけどすいません嘘つきましたギリギリです」


 主に体重的な意味で。


「ギリギリ?」

「ギリギリセーフ……多分」

「ギリギリセーフ?」

「あの、繰り返さないでくれませんか」


 嫌味に聞こえるのは私に自信がないからか。これセーフよね……まだ大丈夫よね私。

 すまないと眉を下げたフェルさん。真面目に謝らないでください。なんか寧ろ私がすみませんでした。


「その、ミホはたまに難解な言葉を話すから」

「ああ、セーフっていうのは……セーフっていうのはー……」


 なんだ。え、日本語にするとなんなんだ? 成功? でも今の使い回しじゃ、成功はちょっと変。


「うーん、大丈夫? いや正しくは成功するでー……、盗塁成功?」

「トールイ」


 わあ、糖類みたくなったー。


「すみません今のなしで。意味は成功です。でも、間に合った、とか。範囲内に収まった、とか。そういう意味で使ったりします」

「ほう……ギリギリとは?」

「えっそっちも?」


 ギリギリってなに、造語なの?


「ええと、崖っ淵に落ちそうで落ちない、みたいな事です」

「限界一杯って事か」

「あ、そんな感じで」


 こうしてみると、私は言語ひとつきちんと扱えていない。知らない癖に使っている言葉って結構あるんだな。

 上手く説明出来ない駄目な私の話に、フェルさんは馬鹿にした様子もなく、耳を傾けてくれる。優しいなあ。そしてちょっと嬉しい。


「何故それがギリギリなんだ?」

「お、おう……それは、後で説明します」

「ん、そうか、すまない邪魔をしたな」


 フェルさんはまるで子どものように、何故から何故が生まれて尽きない。私も出来ればそれに付き合ってあげたいけれど、大人だからといって何でも知っている訳ではないように、私にも沢山の判らぬ事がある。

 フェルさんはどうやら作業の邪魔になると思ったのか、部屋に引っ込んだ。

 今だとばかりに下着も干して、部屋へ戻ると速攻で携帯を掴む。

 助けてウィキ先生ええ!


「あ、メール来てー……」


 知らないアドレス。迷惑メールかな。件名は、古の王より。ああ、迷惑メールだね。

 一瞬メールを開いて直ぐ閉じる。さあさあギリギリの語源を教えてくれ。


「…………へええ」


 流石ウィキ先生、何でも知ってますなあ。

 残念ながら語源は判らなかったが、漢字で書くと『限り限り』。それが判っただけでも賢くなった気分だ。素直に感心していれば、手元に影が差した。


「何をしているんだ?」


 ち、近いな! 覗き込んで来たのは、勿論フェルさんでしかない。思わずどきっとしたくらい近いんだがしかし、それを悟られぬようなるべく平静を装う。


「あ、と、ちょっと調べものを」


 かつ、さり気なく身体を離す。えええ、なんで寄って来るの。


「調べもの? その小さな物で?」

「は、い。調べものだけじゃなくて、これ1つで色々出来るんですよ」


 私が少し離れると、すかさずフェルさんが距離を縮める。ね、ちょ、私今横向いたら、フェルさんの頬っぺたにちゅう出来るくらい近いんですが。食い付き過ぎだろ。あれ、これなんてデジャヴだ。


「て、手紙のやりとりとか、遠くの相手と会話出来たりとか」


 既視感に同じ過ちは繰り返すまいと、落ち着くよう自分に言い聞かせる。

 大丈夫こいつは只のイケメンだ。ちょっと痛い発言する只のイケメンだ。うん、よし、全然動機が治まらんな!

 そんな状況で私が出来る事と言えば、そっと身体を傾け少しでも私の精神負荷を減らそう、という馬鹿の一つ覚えくらいで。


「ふっ、そんなまさか」


 フェルさんの笑った息で、私の髪が揺れた。至近距離変な汗出そう……!


「ほ、ほんとです」


 私が言い返せば、小さな画面を食い入るように見ていたフェルさんは、何を思ったか急に此方を向いた。

 視界の端に彼の顔を捉えても、私は決してそちらを向けない。今でこそ心臓がドンドコドンドコカーニバル状態なのに、こんな間近で目が合ったりしたら、それこそ保たない。心臓が。破れる。多分。


「うわっ」


 彼は恐らく、私の真意を訊ねようとしたのだと思う。本当ってまじで? っていう。だけど彼はそれを知る前に、可笑しな距離感にやっと気が付いた。気が付いてくれた。

 その結果が、「うわっ」であったとしても、私は前向きに捉えようと思う。離れた事をよしとしようじゃないか。ちょっとそんな離れなくてもいいんじゃない? ってぐらい退かれたとしても、この負荷が無くなった事を喜ぼうじゃないか。

 傷付いて無い事ないけどね。傷付いて無い事ないけどねえ……!


「携帯については、まあ、追々教えますよって……」


 なんか言葉遣いが可笑しいが、心が憔悴した私にはもうどうだっていいそんな事。二回もおんなじ事やられてみなさいよ、心廃れるわ。

 そして心廃れた私は、ある意味悟ったような目をフェルさんに向けた訳です。一度目より余裕が生まれたのか、私は割と冷静で、と言うかやはり廃れていて、フェルさんの反応というものを初めてきちんと捉えた。

 判りやすく顔を赤く染めたその姿に、ちょっとばかり目を丸くする。


「すまっ、すまな、」


 乙女だ。乙女がいる。


 私が思わずじっと見つめてしまえば、益々顔が赤くなる。あ、隠した。

 手の甲で顔下半分を隠したフェルさんは、瞳を泳がせながら小さく謝罪した。


「すまない。つい、夢中になった」


 なんだこの乙女男子は。可愛いどころじゃねえぞ。

 うっかりきゅんとした。さっきまで心が荒廃していたはずなのに。そんな傷は最初から無かったかのようである。イケメン恐るべし。

 初な反応は、ともすればいい歳してキモッとかなるかもしれないのに。私がやったらキモッってなる事請け合いですよこれ。

 私より遥かに乙女な同居人に、つい生温い笑顔を浮かべてしまうと、それを見たフェルさんは、何を笑うと眉を寄せた。ごめんごめん。


「なんか、従兄弟を思い出しちゃって」


 従兄弟は中学一年生なんだけども。母方の親戚で、昔から可愛がっている弟みたいなものだ。からかうとムキになって怒るんだけど、そこがまた可愛いんだよねえ。


「従兄弟?」

「はい。かっわいいんですよー」

「かわ……」

「でも最近色気付いてきて、頭撫でようとすると逃げるんです。でも生意気だーって捕まえて撫で繰り回すんですけどね」


 思い浮かべ笑いが込み上げる。嫌そうな顔して暴れるけど、結局捕まって倍撫でられるんだから、最初から素直に撫でられとけばいいのに。

 「やーめーろー!」って真っ赤な顔してジタバタする様子を思い出すと、にまにましてしまう。言う割に突き放してこないのが堪らないんだよなあ。くうっ可愛いぜこいつめ! とついつい構いたくなっちゃうのだ。


「ミホ、念の為聞くがその従兄弟は、いくつだ?」

「十三歳です」


 念の為? 何の念だろう。フェルさんに返すと、何故か頬を引き釣らせた。


「じゅ、十三歳……」


 はっとする。呆然とした彼の呟きで、私は漸く気が付いた。

 中一と言えばまだまだ子ども。目の前の青年は、少なくとも二十歳は越えているだろう。今の言い様では、子どもみたいだと言ったようなものだ。


「いやっ、そんなつもりで言ったんじゃなくて! 別にフェルさんが子どもっぽいとかそういう意味じゃ……っ、す、すみません」


 私のばか。十三歳の従兄弟と一緒にするなんて。慌て言い訳を重るも、何も違わないと項垂れた。

 凹んだ私が黙った事で、途切れた会話。だが、不意に空気が柔らかく震える。

 ふふ、と。それは世間一般で言う笑い声、では。

 怒ってないのかな? 恐る恐る見上げると、口元を押さえ笑うフェルさんの姿があった。


「えと、フェルさん?」


 呼べば、上目遣いで見返される。うん、楽しそうな目をしてらっしゃる。


「気にするな。良いように取る事にする」


 良いように取る。ってどの辺を。どの辺に良いポイントが。

 さっぱり理解できない私を余所に、フェルさんはまた、楽しそうに咽喉を鳴らした。

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