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断片その一(14)

 朝ご飯を終えた後、皿洗いをこなすフェルさんの後ろ姿をぼんやり眺めた。

 背の高さ故、背中が丸まっている。紺地に白の水玉のエプロンを着けた時は、流石に吹いたけれど、似合わないという訳ではない。可愛いかった。失礼かもしれないから言ってないけど。

 カチャカチャと食器が小さな音を立てている。手元のアイスカフェオレを一口飲んだ。


「フェルさんの国って」

「ああ」


 手を止める事無く、フェルさんは相槌を返す。


「戦争中なんですよね」

「そうだ」

「それって、誰が決めるんですか? 隊長さん?」


 絶え間なかった食器の音が止む。


「王が、我が国王がお決めになる」

「お――」


 王様。

 とは、また、えらく縁遠い言葉が出て来たものだ。ちょっとだけ驚いて、瞬きしていれば、水音が響いた。フェルさんが蛇口を捻ったんだろう。


「王様、ですか」

「そうだ」


 再び食器が鳴り始める。

 王様居るんだ。王様と言えば国の象徴。縁遠いとは言え、魔法や竜なんかよりよっぽど現実味を帯びている。


「それは何処の国にも居るんですか?」

「私の知る限りでは。名を変え、形態を変え、それでも誰かに統治されている。仕組みは変わらず、その誰かの元に、国民は在る」


 フェルさんの長い手が、脇に移動する。水の滴る皿が、水切りの中へ収まって行く。


「――在る、筈なのにな」


 小さな呟きだった。それは私にというより、独り言。聞き取りづらいものだったが、聞こえてしまった。

 手元のカフェオレに目を落とす。聞こえなかった事にした方が良い気がした。


「我が国王は、まだ年若い」

「え、そうなんですか? 若いってどれくらい?」

 キュ、と蛇口が閉められる。振り返ったフェルさんは、エプロンで手を拭っていた。

「今年で齢九つになられる」

「九歳!?」


 いくら何でも若過ぎだ。九歳児に国が背負えるとは到底思えない。


「え、じゃあその、九歳の王様が戦争を?」


 それって簡単に従えるものだろうか。いくら王様だからって、九歳児の言う事だ。

 フェルさんは掛けてあった布巾を取ると、小さく苦笑した。そして再び背を向けて、作業を再開する。


「先程も言ったが、王はまだ若い」


 若過ぎです。


「あの方お一人で(まつりごと)を行うのは矢張り無理と言うもの」


 うんうん、そうだろうそうだろう。


「だから実際に国を動かしているのは、政司院(せいしいん)と呼ばれる、古参共だ。国王等名ばかり。今は政司院の言いなりだ。お飾りもいいところだな」


 随分刺々しい言い方だ。つい息を潜めて彼を伺ってしまった。

 食器を拭くフェルさんの背中からは何も読み取れないが、言葉には確かな嫌悪が籠もっていた。


「国王と言えど全てではない。それは、私も判っている。けれど今のあの方は……」


 いつの間にか、手が止んでいた。


「すまない、少々私情を挟んだ」

「あ、いえ」


 フェルさんが僅かに首だけで振り返り、私は漸く圧倒されていたのだと気が付いた。

 新たな一面てやつだろうか。彼はずっと穏やかだから、ううん、穏やかだったから、珍しい物でも見た気分だ。まあ、誰にだって嫌いな物ぐらいあるだろう。

 好き嫌いの問題でもないか。何やら複雑そうだし。


「でも、決めたのは王様なんですよね?」

「そうだ、お決めになるのは国王だ。政司院の言いなりでも、王が下された命は、私達には絶対」


 そういうもんだろうか。馬鹿な上司を持つと、部下は大変、みたいなものか。否違うか、違うな。うーん、私にはちょっと理解出来そうにない。

 戦争は命のやり取りだ。上司が死ねと言っても、死ぬやつは居ない。


「そういうものですか」

「そういうものだ」


 最初に抱いた感想をそのまま口にすれば、思ったより柔らかい声色で肯定された。

 フェルさんは布巾を元に戻し、重ねた皿をシンク上の棚に仕舞い、くるり、振り返る。つい注視してしまった。

 普通の、別段変わった様子もない、男前さんだった。やっぱりエプロン姿が可愛い。見つめていたら、不意にくすりと笑われて、首が傾く。


「そんなに、不安そうな顔をしなくても」

「え、え、」


 慌てて両手で頬を押さえる。私不安そうな顔、してたか? 触ってみても判らない。


「別に私は、自分の国が嫌いだとか、国王が嫌だとか、そういう訳じゃない」


 頬を挟んだまま見上げる私の前で、フェルさんはエプロンを取り去り、椅子の背に掛け両手を付く。


「確かに、今の国の在り方に不満はある。しかしそれも、国土が蝕まれているが故。せめてもう少し、土地が潤えば、あの隣国の豊かな土地を、少しでも分けて貰えていたなら。そうしたら、あの方の崩御も、無かった筈なのに」


 そう言ってフェルさんは、瞳を伏せた。何かを悔いているような、刻まれた眉間の皺は、深く、影を作っていた。

 痛そう、だと思った。

何故そう思ったのか。陶器のようにきめ細やかな肌には、傷一つ無いのに、それでもそう思った。


「私、今、」


 これは、私の理解出来っこない、話である。

 頭では情報として処理出来る。それに伴い想像も出来るだろう。

 けれど想像は、あくまで想像でしかない。私にフェルさんの気持ちを理解する事は出来ない。私は私に置き換えて、判ったつもりになるだけである。

 それでも――


「お休みなのかな、って思いました」


 俯いていた彼の顔が、僅かに上がる。数度瞬き、続きを即すような目で、私を見た。


「フェルさんは、此処に、お休みに来たのかなって。何となくですけど」


 世間話のつもりが、思いもよらない所で彼の暗い部分を覗いてしまった訳だけれど、それはそれで良かったと思う。

 痛いという事は、傷付いているって事で。

 彼を傷付けたものがあったって事で。

 それは此処から遥か彼方に遠退いてしまった。

 此処に居て、痛みを思い出す事もあるだろう。

 けれど新しい傷を負う事はない。

 だから此処に、来たのかなって、そう思えば少しは通じる気がした。

 意味を見出だしたかっただけかもしれない。不安だから、理由を付けて安心したかっただけかもしれない。それでも何も無いよりマシだと思った。


「休み、に?」

「勝手な推論ですけどね」


 憶測以外の何物でもない。

 ぽかんとしたフェルさんに、にへらと笑う。能天気と言われてしまいそうだが、ただでさえ暗鬱となってしまいがちな事態を、わざわざ重い方へと運ばなくてもいいんじゃないかと思う。


「一先ずそう考えるのもありじゃないですか」


 一先ずそう思えば、無意味な日々も、少しは意味のあるものになると思うんだ。

 だから私は、今は愚者で在ろう。楽天的で能天気な、愚者で在ろう。

 それから私達は、色々な話をした。



 フェルさんの所属する部隊は、王宮の軍だそうだ。

 因みに政司院には、一応政司院の軍があるらしいのだが、数で言えば王宮軍に勝るものではない。それは当然だろう。でも、王宮軍は今や政司院の好きにされてしまっている。

 王宮軍を政司院の持ち物か何かだと勘違いしている者まで居るそうだ。あいつらの手先に成り下がったつもりは無いと、フェルさんは静かに憤慨していた。

 九つの王様は、五番目の末っ子だそうで、先の王様が流行り病に倒れ、兄達もまた同じ病に絡め取られ、残った跡取りが、彼だったとの事だった。母親は、彼を産んだと同時に命を落としたそうだ。

 この母親と言う人が、やたらと立派だ。痩せた土地では食料が限られ、その皺寄せは、必然的に国民へと向かう。まず貧しい者から命を落としていく。

 悲惨だと思う。食べ物が無くて、飢え死ぬ。現代では考えられない。そう遠くない昔にもあった筈の事なのに、今ではこの豊かさが当り前になっているくらいだ。

 お妃様は、そうした人達に、王宮の食料を施していたそうだ。時には自分の食事を取らずに割り当てていたと言うのだから、本当に立派な人物だと思う。その無理が祟って出産に耐えきれなかった、そう聞いた時には、関係無い私でも心を打たれた。

 ちょっとだけ涙ぐんだ私に、フェルさんは何故貴女が泣くんだと、笑っていた。

 だって悲しいじゃないか。色んな事が悲しい。フェルさんが土地を蝕む災害を憎く思うのも、頷けた。


 ――王は、可哀想な方なのだ。だから私達が支えて差し上げなければ。


 無理をして笑ったような、下手な笑顔だった。それでも優しく感じたのは、私もまた、可哀想だと思ったからだろうか。


 土地が蝕まれると、それが広がるにつれ、今度は病が流行りだす。貧困は環境を劣悪なものに変える。死なずとも良い病でも簡単に命を落としてしまう。

 元々抵抗力の落ちていた貧民は勿論、あっという間に広まって、国民の半数が病に侵されたと言う。

 そして、その魔の手は王宮まで容赦なく伸びる。

 八方手を尽くしたと言う。

 けれど彼の王は逝ってしまった。後を継ぐのは、幼い王子。


 魔法は何でも叶えてくれそうなイメージがあったけれど、本当は違うんだろう。彼の世界にも、立ち行かない事はある。

 科学が万能じゃないように、魔法も万能ではないようだ。北の魔女に星石を有るだけ差し出して頼んだが、治せないと一蹴された、って話があったくらいだ、魔法の力が及ばないものもあるのだ。


 話をするフェルさんは、楽しそうであり、懐かしそうであり、哀しそうであり、悔しそうであり、そしてやっぱり、痛そうだった。

 知りたい事と、知らなければいけない事とは、同じではない。

 知らない事と、知ろうとしない事も又、別物である。

 私は、彼をもう少し、知りたいと思う。

 勿論、一から十まで知りたい訳ではないし、不幸話に野次馬根性がそそられた訳でもない。

 痛そうだと思う度、聞かない方がいいのか、或いは聞く必要があるのか、躊躇ってしまう程だ。

 否、大抵の対話とは、両極に必要なものでは無い。聞いたところで、私には関係無い、そう言ってしまえば終わる、所謂他人事でしかないのだ。

 それでも話す。人と人は、話す為に言語を生み出した。儚くとも表面でしかなくとも、判り、合えなくとも――


 沢山話を聞いた。

 一日掛けて、沢山話した。


 彼の好きな物や、ルダスの事や、休日の過ごし方とか、彼の事を訊いた。

 休みの日は、結局いつもと同じく鍛練していると言っていた。休みの意味が無い。遠泳って。若しくは走り込みって。一日何しちゃってんのこの人は。休みなのだから休めばいいのにと言えば、他にする事も思い付かないのだと答えた。

 知り合いに何やら活動的、この場合フェルさんと違う意味で、活動的な人が居るらしく、付き合わされる事もあるそうだが、それ以外は概ね鍛練しているみたいだ。友人なのかと問えば、もの凄く強く否定された。ちょっと引くぐらい強く否定された。

 色々振り回されていい迷惑だと漏らす彼は、それでも、私には楽しそうに見えたんだけれど。

 友人、彼が言うには腐れ縁の知人の名は、ルアン。彼もフェルさんと同じ、竜使いなんだそう。

 ただ彼は何処にも属さない、所謂フリーの傭兵のような立場で、その生活ぶりは、気侭なものなのだと、フェルさんは溜め息混じりに言っていた。呆れたような顔をしていたが、否、彼にそんな顔をさせたからこそ、そのルアンさんは、家族のようなものかもしれないと、私には思えた。

 飯が食えないってのに、フラフラふらふら、私が居なかったらどうするつもりなんだあいつは、なんて、知人に対する言い草では無い。

 なんだか可笑しくて、笑ってしまえば、笑い事じゃないと言いながら、彼も微笑った。


 話す事は、傷を見る事。

 痛みを思い出す事。

 そして――


「だからそれ、友達でしょう」

「断じて違う!」


 知って、貰う事。


 それは、或いは知って欲しいとも言うのではないか。

 だから、フェルさんがフェルさんの意思で紡ぐ言葉を、必要か必要で無いかは関係無しに――知って欲しいと言うならば、そして知りたいと思うなら――


「困った知人だ」

「判りました。そういう事にしときましょう」

 納得のいかない顔を見て、クスクスと笑う。


 言葉を、重ねよう。

 私も、私を知って欲しいと少なからず、思うから。


 私は今日、彼と――



 ――知り合った。

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