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断片その一(1)

 社会人一年目っていうのは、毎日大抵ヘトヘトだ。

 やっと一通りの仕事を覚えたかと息吐く間もなく、サポートなしでの仕事に四苦八苦。

 それでも近頃は、なんとか人並みにこなせるようになった。残業だってここ最近はしないで済んでいるし。まあ、ストレスは溜まりっぱなしだし、目いっぱい疲れての帰宅は変わりないけれど。

 だからと言ってはなんだが、私は一人暮らしを初めて、まだ一度も自炊出来た試しがない。

 友人と飲みに行く事もあるにはあるが、経済的にやっぱり、お惣菜やお弁当をひとりモソモソやるのが常だ。


 偏ってんなあ、と思いながら、今日も重い足を引きずり、コンビニの袋を下げ、帰宅。

 アパートの二階、階段は正直うんざりさせるけれど、これを突破すれば愛しの布団が待つ我が家が待っている。


「あー、きっつい………」


 階段を登りきった所で、いつものように溜め息と共に吐き出す。夏の温い風は、汗ばんだ肌に何の効果ももたらさず、肩口を擦り抜けて行った。

 今年は猛暑である。猛暑。聞くだけで滅入る。ああでも、明日は待ち侘びた休日だもんね。しかも三連休。しっかり休んでストレス発散しよう。買い物にも行きたい。うん、ちょっと浮上。


 明日からの楽しみを思い、鞄と同じように気分も持ち直して、歩き出す。

 蛍光灯の下、鍵を開けノブを回すと、今日も真っ暗な部屋がお出迎えしてくれる訳だ。

 言っても仕方ないただいまを、小さく落としながら、足を踏み入れる。

 靴箱の上に鍵を置いて。

 ローヒールの口を脱ぎ捨て。

 ダイニングキッチンを抜けて。

 パチリ、と、手探りで入れたスイッチに従って、照明が眼球を刺激する。


「ひっ?!」

 そこで私は、びくんと肩を跳ね上げた。

 吸い込んだ呼気と一緒に漏れた、しゃっくりのような小さな悲鳴。どさり、と足元に落ちたビニール袋。フローリングに敷かれた白いラグ。そこに。


 誰かが、居た。


 部屋の半分を占めて俯せに、倒れている。

 ――ひとだ。

 人が居る。私の部屋に、人が。しかも倒れているときた。いやいやいや意味が判らない。

 ばくばくと激しく脈打つ心臓とは逆に、縫い付けられたかのように足が動かない。咄嗟に浮かんだのは、警察か救急かこの場合どちらだろうという疑問だった。もうかなりのパニック具合である。

 激しく瞬きして小さく頭を振り、その疑問を払拭する。開いたままだった口から、はふっと息が吐き出て漸く、僅かな理性が戻ってきた。意味判んないのはおんなじだけどね……!


 私は再び息を止め、ゆっくり、亀の歩みよりもゆっくりと、慎重に、左足を浮かせ、前に出し、また降ろす。右足も、同じように繰り返す。つまり前進したのだ。抜き足差し足、その人に向かって。足裏が床に付く度、細く吐いた息が震えた。


 その間、その格好の異様さが気になった。投げ出された足や手、横たわる胴体は、銀色の金属のような物に覆われている。肩もそうだ。肩本来のラインが、そこにすっぽりとかぶさった金属で見えない。掘ってあるのか、うねった模様が描かれていて、更にそれは、腰から膝裏までを覆う長い布の縁にも描かれていた。

 頭部分には何もない。右頬を下にしているらしいその左側の頭髪は青黒く、照明を艶やかに反射している。

 何のつもりだろうか、この出で立ち。

 長く長く、時間を掛け、その人の脇に立つと、そろり屈んで伺う。寝てるだけか、はたまた……怖いからやめよう。とにかく、ぴくりとも動かない。

 肘から下は金属の、小手のような物を身に付けている為、その上の部分を、用心しながら、爪先でひと突きしてみる。直ぐ様戻し身構える。どう見ても男の人だし、いきなり襲われる心配をしての用心だった。しかし、何の反応もない。

 様子をみながら、今度はふた突き。やっぱり、うんともすんとも言わなかった。

 少しだけ迷ったが、今度は思い切って声を掛けてみることにした。咽喉が渇いて張り付く。


「す、すいませーん……」

 待ってみたが、これも変化なし。此処で私は、大きな不安に襲われた。


 まさか、死んで……――

 ぶわりと全身に鳥肌が立ち、躊躇っていたのが嘘のようにその人に近付く。頬に掛かる髪を除け、口元に手を翳した。

 生暖かい微風が、手の平を擽る。ほっとした。あまりにもほっとして、身体が弛緩する。長い呼気を吐き出してぺたんと床にお尻を着いた私は、改めてその横顔に視線を移した。

 顔色は白んでいてあまり良くない。薄く開いた唇も、青ざめている。若い男だ。二十代前半くらいか。顎のラインが綺麗だった。

 ふと、男の脇にあった金属の塊が目に入る。

 なんだあれ。

 ヘルメットに似ていた。

 男と同じく、無造作に転がっている。羽根を模した金属が、飾りなのかくっついていた。うん、見ていてもまったく判らないな。て言うか何一つ判る気がしないなこの状況。


「どうしよう………」

 我ながら情けない声が出たもんだ。起きて欲しい気持ちと、欲しくない気持ちを、同時に感じながら、答えの出ない疑問を呟いた。



◇◆◇




 ひっくり返ってぐっちゃんぐっちゃんになったお弁当を食べ終えて、三本目のビールを空けて、四本目を開けるか否か、冷蔵庫の前で缶と睨めっこしていた時だった。いや飲まないとやってられなくて。

 僅かな衣擦れの音と、人の動く気配がして、振り返ると、起き上がった彼の後ろ姿が見えた。

 一応ベッドに乗せてみようと試みたが、無理だった。どう頑張っても無理だった。半端じゃないよあの重さ。すんごい汗掻いた。腕痺れた。あの金属外れないし。どうなってんだあれ。 結局タオルケットを掛けるぐらいしか、出来なかったのだが、そのタオルケットは、男が起き上がった事により落ち、男に不思議そうに眺められていた。


「……大丈夫ですか?」

 見ず知らずの他人、しかも不法侵入した怪しい男に、気遣いの言葉を掛ける。何でこんな事をしているのやら、自分でもよく判らない。

 男はふらりと頭を上げ、振り返った。ぼんやりと、見つめられる。揺らめいて、焦点が合っていないその瞳の色は、青かった。

 小さく狼狽える。まさかのブルーアイズ。頭髪が黒いから、意表を突かれたと言うか。油断してたと言うか。

 とにかく思わぬそれに閉口してしまった。揺れる青が、緩やかに瞬きを繰り返し――私にそう見えただけかもしれないが――、そしてみるみる、見開かれた。驚愕の表情という見出しが似合う、そんな顔だった。


「だっ、誰だ貴様!」

 びっ、くりしたー……。飛び退くように後退りされ、私の肩も跳ねた。男の腰がベッドにぶつかり、物音を立てた。


「なんだ此処は……何処だ……」

 男は私を気にしながら辺りを伺い、視線をあちこちに素早く飛ばしている。

 かと思えば、疑うように細めた目で、凝視される。


「貴様、何が目的だ……?」

 あれ、これ何だろう。どういう状況? 私、なんか物凄く敵視されてるんですけどって、えええ、ちょっと待ってよ何それ。


「や、あの、寧ろ私が訊きたいって言うか」

「惚けても無駄だ。私は口を割る気はない」


 うん、ね……………何の話だよ。

 きっぱりと言い切った男は、私がぎこちなく首を傾けたのを見て、漸く何かが違うと感じたようだ。お互いに目で相手を探る。


「此処は……?」

 先に口を開いたのは男の方だった。警戒しながらも、状況を把握しようとしているのが判る。


「私のうち、ですけど」

「何故私は此処に?」

「え、知りません」

「……は?」

 訊かれると思わなかった質問に、目を丸くした私。を見た男も、一瞬ぽかんと気を抜かれた顔をした。

 起きてからの反応を見てもしやと思っていたが、これはかなり厄介な事態なんじゃないか。

 その予想は当たる。

 男は自分が何故私のうちに居たのか、知らなかったのだ。それが判った時のショックといったら、暫し呆然とした程だ。また私が何も知らないのだと聞いた男も、呆然としていたから、二人揃って暫く固まっていた事になる。

 我に返った時でさえ、同時だった。見つめ合って、私達は漸く、これは双方望まない事態であったと認識し合った。


「そ、それで……貴方は、その、行く所というか、そういうのは……」

「ああ、うん、そう、そうだな。私は帰るよ」

 互いに謎は残るものの、男の台詞に心から安堵し、また男もほっとしたように、私達は僅かに口角を上げた。

 ずっと落ち着かず、結果お酒を必要以上に煽る羽目になったのだ。一刻も早く、この人には居なくなって欲しかった。

 酷いようだが、その後この人がどうなろうとぶっちゃけどうでもいい。


「世話をかけたな」

「いえ……」

 少し和やかになった空気の中、立ち上がった男を目で追う。ガシャ、ガシャ、と普通は鳴らないような足音が、男が歩く度に鳴る。

 確認するように玄関を指差された為、頷いてみせる。

 そしてドアの前に立ち、男は思い出したように振り返った。


「すまないが此処は、どの辺りだ?」

「駅はちょっと遠いので、此処からなら、タクシーが便利だと思います。乗るなら、出て右に進めば大通りがあるので、そこで……」

 変な顔をされた。まるで言葉が通じないかのような顔だ。

 瞳は困惑を浮かべ、訝しむように細まった。首を傾げながら、青い瞳で疑問を投げられて、何だろうと口を閉じる。あ、そう言えば言葉通じてるな。


「タク……なに?」

「タクシーです。すぐ拾えると思いますよ」

「タク、シー……」

 男は、考えるように青い瞳を動かし、顎に手を当てると、歯の間からシィーと息を吸い鳴らした。そして真面目くさった顔で――


「タクシーとはなんだ?」

 と言った。

 反応に困る。瞬きして見返すくらいしか出来ない。何言ってんのこの人。え、何言ってんのこの人。

 私の反応とも言えぬ微妙な反応に、男も何かを感じ取ったようだ。眉を潜ませ、小さな狼狽を瞳に宿らせる。

 そして私達は同時に、玄関の扉を見た。

 それは最初からあった。

 違和感。

 感じているのは、それだ。何かがおかしい。

 そもそも、こんな奇抜な格好をした男が、目覚めたら私のうちに居たという状況からして、無理がある。

 ……はい、うん。目を背けていた事を認めよう。

 あり得ない。どんなケースを想定しても、そんなのはあり得ないのだ。しかし。

 帰って来たら貴方が居た。

 私に判るのはそれくらいで、また事実である。何が、一体何が起こっている。この異様は一体何なのだ。

 私達は顔を見合せる。

 これ以上知れば、後には引けないだろう。今ならまだ、引き返せる。

 先に視線を逸らしたのは男。ドアを開けたのも男。

 その後ろ姿を、緊張しながら見守る。目張りはあるが、続き字ではない。廊下に出て、少し進めば外が見える筈だ。

 吸い込まれるように消えた背中。ガシャガシャと妙な足音だけが届く。


 どれくらいそうしていたか、開けっ放しの玄関をじっと見つめ続けていると、男が戻って来た。

 そのまま玄関で、まるで幽霊にでも会ったような顔して呆然と佇む。いや怖い。怖いから何か言って。

 ふらり、男が顔を上げた。心臓が一度大きく収縮する。身構えた私の前で、男は息を吸い込む。なんだ、どうした、何があったって――


「うああああー!!」

「ぎゃー!?」

 なに! ちょっ、なに!

 突然の大声に驚いて、私まで悲鳴を上げた。

 男は険しい顔のまま玄関を手で示したかと思うと、口を開け閉めしている。だが言葉は一向に出て来ない。

 えっ、え? なに、いやなによ!?

 眉を上げて伺うが、男はやはり口をパクパクさせるだけ。そして結局、


「っうあー!」

 とまた叫んだ。びくりと震える。

 この狼狽えよう。ただ事ではない。


「なんだ、此処は、何なんだ……」


 恐らく錯乱に近い状態なんだろう。男の目は泳ぎ、息が上がっている。また、中途半端に持ち上げられた手が、僅かに震えていた。

 そして 男は唇を引き結び、とても辛そうな顔で、私を見た。


「………私は、死んだのか?」


 とんでもない事言い出したんですけど……!

 ひくり、引きつった頬は、私の意思ではなかった。

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