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すれ違いの恋の行方

作者: 佐木 まこと

切ない恋愛が書きたい!と思い立って深夜のテンションで書いてしまいました。

表現が乏しいのは力量がないからです。

こんな物語よくあると思いますが、暇つぶしにどうぞm(__)m

良く晴れた日の天気予報は、それを伝える予報士まで明るくなるようだ。

今流行の4K薄型テレビは輪郭がぼやけることなく、はっきりくっきり映し出す。私はレースのカーテンを開け、窓を開放した。爽やかな朝の風が髪を吹き抜け、本格的な覚醒を促した。

欠伸を一つ、背伸びをして体を解す。洗顔をして軽く化粧を施した頃には眠気も無くなり、頭の中はスッキリ。だからテレビの中のアナウンサーが言っていることがはっきり分かった。

そのアナウンサーは新人時代、ミスキャンパスに選ばれた事のある綺麗な容姿と人目を引く良いスタイルがからか、男性からの支持が高い。


『なんと、人気若手俳優が熱愛!結婚報道まで出ていると言うことです!』


女性アナウンサーは熱の入った声で言った。

私は芸能人の私生活に興味なんてない。誰が誰と付き合おうが、結婚しようが、もしくは離婚しようがどうでも良かった。でも、次に伝えた情報で視線はテレビに釘付けとなる。


『その俳優は今や恋愛ドラマには欠かせない都賀つが暁人アキトさんです』

「……え?」


都賀暁人、女性なら誰もが憧れる人気俳優。その甘いマスクとは裏腹に切れ長の目と長い睫毛、スッキリと通った鼻梁。形の良い薄い唇から紡がれる甘く、蕩けるような台詞。

そして私、高山咲の――恋人。

まさか、そんなはずはない。結婚の話なんてしたことないし、二人で出歩いたこともない。今居るアキトのマンションはセキュリティの厳しいマンションで、エントランスには24時間管理者が常駐している。部屋に行くまでも3か所のICカード認証が必要だ。

アキトは芸能界のゴタゴタに巻き込みたくないからと、私を同じ世界の友人に紹介した事が無かった。私もアキトの負担になりたくなかったから、親にも友人の誰にも話した事が無い。

私はてっきり私とアキトの事が報道されていると思っていた。だから写真が映し出されて声の出し方を忘れた。テレビに映し出されていたのは、私とは似ても似つかない女性。

清楚な女優として男女共に人気があり、結婚したいランキングでは毎回上位に名前の挙がる男性の憧れの様な人だ。

テレビの中のアナウンサーは最後の追い打ちをかけるように、以前共演した時のドラマのキスシーンを流した。

映像を見た瞬間、ストンと何かが落ちて来て全部理解出来た。


「……なんだ、そっか」


うん、そうだ。そうだよね。私、馬鹿だな……。

二人で出かけたことが無いのは――勘違いされたくなかったから。

誰にも紹介しないのは――関係を切りやすくするため。

マンションに招くのは――忙しい自分に代わって家の事をやる都合の良い人間が欲しかったから。


「あは……」


馬鹿みたい。いそいそと通い妻しちゃって。週に一回も会えないことの方が多いのに。メールも電話も彼からの一方通行なのに……。

何を期待していたんだろう、全部私の勘違いだったのに……。

いつの間にかテレビはドラマを流していた。気付いたら座り込んでいた私は、冷たくなった手足に鞭打ち立ち上がった。

全部、全部なくそう。私の痕跡を、最初から居なかったかのようにきれいさっぱり。


私が選んで買ってきたお揃いの食器。一人で居る時に読んでいた本と、アキトと一緒に観たDVD。全部、全部一纏めにして、思い出と一緒に捨ててしまおう。

これが私に出来る最後の贈り物。

綺麗な思い出をくれたから。

一生かけても見ることのできない夢を見させてくれたから。

貴方を想う心ごと忘れる努力をするから……。

だからどうか……。

――幸せになって。




いつも以上に綺麗に掃除した床と、すべての部屋の空気を入れ替えたら、本当に私なんか最初から居なかったように感じる程、室内の空気が変わった。

慣れ親しんだICカードキーを手にエントランスに下りると、カードをアキトの部屋のポストに入れて出た。

外は私を嘲笑うかのように絵にかいたような青空が広がり、近くの公園からは子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。「マンションの近くに公園があるって良いね」って言ったら、「いつか犬を飼って一緒に散歩に行こう」なんて言った。きっとその台詞すら偽りだったのだろう。


「まぶしい……」


見上げた空は本当に眩しくて、針みたいに目に刺さった。だからきっと涙が出たの。


「さようなら」


会ったら未練が残るから、みっともなく縋りついてしまうかもしれないから、最後くらい自分勝手になっても良いよね?





私とアキトが出会ったのはチェーンの居酒屋店。その日は上京した友人と飲んでいた。その友人は中学の時の同級生で、成人式の時に久しぶりに顔を合わせたらなんか気が合って、それからずっと仲が良い。

中学の時の「役者になりたい」という夢を叶え、小さな劇団で頑張っていた。わずかではあるがテレビドラマへの出演が決まったのだと嬉しそうに報告があり、ささやかなお祝いをしていた時だった。

店内の細い通路、トイレに立った私の肩にぶつかった人が居た。「ごめんなさい」と反射的に謝ると「こちらこそ」って返され、自然な流れで顔を見ればテレビで見たことのある有名人。それがアキトだった。

まさかこんなお店にアキトのような有名人が居るとは思わなくて、思わずマジマジと顔を見ていると困ったように「なに?」と訊かれ、アルコールの入っていた私はニコニコと話していたのだと、後から思い出し笑いをしたアキトに言われた。


「いつもお疲れ様です」


労いの言葉と共に深々と下げた頭。酔っていた私は勢いのまま倒れそうになり、アキトに支えられた。アルコールが入ると陽気になる私はそれすら面白くて、感謝しながら笑っていた。


「ダメですよ~、触っちゃ。ん~、それより、貴方の様な人でもこういうお店に来るんですね?私の友人も有名になっても都賀さんみたいに、こういうお店で一緒に飲んでくれるかなぁ」

「君の友人も芸能人なの?」

「はい、小さな劇団で頑張ってるんです~。今日は、その子がドラマに初めて出演するので、お祝いなんですよ?」


思い返すたびに土下座で謝りたくなる。

その後、アキト方の友人とも合流し、一緒に飲んだ。そこは個室の居酒屋だったので、幸い騒ぎになることは無かった。

だからアキトとのことを知っているのは友人と、一緒に飲んだアキトの友人だけ。

仲の良い友人と縁を切るのは悲しいけれど、綺麗に忘れるって決めたから……。





実家暮らしの私の家からアキトのマンションまでは片道2時間以上かかる。新幹線なら速く着くけれど、料金の安い電車を使っていた。

お金を出すと言ってきた申し出を断って正解だったな……。お金で雇われていたって思いかねない精神状態だもの。

地元についた私はその足で携帯ショップに向い、新しい機種に替えた。番号もアドレスも変えて、これで繋がりは無くなった。仕事上必要な連絡先だけ残した電話帳は寂しいものになっていた。

翌日出勤すると、若い女性社員の話題はアキトの事ばかり。聞きたくもないのに耳に入ってくる。お昼は逃げるように外に出た。

一週間たっても、二週間たっても怖くてテレビは見られなかった。

アキトに関係の無い番組でも、CMで見るかもしれない。雑誌や新聞も生活から遠のいた。

毎週出かけていた私が家に居るのを不審に思った姉が、何があったのかと尋ねても、「なにもないよ?」と返すのが精一杯。


「ねえ、咲。暇なら温泉いかない?」

「温泉?」

「うん。今の時期なら旅館も空いてると思うし……」


私の返事も聞かず、言うなりスマホを操作して予約を取ってしまった。

飽きれた――いや、見事な行動力だ。

旅館には姉の運転で向かうことになった。今更ながら思うことがある。


「姉さん、義兄さんは良いの?」


姉は数年前に結婚し、家を出ていた。義兄は穏やかながらも芯の強い人で、私もいつかはこんな人と一緒になりたいと思った。


「大丈夫!実はね、勇さんが言ったのよ『咲ちゃん悩んでいるみたいだから、みのりが話を聞いてあげなよ』ってね」

「……そんなに私、分かりやすかった?」


上手く演技出来ていたと思っていた。

変わらず起きて会社に行って、ご飯を食べて、笑って……。


「分かりにくかったわよ。でも、私は咲のお姉ちゃんだからね。勇さんだって咲の義兄さんだし。家族は大切だから、変化に敏感なのよ」


前を向いたまま運転する姉の横顔は慈愛に満ちていた。あと数か月で母になる姉。だからこそ敏感になっているのかもしれない。


「それにね、子供が生まれたら簡単には咲と温泉行けなくなっちゃうから、今のうちにと思って」

「姉さん……」

「私も温泉入りたかったし!」


今から行く温泉は湯治で有名な場所だった。そこならこの見えない傷も癒せるのかな……。

着いてから浴衣に着替え、夕食の前に温泉に浸かることにした。他のお客さんは居なく、貸きり状態だ。

体を洗い、湯船に浸かる。温めの露天風呂からは夜空がはっきり見え、綺麗な三日月が映えていた。

虫の声に風の音。私が立ち止まっても時間は流れ、世界は動いている。ずっと蹲っていることも出来るけれど、それじゃあ前に進めない。

横を見れば同じように月を見ている姉。


「私ね、失恋したみたい……」

「そっか……。咲、泣いた?」

「え?」

「やっぱり泣いてないのね。咲は昔から辛いことがあると我慢しちゃうから、そうだと思った」


そうだったっけ。覚えてないや。


「我慢するとね、ず~~っと心に残っちゃうよ?涙は一緒に辛いことも悲しいことも流してくれるの。だから、泣いていいのよ?」


「泣いていい」そう言われてスイッチが入ったように大粒の涙が零れ落ちた。子供みたいにわんわん泣いて。涙が、声が枯れるまで泣いた。

姉さんはずっと隣で月を見ていた。声を掛けるでもなく、宥めるように髪を撫ぜるでもなく、ただ隣に居てくれた。その優しさが嬉しくて、また涙が出た。

それから部屋に戻って料理を頂いて、ぐっすり眠ると翌朝は久しぶりに目覚めが良く、頭がスッキリしていた。





温泉から帰ると母に電話が有ったことを伝えられる。急用があればスマホに連絡が来るはず。そう思っていると相手は一方的に連絡を絶ってしまった友人の千華ちかだった。アキトとの関係をしる数少ない友人。

折り返し連絡をするようにと番号まで母に伝えて……。



呼び出し音が鳴る。ずっとこのままなり続ければいいのに。なんて思っていたら千華が出た。でも私は黙ることしか出来なくて、『もしもし?』という千華の声を聞いていた。


『咲?咲でしょ!?急に連絡取れなくなったから心配したじゃない!』

「……ごめん」


スマホの番号が変わっていて連絡が取れなくなった千華は、実家に電話して私の家の番号を調べてもらったらしい。


『もういいわ、無事だって分かったし……。都賀さんと何があったの?』

「っ――!」


受話器を持つ手がビクッと震える。

聞きたくない。その名前は――キキタクナイノ……。


『咲?黙ってちゃ分からないわ。あんなに仲良かったじゃない……何があったのよ?』


仲良くなんてないよ。私はアキトにとって都合の良い人間。千華が勘違いしてるだけ……以前の私と同じように。


『都賀さん、心配してたわよ?最近じゃ――』

「止めて!!」

『咲?』


止めて、やめてよ!

心配なんかするはずないでしょ?

お願いだから夢を見させるような事言わないで。

せっかく諦めようとしてたのに……。


「私達、千華が思ってるような関係じゃなかったんだよ。人の目から隠したい、家政婦代わりの都合の良い人間だったの!」

『……あんた、何を言ってるか分かってるの?』

「分かってる!私はもう邪魔なの、アキトの幸せの邪魔なのよ!私が居たらアキトは幸せになれない……」

『ニュースを、観たのね?』


私は電話口で頷いた。涙で顔はぐちゃぐちゃ、嗚咽は止まない。

何でこんな辛いことを言わせるの?

私に再確認させる意味って何!?

千華は長いため息を吐き、約束を取り付けた。

来週の土曜日、指定したイベント会場に来るように、と。



土曜日になり、陰鬱な気持ちのまま会場に向かった。そこは映画の製作発表会場で、ファンに対してのイベントだった。

千華に引張られるようにして向かうと、入り口に“都賀暁人”の文字が……。


「千華、私、いや……。帰りたい……!」

「駄目よ。咲には自分の眼で見る責任があるの」


怖いくらい張り詰めた緊張感が漂う。色めき立つファンをよそに、私は貧血を起こしたように目を回しそうになっていた。それは椅子に座っても収まらなくて、俯いて意識を保つのが精一杯。

私とは対照的に幸せそうな顔で映画の出演者をまつ人達。自分にだけ舞台のスポットが当たっているかのように別世界だ。

悲劇のヒロインじゃないけど、今私は世界で一番不幸だと思った。

時間になって出演者が出てくると、黄色い悲鳴がそこかしこから上がる。緊張からか、手にはじっとり汗をかいていた。


「――役、都賀暁人さん」


司会者が名前を呼んだ、それだけで世界が大きく揺れた気がした。

話しなんて一つも入って来ない。顔は、上げられなかった。早く終わってと祈り、終わった時は心から安心した。これでやっと解放される。でも、本番は終わってからだったのだ。


出演者が退場してもファンの高揚感は去らない。それどころかいっそう高まって行く。退出の声が掛からない会場は異様なテンションで満ちていた。


「キャー!あきとー!!」


何が始まると言うのだろう。まだ私に処刑台に上り続けろというのだろうか?

だれに謝ればいい?だれに謝れば、この苦しみから解放してくれるの?

緊張から解放されない、もういい加減吐きそう。


「咲、顔を上げて」


いやいやと俯いたまま首を振った。千華は私にだけ聞こえる小さな声で、しかし強く「上げなさい!」と言った。

恐るおそる顔を上げると、光を浴びるアキトの姿。数週間ぶりに見るアキトは、記憶の中のアキトと違い見るからにやつれていた。


「……アキト?」


顔色が悪い。薄っすら頬がこけている。

体調管理には人一倍自分に厳しいアキトがなぜ……?


「咲が出て行ってからまともに寝られてないみたいよ。食欲もなくなって、マネージャーが無理やり食べさせているんですって」

「なに、それ」


まさか、そんなはず……。

だってアキトは今頃あの女優さんと幸せになっているはずでしょ?

なのに、何で……。

混乱する私をよそに、アキトはマイクを手に取り、前に一歩出る。テレビでも見ない真剣な顔つきに、騒いでいた人たちも静まりかえった。


「皆さんに報告したい事があります。先日出た僕の熱愛報道ですが、アレは偽りであり、事務所からのコメントも真実ではありません」


私はあの日以降テレビも新聞の雑誌も見ていない。だからアレからどんな進展があったのか分からない。


「――さんとは共演者と言う以外の関係はありません。様々な情報で混乱させてしまい、申し訳ございませんでした」


深々と頭を下げるアキトを見て、胸が締め付けられる。本当は今すぐ走り寄って抱きしめたい。でも、あの報道が嘘だったとしても、私との関係が偽りではなかったと言う証拠はないのだ。

私はアキトに声を掛ける権利も、傷ついたアキトに触れることも出来ない……。

――アキト……!

叫びたい。名前を呼んで、抱きしめて笑い合って……。以前のように温もりを分かち合いたい。

だけどそれはアキトの特別な人がやる事。私じゃない。


「そしてもう一つ、聞いて頂きたい事があります。僕、都賀暁人には大切な人が居ます。泣き虫なくせに我慢して、負けず嫌いで……。そのくせ勝手に僕を諦めた世界で一番大切な人です」

「っ、ア――」


ダメ、何を言うの、アキト。

そんなこと言ったら私、誤解してしまう。

また夢の続きを望んでしまう。


「その人は最初から僕を僕として見てくれました。初めて会った僕に『お疲れ様です』って言った時の笑顔は一生忘れられません。抱きしめると腕の中で真っ赤になる。キスをすると僕の胸に顔を埋める。手を繋げば『恥ずかしいね』って照れる。そのどれもが僕には宝物で……。だから今まで言葉なんて要らないと思って言わなかった事を後悔しています」


しっかり聞きたいのに心臓の鼓動が煩い。アキトの一言ひと言が胸に響いて、暖かな涙が次から次へと流れる。

スッと流した目線がぴたりと合った。ドキンと心臓と心が跳ねる。


「言葉なんて要らないと思っていました。いつまでもずっと傍に居てくれると当たり前に思っていた。貴女の優しさに甘えていました。貴女が僕の傍から消えて、自分の弱さに初めて気付きました。世界が色付くのは貴女が居てこそ。ずっと僕の傍に居てください。そして僕に「好きだ」と「愛している」と言わせて下さい」



案内係が退出を促しても、私は椅子に張り付いてしまったかのように動けなかった。千華が泣いている私に買って来たペットボトルの水を差しだす。有難く受け取ったそれは火照った頬を優しく冷やしてくれた。


「都賀さんから電話があったのは咲が出て行ったその日。帰ったら咲の物が無くなっていて、鍵まで返されていた。連絡を取ろうとしても取れない。ってね。すごく焦ってた」

「……」

「私が連絡しても繋がらないし、都賀さんとの関係を知ってたのは私くらいだから他の人にも聞けないし……。もしかしたらと思って実家に電話して良かった。……これで分かったでしょ?アンタがどれだけ馬鹿な勘違いをしてたかって」


言葉も無く何度も頷いた。

傷つけられたと思っていたのに、本当は傷つけていた。

あんなにやつれて弱ったアキトを見たのは初めて。

暫くするとスタッフの方が来た。早く出るように言われるのだろうと思っていると、アキトが呼んでいると言う。


「行ってきなさい。で、今度は自分の気持ち、ちゃんと伝えな」


スタッフの方の後ろを歩いている間、これは夢なんじゃなかと思っていた。

アキトと恋人じゃないと思って覚悟を決めてマンションを出たあの日から私の世界から色が失われた。何をしても心が動くことは無く、何を見てもアキトと繋がって辛かった。

でも、それはアキトも一緒なの……?

案内された部屋に入ると、もう懐かしくなった香りがした。アキトの香りだ。

ツンと鼻の奥が痛くなる。

私を真っ直ぐに見るアキト。それだけで崩れ落ちそうだった。


「さき……?」

「――っ!」


久しぶりにその声で呼ばれた名前は、特別なものに聞こえた。

ずっと会いたかった。邪魔だと思った。私が居たら、アキトの迷惑になる。アキトの幸せの為には私は居ちゃいけないんだと。

アキトが本当に、ほんとうに嬉しそうに微笑んでいるから。私も笑おうと思ったけど、嬉しさと申し訳なさで顔は歪む。

スッとアキトの足が前に出た。私の肩がビクッと揺れる。その歩みが止まるくらい、私は言葉を吐きだしていた。


「ごめんなさい。勘違いしてごめんなさい。勝手に出て行ってごめんなさい。連絡しないでごめんなさい。アキトが、――アキトがそんなに苦しんでいるなんて知らなかったの。私が居たら、アキトが幸せになれないって……」

「うん。でも、謝るのは俺でしょ?咲に辛い思いをさせたんだから」

「違う!勝手にアキトの気持ちを勘違いして逃げたのは私よ!アキトの想いに気付かないで逃げて、そんなふうに弱ってることも知らなかった……!」


だからもう、アキトの傍に居られない。そう言おうと思ったけど、声にならない声しか出てこなくて、私は嘘でもこの台詞は言えないのだと実感した。

身を切り裂かれるような痛みをともなう想いは、アキトだから。

私を傷つけられるのも、幸せに出来るのもアキトだけ……。


「……好き。好きなの……。す、」


「好き」と続く言葉はアキトに抱きしめられて途切れた。

ああ、アキトだ。

この体温も、香りも、抱きしめる時の強さも、間違いなくアキトだ。

私よりも頭一つ高い背。私が背中に腕を回すと、より一層強く抱きしめる癖もそのまま。


「好き。好きなの……。」

「うん、……うん!俺も、大好きだよ。……ずっとこうしたかった。咲が居なくなってから眠れないんだ。やっと寝られても勝手に手が咲を探してる。何を食べても味なんかしないし、このまま会えないのならいっそ……。そんな馬鹿なこと考えてしまうくらい会いたかった」


少し体を離すと、アキトが泣いていた。泣く事なんて芝居以外にないと言っていたアキトが泣いている。

いつかの居酒屋のようにまじまじと顔を見ていると、頬を流れる涙を指の腹で拭ってくれた。


「言って欲しい。何が咲を苦しめたのか。俺は咲の事になると上手くいかないことばかりだ……。だから言って欲しい」


私は今まで思っていたことをぶつけた。するとアキトは目を閉じ、きつく眉を寄せて眉間に皺を深く刻む。聞きたくないんじゃないかと思って話を止めると、辛そうな表情だけど「続けて?」って言うから最後まで言った。

言い終わった私を目開けたアキトが捕える。その瞳は悲しみと後悔の色が見て取れ、私まで痛みが襲う。

言わなければ良かった。そうしたらアキトを傷つけることもなかった。やっぱり私は馬鹿だ。


「咲、今言わなければ良かったと思ってるでしょ?」

「……うん」

「違うよ。俺は言ってくれて良かった。これからは前より咲を大切に出来る……。二人で出かけなかったのは、誰にも邪魔されたくなくって、ずっと咲だけを感じたかったから。誰にも紹介しないのは、どこから俺らの関係がばれるか分からないから。マンションに呼んでいたのは、咲が家に居てくれると思うと、どんな仕事も頑張れたから」


本当だろうか……。未だに疑ってしまう自分が情けない。


「信じられない?」

「……」


私は答えられなかった。「うん」と言いたいのに、言えないもどかしさが体を占める。


「高山咲さん」


急に距離を取ったアキトは私の左手を取るとポケットから何かを取り出した。いつの間に用意したのか、私の左手の薬指にピッタリな指輪。

嵌め込まれた指輪がおかしいくらい指に馴染んでいるのはアキトが相手だから?


「ずっと大切にすると約束します。だから俺と結婚してください」

「……私、馬鹿だからまだ疑ってるんだよ?こんな気持ちのままじゃ一緒になれない。アキトを苦しめるだけだもん……!」


だから結婚は出来ないと言おうとした瞬間。今までより深い口づけをされた。まるで体を重ねた時のように深いキスは、身も心も解かしてアキトと一つになる。


「ん、ふっ……。アキト?」


唇を離してもまだ繋がっているかのような感覚。

ずっとしていたかった。ずっと、アキトを感じていたかった。


「それでもいい。……いや、違うな。咲の不安が無くなるまで俺が待てない。今すぐにでも籍入れて、咲は俺のだと言ってまわりたい。咲を苦しめた俺が言うのもなんだけど、咲の傷は俺が治すから!不安な事があったら言って欲しい。今度は言葉で伝えるから……、何度でも、咲が信じるまで」


もう枯れたと思っていた涙が溢れて止まらない。

このまま流れ続けたら、体中の水分が無くなって死んじゃうんじゃないかな。

そう言ったらアキトが、「咲が嫌がっても口移しで水分補給してあげる」と耳元で甘く囁いた。


「高山咲さん。俺と結婚してくれますか?」

「……はいっ!」





きっとこの先も小さなすれ違いは一杯あると思うけど、その度に二人で話し合って生きていこう。

晴れた日は手を繋いで犬の散歩をしよう。

子供が出来たら、パパとママがどれくらい君を愛しているか教えてあげよう。

そうやって二人で歩んでいけたらいいね。



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