この世で最も罪深い人さえも、肯定するような究極の方法があるとするならば
長くなってしまった。僕が言いたかったのは以下だけ。
「僕は、例え何があっても、僕なんだ。そして僕はいついかなる時も、肯定される存在なんだ。」
この世の中はいつも結果ばかり見られ、弱者は存在さえ許容されない。
だから僕はこの世に存在するすべての弱い人のために、自分を絶対的に肯定する普遍の方法を考えたかった。
もし僕が「自分」という存在を常に絶対的に肯定する方法を見つけようと言うのであれば。
僕は、この世に生を受けた人の中でも特別優れた存在という訳では無いので。
必然的にそれは、この世に存在するすべての人類に適用されなければいけない。
「自分」。この自分たった一人を絶対的に肯定するという方法を見つけようとするが為に。
僕は、この世に存在するすべての人類に対して普遍的に適用される「自己肯定の方法」を探さなくてはいけなくなってしまったようだ。
この際、やはり最も問題となるのは、罪を犯した人だろう。
今のこの世の中で、最も罪深い人。その人さえも、承認し、認め、受け入れ、肯定するような方法。
そんな方法はこの世に存在しているのだろうか?難しい。とても難しいと思う。
文章は途中になるが、ここで結論を一度書こうと思う。それは「常人である僕にはとても答えられない」ということだ。
僕はそこら辺にいる愚かなものを寄せ集めた中で、その中でも一等劣るような頭の悪い人間だからとても無理だ。
そういう結論になると思わないか。
しかし、もう少しばかり話をさせてほしい。
例えば、ある日突然、地震が起こったり、津波が起こったり、噴火したり、大風、竜巻が起こったり。
それによって大勢の尊い命が失われたりする。一体、それは誰の罪なのだ。一体罪とはなんなのだろうか。
例えば、一人の人間が無差別に他の人を、もっとひどい時には幼気な幼児を数十人と殺害したとする。
これは一体この犯人一人の責任なんだろうか。逆に言うとそれで済まして良いような問題なんだろうか。
親はどうだろうか、周りの環境はどうだったんだろうか、当時の社会情勢はどうだったのだろうか。
もっというと、例えば遺伝的な欠陥等が見つかった場合、それはその人個人の問題だったのか、あるいはその遺伝子を持つ人間だったら、誰しも起こしうるような問題だったとみなされるのだろうか。
僕個人の感情から言わせてもらうと、幼気な幼児を自分勝手な理由によって殺害するような人間を決して赦すことは出来ない。
罪は決して消えることなく、絶対に償われなければならない。
僕個人としてはそうだ。
しかしきっと、この世の背後にいる超越した存在ならば、その理由や意味合いを答えられるのかもしれない。
故に僕はこう答える。僕はこの世のあらゆる事象を司り、そして時として奇跡を起こすような存在としての「神」を認めはしない。
この世には奇跡は存在しない、ただ、あるが物があるがままにあるだけだ。
だが、この世にはあらゆる物質、あらゆる時空を超越する「大いなる何か」がいるはず。
僕は宗教も信じていないし、占いも運命さえも信じていないから、これについて明確に説明することはできない。
でも、確信はある。いや、この確信こそが生きるということなのだ。
僕は一握りの土塊から産まれた訳じゃない。肉のある父と母から産まれた。
そしてその父母もまたそれぞれの両親から産まれたのだ。
僕を構成する物質は、この地球という星からお借りしている元素に過ぎない。
僕が死んで生き物から物質になれば、肉体は燃やされ、地球に還元される。
僕はまったくひとりぼっちじゃない。僕はこの世界に比べたら本当にちっぽけな存在でなんの影響力もない。
でも、僕は世界の一部だ。この世界が何かしらの動きを行い、その過程で僕はこの世に産み落とされた。
僕をこの世に産み落としたこの世界の力とは何だろう?偶然。そうまったくの偶然なんだ。
しかし、その偶然によって生み出された一つ一つの事象が驚くほど見事に調和して、そしてこの世界を回しているじゃないか。
僕は神も奇跡も信じない。否定する。でも、この世の中は。この途方もなく大きな世界には。必ず意味が存在している。
この場合の「意味」という単語は、我々常人が日常生活で使う「意味」なんかとは全然違くて、もうスケールが違い過ぎて、決して認識することなんてできないんだ。
そして我々常人がそれを理解するための、証拠だの根拠だのを提示することなんていうのも、必然的に不可能という事になるんだ。
僕は思う、まずこの世界が存在するという事に、必ず意味はある。
故に、この世界に密接につながっている人一人一人の存在にも、必ず意味はあるんだと。
そして、意味ある人生を送る一人一人は、無条件で「肯定」される。
そして、この世界が持っている膨大な量の、圧倒的な量の「意味」そして、それ故に「万人がみな肯定される」という仕組みは、そのスケールがあまりに大きすぎるが故に、凡夫たる我々には決して理解できない。
でも、その仕組は確かに存在しているんだ。
これが、僕がたどり着いた限界。
これだけ、よくわからない事を書いてみたけども、僕が言いたかったのはただ一言。
「僕は、例え何があっても、僕なんだ。そして僕はいついかなる時も、肯定される存在なんだ。」