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紙の隙間  作者: 空覚え
2/3

 朝。

 こんな事があっても、いつものように僕は学校へ向かう。

 姉はほぼ一日中家にいるので、ミコの世話の心配はいらないだろう。

 むしろ、遊び相手ができて、姉的にもよかったのかもしれない。

 学校につくと、いつものように志穂ちゃんが女子を遠ざけてから、

「御栗、今日は蔵、見せてもらうからね」

 そんな事を言った。

「志穂ちゃんは、ミコの事もう信じてるんじゃないの?」

「それはそれ、これはこれよ」

 ジェスチャー付きだ。そういうものなんだろうか。

「それに、なんだか面白そうじゃない」

 そんな笑顔で言われては、止める気もなくなってしまう。

 思えば、小さい時も志穂ちゃんは、探検とか冒険とかの単語が好きだったような。

 いつも手をひかれて、連れ回されていた気がする。

 そして、二人で生傷をこさえて、家に戻るのだ。なんだか懐かしい。

 あのころの志穂ちゃんは髪も短かったな。

 教師の話を聞き、黒板をみて、ノートをとり、時には答案用紙を埋め、昼休みになった。

 抜き打ちテストが出てきた時、志穂ちゃんは頭を抱えていた。

 僕と志穂ちゃんは、普段そうしているように、屋上へ向かう。

 雨の日は教室で食べることもあるけど、クラスメイトの視線が若干気になるのだ。

 今日はサンドイッチが弁当箱に入っていた。

 そして、水筒にはコンソメスープ。

「姉の中で、水筒にお茶以外をいれるのが流行ってるのかな」

「昨日はカレーだったよね。私のお茶飲む?」

「うん」

 代わりに、スープを注ぎ渡す。

 水筒には蓋が二つついているので、二人でちょうどいい。

 もしや姉はそこまで考えてるのだろうか。まさかね。

 昨日と違って、晴天で気持ちいい。

「今日テストだったねえ」

「う、嫌なこと思い出させないでよ」

「僕は体力をつけるべきだけど、志穂ちゃんは勉強を頑張るべきだね」

「そうなんだけど、難しいのよね。覚えることが多くて」

 サンドイッチは、しっかりと肉の味がして、それと野菜の爽やかさが一緒になって、美味しかった。

 こっちの方は卵かな。

「あの後、ミコはどうだった?」

「特に問題はなかったよ。ところどころ子供っぽいけどね。もちろん、まだ犬の姿には戻ってないよ」

 はたして戻ることはあるんだろうか。僕としてはどちらの姿でもいいけれど。ずっとあのままなら、犬小屋を片付けるのもいいかもしれない。

「ふうん。でも、大丈夫か。御栗のお姉さんって、ちゃんとしてるし」

「えっ」

「ん?」

 志穂ちゃんが、姉に対してそんな認識だったとは。そういえば、いつも敬語だった。訂正するほどではないけど、少し驚いてしまった。

「そ、そうだね。今頃、家でミコのお世話ちゃんとしてるはずだよ」

「そうだよね。私もあんなお姉さん欲しかったなあ」

 そんな遠い目でぼんやりとされても。

 それからも適当にお喋りして、食事を終えて、僕たちは教室に戻った。

 そのまま午後の授業も終え、家に戻る。

 志穂ちゃんも一旦自分の家に戻り、着替えてくるみたいだ。

 我が校の制服は、黒っぽいブレザー。志穂ちゃんのスカート姿は学校でしか見れない。

 頼み込んだら、外でも履いてくれるだろうか。そんな恥ずかしい事できないけれど。

 すぐに志穂ちゃんはやってきた。

 二人で蔵の前に立つ。ミコと姉は来ていない。

 僕が家に戻った時、姉はミコの耳をふにふにと触っていた。ちょっと羨ましい。

 昨日ちゃんと鍵をかけておいたので、それを開け、蔵に入る。

「う、埃っぽい」

「マスクでもつけてくればよかったね」

 一度入ったのに、なんの対策もしていなかった。

「昨日はここで、変に光ってる本があったんだよね」

 いつのまにか意識を失っていたけど、確かにあったはずだ。

「それって、あれのこと?」

 二人で奥に入ると、志穂ちゃんがそれを指さしながらそう言った気がした。

 ちゃんと聞こえないくらい、意識は薄れていて、そのまま。

 

 そのまま、気づいたら砂浜にいた。

 暗い蔵からなので、太陽が眩しい。埃っぽかった空気は、澄んだものに変わっている。

「う、うーん」

 僕より遅く、志穂ちゃんもこの場所に気づいたようだ。

「な、なに。なんで。私、蔵にいたはずなのに。え、砂? 海?」

 砂を握ったり、自分の頬を触り確かめたり、しきりに驚いている。

 普段、僕より感情豊かな志穂ちゃんらしい。

「あ、御栗。良かった」

 ようやく僕に気づいたようだ。わかりやすく安堵している。

「やあ志穂ちゃん。これで僕の話、信じてくれる?」

 正直、二度目があるかは賭けだったけど、ちゃんと同じ事が起きてくれて助かった。

 それでもまだ、元の世界に帰れる保証はないのだが。

「……。これが夢でなければ、信じざるをえないわね。でも、御栗の話と、場所が違わない?」

 それは僕も気になっていた。はじめの時は、田舎のような砂利道だった。

 あの時はすぐに桃太郎が出てきたけど、もしかしたら、今度は違う人が出てくるのかもしれない。

「とりあえず、歩いてみようか」

 志穂ちゃんと一緒に、砂浜を歩いた。右側には、ぼろぼろの小屋のような家や、山が見える。左側はどこまでも続く、海。所々ある岩。

 歩いていると、遠くに人だかりが見えた。

 と言っても、背丈的に子供だ。

「ちょっと、様子を見ようか」

 提案に、志穂ちゃんも頷いた。その子達に気付かれないように、岩陰にかくれつつ近づく。

 どうやら、女の子を男の子数人がいじめているようだった。

 木の棒でつついたり髪を触ったり。

「何、あれ」

 志穂ちゃんが小声で呟く。僕も同じ事をいいそうだった。

 女の子は亀の甲羅を背負っていたのだ。それ以外は、古い布でできた服を着た普通の少女。

 ここで、僕は前の時と名前が似てたおかげか、ある話を思いつく。

「もしかして、この世界って浦島太郎なのかな」

 てっきり同意してもらえると思ったけど、

「浦島太郎って、どういう話?」

 と聞かれた。

 思わず黙ってしまう。その顔を見れば、冗談でないことはわかる。

「絵本とかで読んだことは?」

「ないよ。私がインドア派じゃないのは知ってるでしょ?」

 これはもう、インドアとかそういうレベルの問題ではないと思うけど。

 あの時は黙っていたけど、もしかして、桃太郎も知らなかったんだろうか。

 あらすじを説明しようと思ったけど、志穂ちゃんはいじめられている女の子の事が気になったようだ。

「ねえ、あの子助けないの?」

「もしここが浦島太郎の世界なら、本人が助けにくるはずなんだけど」

 桃太郎みたいに、また女の子になっていたらどうしよう。

 亀がああだから十分ありえる。

「……こないじゃない。もう、行くわよ」

「え」 

 目の前の行為に我慢できなくなったのか、志穂ちゃんは飛び出す。

 しかたなく僕もそれに続く。物語が変わったり、それで変な事にならないといいけど。

「あんた達、いい加減にしなさい。女の子によってたかって」

「なんだねーちゃん」

「変な格好だなー」

「亀をいじめるくらいいいじゃん」

 男の子達は口々にそう言う。やっぱり亀なのか、この子。

「御栗、この子たち、蹴散らしていい?」

「まあまあ、そんな事言わないで、平和的にいこうよ」

 ろくな説明もなしに、体罰はあまりよくないだろう。どう言おうか少し考える。

「君たち、亀なんていじめても楽しくないでしょ。そこのトロそうな、おでぶをいじめたほうが、色んな反応を楽しめると思うよ」

 三人の中で、一番ふくよかで気が弱そうな子を指し、そう教えて上げた。

 やっぱり、からかうにしてもいじめるにしても、無反応じゃ。

「ぐふっ」

 あまりの衝撃に、勝手に声がでてしまった。どうやら、志穂ちゃんに腹を蹴られたらしい。

「何巫山戯たこと言ってんのよ御栗。怒るわよ」

 そんな事を言うが、僕は腹を抑えてしゃがみこむ。もう怒ってるよと突っ込む余裕もない。

「うわー。こえー」

「なんだこのねーちゃん」

「お母さーん」

 三人の子供は騒ぐようにそう言って、散り散りに去っていった。

 残されたのは、怯える亀の少女と、手をグーにしてまだ怒りが残っていそうな志穂ちゃんと、膝をついている僕。

「ふう、作戦どおり」

 なんとか立ち上がり、そんな強がりを言ってみる。

「なにか言った? 御栗」

「言ってないです」

言ってなかった。

「あの、助けてくれたんですか?」

 少女がおずおずと、声をかけてきた。

「え、ええ。結果的にそうなっちゃったのかな。あなたも、やられたらやられっぱなしじゃだめよ」 

 志穂ちゃんは多少照れながら、少女にそう応えた。

 亀にそんな事を入っても、難しいだろうに。

「助けてくれた心優しいお二人に、お礼をしたいんです」

 もしかしてこれは。

「お礼? いいよそんなの。ただ見ていられなかっただけだから」

「いいえ。させてください。お二人を、竜宮城に招待します」

 やっぱりこうなってしまった。当の浦島太郎はまだ現れない。遅刻だろうか。

「竜宮城、って?」

「この海の底の、隠された場所にあります。ささ、私に乗ってください。お送りしますよ」

「……」

 海の方へ行き、半身を水にひたし、甲羅をこちらに向けてくる少女。

 乗れと言われても、二人どころか一人分もスペースがない。

 僕も志穂ちゃんもぽかーんだ。

「あっ、すみません。これじゃあ、小さいですよね」

 うっかりしたようにそう言うと、甲羅が大きくなった。さらに手綱までついている。

 これなら、なんとか二人共乗れなくもないだろう。

 少女が一人で、僕達を運べるかという疑問が残るが。

「ねえ、御栗。どういうこと?」

 先の展開をしらない志穂ちゃんが、ひそひそと尋ねてくる。

「浦島太郎の物語だと、助けた亀にのって、竜宮城に行くんだよ。もちろん、水中で息の心配もないよ」

 もしかしたら浦島太郎ではない僕たちは溺れるかもしれないが、それは気づいたら水面まで泳げばいいか。

「の、乗るの?」

「うん。乗らなきゃ話が進まなくて、元の世界に戻れないかも」

 浦島太郎をまつという選択肢もあるかもしれないが、今更やってきて、役割を交代できるだろうか。

 僕を信じてくれたのか、志穂ちゃんはゆっくりと、甲羅にまたがった。

 僕もそれにならう。

 すぐに進みだした。特に沈んだり、ぐらついたりもしない。全身水に浸かっても、不思議と呼吸はでき、目を開けるのも地上と同じようにできた。

 僕達をのせたまま、少女は足をバタ足のように動かし、手は使わず泳いでいる。

 あっという間に、水深数メートルまで行っている。

「志穂ちゃん、どうして僕達、絵本の中に入ってるのかな。蔵にある絵本なら、誰でも入れるものなのかな」

 自分ではわからないことを、聞いてみる。

「んー。そんなのもうどうでもいいじゃない。それよりほら、みて」

 それに対し志穂ちゃんはあっさりとそう言って、うえのほうを指さす。

 見上げると、魚や珊瑚や、太陽の光で輝く水面が見えた。

 それはとても綺麗で、もし元の世界に戻ってダイビングしたとしても、そうそう見られない景色に思えるほど。

 屋上でご飯を食べるときにみる、青空とはまた違った、自然の美しさを感じる。

 確かにこれを見ていると、入れた原理なんてどうでもよくなるのかも。

 海中をなんの苦もなく遊覧して、あっという間に時間がすぎる。

 太陽の光が届かなくなったせいか、だんだん周りが暗くなってきた時、城のようなものが見えてきた。

 曲線が多く、蒼く、ところどころ海中のもので装飾がしてある。

「あれが私達の竜宮城です」

 少女もそう誇らしげに答えた。その城のふもとに向かって進む。

 

「うわあ、すっごいね」

 志穂ちゃんの感嘆の声に同意だ。

 そもそも普通のお城にも入ったことないのに、初めてのお城が竜宮城とは。

 外見に負けず中も、広く大きく、きらびやかで、海中だということを忘れるくらいだ。

 歩く少女についていく。

 中は亀の少女のように、色々な魚が女の子になったんじゃないかという見た目の、女の子や大人の女性がいた。

 メイドのように働いていたり、こちらに気づき礼をしたり。

 奥へ行くと玉座のようなものがある場所についた。

 そこに、まさしく城の主といった風体の、ゆるやかな衣と海中の粋を集めた装飾に身を包む、一人の女性が座っていた。女帝というべきか。

「乙姫様。こちらの二方が、私を救ってくれた者たちです」

 既に来ることを何かしらの方法で伝えていたのか、少女は簡潔にそういった。

「そうか。そなた達が、妾の大事な子を救ってくれた者達か。それは迷惑をかけたな。しかし、有難う」

 乙姫は立ち上がり、恭しく頭を下げた。僕達としては、なんともくすぐったい気分だ。

 どんな顔をすればいいかわからない。

「い、いえそんな。大した事はしてないです」

 志穂ちゃんも照れたように、手を振り、そう応えている。

「そう謙遜するでない。妾は恩に対し礼を尽くす。好きなだけここに滞在するがよい。料理や観光を楽しんでくれ」

 そう言えば、あの物語でも、ここに何日だか滞在していたような。

 その結果、時間の流れの違いのせいで。

「志穂ちゃん、あまりここに長くいない方がいいかもね」

 小声でそう言っておく。

 竜宮城の事はともかく、いくら元の世界に戻った時に、時間が経ってないとはいえ、あまりこちらの世界にいるのも感覚が狂うだろう。

「そうよね。あんな些細なことで、そんなにもてなして貰うわけにもいかないし」

 志穂ちゃんは別の考えだったけど、同意してくれた。

 確かにしたことといえば、ちょっと子供をおい払ったくらいだ。

「ええと、本当に大した事はしていないので、そろそろおいとまさせてもらおうかな。ここにこれただけでも、いい経験だったよ」

 乙姫にそう言う。

「そうか……。まあ、二人にも何かと事情があるに違いない。ならばせめて、手土産を渡そう。おーい」

 乙姫がそう呼びかけると、従者の女性達が、箱のようなものを二つ持ってきた。

 両手で持てそうなものと、片手で持てそうなもの。

 二人だから二つなのか……。

 ここでなんの考えもなしに持ち帰るのは、危ないのかも。

 とりあえず、僕は大きい方を持った。志穂ちゃんが小さい方。

 大きくても煙でも入ってるかのように軽い。まあそうなんだろうけど。

「いいんですか? こんな高価そうな物もらって」

「良い良い。地上に戻ったらあけてみたまえ。困ったときに、きっと役に立つ」

 確か浦島太郎は、現世との辻褄をこれによって合わせる事になるんだっけ。

 開けるのは危険だな。

 それから、また亀の少女に乗り、僕達は砂浜に戻った。

 手を箱で塞がれていたけど、やはりというか、甲羅からおちることはなかった。

 砂浜につくと、少女は少し寂しそうに海に帰っていく。

 前回に比べれば、それでも、あっさりした別れだった。

「御栗、これからどうするの……ってなんか透けてない?」

「ああ、志穂ちゃんも透けてるよ」

「えっやだ」

 そう言って、背を向ける。

「別に服は透けてないよ」

 亀を助け、竜宮城へいき、玉手箱を貰い帰ってくる。物語はこれで完結したようだ。

 そう思ったけど、なんだか髪を結っていて、釣竿を持っていて、浦島太郎のような人がいたので、僕の玉手箱を近くに置いておいた。

 すぐに志穂ちゃんの元へ戻る。

「どうしたの? 御栗」

「これはたぶん、あの人の物なんだよ」

 貰った時からどうしようか決めかねていたけど、ちょうどいい。

 あの人が拾うかどうか、その結果どうなるかは、知らない。

 やがて僕達は意識を失った。

 

「う、けほっ」

 そんな可愛らしい咳の声で、気がついた。

 どうやらちゃんと、蔵に戻ってこられたらしい。急に埃っぽくなったせいか、志穂ちゃんが咳をしている。

「大丈夫?」

 僕たちはすぐに外に出た。

 外の空気が気持ちい。

「御栗、さっきのは、夢?」

 志穂ちゃんが恐る恐る尋ねてくる。僕も最初はそう思ったものだ。

「その手に持ってるもの、みてみなよ」

 言われて気づいたのか、手に持っていた小さい玉手箱を掲げる。

「あっ。じゃあ本当に……」

「うん。ミコのことも、桃太郎のことも、浦島太郎のことも、現実に起きたことだよ」

 これが全て、僕の見ている夢だという考えもあるけど、それを言い出したらキリがない。

 胡蝶の夢だとか。

「不思議なこともあるんだね。なんだかわくわくしてきちゃった」

 まぶしい笑顔でそういう。

 高校生になって、志穂ちゃんは冒険心や好奇心が落ち着いてきたと思ったけど、なんだか再燃したようだった。

 二度目も特に危険はなかったし、志穂ちゃんが言うのなら、また行くのも良いかもしれない。

 新鮮な景色は楽しかったしね。

 僕たちは、よく食事に使う部屋で休むことにした。

 急須にいれた緑茶と煎餅。この家らしい組み合わせだ。個人的にも好みである。

「カメラ持っていけばよかったなあ。あの海の中はとっても綺麗だったね」

「そうだねえ。カメラで撮れるかどうかはわからないけど」

「あのお城の人達ともまたお話したいなー」

 ぱりぱりと煎餅をかじりながら、旅行にでも行ってきたかのように、感想を述べ合う。

 桃太郎の時は歩きっぱなしだったけど、今回はそれほど疲れなかった。

「結構長いこといた気がするけど、こっちでは時間経ってないのね」

「うん。それは昨日の時と同じだよ。もし向こうの世界に一年とかいたら、歳がずれちゃうねえ」

「あはは。それはやだな」

 二、三日じゃ大して変わらないだろうけど。

 蔵に入って出てきたらおじいちゃん、そこまでいかなくても、二十歳くらいになっていたら、姉がびっくりするだろうな。

 今回の話もあって、そんなことを考えてしまう。

「それにしても、これなんだろう。開けてみる?」

 そう言って、玉手箱の表面を撫でている。それは黒くツヤがあって、太めの紐で閉じられている。

「うーん。あんまりおすすめしないよ。最悪、お婆ちゃんになっちゃうかも」

「えっ」

 そう言えば、志穂ちゃんは浦島太郎を知らないんだった。

 どうしようかな。ちゃんと説明してあげるべきか。

 どうしてと聞かれても、答えられない部分もあるんだけど。

 考えていたら、いきなり戸が開いた。

 現れたるは姉である。

「やほー志穂ちゃん。来てたんだ」

 部屋にこもっていた姉は、僕達を見るなりそう言う。仕事が一段落ついたのか、なんだかテンションが高い。

「おじゃましてます」

「あ、なにそれ」

 姉はめざとく玉手箱を見つけ、手にとる。

「あ」

 唖然として止める間もなく、姉はその箱を開けてしまった。

 紐は簡単に外れ、蓋もあっけなくひらく。

 途端、小さな箱から煙が溢れだした。ただ姉だけを包むように。

 そこまで煙は多くなかったけど、家中の虫を退治する、昔つかったアレを思い出した。

 地面と近い家屋だと、虫の侵入が多いのだ。

 僕も志穂ちゃんも、かたずを飲んで見守る。

 これでもし姉がおばあちゃんになったらどうしよう。僕は今までどおり、接することができるだろうか。

 箱が小さい分、歳の加算も少ないと信じたい。

「お姉ちゃん?」

 呼びかけると、段々煙が晴れてきた。すると――。

 そこに小さい女の子が立っていた。見たところ小学生。

 服がだぼだぼで、明らかにサイズがあっていない。髪型もその服も、姉の物と同じ。

 というか、姉が小さくなったと見るしか無い。

 幼くなった顔立ちを見ていたら、目が開いた。

「みっくん……? どうしたのそんな顔して」

「お姉ちゃんだよね。そ、その身体」

「身体?」

 僕に言われて、姉は自分の身体を見た。やっとそれに気づいたようで、動きが固まっている。

「あの、大丈夫?」

「うわーお。私、縮んじゃった」

「え、ええええ」

 驚いているというより、なんだか姉は嬉しそうだった。しきりに身体を触り、確認している。

 むしろ志穂ちゃんのほうが驚いている。

 こんなちっちゃい子を、姉と呼ぶのも変な気分だ。

「あ、おっぱい無い」

 第二次成長期を迎えていないのか、ぺったんこな胸に気づき、肩を落とす。元の姉は、ミコほどではないが、普通くらいにはあったはずだ。 

「うっ」

 すでにもう迎えているのにぺったんこな志穂ちゃんが、流れ弾をくらってショックを受けていた。

 要するに、あの玉手箱は若返りの効果があったのかな。たぶん十年分だ。

 まあ姉も喜んでいるし、加齢よりはましなのかも。

「こんなお姉ちゃんでも愛してくれる?」

 そんな事を言って、見上げてくる姉。こんな、の部分にはどういう意味が含まれているのか。先ほどの胸の話は関係あるのだろうか。それとも、妹みたいな見た目になったことだろうか。

 なんだか別の視線も感じる気がする。

「えーと、姉として愛してるよ」

 ちょっと恥ずかしかったが、姉として、の部分を強調してそう言う。

「ひゃー」

 それを聞いた途端、両手を頬にあて、うねうね動く。

 それから、ふと気づいたように姉は僕に尋ねた。

「みっくん、もしかしてさっきの箱って」

「うん。蔵に行ってきた時に、向こうの人に貰ったものだよ。ミコの姿を変えた時と同じ。今度は浦島太郎だったようだけど」

 かいつまんで説明する。

「そっかあ。ほんとに凄いんだねえ。うちの蔵って。いや、凄いのはおじいちゃんかな」

 そんな姿になってしまっても、明るくそんな事を言う。

「いやお爺ちゃんはすごいかもしれないけれど。どうするの? こんな事になっちゃって、これから」

「ん? うーん」

 腕を組み、考え込んでいる。脳内でシミュレートしてるのだろうか。

「うん。なんとかなるっ」

 ぽむ、と手を合わせ、あっさりと言い放った。どんな今後を思い浮かべたんだろうか。

「そうなの?」

「だあって、仕事は文章書くだけだし、料理もできるし、問題ないよ?」

 なんだか姉の笑顔を見ていると、本当になんとかなりそうな気がした。

 担当さんとかに会うときも、あっさりと説き伏せてしまいそうな。

「さすがに服は買わないとかなー。こんな小さい時のは、さすがにとっておいてないしねー」

 ミコの次は姉の服か。一緒に買いにいくんだろうか。

「四葉ー。どこだわん」

 ミコがやってきた。そしてすぐに、小さくても姉に気づく。匂いだろうか。

「あっ四葉。ん? なんか小さくなった? ま、いいか。それよりお腹すいたわん」

 簡単に大事件を流してしまった。なんかミコと姉って、考えが似てるなあ。飼い主に似るってやつかな。

「わーい。ミコ大きい。下からだと大迫力だねえ」

 姉がまたミコに抱きつき、見上げる。こうしてると、子供とお姉さんである。

 中身の年齢は真逆なのだが。

「お腹だっけ。あっちにお菓子あるよ」

 姉はミコを連れ、そのまま行ってしまった。足元も服を引きずったままだ。

「御栗のお姉さん、寛大だね」

 志穂ちゃんがぽつりと今の流れを見て感想をもらす。

 それにしてもあの箱、僕や志穂ちゃんが開けてたらもっと大変だったろうな。

 六歳くらいになっちゃってたかもしれない。そうなったらさすがに学校にも通えない。

「寛大といえば、寛大なのかな」

 脳天気、ポジティブと言ってもいい。

「あの、ごめんね。私がちゃんと箱を持っていれば、こんなことには……」

「いや、あれはどうみても、勝手にあけた姉が悪いよ。それになんだか全然苦に感じてなさそうだし、いいんじゃないかな」

 それでも責任を感じたのか、志穂ちゃんは謝る。改めて、僕と違ってちゃんとした良い子だなあと思う。

 まったく、内容は平和だったのに、乙姫もえらい手土産を残してくれたものだ。

 それから僕達は適当に雑談をして、志穂ちゃんは帰っていった。

 一人になり今日を振り返り、今更ながら、漫画やらでよくみるデートみたいだったなと、ふと思った。

 僕と志穂ちゃんはそんな関係ではないけども。


 志穂ちゃんが帰ったあと、姉は小さくなっても、今まで通りに過ごしている。

 手足の短さに苦戦しつつも夕ごはんも作ってくれた。

 手伝おうと思ったけど、身体に慣れるためにもいいと言われてしまう。

 見た目小学生が頑張っていると、なんとも言えない気持ちになってしまうのだが。

 踏み台を使ったりして、姉が何とか作った料理を、僕達は食べる。

「みっくん、学校でお友達できた?」

 たまに今と同じような事を聞いてくる。僕の答えはいつも同じだ。

 小さい姉に心配されるとまた違った感覚だけど。

「ううん。いつもどおりだよ」

「そっかー。いくら私や志穂ちゃんがいるからって、他に一人もいないのも、お姉ちゃんとしては気になっちゃうなー」

「ぼくもいるわん」

 ミコがそんないいセリフを言う。

「わー、ミコ格好いい。ナデナデしたい」

 食事中だからか、本当にしたりはしなかった。

「ミコは、お友達いる?」

 せっかく喋れるようになったのだから、聞いてみる。話題をそらすためでもある。

「たまに来る、猫さんや鳥さんとはよく話してたわん。ご近所付き合いというやつわん」

 犬時代の頃の話かな。

「すごい。猫さんや鳥さんともお喋りできるんだねー」

 今もできるんだろうか。だとしたら、通訳もできたりして。

 ミコはいろいろと凄いなあ。体力もありそうだし。

「猫さんは、毎度餌を探したり貰ったりするのが大変だと言ってたわん。鳥さんは、黒くて大きいカラスにいじめられたと言ってたわん」

「カラスは増えてきてるもんねー」

 動物の世界もいろいろと世知辛いようだ。

 食事を終えると、

「みっくん。一緒にお風呂はいろ」

 姉がそんなことを言ってきた。

「入るわけないでしょ」

「えー。なんでよう。私がこれくらいの時、一緒に入ったじゃない」

「それは僕が四歳くらいで、たぶん一人じゃ入れなかったからでしょ。今は二人共一人で入れるんだから」

 覚えてるわけじゃないがそんなところだろう。

「前の身体じゃみっくんが興奮しちゃって大変だけど、この身体なら平気でしょ?」

 別方向からも攻めて来る。

「はいはい、アホなこと言ってないで、僕一人で入るからね」

「ぶー」

 頬をふくらませている。人間は、服や外見が変わると性格もそれにつられるというが、姉も幼児性が増したんだろうか。

 いや、元々こんなだったか。

 抱きつく姉をひっぺがして、僕は一人で入る。さすがに勝手に入ってはこなかった。


「御栗ー。来たよー」

 次の日。

 志穂ちゃんがやってきた。

 昨日の蔵の、旅行というか冒険というか異世界へのお出かけが、えらく気に入っていたようなので、また来ると思っていた。

「ほら、御栗、行こ。今度はどんなところなのかな」

「でも、危ない所かもしれないよ」

 世の中、平和な物語ばかりではないのだ。

「なんとかなるでしょ。小さい頃、遭難した時も大丈夫だったじゃない」

 たしかにそんな事もあったかな。遭難といっても、ちょっとした山にあったアスレチック広場から、範囲外にでてしまっただけなのだが。

「あの時は御栗泣いてたよね」

「そうだったっけ」

 結局押しに負けて、蔵に行く。何度きても埃っぽさには慣れない。

「二度あることは三度あるっていうし、また同じ事起きるよね」 

 志穂ちゃんは期待をこめて言う。

「あれ」

 視界の端に光るものがあった。それを指さす。

 志穂ちゃんが気づいたかどうかわからないまま、意識が落ちる。


「うわっ」

 気づいたら、海中にいた。

 目の前は青く、魚がゆうゆうと泳いでる。腕を振るたびに泡が小さく沸く。

 しかし、前回のように、息はできるし苦痛はなかった。

 ただ水中特有の浮力はあるのか、泳ぐこともできる。

「わわ、え? 水?」

 志穂ちゃんもなんだか手をばたつかせている。

「今回はまたおかしな所にでたね。周りには誰もいないみたいだけど」

「もしかして、また浦島太郎?」

「どうかな。ちょっと泳いでみよっか」

 僕はそのまま、水をかきわけ進んだ。歩くより遥かに速い。

 志穂ちゃんもちゃんとついてきている。

 やがて、しばらく泳いでいたら、怪しいものが見えてきた。

 占い師が中にいそうな、天幕みたいな形をした岩。まわりにも、貝殻や魚のほねが飾りつけてある。

 こっそりと、僕たちは中を覗いてみた。

 そこに、鼻が長く黒いローブのような服を着た老婆と、

「え、何あの人。足が」

 いわゆる人魚がいた。志穂ちゃんが驚いている。

 何処かで見たことがあるような、貝を胸に当てている。きわどい。

 黒髪も長く、美術品のように趣があった。

「魔女様、どうかあのお方に会えるように、足を用意してくださいませ」

 人魚は真剣な表情で、そう言う。それはとても綺麗な声で、たとえどんな気分の時でも、聞くだけで和やかになれそうだった。

「ひひ、いいだろう。ただし、もし相手と成就できなければ、あんたは泡となって消えてしまうよ。それと、声も出せなくなる。その美しい声をだ。それでもいいのなら、この薬を飲むといい」

 老婆は人魚を指さして怪しげに言う。さらに、袖から丸薬のようなものをとりだした。

 人魚は真面目な表情のままそれを受けとった。

 最後に礼を言い、水面近くにむけて上昇していく。

「どうやら、この世界は人魚姫のようだね。ちょうどこれから、人間の姿になるところかな」

 岩から少し離れて、なるべく静かに話す。

「それは、どういうお話?」

「やっぱり知らないんだ。ええと……」

 ここでなんだか嫌な予感がした。

 あらすじを話そうと思ったのだけど、人魚姫は悲しい話なのだ。

 もしそれを聞いたら、志穂ちゃんは人魚姫を応援するだろう。かなり全力でだ。

 その結果、物語が螺子曲がり、人魚姫と王子様が結婚に至ったら。

 果たして僕たちは帰れるのだろうか。

 浦島太郎の件を踏まえると、あまり厳しい世界ではないと思うけど。

 悩んだ僕は、とりあえず先延ばしにすることにした。いつもこうだ。

「さっきあの人魚さんが言ってた通り、人間になって意中の人を射止めようと頑張るんだよ」

 ネタバレはよくないよね。

「なにずっと考えこんでたの?」

「え、いやちょっと思い出そうとしてて」

 志穂ちゃんがじとっとした眼でこちらを見ている。しかしすぐに元気になった。

「でも素敵ね。好きな人のために声を失ったり、人魚でなくなったり、そこまでするなんて」

 ほわほわした眼で虚空をみている。

 志穂ちゃんって、ラブストーリー好きだっけ。

「じゃあ、追いかけようか。たぶん、砂浜に上がっているはず」

 あまり物語と関係ない所で長話もできない。

 僕たちは空に向かって泳ぎだした。

 

 意外と砂浜も近く、なんとかたどり着くと、そこには裸の女性がこちらに背を向けて立っていた。

 おどおどと首を振り、何処に行けばいいかわからなそうな様子だ。

「見ちゃ駄目っ」

 志穂ちゃんに目隠しされ、強引に後ろを向かされた。あやうく首が折れる所だ。

「いいっていうまで、こっち見ないでよ。ちょっと上着貸して」

「あいあい。おっと」

 やや強引に上着を脱がされてしまった。

 仕方なく砂粒を眺めていると、足音が遠ざかっていく。

 さらになにやら説明している。そして衣擦れの音。

「いいよー」

 振り返ると、もう危ないものはみえなかった。きわどいものは見えるが。

 人魚姫、いやもう人魚ではないのか。

 姫は腰に僕と志穂ちゃんの上着を巻き、スカートに見えなくもない。

 上は貝殻のままだった。

 あれ、人魚姫ってこんな格好するんだっけ。

 近づき、とりあえず姫に自己紹介をすませた。怪訝な表情をされるが、仕方ない。

「私、協力するからね。頑張って、想いを伝えましょっ」

 力強い志穂ちゃんの声。姫の手をとっている。

 まるで自分のことを重ねているかのようだ。志穂ちゃんのそういう話は聞いたことないけれど。

「志穂ちゃんの言うとおり、僕たちはなるべく力になるよ。他の世界からきたんだ。国といってもいいけどね。好きな相手って、王子様なんだよね?」

「そうなの?」

 僕達の問いに、姫は頷く。声が出せないので、それくらいしかできない。

「確か、王子が溺れているところを助けた。でも今は何処にいるかわからない」

 また姫は頷く。何で、そんな事を知ってるんだと言いたげな視線だった。 

「えーと、僕達については、あんまり気にしないでくれるといいな」

 あの老婆みたいに不思議な力があると言おうと思ったけど、なんだかややこしくなりそうだった。

「だったら、その事に気づいてもらえれば、王子様とお話できるんじゃない?」

「だからさ、もう声が出せないんだよ」

 お話どころか、気づいてもらうのも難しい。

「そうだったね……。なんであの人は、そんな酷いことをしたのかな。知ってる?」

 志穂ちゃんが姫に尋ねるが、複雑な表情をするだけで、イエスともノーとも応えない。

 あまり老婆を悪く言ってほしくないのかもしれない。

 物語には、どうしてそんな制約があったのか、書いてなかった気がする。

 僕も不思議に思ったものだ。

 もしかして、愛は障害があるほうが燃える、というやつなのだろうか。

 なにやら、急に姫が口に手をあて、驚いてる。

 手で示した方を向くと、砂浜を二人の男性が歩いていた。

 片方は執事のような燕尾服に、白髪に白ひげで初老。

 もう片方は、黒髪でさっぱりしていて、スーツのようなズボンとシャツとネクタイだった。暑いのか背広は執事が持っている。

 結構若く、二十歳前後に見えた。

 あれなら、僕達の世界にもいそうだ。

「もしかして、あれが王子?」

 僕が聞くと、姫は頷いた。

 そのまま、王子達の元に駆け寄ってしまう。まだなんの作戦も立てていないのに。

「なんだ、君は」

 ひと目見るなり、王子はそう言った。

 それにショックを受けつつも、なんとか身振り手振りで伝えようと頑張っている。

 王子には、姫は見覚えがないようだ。

 溺れていた時に、気絶していたのだろう。

「確か砂浜までは運んだけれど、王子が目を覚ました時には、別の女の子がいたとか」

 志穂ちゃんに小声で伝える。

 当然、そんな身振り手振りでは王子には何も伝わっていないようで、突然現れた姫を訝しんでいる。

 見ていられなくなったのか、志穂ちゃんが側に行った。  

「この人が、あなたを助けた張本人なのよ。ちゃんと何を伝えようとしているのかを、みてあげなさいよ」

 志穂ちゃんはそういうが、

「言いたいことがあるのなら、声を出せばいいじゃないか。それに、私を助けてくれたのは、別の人間だぞ。いい加減なことを言うな」

 王子は冷たく突っぱねてしまう。

 姫は肩を落とす。

「そんな事言っても、声が出せないのよ。ちゃんと、溺れていたあなたを、この人が砂浜まで運んだんだから」

「何故知っている……? しかしそうか、声が出せないとは、知らずに悪いことをした。

だが、それなら私が目覚めた時、側にいたはずではないのか」

 そう言われて、志穂ちゃんは言葉に詰まる。

 身体が人魚だったから、側にいることはできなかったと言っても、信じてもらえないだろう。

 黙っていると、

「王子、あまり怪しい者とかかわるものではありません」

 執事がそう言って、王子を連れて去ってしまった。

「あ、ちょっと」

 志穂ちゃんの声が虚しく響く。

 とぼとぼと二人は帰ってきた。

 最初の邂逅は失敗に終わってしまったのだ。物語のとおりに。

 

 それから僕達は、砂浜をぬけて街に上がった。

 海の近くに栄える街のようだ。漁業が盛んなのだろう。

 レンガでできた家や建物が並んでいる。

 別に観光にきたわけではないので、夜になっても困ることだし、王子を探しはじめた。

 志穂ちゃんは、ゆっくり見て回りたいと思っているかもしれないが。

 街を三人で歩きまわる。

 住民がひそひそと、何やら話していた。

「おい、聞いたか。もうすぐこの国の王子が結婚するらしいぜ」

「お前情報遅いな。これは知ってるか? 相手は王子の命の恩人だとか、魚捕りの名人だとか」

「なんだそれ。確かなのか?」

 それを聞き、姫と志穂ちゃんは青い顔をしている。

 やはり、物語のとおりに進むのか。

 そういえば、と今回の件とこれまでを思い返す。

 桃太郎の時は、主人公が暴走ぎみで、僕がいなければ物語が歪んでいたかもしれない。

 浦島太郎の時は、そもそも主人公が不在のままほとんど終わってしまった。

 今回は、そういった問題はまだ起きていない。多少風景やらが違うくらいか。

 このまま、物語のとおりに進むとしたら、僕たちは何もしなくてもいいのかもしれない。 この三件を改めると、手助け、主人公に代わる、そのまま、のパターンとも言える。

 まあ、まだ当てずっぽうの推測か。

 どうでもいいことを考えていたら、前の二人が慌てていた。

「御栗、あれ、あれ」

 志穂ちゃんが示した方に、王子が執事と歩いていた。

 今はあまり人気の無い場所だが、こんな風に歩いていて、騒ぎにならないんだろうか。 

 民衆にあまり顔を知られてないのかもしれない。

 結婚前の気持ちを散歩で紛らわせているのかな、と勝手に気持ちを想像してみる。

「今度は別の手でいきましょ」

 志穂ちゃんの合図で、僕たちは王子を見失わないようにしながら、作戦会議をはじめた。

「声が出せない前提で、どうやって王子に気づいてもらうか」

「もうそこはとばして、直接想いをぶつけたら?」

「だめだよ志穂ちゃん。王子はもう結婚寸前なんだから」

 今更別の子に心変わりはしないだろう。

 特別な事でもおきないかぎり。

「んー、なら、手紙とか」

「志穂ちゃん、ペンとか紙持ってるの?」

「言われてみれば、持ってない」

 志穂ちゃんは一応ポケットやらを探し始めた。

「あれ? 携帯も忘れちゃったかな」

 昨日写真を撮ると言ってたのに。慌てて着替えて僕の家にきたんだろうか。

「でも、文字で伝えるのはいいと思うよ。手段さえあればね」

「うーん。私、ペンと紙貰えないか聞いてくる。待ってて」

 そう言って、志穂ちゃんはどこかへいってしまった。相変わらず行動に移るのが早い。

 のんびり屋の僕としては見習いたいものだ。

 これだけ人や店があれば、持って帰ってくる確率は高いだろう。この世界の紙の価値がどれほどかは知らないけれど。

 先の展開を想像して心配になるが、方針を決めかねている僕はどうすることもできなかった。

 意外と早く、志穂ちゃんは戻ってきた。

 持っていたのは、ペンというよりクレヨンというか木炭というか、そんなようなものと、切れ端のような手のひらサイズの紙。

 それでも姫はそれに、想いを込めるように書き続けた。

「これで、振り向いてもらえるといいわよね」

「そうだね。それにしてもよく手に入ったね」

「男の人に熱心に頼んだらくれたよ。本当は人魚姫のためにも、もっといいものが良かったんだけどね」

 志穂ちゃん、学校でも男子に人気あるからな……。僕も女の人に頼んだら、同じようにいくかな。

 やがて姫はそれを書き終えた。

 視界からは消えていたけど、道をたどり王子を発見する。

「待って」

 志穂ちゃんが呼び止めた。

「また貴方達ですか。あまり王子につきまとわないでもらいたいですね」

 執事が、警戒するように言う。

「今度は手間をとらせないわ。手紙を渡したいだけなの」

「ふむ」

 どうなることかと思ったけど、姫の手紙をちゃんと受け取ってくれた。

 これ以上警戒されないためにも、すぐに僕たち三人はその場を去る。

「なんとか渡せたわね。これで気づいてくれるといいんだけど」

 はたしてそううまくいくのかな。

 落ち着いてきたら、姫が僕の服をひっぱった。

「こっち? 行くの?」

 こくりと姫は頷く。

 きた道を戻り、姫についていくようにして、僕たちは砂浜に戻ってきた。

「ここで待ち合わせ?」

 またこくりと頷いた。

 手紙を出した以上返事を貰わないといけない。

 そのために、ここの場所を書いておいたのだろう。

 僕たちは待った。事が事だけに、僕も志穂ちゃんも特に遊んだりもせず、ただひたすらと。

 波の音が止まること無く流れる。

 陽が少し傾いたか。

 時計がないのでどれくらい待ったかわからないが、やがて王子が現れた。

 立ち上がり、対峙する。

「手紙、読ませてもらった。しかし……」

 口が重そうだ。何を言おうとしているのか、少しだけ予想がつく。

「しかし、内容を信じるわけにはいかない。もう、そういう段階ではないのだ。もし君が人魚というのなら、その姿を見せてもらえば、また別かもしれないが」

 そんな事を言われても、どうしようもない。

 しかし、そんな手紙を無碍にせずここまで来てちゃんと断るなんて、良い人だなと思った。

 姫が背を向け、嗚咽するように震える。それを見るが、何も言わない王子。

「……さようなら。僕達は明日、婚約する」

 そのまま、別れの言葉をつげて、王子達は去っていった。

 姫を諦めさせるためのような台詞を残して。


 立ち尽くす僕達と、砂浜に手をつく姫。落ちた涙を砂が吸っている。

 いつのまにか空はうっすら赤みがかっていた。もう今日も終わりが近い。

 つまり、姫の命も。

「これって、そのとおりなの?」

 志穂ちゃんが僕の側に来て、小声でそういった。

 詳しく言わないのは、姫に配慮しているんだろう。これでも僕には伝わった。

「うん。まあね」

 勿論この物語について。

「そうなんだ……」

「別に、こうなることを望んでいたわけじゃないよ」

 言い訳めいていても、一応言う。こうならなかったことを望んでいたわけでもないけれど。

 結局、意図を伝える人間がいようが、手紙といえど意図を伝えることができようが、物語は変わらなかったのか。

 都合よく王子に会えたことといい、本当にこの世界はよくできている。

 志穂ちゃんほどではないけど、僕も少し、気分が落ち着かない。

「もう、終わりなの?」

 と聞かれるが、残念ながらなのか、良い事なのか、

「いや、まだだよ」

 と答えるしか無い。

 僕が答えた直後、海からそれらは現れた。人魚だ。

 彼女達をみて、姫の以前の姿を思い出す。

 姫はすぐにそれに気づき、海に駆け寄った。見知った人達をみて安心した様子だ。

 しかし、一言二言話したあと、彼女達のうちの一人が、言いづらそうに言う。

「本当に人間の姿になっていたのね。あの老婆から全て聞きました。地上の様子をみていたようで、あなたに何があったかも。もう海に帰りなさい。老婆に頼み込んだ所、元の姿に戻る方法が一つだけあるそうです。あなたの心を奪った人間の胸に、これを刺すのだと」

 人魚は鈍く光るナイフを取り出した。姫に手渡す。

「私達は待っていますよ」

 怯えるように震えつつも、それを受け取った姫を確認して、彼女達は海に帰っていった。

 姫には帰る場所があるのだ。

 その展開を初めてみた志穂ちゃんは、何も言えない様子。

 姫はナイフを手に、目を閉じている。何を思っているのか。

 あえて口に出したりはしないが、確認だ。

 王子をさせば人魚に戻れる、刺さなければ、明日には人魚は泡になって消えてしまう。

 もし僕が同じ状況だったら。

 僕は自分の命を捨てる気は全くないので、刺すだろう。

 結果、王子の周りの人間が悲しむとしても。

 それは僕が消えて、僕の周りの人間が悲しむのと同じ事だ。僕の周りに悲しんでくれる人がいるかは別問題。

 志穂ちゃんは何を考えているのだろう。二人とも助かる道を必死に考えているのかな。

 ここで奇跡のように、たったひとつの冴えたやりかたでそんな方法を見つけ出したら、それこそ物語的だけれど。

 残念ながら志穂ちゃんの表情に思いついた様子はない。

 三人がそれぞれ何かを思いながら、時間が過ぎていく。

 突然、姫が目を開け、腕を上げた。その手にはナイフ。

「待って」

 投げようとした姫を、志穂ちゃんが止める。

「いいの? そんな事したら、あなた消えちゃうんでしょ?」

 答えを決めたわけではないはずなのに、必死にそう言う。

 姫の方はもう心を決めたように、頷いた。

「そんな……」

 好きな人の命を、自身の命より優先する。

 清く美しいのかもしれない。

 僕にはまだわからない考えだけれど。

 志穂ちゃんの動きが止まったのをみて、姫はナイフを投げ捨ててしまった。

 僕も止めるべきだったろうか。止めなくて、後悔はないだろうか。

 ナイフを捨てたことで、何かが定まったのか、姫の身体が泡立ちだした。

「いや……」

 海に腰まで入り、姫はこちらを向き手を振っている。

 言葉は何もない。

 せめて海で、最後を迎えたいのだろう。

 その表情は悲しげに見えたけど、確かに笑顔だった。もしかしたら僕の心がそう見せたのかもしれない。

 そのまま、姫は姿を消した。

 泡だけが、空にむかって飛んでいく。

 僕達の姿も薄くなり始めた。しかし、お互いに何も言わない。

 王子は結婚して幸せに暮らすんだろう。人魚たちは姫が消えて、無くかもしれない。

 あの老婆は、何を思っているのだろうか。

 思い残すようにそう考えていたら、意識が途切れた。

 

「戻ってきたかな」

 視覚や嗅覚の情報をもとに、僕は呟いた。

 相変わらずきた時と同じくらい外は明るいようで、丸一日でも経っていないかぎり、同じ時間のようだ。

 軽く伸びをする。

 志穂ちゃんも意識を取り戻したようなので、外に出ようとした。

「御栗、ちょっと待って」

 所を、志穂ちゃんに呼び止められた。

「なに?」

「続き、書いてないかな」

 元気なさげに、絵本を探している。僕も手伝い、すぐに見つかった。

 志穂ちゃんは一ページ目からゆっくりと読み始めた。

 内容は、ほぼいま見てきた通りのままだ。

 その姿をみて、初めてこの蔵に来た時の自分の行動を思い出す。

 僕もあの時、物語の続きを探したものだ。

 ページは少ないので、すぐに最後まで進んだ。

 横から僕も眺める。

 そこには、空気の精になり、天国へ昇っていった、と書かれていた。

「そっか。そうなんだ」

 絵本を閉じ、納得したのかはわからないが、頷く志穂ちゃん。

 今回は、あまり物語を知らない志穂ちゃんには、ショックが大きかったかもしれない。

 世の中には、楽しいお話もあれば、憂鬱なお話もある。

 人によっては、そこに色々な解釈を感じるのだけど。

 僕達はまだそこまで深く読み解くことができない。

 そのまま、入った時とは全く違うテンションで、蔵を出た。

 居間に移動する。

「今回はあんまり新鮮な景色はなかったねえ。街並みが綺麗だったくらいかな」

「綺麗だったね」

 志穂ちゃんはそう呟く。

「それでも、人魚の足の部分は、初めて見るものだったかな。絵本やらとちがって、実物を生でみると、なんだか不思議なものだったね。よくあんな姿で泳げるものだ」

 今回の感想を言う僕と、ぼけーっと呆けている志穂ちゃん。

 気持ちの折り合いがまだついていないのだろう。

 このままほっといてもいいのだけど、そういえば、と思い出す。

「志穂ちゃん、勉強しよっか」

「ええっ。なんで?」

 現実的で嫌な単語に、露骨な反応を示した。

「ほら、もうすぐテスト期間だよ。最近抜き打ちテストもあったじゃない。せめて追試にはならないようにしないとね」

「もぉーなんでよー。あっちの世界のこと考えてたのに」

 机にぐでっと、しなだれかかってしまう。

「あっちの世界はあくまで絵本。現実と違って物語なんだよ。僕たちは現実に生きてるんだから、やることやらないと」

 と言っても、実物のような生の世界を見てきたので、簡単にはいかないかもしれない。

「じゃあ、必要なもの持ってくるからね。帰っちゃだめだよ」

 言い残して、僕は自分の部屋へと向かった。

 志穂ちゃんが苦手な教科書と、ノートを持つ。

 それをいったら、ほとんどの教科なのだが。

 今日はまだ夜まで数時間あるか。あっちでは夕方過ぎてたから、なんとなく不思議な気分だ。

 戻ると志穂ちゃんはまだ机と抱き合っていた。

「じゃあ、まずは数学かな」

「うげ」

 女の子らしくない一言だ。なんて言ったら女性差別と言われてしまう。

「暗記と応用、数学は全ての基本だよ」

 教師がそんなようなことを言っていた気がする。

 身を起こさせて、教科書とノートを開いた。

 志穂ちゃんの頭に、公式を叩きこんでいく。心情的には、脳に油性マジックで書き込んだり、彫刻刀で刻みこむ気分。

 そしてそれらを使った問題を解かせていく。僕としては、ルールを覚えて対戦ゲームに興じるようなものだと思う。

 キリのいいところがなかったせいか、その日はひたすら数学をしてしまった。

 あまり一つの教科ばかりしても、他の教科の追試は免れないのに。

 日が暮れる頃には、志穂ちゃんは勉強が始まった時以上に、机に倒れ込んでいた。

「志穂ちゃん、お疲れ様」

「ふ、ふぁい」

「ファイ? オイラーの関数だっけ」

「……」

 トドメをさしてしまったかもしれない。

 別の教科は明日以降にするしかない。

「やっほー。あら、お勉強? 偉いねー。もう外暗いけど、志穂ちゃんうちで食べてく?」

「そうだね。そうしなよ」

 もう帰る気力もなさそうだし。今更遠慮する間柄でもない。向こうの家族も、ああ、またかな、くらいに思ってるだろう。

 一応、姉が向こうに連絡をいれている。

「よーし、頑張っちゃうぞう」

 姉はやる気満々のようで、短い腕をまくっている。

 志穂ちゃんが手伝おうとして、断られていた。デジャヴを感じる。

 大人しくテレビを見る僕達、ミコも一緒だ。もう気力はつきていそうなので、勉強は休憩中。

「ミコ、もうすっかり馴染んでるね。犬が人になるなんて、凄いことのはずなのに」

「元々大人しい方だったからね。それに、まだほとんど家の外に出てないから」

 無論、寛容な姉や流されやすい僕しか住んでいないのものあるだろう。

 噂を振りまく人、研究所に送りたがる人、商業に利用しようとする人等がいたら、もっと大変なことになっていたはず。

「四葉も御栗もやさしくて好きだわん」

 ミコは恥ずかしげもなく言う。

「私は? 私は?」

「もちろん志穂もだいすきだわん」

「えへへ」

 わざわざ言わせて、にやにやしている。志穂ちゃんに撫でられて、嬉しそうなミコ。

「それにしても不思議だわん。こんな薄い物の中に、いろんなものがでてくるなんて」

 そんな、まるで昔の時代から来た人みたいなことを言う。

「そうだねえ。志穂ちゃん、説明してあげたら?」

「えええ」

 僕のぱすに、焦っている。ミコは期待をこめた眼だ。

「えーと、遠くでこの画面と同じ事をしてて、それを電波でここに……」

 しどろもどろだが、一応そんな説明をした。

 勿論ミコの頭には?マークが浮かんでいる。

「御栗も説明してみなさいよっ」

 楽しみながらそれを見ていたら、パスを投げ返された。

「ミコ、この世界にはね、理解しなくてもいいこともあるんだよ。鳥がなぜとべるのか、野菜よりお肉がなぜ美味しいのか、とかね」

「ふむふむ」

 返されたボールはあさっての方向へ飛ばす。

「なにそれ、ずるい」

「できたよー」

 姉の呼ぶ声がした。僕たちはそちらへ向かう。机の上には、四人分の料理が並んでいた。

 中央に大きいサラダと、個別に味噌汁やご飯やとんかつ。

 ミコの場所にはスプーンとフォーク。

「いただきます」

 四人一緒にそう言って、食事をはじめた。

「ミコもお箸使えるようになるといいね」

 志穂ちゃんが、ミコの拙い手つきを見ている。味噌汁にスプーンという不思議な光景だ。

「お昼にちょっと教えてるんだけどねー。ミコ不器用なのかな」

 元々牙と爪しか使わない生き物に、それを求めるのは酷だ。

「難しいわん」

 姉を見ていて、ふと人魚姫の事を聞こうと思ったけど、志穂ちゃんがいるのでまだやめておく。

 愛の小説家として、何か含蓄のある意見を聞けるかもしれないけれど。

 せっかく空気が変わったのに、また掘り起こすこともない。

 とんかつには、付属品に様々なバリエーションがあるが、今回は大根おろしとポン酢だった。衣のサクサク感は薄れるが、さっぱりとしていて美味しい。

 ミコもお肉が嬉しそうだ。しかし、ちゃんと野菜も食べている。

 身体が変わったので人間と同じ物を食べるのだろう。

「みっくん、今日もあっち行ってきたの?」

 触れないようにしていたけど、姉の方からそう聞いてきた。

「う、うん。まあね」

「へー、こんどはどんなお話? 新作の資料になるかなあ。お土産はあるの?」

 そういえば、今回はきびだんごや、玉手箱みたいなものをもらっていない。

 まあ、話が話だけにしょうがないのかな。

「今回は人魚姫でした。お土産は、そういえばないです」

 答えあぐねていたら、志穂ちゃんがあっさりと答えた。

 もう大丈夫かな。

「人魚姫かー。あれって悲しいよね。でも、グッドエンドだけが世界の物語じゃないんだよねえ。ただあの主人公の意志の強さは、とても美しいと思うよ。私もたまにはそういうお話も書こうかなあ」

 この脳天気な姉に、そんな暗い話が書けるのだろうか。いや、作品を読んだことはないけれど。

「意志の強さ」

 姉の意見をきいて、志穂ちゃんは考え込んでいる。お皿の上に余っているとんかつをミコが見ているが、もしや欲しいのだろうか。

 僕のを一切渡しておく。

 その日は、そのまま志穂ちゃんも適当に帰り、就寝した。

 それからは蔵にいかず、勉強の日々。志穂ちゃんは嫌な顔はするが、頑張っている。

 別に時間は経たないので蔵に行ってもいいのだが、終えたあとのご褒美とした。

 毎日僕の居間で、英語がどうの漢字がどうの歴史がどうのと言い合う。

 脳によさそうな甘いものでもあればよかったのだけど、うちにはあまりそういうのはない。

 姉の執筆活動にも評判の静かな家なので、勉強が捗る。

 違う世界に行っていた間と違って、随分と平凡な数日間だった。

 なんだか長く感じる。

 といっても、一日の長さは短くなったのだけど。濃密度の問題か。

 


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