2
朝。
こんな事があっても、いつものように僕は学校へ向かう。
姉はほぼ一日中家にいるので、ミコの世話の心配はいらないだろう。
むしろ、遊び相手ができて、姉的にもよかったのかもしれない。
学校につくと、いつものように志穂ちゃんが女子を遠ざけてから、
「御栗、今日は蔵、見せてもらうからね」
そんな事を言った。
「志穂ちゃんは、ミコの事もう信じてるんじゃないの?」
「それはそれ、これはこれよ」
ジェスチャー付きだ。そういうものなんだろうか。
「それに、なんだか面白そうじゃない」
そんな笑顔で言われては、止める気もなくなってしまう。
思えば、小さい時も志穂ちゃんは、探検とか冒険とかの単語が好きだったような。
いつも手をひかれて、連れ回されていた気がする。
そして、二人で生傷をこさえて、家に戻るのだ。なんだか懐かしい。
あのころの志穂ちゃんは髪も短かったな。
教師の話を聞き、黒板をみて、ノートをとり、時には答案用紙を埋め、昼休みになった。
抜き打ちテストが出てきた時、志穂ちゃんは頭を抱えていた。
僕と志穂ちゃんは、普段そうしているように、屋上へ向かう。
雨の日は教室で食べることもあるけど、クラスメイトの視線が若干気になるのだ。
今日はサンドイッチが弁当箱に入っていた。
そして、水筒にはコンソメスープ。
「姉の中で、水筒にお茶以外をいれるのが流行ってるのかな」
「昨日はカレーだったよね。私のお茶飲む?」
「うん」
代わりに、スープを注ぎ渡す。
水筒には蓋が二つついているので、二人でちょうどいい。
もしや姉はそこまで考えてるのだろうか。まさかね。
昨日と違って、晴天で気持ちいい。
「今日テストだったねえ」
「う、嫌なこと思い出させないでよ」
「僕は体力をつけるべきだけど、志穂ちゃんは勉強を頑張るべきだね」
「そうなんだけど、難しいのよね。覚えることが多くて」
サンドイッチは、しっかりと肉の味がして、それと野菜の爽やかさが一緒になって、美味しかった。
こっちの方は卵かな。
「あの後、ミコはどうだった?」
「特に問題はなかったよ。ところどころ子供っぽいけどね。もちろん、まだ犬の姿には戻ってないよ」
はたして戻ることはあるんだろうか。僕としてはどちらの姿でもいいけれど。ずっとあのままなら、犬小屋を片付けるのもいいかもしれない。
「ふうん。でも、大丈夫か。御栗のお姉さんって、ちゃんとしてるし」
「えっ」
「ん?」
志穂ちゃんが、姉に対してそんな認識だったとは。そういえば、いつも敬語だった。訂正するほどではないけど、少し驚いてしまった。
「そ、そうだね。今頃、家でミコのお世話ちゃんとしてるはずだよ」
「そうだよね。私もあんなお姉さん欲しかったなあ」
そんな遠い目でぼんやりとされても。
それからも適当にお喋りして、食事を終えて、僕たちは教室に戻った。
そのまま午後の授業も終え、家に戻る。
志穂ちゃんも一旦自分の家に戻り、着替えてくるみたいだ。
我が校の制服は、黒っぽいブレザー。志穂ちゃんのスカート姿は学校でしか見れない。
頼み込んだら、外でも履いてくれるだろうか。そんな恥ずかしい事できないけれど。
すぐに志穂ちゃんはやってきた。
二人で蔵の前に立つ。ミコと姉は来ていない。
僕が家に戻った時、姉はミコの耳をふにふにと触っていた。ちょっと羨ましい。
昨日ちゃんと鍵をかけておいたので、それを開け、蔵に入る。
「う、埃っぽい」
「マスクでもつけてくればよかったね」
一度入ったのに、なんの対策もしていなかった。
「昨日はここで、変に光ってる本があったんだよね」
いつのまにか意識を失っていたけど、確かにあったはずだ。
「それって、あれのこと?」
二人で奥に入ると、志穂ちゃんがそれを指さしながらそう言った気がした。
ちゃんと聞こえないくらい、意識は薄れていて、そのまま。
そのまま、気づいたら砂浜にいた。
暗い蔵からなので、太陽が眩しい。埃っぽかった空気は、澄んだものに変わっている。
「う、うーん」
僕より遅く、志穂ちゃんもこの場所に気づいたようだ。
「な、なに。なんで。私、蔵にいたはずなのに。え、砂? 海?」
砂を握ったり、自分の頬を触り確かめたり、しきりに驚いている。
普段、僕より感情豊かな志穂ちゃんらしい。
「あ、御栗。良かった」
ようやく僕に気づいたようだ。わかりやすく安堵している。
「やあ志穂ちゃん。これで僕の話、信じてくれる?」
正直、二度目があるかは賭けだったけど、ちゃんと同じ事が起きてくれて助かった。
それでもまだ、元の世界に帰れる保証はないのだが。
「……。これが夢でなければ、信じざるをえないわね。でも、御栗の話と、場所が違わない?」
それは僕も気になっていた。はじめの時は、田舎のような砂利道だった。
あの時はすぐに桃太郎が出てきたけど、もしかしたら、今度は違う人が出てくるのかもしれない。
「とりあえず、歩いてみようか」
志穂ちゃんと一緒に、砂浜を歩いた。右側には、ぼろぼろの小屋のような家や、山が見える。左側はどこまでも続く、海。所々ある岩。
歩いていると、遠くに人だかりが見えた。
と言っても、背丈的に子供だ。
「ちょっと、様子を見ようか」
提案に、志穂ちゃんも頷いた。その子達に気付かれないように、岩陰にかくれつつ近づく。
どうやら、女の子を男の子数人がいじめているようだった。
木の棒でつついたり髪を触ったり。
「何、あれ」
志穂ちゃんが小声で呟く。僕も同じ事をいいそうだった。
女の子は亀の甲羅を背負っていたのだ。それ以外は、古い布でできた服を着た普通の少女。
ここで、僕は前の時と名前が似てたおかげか、ある話を思いつく。
「もしかして、この世界って浦島太郎なのかな」
てっきり同意してもらえると思ったけど、
「浦島太郎って、どういう話?」
と聞かれた。
思わず黙ってしまう。その顔を見れば、冗談でないことはわかる。
「絵本とかで読んだことは?」
「ないよ。私がインドア派じゃないのは知ってるでしょ?」
これはもう、インドアとかそういうレベルの問題ではないと思うけど。
あの時は黙っていたけど、もしかして、桃太郎も知らなかったんだろうか。
あらすじを説明しようと思ったけど、志穂ちゃんはいじめられている女の子の事が気になったようだ。
「ねえ、あの子助けないの?」
「もしここが浦島太郎の世界なら、本人が助けにくるはずなんだけど」
桃太郎みたいに、また女の子になっていたらどうしよう。
亀がああだから十分ありえる。
「……こないじゃない。もう、行くわよ」
「え」
目の前の行為に我慢できなくなったのか、志穂ちゃんは飛び出す。
しかたなく僕もそれに続く。物語が変わったり、それで変な事にならないといいけど。
「あんた達、いい加減にしなさい。女の子によってたかって」
「なんだねーちゃん」
「変な格好だなー」
「亀をいじめるくらいいいじゃん」
男の子達は口々にそう言う。やっぱり亀なのか、この子。
「御栗、この子たち、蹴散らしていい?」
「まあまあ、そんな事言わないで、平和的にいこうよ」
ろくな説明もなしに、体罰はあまりよくないだろう。どう言おうか少し考える。
「君たち、亀なんていじめても楽しくないでしょ。そこのトロそうな、おでぶをいじめたほうが、色んな反応を楽しめると思うよ」
三人の中で、一番ふくよかで気が弱そうな子を指し、そう教えて上げた。
やっぱり、からかうにしてもいじめるにしても、無反応じゃ。
「ぐふっ」
あまりの衝撃に、勝手に声がでてしまった。どうやら、志穂ちゃんに腹を蹴られたらしい。
「何巫山戯たこと言ってんのよ御栗。怒るわよ」
そんな事を言うが、僕は腹を抑えてしゃがみこむ。もう怒ってるよと突っ込む余裕もない。
「うわー。こえー」
「なんだこのねーちゃん」
「お母さーん」
三人の子供は騒ぐようにそう言って、散り散りに去っていった。
残されたのは、怯える亀の少女と、手をグーにしてまだ怒りが残っていそうな志穂ちゃんと、膝をついている僕。
「ふう、作戦どおり」
なんとか立ち上がり、そんな強がりを言ってみる。
「なにか言った? 御栗」
「言ってないです」
言ってなかった。
「あの、助けてくれたんですか?」
少女がおずおずと、声をかけてきた。
「え、ええ。結果的にそうなっちゃったのかな。あなたも、やられたらやられっぱなしじゃだめよ」
志穂ちゃんは多少照れながら、少女にそう応えた。
亀にそんな事を入っても、難しいだろうに。
「助けてくれた心優しいお二人に、お礼をしたいんです」
もしかしてこれは。
「お礼? いいよそんなの。ただ見ていられなかっただけだから」
「いいえ。させてください。お二人を、竜宮城に招待します」
やっぱりこうなってしまった。当の浦島太郎はまだ現れない。遅刻だろうか。
「竜宮城、って?」
「この海の底の、隠された場所にあります。ささ、私に乗ってください。お送りしますよ」
「……」
海の方へ行き、半身を水にひたし、甲羅をこちらに向けてくる少女。
乗れと言われても、二人どころか一人分もスペースがない。
僕も志穂ちゃんもぽかーんだ。
「あっ、すみません。これじゃあ、小さいですよね」
うっかりしたようにそう言うと、甲羅が大きくなった。さらに手綱までついている。
これなら、なんとか二人共乗れなくもないだろう。
少女が一人で、僕達を運べるかという疑問が残るが。
「ねえ、御栗。どういうこと?」
先の展開をしらない志穂ちゃんが、ひそひそと尋ねてくる。
「浦島太郎の物語だと、助けた亀にのって、竜宮城に行くんだよ。もちろん、水中で息の心配もないよ」
もしかしたら浦島太郎ではない僕たちは溺れるかもしれないが、それは気づいたら水面まで泳げばいいか。
「の、乗るの?」
「うん。乗らなきゃ話が進まなくて、元の世界に戻れないかも」
浦島太郎をまつという選択肢もあるかもしれないが、今更やってきて、役割を交代できるだろうか。
僕を信じてくれたのか、志穂ちゃんはゆっくりと、甲羅にまたがった。
僕もそれにならう。
すぐに進みだした。特に沈んだり、ぐらついたりもしない。全身水に浸かっても、不思議と呼吸はでき、目を開けるのも地上と同じようにできた。
僕達をのせたまま、少女は足をバタ足のように動かし、手は使わず泳いでいる。
あっという間に、水深数メートルまで行っている。
「志穂ちゃん、どうして僕達、絵本の中に入ってるのかな。蔵にある絵本なら、誰でも入れるものなのかな」
自分ではわからないことを、聞いてみる。
「んー。そんなのもうどうでもいいじゃない。それよりほら、みて」
それに対し志穂ちゃんはあっさりとそう言って、うえのほうを指さす。
見上げると、魚や珊瑚や、太陽の光で輝く水面が見えた。
それはとても綺麗で、もし元の世界に戻ってダイビングしたとしても、そうそう見られない景色に思えるほど。
屋上でご飯を食べるときにみる、青空とはまた違った、自然の美しさを感じる。
確かにこれを見ていると、入れた原理なんてどうでもよくなるのかも。
海中をなんの苦もなく遊覧して、あっという間に時間がすぎる。
太陽の光が届かなくなったせいか、だんだん周りが暗くなってきた時、城のようなものが見えてきた。
曲線が多く、蒼く、ところどころ海中のもので装飾がしてある。
「あれが私達の竜宮城です」
少女もそう誇らしげに答えた。その城のふもとに向かって進む。
「うわあ、すっごいね」
志穂ちゃんの感嘆の声に同意だ。
そもそも普通のお城にも入ったことないのに、初めてのお城が竜宮城とは。
外見に負けず中も、広く大きく、きらびやかで、海中だということを忘れるくらいだ。
歩く少女についていく。
中は亀の少女のように、色々な魚が女の子になったんじゃないかという見た目の、女の子や大人の女性がいた。
メイドのように働いていたり、こちらに気づき礼をしたり。
奥へ行くと玉座のようなものがある場所についた。
そこに、まさしく城の主といった風体の、ゆるやかな衣と海中の粋を集めた装飾に身を包む、一人の女性が座っていた。女帝というべきか。
「乙姫様。こちらの二方が、私を救ってくれた者たちです」
既に来ることを何かしらの方法で伝えていたのか、少女は簡潔にそういった。
「そうか。そなた達が、妾の大事な子を救ってくれた者達か。それは迷惑をかけたな。しかし、有難う」
乙姫は立ち上がり、恭しく頭を下げた。僕達としては、なんともくすぐったい気分だ。
どんな顔をすればいいかわからない。
「い、いえそんな。大した事はしてないです」
志穂ちゃんも照れたように、手を振り、そう応えている。
「そう謙遜するでない。妾は恩に対し礼を尽くす。好きなだけここに滞在するがよい。料理や観光を楽しんでくれ」
そう言えば、あの物語でも、ここに何日だか滞在していたような。
その結果、時間の流れの違いのせいで。
「志穂ちゃん、あまりここに長くいない方がいいかもね」
小声でそう言っておく。
竜宮城の事はともかく、いくら元の世界に戻った時に、時間が経ってないとはいえ、あまりこちらの世界にいるのも感覚が狂うだろう。
「そうよね。あんな些細なことで、そんなにもてなして貰うわけにもいかないし」
志穂ちゃんは別の考えだったけど、同意してくれた。
確かにしたことといえば、ちょっと子供をおい払ったくらいだ。
「ええと、本当に大した事はしていないので、そろそろおいとまさせてもらおうかな。ここにこれただけでも、いい経験だったよ」
乙姫にそう言う。
「そうか……。まあ、二人にも何かと事情があるに違いない。ならばせめて、手土産を渡そう。おーい」
乙姫がそう呼びかけると、従者の女性達が、箱のようなものを二つ持ってきた。
両手で持てそうなものと、片手で持てそうなもの。
二人だから二つなのか……。
ここでなんの考えもなしに持ち帰るのは、危ないのかも。
とりあえず、僕は大きい方を持った。志穂ちゃんが小さい方。
大きくても煙でも入ってるかのように軽い。まあそうなんだろうけど。
「いいんですか? こんな高価そうな物もらって」
「良い良い。地上に戻ったらあけてみたまえ。困ったときに、きっと役に立つ」
確か浦島太郎は、現世との辻褄をこれによって合わせる事になるんだっけ。
開けるのは危険だな。
それから、また亀の少女に乗り、僕達は砂浜に戻った。
手を箱で塞がれていたけど、やはりというか、甲羅からおちることはなかった。
砂浜につくと、少女は少し寂しそうに海に帰っていく。
前回に比べれば、それでも、あっさりした別れだった。
「御栗、これからどうするの……ってなんか透けてない?」
「ああ、志穂ちゃんも透けてるよ」
「えっやだ」
そう言って、背を向ける。
「別に服は透けてないよ」
亀を助け、竜宮城へいき、玉手箱を貰い帰ってくる。物語はこれで完結したようだ。
そう思ったけど、なんだか髪を結っていて、釣竿を持っていて、浦島太郎のような人がいたので、僕の玉手箱を近くに置いておいた。
すぐに志穂ちゃんの元へ戻る。
「どうしたの? 御栗」
「これはたぶん、あの人の物なんだよ」
貰った時からどうしようか決めかねていたけど、ちょうどいい。
あの人が拾うかどうか、その結果どうなるかは、知らない。
やがて僕達は意識を失った。
「う、けほっ」
そんな可愛らしい咳の声で、気がついた。
どうやらちゃんと、蔵に戻ってこられたらしい。急に埃っぽくなったせいか、志穂ちゃんが咳をしている。
「大丈夫?」
僕たちはすぐに外に出た。
外の空気が気持ちい。
「御栗、さっきのは、夢?」
志穂ちゃんが恐る恐る尋ねてくる。僕も最初はそう思ったものだ。
「その手に持ってるもの、みてみなよ」
言われて気づいたのか、手に持っていた小さい玉手箱を掲げる。
「あっ。じゃあ本当に……」
「うん。ミコのことも、桃太郎のことも、浦島太郎のことも、現実に起きたことだよ」
これが全て、僕の見ている夢だという考えもあるけど、それを言い出したらキリがない。
胡蝶の夢だとか。
「不思議なこともあるんだね。なんだかわくわくしてきちゃった」
まぶしい笑顔でそういう。
高校生になって、志穂ちゃんは冒険心や好奇心が落ち着いてきたと思ったけど、なんだか再燃したようだった。
二度目も特に危険はなかったし、志穂ちゃんが言うのなら、また行くのも良いかもしれない。
新鮮な景色は楽しかったしね。
僕たちは、よく食事に使う部屋で休むことにした。
急須にいれた緑茶と煎餅。この家らしい組み合わせだ。個人的にも好みである。
「カメラ持っていけばよかったなあ。あの海の中はとっても綺麗だったね」
「そうだねえ。カメラで撮れるかどうかはわからないけど」
「あのお城の人達ともまたお話したいなー」
ぱりぱりと煎餅をかじりながら、旅行にでも行ってきたかのように、感想を述べ合う。
桃太郎の時は歩きっぱなしだったけど、今回はそれほど疲れなかった。
「結構長いこといた気がするけど、こっちでは時間経ってないのね」
「うん。それは昨日の時と同じだよ。もし向こうの世界に一年とかいたら、歳がずれちゃうねえ」
「あはは。それはやだな」
二、三日じゃ大して変わらないだろうけど。
蔵に入って出てきたらおじいちゃん、そこまでいかなくても、二十歳くらいになっていたら、姉がびっくりするだろうな。
今回の話もあって、そんなことを考えてしまう。
「それにしても、これなんだろう。開けてみる?」
そう言って、玉手箱の表面を撫でている。それは黒くツヤがあって、太めの紐で閉じられている。
「うーん。あんまりおすすめしないよ。最悪、お婆ちゃんになっちゃうかも」
「えっ」
そう言えば、志穂ちゃんは浦島太郎を知らないんだった。
どうしようかな。ちゃんと説明してあげるべきか。
どうしてと聞かれても、答えられない部分もあるんだけど。
考えていたら、いきなり戸が開いた。
現れたるは姉である。
「やほー志穂ちゃん。来てたんだ」
部屋にこもっていた姉は、僕達を見るなりそう言う。仕事が一段落ついたのか、なんだかテンションが高い。
「おじゃましてます」
「あ、なにそれ」
姉はめざとく玉手箱を見つけ、手にとる。
「あ」
唖然として止める間もなく、姉はその箱を開けてしまった。
紐は簡単に外れ、蓋もあっけなくひらく。
途端、小さな箱から煙が溢れだした。ただ姉だけを包むように。
そこまで煙は多くなかったけど、家中の虫を退治する、昔つかったアレを思い出した。
地面と近い家屋だと、虫の侵入が多いのだ。
僕も志穂ちゃんも、かたずを飲んで見守る。
これでもし姉がおばあちゃんになったらどうしよう。僕は今までどおり、接することができるだろうか。
箱が小さい分、歳の加算も少ないと信じたい。
「お姉ちゃん?」
呼びかけると、段々煙が晴れてきた。すると――。
そこに小さい女の子が立っていた。見たところ小学生。
服がだぼだぼで、明らかにサイズがあっていない。髪型もその服も、姉の物と同じ。
というか、姉が小さくなったと見るしか無い。
幼くなった顔立ちを見ていたら、目が開いた。
「みっくん……? どうしたのそんな顔して」
「お姉ちゃんだよね。そ、その身体」
「身体?」
僕に言われて、姉は自分の身体を見た。やっとそれに気づいたようで、動きが固まっている。
「あの、大丈夫?」
「うわーお。私、縮んじゃった」
「え、ええええ」
驚いているというより、なんだか姉は嬉しそうだった。しきりに身体を触り、確認している。
むしろ志穂ちゃんのほうが驚いている。
こんなちっちゃい子を、姉と呼ぶのも変な気分だ。
「あ、おっぱい無い」
第二次成長期を迎えていないのか、ぺったんこな胸に気づき、肩を落とす。元の姉は、ミコほどではないが、普通くらいにはあったはずだ。
「うっ」
すでにもう迎えているのにぺったんこな志穂ちゃんが、流れ弾をくらってショックを受けていた。
要するに、あの玉手箱は若返りの効果があったのかな。たぶん十年分だ。
まあ姉も喜んでいるし、加齢よりはましなのかも。
「こんなお姉ちゃんでも愛してくれる?」
そんな事を言って、見上げてくる姉。こんな、の部分にはどういう意味が含まれているのか。先ほどの胸の話は関係あるのだろうか。それとも、妹みたいな見た目になったことだろうか。
なんだか別の視線も感じる気がする。
「えーと、姉として愛してるよ」
ちょっと恥ずかしかったが、姉として、の部分を強調してそう言う。
「ひゃー」
それを聞いた途端、両手を頬にあて、うねうね動く。
それから、ふと気づいたように姉は僕に尋ねた。
「みっくん、もしかしてさっきの箱って」
「うん。蔵に行ってきた時に、向こうの人に貰ったものだよ。ミコの姿を変えた時と同じ。今度は浦島太郎だったようだけど」
かいつまんで説明する。
「そっかあ。ほんとに凄いんだねえ。うちの蔵って。いや、凄いのはおじいちゃんかな」
そんな姿になってしまっても、明るくそんな事を言う。
「いやお爺ちゃんはすごいかもしれないけれど。どうするの? こんな事になっちゃって、これから」
「ん? うーん」
腕を組み、考え込んでいる。脳内でシミュレートしてるのだろうか。
「うん。なんとかなるっ」
ぽむ、と手を合わせ、あっさりと言い放った。どんな今後を思い浮かべたんだろうか。
「そうなの?」
「だあって、仕事は文章書くだけだし、料理もできるし、問題ないよ?」
なんだか姉の笑顔を見ていると、本当になんとかなりそうな気がした。
担当さんとかに会うときも、あっさりと説き伏せてしまいそうな。
「さすがに服は買わないとかなー。こんな小さい時のは、さすがにとっておいてないしねー」
ミコの次は姉の服か。一緒に買いにいくんだろうか。
「四葉ー。どこだわん」
ミコがやってきた。そしてすぐに、小さくても姉に気づく。匂いだろうか。
「あっ四葉。ん? なんか小さくなった? ま、いいか。それよりお腹すいたわん」
簡単に大事件を流してしまった。なんかミコと姉って、考えが似てるなあ。飼い主に似るってやつかな。
「わーい。ミコ大きい。下からだと大迫力だねえ」
姉がまたミコに抱きつき、見上げる。こうしてると、子供とお姉さんである。
中身の年齢は真逆なのだが。
「お腹だっけ。あっちにお菓子あるよ」
姉はミコを連れ、そのまま行ってしまった。足元も服を引きずったままだ。
「御栗のお姉さん、寛大だね」
志穂ちゃんがぽつりと今の流れを見て感想をもらす。
それにしてもあの箱、僕や志穂ちゃんが開けてたらもっと大変だったろうな。
六歳くらいになっちゃってたかもしれない。そうなったらさすがに学校にも通えない。
「寛大といえば、寛大なのかな」
脳天気、ポジティブと言ってもいい。
「あの、ごめんね。私がちゃんと箱を持っていれば、こんなことには……」
「いや、あれはどうみても、勝手にあけた姉が悪いよ。それになんだか全然苦に感じてなさそうだし、いいんじゃないかな」
それでも責任を感じたのか、志穂ちゃんは謝る。改めて、僕と違ってちゃんとした良い子だなあと思う。
まったく、内容は平和だったのに、乙姫もえらい手土産を残してくれたものだ。
それから僕達は適当に雑談をして、志穂ちゃんは帰っていった。
一人になり今日を振り返り、今更ながら、漫画やらでよくみるデートみたいだったなと、ふと思った。
僕と志穂ちゃんはそんな関係ではないけども。
志穂ちゃんが帰ったあと、姉は小さくなっても、今まで通りに過ごしている。
手足の短さに苦戦しつつも夕ごはんも作ってくれた。
手伝おうと思ったけど、身体に慣れるためにもいいと言われてしまう。
見た目小学生が頑張っていると、なんとも言えない気持ちになってしまうのだが。
踏み台を使ったりして、姉が何とか作った料理を、僕達は食べる。
「みっくん、学校でお友達できた?」
たまに今と同じような事を聞いてくる。僕の答えはいつも同じだ。
小さい姉に心配されるとまた違った感覚だけど。
「ううん。いつもどおりだよ」
「そっかー。いくら私や志穂ちゃんがいるからって、他に一人もいないのも、お姉ちゃんとしては気になっちゃうなー」
「ぼくもいるわん」
ミコがそんないいセリフを言う。
「わー、ミコ格好いい。ナデナデしたい」
食事中だからか、本当にしたりはしなかった。
「ミコは、お友達いる?」
せっかく喋れるようになったのだから、聞いてみる。話題をそらすためでもある。
「たまに来る、猫さんや鳥さんとはよく話してたわん。ご近所付き合いというやつわん」
犬時代の頃の話かな。
「すごい。猫さんや鳥さんともお喋りできるんだねー」
今もできるんだろうか。だとしたら、通訳もできたりして。
ミコはいろいろと凄いなあ。体力もありそうだし。
「猫さんは、毎度餌を探したり貰ったりするのが大変だと言ってたわん。鳥さんは、黒くて大きいカラスにいじめられたと言ってたわん」
「カラスは増えてきてるもんねー」
動物の世界もいろいろと世知辛いようだ。
食事を終えると、
「みっくん。一緒にお風呂はいろ」
姉がそんなことを言ってきた。
「入るわけないでしょ」
「えー。なんでよう。私がこれくらいの時、一緒に入ったじゃない」
「それは僕が四歳くらいで、たぶん一人じゃ入れなかったからでしょ。今は二人共一人で入れるんだから」
覚えてるわけじゃないがそんなところだろう。
「前の身体じゃみっくんが興奮しちゃって大変だけど、この身体なら平気でしょ?」
別方向からも攻めて来る。
「はいはい、アホなこと言ってないで、僕一人で入るからね」
「ぶー」
頬をふくらませている。人間は、服や外見が変わると性格もそれにつられるというが、姉も幼児性が増したんだろうか。
いや、元々こんなだったか。
抱きつく姉をひっぺがして、僕は一人で入る。さすがに勝手に入ってはこなかった。
「御栗ー。来たよー」
次の日。
志穂ちゃんがやってきた。
昨日の蔵の、旅行というか冒険というか異世界へのお出かけが、えらく気に入っていたようなので、また来ると思っていた。
「ほら、御栗、行こ。今度はどんなところなのかな」
「でも、危ない所かもしれないよ」
世の中、平和な物語ばかりではないのだ。
「なんとかなるでしょ。小さい頃、遭難した時も大丈夫だったじゃない」
たしかにそんな事もあったかな。遭難といっても、ちょっとした山にあったアスレチック広場から、範囲外にでてしまっただけなのだが。
「あの時は御栗泣いてたよね」
「そうだったっけ」
結局押しに負けて、蔵に行く。何度きても埃っぽさには慣れない。
「二度あることは三度あるっていうし、また同じ事起きるよね」
志穂ちゃんは期待をこめて言う。
「あれ」
視界の端に光るものがあった。それを指さす。
志穂ちゃんが気づいたかどうかわからないまま、意識が落ちる。
「うわっ」
気づいたら、海中にいた。
目の前は青く、魚がゆうゆうと泳いでる。腕を振るたびに泡が小さく沸く。
しかし、前回のように、息はできるし苦痛はなかった。
ただ水中特有の浮力はあるのか、泳ぐこともできる。
「わわ、え? 水?」
志穂ちゃんもなんだか手をばたつかせている。
「今回はまたおかしな所にでたね。周りには誰もいないみたいだけど」
「もしかして、また浦島太郎?」
「どうかな。ちょっと泳いでみよっか」
僕はそのまま、水をかきわけ進んだ。歩くより遥かに速い。
志穂ちゃんもちゃんとついてきている。
やがて、しばらく泳いでいたら、怪しいものが見えてきた。
占い師が中にいそうな、天幕みたいな形をした岩。まわりにも、貝殻や魚のほねが飾りつけてある。
こっそりと、僕たちは中を覗いてみた。
そこに、鼻が長く黒いローブのような服を着た老婆と、
「え、何あの人。足が」
いわゆる人魚がいた。志穂ちゃんが驚いている。
何処かで見たことがあるような、貝を胸に当てている。きわどい。
黒髪も長く、美術品のように趣があった。
「魔女様、どうかあのお方に会えるように、足を用意してくださいませ」
人魚は真剣な表情で、そう言う。それはとても綺麗な声で、たとえどんな気分の時でも、聞くだけで和やかになれそうだった。
「ひひ、いいだろう。ただし、もし相手と成就できなければ、あんたは泡となって消えてしまうよ。それと、声も出せなくなる。その美しい声をだ。それでもいいのなら、この薬を飲むといい」
老婆は人魚を指さして怪しげに言う。さらに、袖から丸薬のようなものをとりだした。
人魚は真面目な表情のままそれを受けとった。
最後に礼を言い、水面近くにむけて上昇していく。
「どうやら、この世界は人魚姫のようだね。ちょうどこれから、人間の姿になるところかな」
岩から少し離れて、なるべく静かに話す。
「それは、どういうお話?」
「やっぱり知らないんだ。ええと……」
ここでなんだか嫌な予感がした。
あらすじを話そうと思ったのだけど、人魚姫は悲しい話なのだ。
もしそれを聞いたら、志穂ちゃんは人魚姫を応援するだろう。かなり全力でだ。
その結果、物語が螺子曲がり、人魚姫と王子様が結婚に至ったら。
果たして僕たちは帰れるのだろうか。
浦島太郎の件を踏まえると、あまり厳しい世界ではないと思うけど。
悩んだ僕は、とりあえず先延ばしにすることにした。いつもこうだ。
「さっきあの人魚さんが言ってた通り、人間になって意中の人を射止めようと頑張るんだよ」
ネタバレはよくないよね。
「なにずっと考えこんでたの?」
「え、いやちょっと思い出そうとしてて」
志穂ちゃんがじとっとした眼でこちらを見ている。しかしすぐに元気になった。
「でも素敵ね。好きな人のために声を失ったり、人魚でなくなったり、そこまでするなんて」
ほわほわした眼で虚空をみている。
志穂ちゃんって、ラブストーリー好きだっけ。
「じゃあ、追いかけようか。たぶん、砂浜に上がっているはず」
あまり物語と関係ない所で長話もできない。
僕たちは空に向かって泳ぎだした。
意外と砂浜も近く、なんとかたどり着くと、そこには裸の女性がこちらに背を向けて立っていた。
おどおどと首を振り、何処に行けばいいかわからなそうな様子だ。
「見ちゃ駄目っ」
志穂ちゃんに目隠しされ、強引に後ろを向かされた。あやうく首が折れる所だ。
「いいっていうまで、こっち見ないでよ。ちょっと上着貸して」
「あいあい。おっと」
やや強引に上着を脱がされてしまった。
仕方なく砂粒を眺めていると、足音が遠ざかっていく。
さらになにやら説明している。そして衣擦れの音。
「いいよー」
振り返ると、もう危ないものはみえなかった。きわどいものは見えるが。
人魚姫、いやもう人魚ではないのか。
姫は腰に僕と志穂ちゃんの上着を巻き、スカートに見えなくもない。
上は貝殻のままだった。
あれ、人魚姫ってこんな格好するんだっけ。
近づき、とりあえず姫に自己紹介をすませた。怪訝な表情をされるが、仕方ない。
「私、協力するからね。頑張って、想いを伝えましょっ」
力強い志穂ちゃんの声。姫の手をとっている。
まるで自分のことを重ねているかのようだ。志穂ちゃんのそういう話は聞いたことないけれど。
「志穂ちゃんの言うとおり、僕たちはなるべく力になるよ。他の世界からきたんだ。国といってもいいけどね。好きな相手って、王子様なんだよね?」
「そうなの?」
僕達の問いに、姫は頷く。声が出せないので、それくらいしかできない。
「確か、王子が溺れているところを助けた。でも今は何処にいるかわからない」
また姫は頷く。何で、そんな事を知ってるんだと言いたげな視線だった。
「えーと、僕達については、あんまり気にしないでくれるといいな」
あの老婆みたいに不思議な力があると言おうと思ったけど、なんだかややこしくなりそうだった。
「だったら、その事に気づいてもらえれば、王子様とお話できるんじゃない?」
「だからさ、もう声が出せないんだよ」
お話どころか、気づいてもらうのも難しい。
「そうだったね……。なんであの人は、そんな酷いことをしたのかな。知ってる?」
志穂ちゃんが姫に尋ねるが、複雑な表情をするだけで、イエスともノーとも応えない。
あまり老婆を悪く言ってほしくないのかもしれない。
物語には、どうしてそんな制約があったのか、書いてなかった気がする。
僕も不思議に思ったものだ。
もしかして、愛は障害があるほうが燃える、というやつなのだろうか。
なにやら、急に姫が口に手をあて、驚いてる。
手で示した方を向くと、砂浜を二人の男性が歩いていた。
片方は執事のような燕尾服に、白髪に白ひげで初老。
もう片方は、黒髪でさっぱりしていて、スーツのようなズボンとシャツとネクタイだった。暑いのか背広は執事が持っている。
結構若く、二十歳前後に見えた。
あれなら、僕達の世界にもいそうだ。
「もしかして、あれが王子?」
僕が聞くと、姫は頷いた。
そのまま、王子達の元に駆け寄ってしまう。まだなんの作戦も立てていないのに。
「なんだ、君は」
ひと目見るなり、王子はそう言った。
それにショックを受けつつも、なんとか身振り手振りで伝えようと頑張っている。
王子には、姫は見覚えがないようだ。
溺れていた時に、気絶していたのだろう。
「確か砂浜までは運んだけれど、王子が目を覚ました時には、別の女の子がいたとか」
志穂ちゃんに小声で伝える。
当然、そんな身振り手振りでは王子には何も伝わっていないようで、突然現れた姫を訝しんでいる。
見ていられなくなったのか、志穂ちゃんが側に行った。
「この人が、あなたを助けた張本人なのよ。ちゃんと何を伝えようとしているのかを、みてあげなさいよ」
志穂ちゃんはそういうが、
「言いたいことがあるのなら、声を出せばいいじゃないか。それに、私を助けてくれたのは、別の人間だぞ。いい加減なことを言うな」
王子は冷たく突っぱねてしまう。
姫は肩を落とす。
「そんな事言っても、声が出せないのよ。ちゃんと、溺れていたあなたを、この人が砂浜まで運んだんだから」
「何故知っている……? しかしそうか、声が出せないとは、知らずに悪いことをした。
だが、それなら私が目覚めた時、側にいたはずではないのか」
そう言われて、志穂ちゃんは言葉に詰まる。
身体が人魚だったから、側にいることはできなかったと言っても、信じてもらえないだろう。
黙っていると、
「王子、あまり怪しい者とかかわるものではありません」
執事がそう言って、王子を連れて去ってしまった。
「あ、ちょっと」
志穂ちゃんの声が虚しく響く。
とぼとぼと二人は帰ってきた。
最初の邂逅は失敗に終わってしまったのだ。物語のとおりに。
それから僕達は、砂浜をぬけて街に上がった。
海の近くに栄える街のようだ。漁業が盛んなのだろう。
レンガでできた家や建物が並んでいる。
別に観光にきたわけではないので、夜になっても困ることだし、王子を探しはじめた。
志穂ちゃんは、ゆっくり見て回りたいと思っているかもしれないが。
街を三人で歩きまわる。
住民がひそひそと、何やら話していた。
「おい、聞いたか。もうすぐこの国の王子が結婚するらしいぜ」
「お前情報遅いな。これは知ってるか? 相手は王子の命の恩人だとか、魚捕りの名人だとか」
「なんだそれ。確かなのか?」
それを聞き、姫と志穂ちゃんは青い顔をしている。
やはり、物語のとおりに進むのか。
そういえば、と今回の件とこれまでを思い返す。
桃太郎の時は、主人公が暴走ぎみで、僕がいなければ物語が歪んでいたかもしれない。
浦島太郎の時は、そもそも主人公が不在のままほとんど終わってしまった。
今回は、そういった問題はまだ起きていない。多少風景やらが違うくらいか。
このまま、物語のとおりに進むとしたら、僕たちは何もしなくてもいいのかもしれない。 この三件を改めると、手助け、主人公に代わる、そのまま、のパターンとも言える。
まあ、まだ当てずっぽうの推測か。
どうでもいいことを考えていたら、前の二人が慌てていた。
「御栗、あれ、あれ」
志穂ちゃんが示した方に、王子が執事と歩いていた。
今はあまり人気の無い場所だが、こんな風に歩いていて、騒ぎにならないんだろうか。
民衆にあまり顔を知られてないのかもしれない。
結婚前の気持ちを散歩で紛らわせているのかな、と勝手に気持ちを想像してみる。
「今度は別の手でいきましょ」
志穂ちゃんの合図で、僕たちは王子を見失わないようにしながら、作戦会議をはじめた。
「声が出せない前提で、どうやって王子に気づいてもらうか」
「もうそこはとばして、直接想いをぶつけたら?」
「だめだよ志穂ちゃん。王子はもう結婚寸前なんだから」
今更別の子に心変わりはしないだろう。
特別な事でもおきないかぎり。
「んー、なら、手紙とか」
「志穂ちゃん、ペンとか紙持ってるの?」
「言われてみれば、持ってない」
志穂ちゃんは一応ポケットやらを探し始めた。
「あれ? 携帯も忘れちゃったかな」
昨日写真を撮ると言ってたのに。慌てて着替えて僕の家にきたんだろうか。
「でも、文字で伝えるのはいいと思うよ。手段さえあればね」
「うーん。私、ペンと紙貰えないか聞いてくる。待ってて」
そう言って、志穂ちゃんはどこかへいってしまった。相変わらず行動に移るのが早い。
のんびり屋の僕としては見習いたいものだ。
これだけ人や店があれば、持って帰ってくる確率は高いだろう。この世界の紙の価値がどれほどかは知らないけれど。
先の展開を想像して心配になるが、方針を決めかねている僕はどうすることもできなかった。
意外と早く、志穂ちゃんは戻ってきた。
持っていたのは、ペンというよりクレヨンというか木炭というか、そんなようなものと、切れ端のような手のひらサイズの紙。
それでも姫はそれに、想いを込めるように書き続けた。
「これで、振り向いてもらえるといいわよね」
「そうだね。それにしてもよく手に入ったね」
「男の人に熱心に頼んだらくれたよ。本当は人魚姫のためにも、もっといいものが良かったんだけどね」
志穂ちゃん、学校でも男子に人気あるからな……。僕も女の人に頼んだら、同じようにいくかな。
やがて姫はそれを書き終えた。
視界からは消えていたけど、道をたどり王子を発見する。
「待って」
志穂ちゃんが呼び止めた。
「また貴方達ですか。あまり王子につきまとわないでもらいたいですね」
執事が、警戒するように言う。
「今度は手間をとらせないわ。手紙を渡したいだけなの」
「ふむ」
どうなることかと思ったけど、姫の手紙をちゃんと受け取ってくれた。
これ以上警戒されないためにも、すぐに僕たち三人はその場を去る。
「なんとか渡せたわね。これで気づいてくれるといいんだけど」
はたしてそううまくいくのかな。
落ち着いてきたら、姫が僕の服をひっぱった。
「こっち? 行くの?」
こくりと姫は頷く。
きた道を戻り、姫についていくようにして、僕たちは砂浜に戻ってきた。
「ここで待ち合わせ?」
またこくりと頷いた。
手紙を出した以上返事を貰わないといけない。
そのために、ここの場所を書いておいたのだろう。
僕たちは待った。事が事だけに、僕も志穂ちゃんも特に遊んだりもせず、ただひたすらと。
波の音が止まること無く流れる。
陽が少し傾いたか。
時計がないのでどれくらい待ったかわからないが、やがて王子が現れた。
立ち上がり、対峙する。
「手紙、読ませてもらった。しかし……」
口が重そうだ。何を言おうとしているのか、少しだけ予想がつく。
「しかし、内容を信じるわけにはいかない。もう、そういう段階ではないのだ。もし君が人魚というのなら、その姿を見せてもらえば、また別かもしれないが」
そんな事を言われても、どうしようもない。
しかし、そんな手紙を無碍にせずここまで来てちゃんと断るなんて、良い人だなと思った。
姫が背を向け、嗚咽するように震える。それを見るが、何も言わない王子。
「……さようなら。僕達は明日、婚約する」
そのまま、別れの言葉をつげて、王子達は去っていった。
姫を諦めさせるためのような台詞を残して。
立ち尽くす僕達と、砂浜に手をつく姫。落ちた涙を砂が吸っている。
いつのまにか空はうっすら赤みがかっていた。もう今日も終わりが近い。
つまり、姫の命も。
「これって、そのとおりなの?」
志穂ちゃんが僕の側に来て、小声でそういった。
詳しく言わないのは、姫に配慮しているんだろう。これでも僕には伝わった。
「うん。まあね」
勿論この物語について。
「そうなんだ……」
「別に、こうなることを望んでいたわけじゃないよ」
言い訳めいていても、一応言う。こうならなかったことを望んでいたわけでもないけれど。
結局、意図を伝える人間がいようが、手紙といえど意図を伝えることができようが、物語は変わらなかったのか。
都合よく王子に会えたことといい、本当にこの世界はよくできている。
志穂ちゃんほどではないけど、僕も少し、気分が落ち着かない。
「もう、終わりなの?」
と聞かれるが、残念ながらなのか、良い事なのか、
「いや、まだだよ」
と答えるしか無い。
僕が答えた直後、海からそれらは現れた。人魚だ。
彼女達をみて、姫の以前の姿を思い出す。
姫はすぐにそれに気づき、海に駆け寄った。見知った人達をみて安心した様子だ。
しかし、一言二言話したあと、彼女達のうちの一人が、言いづらそうに言う。
「本当に人間の姿になっていたのね。あの老婆から全て聞きました。地上の様子をみていたようで、あなたに何があったかも。もう海に帰りなさい。老婆に頼み込んだ所、元の姿に戻る方法が一つだけあるそうです。あなたの心を奪った人間の胸に、これを刺すのだと」
人魚は鈍く光るナイフを取り出した。姫に手渡す。
「私達は待っていますよ」
怯えるように震えつつも、それを受け取った姫を確認して、彼女達は海に帰っていった。
姫には帰る場所があるのだ。
その展開を初めてみた志穂ちゃんは、何も言えない様子。
姫はナイフを手に、目を閉じている。何を思っているのか。
あえて口に出したりはしないが、確認だ。
王子をさせば人魚に戻れる、刺さなければ、明日には人魚は泡になって消えてしまう。
もし僕が同じ状況だったら。
僕は自分の命を捨てる気は全くないので、刺すだろう。
結果、王子の周りの人間が悲しむとしても。
それは僕が消えて、僕の周りの人間が悲しむのと同じ事だ。僕の周りに悲しんでくれる人がいるかは別問題。
志穂ちゃんは何を考えているのだろう。二人とも助かる道を必死に考えているのかな。
ここで奇跡のように、たったひとつの冴えたやりかたでそんな方法を見つけ出したら、それこそ物語的だけれど。
残念ながら志穂ちゃんの表情に思いついた様子はない。
三人がそれぞれ何かを思いながら、時間が過ぎていく。
突然、姫が目を開け、腕を上げた。その手にはナイフ。
「待って」
投げようとした姫を、志穂ちゃんが止める。
「いいの? そんな事したら、あなた消えちゃうんでしょ?」
答えを決めたわけではないはずなのに、必死にそう言う。
姫の方はもう心を決めたように、頷いた。
「そんな……」
好きな人の命を、自身の命より優先する。
清く美しいのかもしれない。
僕にはまだわからない考えだけれど。
志穂ちゃんの動きが止まったのをみて、姫はナイフを投げ捨ててしまった。
僕も止めるべきだったろうか。止めなくて、後悔はないだろうか。
ナイフを捨てたことで、何かが定まったのか、姫の身体が泡立ちだした。
「いや……」
海に腰まで入り、姫はこちらを向き手を振っている。
言葉は何もない。
せめて海で、最後を迎えたいのだろう。
その表情は悲しげに見えたけど、確かに笑顔だった。もしかしたら僕の心がそう見せたのかもしれない。
そのまま、姫は姿を消した。
泡だけが、空にむかって飛んでいく。
僕達の姿も薄くなり始めた。しかし、お互いに何も言わない。
王子は結婚して幸せに暮らすんだろう。人魚たちは姫が消えて、無くかもしれない。
あの老婆は、何を思っているのだろうか。
思い残すようにそう考えていたら、意識が途切れた。
「戻ってきたかな」
視覚や嗅覚の情報をもとに、僕は呟いた。
相変わらずきた時と同じくらい外は明るいようで、丸一日でも経っていないかぎり、同じ時間のようだ。
軽く伸びをする。
志穂ちゃんも意識を取り戻したようなので、外に出ようとした。
「御栗、ちょっと待って」
所を、志穂ちゃんに呼び止められた。
「なに?」
「続き、書いてないかな」
元気なさげに、絵本を探している。僕も手伝い、すぐに見つかった。
志穂ちゃんは一ページ目からゆっくりと読み始めた。
内容は、ほぼいま見てきた通りのままだ。
その姿をみて、初めてこの蔵に来た時の自分の行動を思い出す。
僕もあの時、物語の続きを探したものだ。
ページは少ないので、すぐに最後まで進んだ。
横から僕も眺める。
そこには、空気の精になり、天国へ昇っていった、と書かれていた。
「そっか。そうなんだ」
絵本を閉じ、納得したのかはわからないが、頷く志穂ちゃん。
今回は、あまり物語を知らない志穂ちゃんには、ショックが大きかったかもしれない。
世の中には、楽しいお話もあれば、憂鬱なお話もある。
人によっては、そこに色々な解釈を感じるのだけど。
僕達はまだそこまで深く読み解くことができない。
そのまま、入った時とは全く違うテンションで、蔵を出た。
居間に移動する。
「今回はあんまり新鮮な景色はなかったねえ。街並みが綺麗だったくらいかな」
「綺麗だったね」
志穂ちゃんはそう呟く。
「それでも、人魚の足の部分は、初めて見るものだったかな。絵本やらとちがって、実物を生でみると、なんだか不思議なものだったね。よくあんな姿で泳げるものだ」
今回の感想を言う僕と、ぼけーっと呆けている志穂ちゃん。
気持ちの折り合いがまだついていないのだろう。
このままほっといてもいいのだけど、そういえば、と思い出す。
「志穂ちゃん、勉強しよっか」
「ええっ。なんで?」
現実的で嫌な単語に、露骨な反応を示した。
「ほら、もうすぐテスト期間だよ。最近抜き打ちテストもあったじゃない。せめて追試にはならないようにしないとね」
「もぉーなんでよー。あっちの世界のこと考えてたのに」
机にぐでっと、しなだれかかってしまう。
「あっちの世界はあくまで絵本。現実と違って物語なんだよ。僕たちは現実に生きてるんだから、やることやらないと」
と言っても、実物のような生の世界を見てきたので、簡単にはいかないかもしれない。
「じゃあ、必要なもの持ってくるからね。帰っちゃだめだよ」
言い残して、僕は自分の部屋へと向かった。
志穂ちゃんが苦手な教科書と、ノートを持つ。
それをいったら、ほとんどの教科なのだが。
今日はまだ夜まで数時間あるか。あっちでは夕方過ぎてたから、なんとなく不思議な気分だ。
戻ると志穂ちゃんはまだ机と抱き合っていた。
「じゃあ、まずは数学かな」
「うげ」
女の子らしくない一言だ。なんて言ったら女性差別と言われてしまう。
「暗記と応用、数学は全ての基本だよ」
教師がそんなようなことを言っていた気がする。
身を起こさせて、教科書とノートを開いた。
志穂ちゃんの頭に、公式を叩きこんでいく。心情的には、脳に油性マジックで書き込んだり、彫刻刀で刻みこむ気分。
そしてそれらを使った問題を解かせていく。僕としては、ルールを覚えて対戦ゲームに興じるようなものだと思う。
キリのいいところがなかったせいか、その日はひたすら数学をしてしまった。
あまり一つの教科ばかりしても、他の教科の追試は免れないのに。
日が暮れる頃には、志穂ちゃんは勉強が始まった時以上に、机に倒れ込んでいた。
「志穂ちゃん、お疲れ様」
「ふ、ふぁい」
「ファイ? オイラーの関数だっけ」
「……」
トドメをさしてしまったかもしれない。
別の教科は明日以降にするしかない。
「やっほー。あら、お勉強? 偉いねー。もう外暗いけど、志穂ちゃんうちで食べてく?」
「そうだね。そうしなよ」
もう帰る気力もなさそうだし。今更遠慮する間柄でもない。向こうの家族も、ああ、またかな、くらいに思ってるだろう。
一応、姉が向こうに連絡をいれている。
「よーし、頑張っちゃうぞう」
姉はやる気満々のようで、短い腕をまくっている。
志穂ちゃんが手伝おうとして、断られていた。デジャヴを感じる。
大人しくテレビを見る僕達、ミコも一緒だ。もう気力はつきていそうなので、勉強は休憩中。
「ミコ、もうすっかり馴染んでるね。犬が人になるなんて、凄いことのはずなのに」
「元々大人しい方だったからね。それに、まだほとんど家の外に出てないから」
無論、寛容な姉や流されやすい僕しか住んでいないのものあるだろう。
噂を振りまく人、研究所に送りたがる人、商業に利用しようとする人等がいたら、もっと大変なことになっていたはず。
「四葉も御栗もやさしくて好きだわん」
ミコは恥ずかしげもなく言う。
「私は? 私は?」
「もちろん志穂もだいすきだわん」
「えへへ」
わざわざ言わせて、にやにやしている。志穂ちゃんに撫でられて、嬉しそうなミコ。
「それにしても不思議だわん。こんな薄い物の中に、いろんなものがでてくるなんて」
そんな、まるで昔の時代から来た人みたいなことを言う。
「そうだねえ。志穂ちゃん、説明してあげたら?」
「えええ」
僕のぱすに、焦っている。ミコは期待をこめた眼だ。
「えーと、遠くでこの画面と同じ事をしてて、それを電波でここに……」
しどろもどろだが、一応そんな説明をした。
勿論ミコの頭には?マークが浮かんでいる。
「御栗も説明してみなさいよっ」
楽しみながらそれを見ていたら、パスを投げ返された。
「ミコ、この世界にはね、理解しなくてもいいこともあるんだよ。鳥がなぜとべるのか、野菜よりお肉がなぜ美味しいのか、とかね」
「ふむふむ」
返されたボールはあさっての方向へ飛ばす。
「なにそれ、ずるい」
「できたよー」
姉の呼ぶ声がした。僕たちはそちらへ向かう。机の上には、四人分の料理が並んでいた。
中央に大きいサラダと、個別に味噌汁やご飯やとんかつ。
ミコの場所にはスプーンとフォーク。
「いただきます」
四人一緒にそう言って、食事をはじめた。
「ミコもお箸使えるようになるといいね」
志穂ちゃんが、ミコの拙い手つきを見ている。味噌汁にスプーンという不思議な光景だ。
「お昼にちょっと教えてるんだけどねー。ミコ不器用なのかな」
元々牙と爪しか使わない生き物に、それを求めるのは酷だ。
「難しいわん」
姉を見ていて、ふと人魚姫の事を聞こうと思ったけど、志穂ちゃんがいるのでまだやめておく。
愛の小説家として、何か含蓄のある意見を聞けるかもしれないけれど。
せっかく空気が変わったのに、また掘り起こすこともない。
とんかつには、付属品に様々なバリエーションがあるが、今回は大根おろしとポン酢だった。衣のサクサク感は薄れるが、さっぱりとしていて美味しい。
ミコもお肉が嬉しそうだ。しかし、ちゃんと野菜も食べている。
身体が変わったので人間と同じ物を食べるのだろう。
「みっくん、今日もあっち行ってきたの?」
触れないようにしていたけど、姉の方からそう聞いてきた。
「う、うん。まあね」
「へー、こんどはどんなお話? 新作の資料になるかなあ。お土産はあるの?」
そういえば、今回はきびだんごや、玉手箱みたいなものをもらっていない。
まあ、話が話だけにしょうがないのかな。
「今回は人魚姫でした。お土産は、そういえばないです」
答えあぐねていたら、志穂ちゃんがあっさりと答えた。
もう大丈夫かな。
「人魚姫かー。あれって悲しいよね。でも、グッドエンドだけが世界の物語じゃないんだよねえ。ただあの主人公の意志の強さは、とても美しいと思うよ。私もたまにはそういうお話も書こうかなあ」
この脳天気な姉に、そんな暗い話が書けるのだろうか。いや、作品を読んだことはないけれど。
「意志の強さ」
姉の意見をきいて、志穂ちゃんは考え込んでいる。お皿の上に余っているとんかつをミコが見ているが、もしや欲しいのだろうか。
僕のを一切渡しておく。
その日は、そのまま志穂ちゃんも適当に帰り、就寝した。
それからは蔵にいかず、勉強の日々。志穂ちゃんは嫌な顔はするが、頑張っている。
別に時間は経たないので蔵に行ってもいいのだが、終えたあとのご褒美とした。
毎日僕の居間で、英語がどうの漢字がどうの歴史がどうのと言い合う。
脳によさそうな甘いものでもあればよかったのだけど、うちにはあまりそういうのはない。
姉の執筆活動にも評判の静かな家なので、勉強が捗る。
違う世界に行っていた間と違って、随分と平凡な数日間だった。
なんだか長く感じる。
といっても、一日の長さは短くなったのだけど。濃密度の問題か。




