第2話 明日、私はどこに行けばいい?
レティシアは、綺麗な姿勢でお辞儀をした。
「……急にずいぶん親切になったね」
レティシアは満面の笑みで言った。
「支払いの確認さえ取れれば、わたくしたちは全力でお客様の味方でございます」
「ありがとう。そういう切り替えの速さ、私は嫌いじゃないよ」
「ありがとうございます」
「……うん、それは褒めてない」
湯あみを終える頃には、食事までレティシア自身が運んでくるようになっていた。
さっきまで閉じ込め部屋で十分と言われていたのに、いまは最上級客室で給仕付き。
変化が露骨すぎて、逆に清々しい。
この世界、ほんとうに金額で態度が変わるらしい。
料理は、香草の浮いた澄んだスープに、白いパン。
照りのある肉の横には、見たことのない豆と根菜がきれいに添えられていた。
知らない料理なのに、胃の方は迷わず歓迎したらしい。
舌は異文化交流に慎重でも、空腹はだいたい国境を越える。たぶん。
食べながら、レティシアを見る。
さっきまでの刺々しさはだいぶ薄い。
でも、完全に気を許したわけでもなさそうだった。
今のところは、金払いのいい客として扱う、くらいの距離感らしい。
それで十分だった。
少なくとも、昨日までの私には、その十分すらなかった。
「レティシア。ひとつ確認したいんだけど」
「はい、サトコ様」
「私がいま受けてるこの扱いって、神殿の特別対応? それとも、お金を払える相手なら普通にこうなるの?」
レティシアは少しだけ目を瞬かせた。
ちょっと意外そうな顔をした。
たぶん、そこを聞かれると思っていなかったんだと思う。
「両方でございます。大神殿は本来、女神アルテリアを拝する巡礼の方々をお迎えする場でもありますので、相応のお部屋とお食事は用意しております」
「つまり、高い部屋は最初からある」
「はい」
「で、払える相手にはちゃんと出す」
「はい」
「なるほど。実にわかりやすい」
レティシアは、わずかに胸元へ手を当てた。
「アルテリアは、この国でもっとも篤く信仰されている女神でございます。こちらの大神殿は、その総本山にあたります」
「観光地みたいなものなんだ」
「巡礼地、と申し上げたほうが正確ではございますが、概ねそのご理解で問題ございません」
食べ終わる頃には、ようやく頭が回り始めた。
お母さん、心配してるだろうな、とは思う。
でも、いま先に考えるべきはそこじゃない。
戻る方法より、明日を生きる方法だ。
窓のそばまで歩いて、外を見る。
石造りの建物が並んでいて、道には明かりが点々と続いている。
見た感じ、機械らしいものはない。建物も石か木ばかりだ。
文明レベルは、だいたい中世寄りで合っていそうだった。
魔法があるのか。
女神信仰がどこまで本気なのか。
勇者とか魔王とか、そういう物語の骨格まで実在するのか。
そのへんはまだ全部霧の中だ。
わからないことだらけなのに、世界観だけはやけに濃い。
そもそも、なんでこの世界にいるのか。
誰に聞けばいいのかもわからない。
わかっているのは一つだけ。
私はこの世界のことをほとんど知らない。
なのに、明日にはここを出される。
要るのは情報だ。
それも、雰囲気の話じゃなく、生きるための情報。
振り返ると、扉のそばにレティシアが立っていた。
目が合うと、向こうは少しだけ姿勢を整えた。
「お食事を運んだ後、何かお困りのことがあればお手伝いいたしますが……」
「これ、もしかしてチップ待ちかな?」
「……いただけるのでしたらありがたく」
「いいわ。今夜だけ、私の案内役をお願いできる? 必要なことだけ聞きたい」
レティシアはわずかに間を置いた。
こちらの値打ちを見ているみたいに。
「……内容によりますが、承りましょう」
レティシアは無言で黒い石を差し出した。
「これ、情報料込みね。嘘が混じってたら、その分は返してもらうから」
レティシアの口元が、今度は本物の悪戯っぽさを含んで上がった。
「かしこまりました、サトコ様。お得意様からのご質問には、できる限り丁寧にお答えいたします」
「じゃあまず、この世界で明日いきなり困ることを、結論から教えて」
レティシアは少しだけ表情を曇らせた。
「明日ここを出られますと、サトコ様は家も借りられず、宿にも泊まれず、生活の入り口がほとんど閉ざされます」
「でも、さっきは払えたよね?」
「ここが神殿内だからです。大神殿の記録系は、魂紋を直接照会できますので」
「神殿の外だと?」
「普通の店や宿では、本人台帳と照合できなければ、取引そのものが通りません」
「つまり、残高がないんじゃなくて、私が見えてない」
「はい。サトコ様は、記録の上では存在していないのと同じでございます」
そこまでは、もうなんとなくわかっていた。
問題は、その先だった。
「じゃあ私は明日、外へ出た瞬間に宿なし、家なし、契約なし?」
「かなり近いかと存じます」
「思ったより綺麗に詰んでるね」
「はい」
「そこは否定してほしかったな」
レティシアは少しだけ目を伏せた。
でも否定しないということは、本当にそういうことだ。
「お金の仕組みも教えて。簡単に」
「はい。この世界のお金は魂紋署名で動いております。店の勘定石に金額が出て、客は触れて支払いに署名します。成立した取引は記録石に共有されます」
「改ざんしにくくて、誰がどこで動かしたか追える?」
レティシアが顔を上げた。
「……よくおわかりになりますね」
やっぱりだ。
聞けば聞くほど、前に自分が考えた仕組みに近い。
近いどころじゃない。かなりそのままだ。
異世界まで来て、既視感のある決済基盤に迎えられるとは思わなかった。
「じゃあ次。本人台帳ってどうやって作るの?」
レティシアはわずかに姿勢を正した。
「二段階でございます。まず、生まれた時に親、もしくは保護者が神殿へ届け出ます。この時点では仮の記録でございます」
「出生届みたいなものか」
「近いです。親、出生地、魂紋の初期記録などが載ります」
「で、その次?」
「十歳から十二歳頃に受紋の儀を受けます。そこで魂紋を正式照合し、仮登録と結びつけて、本登録となります」
「……なるほど。生まれただけじゃ足りなくて、神殿で照合されて、やっと社会に入れるんだ」
「そのようにお考えいただいて差し支えありません」
さらっと言う。
たぶん本人は、いまの一言が少し冷たく聞こえることに気づいていない。
「ずいぶん感じのよくない仕組みなんだね」
「よくできた仕組みは、このようなものかと」
「入口で止まってる人間の前でその感想を言えるの、ある意味すごいね」
「恐縮です」
「ううん、褒めてない」
ここで、一番大事なことを聞く。
「じゃあ明日、私はどこへ行けばいいの?」
レティシアは少しだけ視線をずらした。
「……少なくとも、神殿の外で安心して身を置ける先を、いまのわたくしは存じません」
その言い方で十分だった。
少なくとも、明日を越える方法は、まだ見つかっていないらしい。
2話を読んでいただき、ありがとうございました。




