愛しい
デッキに出て、一面の海を見渡す。凪いだ海に、夕闇の空。今日の潮風は冷えていた。俺の体はブルってしてしまう。
「冷えるな」
「だな。思った以上に寒いし。あのさ、戻らないか――」
ふわっとかけられたのは――彼のジャケットだった。
「いや、アンタが寒いんじゃ……って」
向かい合わせになって、俺は相手を見上げるも。
「……っ」
――圧されてしまった。リアム様が俺の瞳を覗き込んでいた。
「……もう、終わりなんだな。とても楽しかった」
「そうなのか……?」
楽しんでくれていたのか……? そういうウソとかつく人じゃない。それなら……。
「……俺もだよ」
嬉しくなって笑ってしまう。アンタはいつも真顔での反応だけどさ。ごめん、止められない。
「……ああ、堪らないな」
そう呟いた彼は。
「笑顔の君を見ていると……抑えきれなくなるんだ。自制が効かなくなる、なってしまう……」
俺の髪に触れていた。ゆっくりと、そっと。
「……なあ、ユーマ。そろそろ『リアム様』はよしてくれないか」
「え……」
俺の髪が風でなびく。それを手でかき上げたのは……リアム様で。
「リアム。君にもそう呼んでほしい」
「そ、それは……」
この人を呼び捨てするってことか……さすがに、それは。
「……そうか、わかった。すまなかった」
俺の反応からして、断られたと。リアム様はそうとらえていた。
「……ああ、強制にあたるな。私の我儘だ」
悲しそうに目を伏せるこの人を見て……俺は胸がしめつけられるようだった。なんて可愛い我儘だとも思うし、悲しい顔もさせたくないとも。
「私が勝手に距離を感じているだけだ。一人……寂しいと思っているに過ぎない」
「それは……」
気にしていたのか……俺の行動を。ソファで一緒に座らない。東屋でも妙に距離をとっていた――手つなぎだって拒否する。
……傷つけていたのか? アンタが気にすることないって、気にも留めないって。俺が勝手に思っていただけだったのか?
……笑ってくれるのかな。
アンタが笑ってくれるなら。
「呼び捨てはハードル高いって……アンタみたいな堅物に」
心の準備はいる。いつになるかはわからない。だけど。
「……リアム、さん。今はこれで勘弁して」
心が近づいたら、呼べるようになると思うから。
「……リアムさん。リアムさーん?」
「……」
だんまり、そうきたか。
「おい、リアムさん。黙られるの、困るんだけど……?」
こっちは恥ずかしい思いしてんのに。頬だって熱いってのに――。
「ユーマ。君が――」
逆光が、差す。
夕日が影をつくり、彼の表情がわからない。
ただ。
声が聞こえたんだ。
掠れたような、吐息交じりの声は言うんだ。
――『ただ、愛しいって』。聞こえてきたんだ。
どこまで都合の良い幻聴なんだって、そう思っていた。
だけど。
熱くなった頬に添えられたのは、彼の大きな手。骨ばった手が、優しく触れてくるんだ。これは幻なんかじゃない。
見上げると、重なる視線。息をのみそうになる。
顔が近づいていく。
互いの唇が、重なろうとしていて――。
「……すまなかった」
触れるか触れないか。そこで――止まった。
「……そっか」
未遂だった。コトは起こってなんていない。
謝ることだったんだ。これは、彼が望んでいたことじゃないのだと。
「本当に申し訳なかった……」
リアムさんの謝罪は続く。彼は恐縮してしまっていた。
「気持ちが昂ぶっていたばかりに……私は大失態を犯すところだった」
「……」
昂ぶることとか、あるのか。そんな大げさな、とか。茶化せる雰囲気じゃない。俺だってそんな気分じゃない。
「……雰囲気に飲まれたとか、だろ?」
「それは……っ」
「?」
リアムさんにしては、動揺している? やっぱ、雰囲気に飲まれただけって。そういうことなのか……? ……そうかよ。
まあ、面白くない気持ちはある。けど、気まずいままの方が嫌だ。
「気にすんなって。いつまでも気にされる方がさ、気まずいし? つか、何もなかったんだからさ?」
……自分の言葉に、自分で傷ついていた。そうだ、何もなかった。俺たちは何も起こることはないんだ。
仮初のパートナー。
本当の意味で触れ合わせることなんてない。心なんて、ない。
それでもいいんだよ。アンタの傍にいられるなら、それで――。
橙色の空は、藍色の空へと変わっていく――夜の訪れだ。
月の光を浴び、反射する海。
夜の海は綺麗だ。それでいて、末恐ろしくもあった。底知れなさがあった。
その海の底では、何が蠢いていることか――。
そうだ、何もなかったんだ。俺らはキスも何もしてない。なんだけど――。
「――ユーマ。私には無理だ。一晩も待てないんだ……」
「いやいや、リアムさーん……?」
帰ってからは、夕飯を一緒に食べて。別々に風呂に入って。で、就寝時間となった今――俺は壁際まで迫られていた……!
「頼む、ユーマ……!」
「いやぁ……それは」
俺を覆うリアムさんが懇願する。俺は目をそらすばかりだ……。
というのも。
「君が贈ってくれたではないか――ピアスを!」
「いや、それってさ……」
これ……俺のミスなんだ。
帰宅して早々、リアムさんは俺の前で開封していた。ソワソワしていたの、可愛かった。
出てきたのが俺からの贈り物――そう、ピアスだ。俺のガチミスだ。買い間違えたんだ……今度、買い直してこよ。
それも説明したんだけど、それならそれで『そういう流れ』だと彼は言う。からの、このガン頼みだった。この寝る時まで、ずっとだ……!
「いや、もうさ? 一晩どころか、ずっと考えてくれな?」
「なんて殺生なことを……」
殺生ときたか。
「いやさ、アンタがわざわざ開けることもないだろ? つか、なんで?」
「……『なんで』。そうきたか」
なんか、リアムさんの目が据わってないか? なんで?
「いや、だって。今までつけようと思わなかったんだろ? それこそ規律重視とか、校則遵守とかで」
なあ、本当になんで。
「君の影響だ」
「ええー……」
リアムさんは真顔だ。いや、それって。
「悪影響ってやつじゃん……つか、なんで俺?」
「君だからだ。それと悪影響などではない」
「ええー……?」
よくわからなかった。
「君色に……染まりたいというか……その……」
「……?」
ごにょごにょ言っているのも相まってだった。
「……寝るとしようか」
でもって、急に切り上げてきた。とりあえず、今晩のところは諦めてくれたんだな。
いつものように、背中合わせに眠る。
いつものように、保たれた距離だ。
このまま眠りについて、また起きて。そうやっていつもの朝が、訪れるって。
――この時の俺は信じていた。




