7話 絶望の淵
「···ここは·····どこだ」
体も動かない、目の前も白くぼやけている。
「そうか、俺は·····」
熟れた果実が地面に落ちるように、自身が地面に叩きつけられた事を思い出した。
「死んだ、のか?」
鬼一は死について考えたことがある。
人間は多細胞生物なので心臓や脳が止まれば、他の組織、臓器も止まり、思考も、自己というものの連続性が失われるのだと。
自己が連続性を失うことは自分が無くなるということ、即ち死だ。ところがどうだ。
自分は自分について考えるのが終わりかと思いきや、まだ考え、言葉を喋っている。
「それこそ魂だけの存在になったとか?」
故郷の地球の天国や地獄といった存在を考えてみる。
それにしては心が安らぐところではないし、恐れるようなところでもない。
何も無い場所、空白の中に私が在る。
「よう」
そう声をかけられた。その声は自分の声に酷似していた。
「なんだい。だれなんだい、アンタ」
声を発してきた空間にそう語りかける。
不思議と嫌悪感は無い、どこか安らいでいた。
「俺はお前だ。そしてお前は俺だ」
「ああ、そうだな。俺は死んだのか?」
するりとそんな言葉出てくる。
まるで自分ごとのはずなのに、どこか他人事のようだ。
「いや、死んでいない。正確には死ねていないが正しいか」
訝しむように声が言う。
「何でなんだ。さっくり死ねるもんじゃないのか?」
「お前の右腕のせいだな。他の奴とは別格に違うが、魂すら弄くられて、おかしくなっている。心当たりあるんじゃないか」
思い出す、異世界に来てからすぐに赤い液体の入った箱に入った事を。
「あれか、あの時になにかされたのか」
「さえているじゃないか、そうだあの時だ。あれがきっかけだ。だがもうそろそろ目覚めの時だ。お前はまたあの世界で生き続けなくてはならない」
「そうか」
「健闘を祈っているぞ。それと一緒に飛ばされた友達もまだ生きている」
「そうか、吉報をありがとう」
体が重く沈んでいく、鬼一は再び意識を失った。
ぷちじゅぶ、じゅぶと音がする。
不気味にくぐもったその音はとある死体から発せられていた。
それは魔物が死肉を食む音だった。
生気の無い瞳がぼんやりと水面に映す鏡のように自らを食む魔物を映している。
鬼一の腹を裂き、飛び出た腸を引きずり出し食らう魔物。
まとまりの無いうどん玉の如く溢れたそれは、この87階層に存在する魔物の格好ご馳走となっていた。
弱肉強食の階層では屍食すら拒まない雑食の魔物にとってまたとない機会だ。
鬼一の死体を食らう、魔物の名はミラージュファング。
姿は狼のようで、強靭な四肢と硬い皮膚が特徴である。
体毛が時として蜃気楼のように身を隠す事からミラージュとも呼ばれるようになった。
大地母龍神ダナエーの六つの落し子が一つ、魔獣アルガルム、その劣化クローン。
ダンジョンの87階層ひいては、99階層まで食物ピラミッドの頂点に立つモンスターでもある。
鬼一の体を食らう様はさながら頂点捕食者と言ったところか、他の魔物を寄せつけない。
下半身は既に食い散らかされている。
ほぼ食い尽くされたそれは赤くしなびた木の根を思わせる。
「···うぁ··」
びくりと体が痙攣し、脈拍が戻った
鬼一がごぼりと口から血を吐き出し、生気の戻った瞳にミラージュファングが映る。
(····食っているのか、俺を·····)
痛みを自覚した瞬間、彼の体にひどい痛みが走る。
「グガッ······いぎぎぎぎ·····」
悲鳴と共に吐血する鬼一。
自覚した痛みが脳にその場所の出どころを一斉に訴える。
下半身、ひいては内臓など、そして激しい頭痛がする頭だ。
(頭はかち割れてる、腸は食われて、下半身に至ってはまともに動かないか)
ミラージュファングがぴたりと動きを止める。死骸だと思っていた物体が再び動き始めたからだ。
絶対にあり得ない現象を前にして、ミラージュファングは動揺した。
「いつ、まで····食ってんだ···ワン公よぉ!」
ミラージュファングの下顎に強烈な右フックが刺さる。
が、少し怯みはする物のその場からは動くことはない。
鬼一の体が時間を巻き戻すように元の体を生成する。飛び出た臓物は元に収まり、下半身も骨と皮だけの状態から肉がめりめりと生え、元の形になっていく。骨に沿って筋肉が再生し、それを脂肪がコーティング、皮膚が生成された。
ゆらゆらと立ち上がる鬼一。
膂力の殴打を食らってもなお、余裕の表情をみせるミラージュファング。
「どうしてくれるんだ、俺の一張羅!」
またもパンチを食らわせる、が体毛が周囲の環境と同じ色となり、姿を見失わせた。
獣の息遣いも聞こえなくなった、どうやらとりあえず脅威は退いたようだ。
息をつく鬼一、下半身に着るものがぼろぼろなので上半身の服を褌のように縛る。
「友達が生きていると言ったがどこへ行ったんだ?」
突然、鬼一の顔から鼻血が出る。
「次はなんだ、これは······」
鬼一の脳裏に、一つよぎるものがあった。
ダンジョンでの急速な降下による負荷である。
これはダンジョンへ早く進むことで精神や脳に異常をきたすとされている症状である。
一日につき、慣れていない者は三階層分、慣れているものでも五階層分までしか潜ってはいけないと禁じられている。
原因は定かではないが、ダンジョン内の呪いまたは地下の閉鎖空間でのストレスなどが原因とされている。
「あ、頭がいてぇ!なんだぁぁぁ」
悲鳴を上げ、地面に倒れ込む鬼一。頭を抱え、じたばたと足を無闇に動かす。まるで殺虫剤にやられたハエのようだ。
ひとしきり悶え苦しみ、痛みを訴えるが聞くものはいない闇の中。
自分が死体から蘇って、負荷に苦しむ。
(ひょっとしてあのまま死ねた方が、楽だったんじゃないか?理由のわからない力で蘇って苦しんで、まるで道化じゃないか!)
痛む頭を両腕で抱えながら鬼一がそう考える。
どのくらいだっただろうか、痛みが止んできた。
「···ハァ、······ハァ、ふぅー」
荒くなっていた息を整える。
思考もだんだん明確になってくる。
自分の今置かれている状況、事の経緯、顛末を整理してみる。
魔王の直属の幹部が直接殴り込みに来て、俺たちはどこかへ飛ばされた。今、能力のおかげもあって生き返った。
「····本当に面倒くさいことに、なりやがった」
不意に顔を上げるとそこには二人の影がこちらへ駆け寄ってきていたが、途中で止まった。
姿形から鬼一は、坂岡と伊野であることを確認した。
「お、お前ら!······無事だったのか?」
鬼一の言葉がこだまする。
「···············」
語りかけるが何も返ってこない。
能力を使用しているのか、坂岡の影が歪にぼやけている。
「まっ待てよ、俺なんか悪い事したか?ああ、あれかあれだろ、悪かったホントにすまない」
ぼんやりとした2つの影、坂岡と伊野だと思った鬼一が頭を下げて許しを請う。
「············」
二人の反応は、無い。
鬼一が首を傾げる。
いつもならば、笑って許してもらえるはずなのだがおかしいな、と。
「どうしたんだよ、なんかおかしいぜ?なぁおい!」
駆け寄ろうとするが近づけない。
向こう側もこちらへ来る雰囲気がない。
何かがおかしい。
不気味な雰囲気が辺りを漂う。
はたと鬼一はダンジョンの負荷の一つに幻視があることを思い出した。
幻視とは幻を視ることであり。
とりわけダンジョンでのモノは質が悪く、親しい者たちの幻影を見せるのだと言う。
「ひょっとしたらコイツがそれか」
友達のいつもの反応が無いのも幻視のせいとも言えよう。
姿形がぼやけているのもこれが原因であろう。
鬼一が神の右腕を発現させ身構える。
「あの人影は幻影の類だ。幻視破りの魔術はあるが今日はもう一回しか使ないが使ってみるか」
事前に鬼一は幻術破りの魔術を人知れず習っていた。一日に使える魔術は少ないが、使える選択肢は増やしておけ、とのお達しをダイン隊長から受けていたからである。
鬼一が左腕を祈るように握り、呪文を唱える。
「天命に代わりて私が命ずる。私を惑わす幻影の一切を切り晴らせ給え」
鬼一の周囲の風景が陽炎のように揺らぎ始め、形を成さなくなっていく。
全てが幻に消えてゆく、友に似た影もまた然り。
鬼一の思考もまた霧が晴れたように冴えてゆく。
「幻視破り成功、と言ったところか」
幻影が全て晴れた時、辺りは鬼一の血が塗れた場所に立っていた。
ミラージュファングに体を食まれていたあの場所である。
落とされた場所から全く動いていなかったらしい。
「荷物も無い、地図も無い、さてどうしようか」
辺りは岩と血ときのこが何やら生えている大地が続いている。
光はやはりない。
辺りが辛うじてわかるのは光る羽虫が周囲を飛んでいるからである。
「蛍光の功に習おうにも袋すら無いと来た」
大気を飛んでいる羽虫達、飛んでいくその先には不気味な常緑の木々が立ち並ぶ森がある。
「まずはあの森に行ってみるか、坂岡達もいるとすれば隠れやすいあの場所だろう」
鬼一は光を頼りに森へ歩みよる。
なるほど、光る羽虫達は森から来ているようだ。
森の中は鬱蒼としており、いかにも何かが出そうといった雰囲気だった。
「うわぁーさみぃ!!ほぼ全裸なのがやっぱりきちぃな」
ガタガタ震える鬼一、無理も無い。
下半身の服はほぼ無く、ほぼ破けた上着を無理やり下半身にくくりつけている。
素寒貧もいい所だ、後残っているものと言えば専用武器の白百合の王冠しかない。
どういうわけか、この鎧は驚くほど軽いが頑丈なようだ。白く塗装されたそれはほぼ無傷だった。
「と言うかなんで俺だけ専用武器が鎧だったんだ?納得いかん!」
今更そんなことを口走る。
それに答えるものはいない、だがガントレットの手の甲に装飾された白百合が誇らしげに光を受けて輝いていた。
「ダンジョンで戦闘訓練しつつ専用武器を使うってことになっていたけどその前に訓練がおじゃんになった訳だが。と言うか使いどころがほぼ無かったわけだ」
森を歩きつつ、何か他の人間の痕跡を探す鬼一。
既に攻略済みのダンジョンなので、どこかに拠点があるはずだと考えてのことである。
「さっぱり見つからんな。と言うかさっきから場所すらわからない」
取り敢えず分かっている事はどこか深い場所ということだけである。
地図すら転移した際に持ち合わせていなかった為、現在地を確かめる手段すら無いと来た。
「全くもってここはどこなんだか。それが分かれば苦労はしないんだ」
歩き続けていると前方の森に何やら神殿のような場所が見えてきた。
「あるじゃん人工物。これで何か分かれば尚良しなんですがねぇ」
辺りを見渡す鬼一。
神殿のようなそれは、黒い石で統一されている。数本の折れた支柱と広場のような場所に一つ石碑のような物が立っていた。
そのモニュメントには何か字が書かれているようだが、鬼一にもそれは分からなかった。
その奥には神殿の入り口であろう場所がある。
神殿の辺りの木々はうっすらと発光しており、神秘性を感じさせるものがある。
「取り敢えず、入ってみるか」
神殿の入り口へ入る鬼一の影が伸びていく。
鬼一の胸中にも不安が陰っていた。
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