第五話
空間が歪み、俺たちは一気に事務所の床へと転がり込んだ。
「いっってぇぇ……!」
ジークがミリアを抱えたまま倒れ込み、煙草を噛み潰した。
「くそ、腰が砕けるかと思ったぜ……」
「ボス! ワープ下手すぎっすよ!」
アイリが髪を振り乱して怒鳴る。
「方向も座標も雑! 立って着地できるようにしてくださいっす!」
「贅沢言うな。生きて戻れただけありがたく思え」
俺は帽子を押さえ、ゆっくりと立ち上がる。
肩や腰は痛むが、敵の包囲を抜けられた安堵のほうが大きかった。
「わぁ……すごい転び方だったね」
リリィがにこにこと笑い、レオンを引き起こす。
「痛くない? レオンくん」
「は、はい……大丈夫です」
レオンは顔を赤らめつつ答え、深呼吸した。
初めての戦闘と逃走で、まだ全身が震えている。
* * *
ジークが重たげにミリアをソファへ放り出した。
少女は眠ったまま、小さく寝息を立てている。
「このガキをどうするか、だな」
「保護対象っす。決まってるじゃないっすか」
アイリが即答する。
「取り調べして、事情を吐かせる。鍵を盗んだ理由も、教団と別組織の動きも、ぜーんぶ」
「取り調べねぇ……俺は苦手だな」
ジークは新しい煙草に火をつける。
「アイリ、お前がやれよ」
「はぁ!? なんであたしっすか!」
アイリは頬をふくらませる。
「私は秘書! 取調官じゃないっす!」
「口は悪いが、追い詰めんのは得意だろ」
ジークがにやり。
「子供相手ならすぐ泣かせられるんじゃねぇの」
「誰がそんな趣味あるか!」
机がドンと鳴った。
リリィは苦笑し、眠るミリアの髪をそっと撫でる。
「でも、少なくとも彼女も巻き込まれてるんだよね。ちょっと気の毒かも」
レオンは“大きな鍵”を見つめ、ぽつり。
「……父の形見を盗んだのは許せません。けど……彼女も狙われていたんですよね」
俺は帽子を目深にし、懐から鍵を取り出す。淡い光が脈打った。
「……問題は、この依頼だ」
空気が張る。
「教団だけじゃねぇ。傭兵どもまで群がってきた。鍵の存在が妙に広まりすぎてる」
ソファの上でミリアが「うーん……」と唸り、目を開けた。
最初に視界に入ったのは、帽子のツバの影にいる俺。
「おはよう、盗人さん」
「っ……!」
跳ね起きようとして縄に阻まれ、ジタバタ。
「離せっての! 人の自由を奪うとか最低!」
「盗人が言うセリフかよ」
ジークが鼻で笑う。
「街じゃ評判の悪ガキだとよ」
「うっさいジジイ! そっちの“デカ乳ギャル”と同じくらいウザい!」
「だぁれが“デカ乳ギャル”っすか!」
アイリが机をドン。
「仕事しろガキ! で、何で“鍵”を盗んだんすか!」
ミリアは唇を尖らせ、観念して息を吐く。
「……依頼があったんだよ。『大きな鍵を盗めば高額で買う』って」
「依頼……?」
レオンが息を呑む。
「そう。ただの盗みのつもりだった。でも今回は違った。
依頼書に“鍵の形状も色も、細かい模様まで”ハッキリ書かれてた」
部屋が静まり返る。
「最初から詳しく知ってたってことか」
ジークが唸る。
俺は帽子のツバを指で弾いた。
「教団以外にも“鍵を知ってる奴”がいる。……厄介だな」
* * *
重くなった空気を、ジークが煙で破る。
「どうせ今すぐ答えは出ねぇ。だったら――飯だ、飯」
「……は?」
一同ぽかん。
「昨日から何も食ってねぇ。俺は煙草しか吸ってねぇ」
「言われてみりゃ……」とアイリが腹をさすり、端末を閉じる。
グゥゥゥゥ……。
室内に間抜けな音。視線が一斉にミリアへ。
「~~っ! ち、違うし! あたしじゃないし!」
真っ赤になっても腹は正直だ。
「お嬢様も腹減ってんじゃねぇか」
ジークがにやにや。
「うるさい! 虫が怒鳴っただけだ!」
「……しょうがねぇ」
俺は帽子をかぶり直し、立ち上がる。
「買い出し行ってくる。ワープで一瞬だ」
虚空に小さな術式を開く。
「行ってきまーす」――と同時に、俺の姿はふっと消えた。
* 数分後 *
バタン。
両手いっぱいの袋を抱えて戻る。
「ほらよ。肉、根菜、香草、パン、スープベース、酒、あと甘味」
「仕事早っ!」
アイリが叫ぶ。
「どんだけ買ってきたんすか!」
「全員腹減ってるしな」
俺は袋を机へ。手のひらで軽く弾くと、魔術式のテーブルが展開し、
鉄鍋が自動で火に掛かる。香草とバターが溶け、じゅわ、と匂いが弾けた。
厚切り肉を熱した鉄板に落とす――バチバチッ。
瞬時に立ち上る脂の煙、胡椒が弾ける香り。
鍋では刻んだ玉葱と人参が飴色になり、白ワインが煮立って甘い湯気をあげる。
パンは軽く蒸して外はパリッと、中はふわり。
仕上げに肉の上へハーブバターの塊をのせると、とろりと溶けて緑の筋が走った。
「はい、解決屋亭・臨時開店」
◆ 食卓
「うめぇ!」
ジークが豪快に肉へ齧りつき、酒をあおる。
「腹に入った瞬間、生き返るな!」
「……美味しい」
レオンはスープを一口。とろみの奥から、香草と出汁の層が静かに広がる。
頬が少しだけ緩んだ。
「ボス、これどこで?」
パンをもぐもぐのアイリ。
「近所にこんな食材ないっすよ」
「ちょっと向こうの市場」
「説明が軽い!」
ミリアは最初こそ睨みつけていたが、
肉汁が滴る皿に負け、小さくフォークを伸ばす。――そして目を丸くした。
「……んまっ」
アイリがすかさずにやり。
「おーおー、盗人のくせにがっつくじゃないっすか」
「食わなきゃ死ぬんだよ!」
ミリアは耳まで赤くしながら、パンでソースを拭ってはもぐもぐ。
リリィがパンをちぎって渡す。
「はい、ソースがもったいないからね」
「……ありがと」小声。
「なんか家族みたいだね。こうやって一緒に食べてると」
リリィが柔らかく笑う。
「だ、誰がこんな連中と家族だっての!」
言いながらミリアの皿はどんどん空に。
ジークは笑って酒を掲げる。
「じゃ、乾杯だ。“家族もどき”に」
「勝手に変な名前つけんな」
俺が肩をすくめると、アイリがニヤリ。
「でも悪くないっす、“家族もどき”。今っぽい」
レオンはスープを啜り、ふっと微笑んだ。
「……僕も、楽しいです。誰かと一緒に食べるの、久しぶりで」
一瞬、空気がやわらかくなる。
「そういやボス、今月の給料は?」とジーク。
「赤字確定なんで、上乗せ希望っす!」とアイリ。
「かわいい服ほしいな~♡」とリリィ。
「依頼料……僕、何も持ってなくて……」とレオン。
「慰謝料よこせ!」とミリア。
「お前が一番図々しいな!」
俺が突っ込むと、笑い声が弾けた。
机の端に置かれた“大きな鍵”は、賑わいの中でも淡く脈動を続けている。
――笑い声の奥で、次の波を予告するみたいに。
* * *
賑わいがひと段落した、その時だった。
ドォォォォォンッ!!!
壁が炸裂し、瓦礫と粉塵が吹き荒れる。
食卓が一瞬でひっくり返り、全員が椅子ごと転がった。
「なっ……!?」
アイリが悲鳴、ジークが反射で立ち上がる。
煙の向こうから、異形が現れた。
ねじれた角と巨大な腕。赤い双眸がぎらりと光る。
「……チッ」
俺は帽子を押さえ、構えを取る。
「ようやく直接来やがったか」
異形は机の“大きな鍵”を鷲掴みにし、
うねる腕でレオンとミリアを絡め取った。
「や、やめろ!」
「きゃあああ!」
二人の悲鳴が重なる。
俺の中で、何かが切れた。
床から氷柱が隆起し、巨大な魔法陣が光を帯びて膨れ上がる。
冷気と殺気が室内を締め上げた。
「ぶっ潰す……ここでまとめて粉砕してやるッ!」
「ボスやめろ!」
ジークが叫び、アイリが絶叫する。
「二人も巻き込む気か! 落ち着け!」
「黙れッ!」
視界が白く滲む。魔力は爆発寸前。
「トウマ!!」
ジークが吠えた。
「今やろうとしてんのは“救出”じゃねぇ、“破壊”だ!」
アイリが涙目で胸倉を掴む。
「ここで暴れたら全部終わりっす!」
……。
氷の刃が天井を突き破る寸前、奥歯を噛みしめ、魔法陣を消し去った。
「……クソッ!!」
拳が壁を打ち、粉塵が舞う。
異形の姿は消え、残ったのは崩れた事務所と、二人の叫びの残響だけだった。