第四十六話
ジークは即座に通信機を耳へ押し当てた。
声は低いが切羽詰まっている。
『――おい、全員聞こえてるか!?』
最初に応答したのは、呑気な声だった。
『ん?どうしたん。』
カインだ。
『リオナって奴に気をつけろ。
見つけたら常に監視していてくれ。』
すぐにトウマが割って入る。
『おい、ジーク、何があった。』
『事情は後で話す。
全員、展望庭園に合流しろ。すぐだ。』
すると――
『すぐには無理だな。』
冷静で重い声。カゲロウだ。
『おいカゲロウ、どういう――』
言い切る前に、通信がブツンと切れた。
「……なんだと。」
ジークが眉を顰める。
イレーネも険しい表情で、ただならぬ気配を感じ取っていた。
******
一方、美術回廊。
カゲロウは静かに、しかし殺気を滲ませながら前を睨む。
エリスとキアラと一緒にいた彼は、
すでに《戦闘者の呼吸》へ切り替わっていた。
ゆらり――。
向こうの闇から、赤い髪の青年が姿を現す。
白い壁に反射する歩調は軽い。
なのに、歩くごとに天井のライトが“遅れて”明滅し、
まるで彼が空間の主導権を握っているようだった。
軽薄な笑みが、暗がりの中でもはっきり見えた。
「やぁ。やっと見つけたよ。
君たちがターゲットの――
エリスちゃんとキアラちゃん。
それと、“カゲロウ”か。」
カゲロウの喉元に、冷たい嫌悪が走る。
――こいつ、執行者クラスじゃない。
存在が異質すぎる。
エリスは一歩踏み出し、睨みつけた。
「だったらなんだ。テメェ。」
男は嬉しそうに目を細める。
「強気だね~★
君みたいな美人で強気な子……僕、タイプなんだよね。」
背筋に走る悪寒。
カゲロウは短く警告した。
「気をつけろ。こいつ……執行者とは訳が違う。“格”が違う。」
キアラが唾を飲み込む。
「うちら三人だけでいける……?」
「やるしかない。」
カゲロウの声は揺れない。
赤髪の男はくすくすと肩を揺らした。
「キアラちゃんも可愛いね。ほら……怯えてる顔もいいよ?★
僕のコレクションに入れてあげようか?」
「こいつ気持ち悪いな。」
エリスが吐き捨てる。
「ひどいなぁ~。
“こいつ”呼ばわりばっかりされてさ。」
そして――男はゆっくりと髪をかき上げ、微笑んだ。
「僕の名は――ヴァレン=スカー。よろしくね★」
その瞬間、回廊の空気がズン、と歪んだ。
ただの名乗りですら、殺気と魔圧が混じっていた。
*******
カゲロウとの通話が途切れ、ジークはすぐに別回線へ切り替えた。
『ヴォルドの兄貴はどうだ?大丈夫か。』
返ってきた声は、いつもの豪快さと違い、低く張りつめていた。
『大丈夫ではないな。生憎今は……猛獣とにらめっこ中だ。』
その言葉にジークは眉をひそめる。
“猛獣”という表現をヴォルドが使うとなると、それは本当に危険な相手ということだ。
時間は少し戻る。
夕暮れ色に染まった天空庭園。
風に揺れる花々の中、レオンとミリアは誰もいない散策路で向かい合っていた。
「レオン……ち、近くないですか?」
ミリアが一歩近寄ると、レオンは真っ赤になって後ずさる。
「近かったら何かまずいの?」
「そうじゃないんだけど……えっと……ミリアは、僕のことどう思ってます?」
ミリアは腕を組み、ぷいっと横を向いた。
「……頼りない。おどおどしてる。優柔不断。」
「ぼ、僕そんな不甲斐ないですかね……」
しょんぼりするレオン。
だがその後、ミリアは小さく笑った。
「でも……優しくて落ち着くし、いざって時は勇気あるし……好きよ。」
「!!」
レオンの瞳が揺れる。
「ぼ、僕もミリアさんの……負けん気で、強がりだけど面倒見よくて……優しいところ、好きです。」
「!! ……ねぇレオン?」
ミリアは一歩だけ近づき、彼の目を覗き込む。
「私とリオナ……どっちが好き?」
空気が止まった。
「きゃー!!ついに今が、この泥恋の絶頂点よ!!」
リリィは手を握りしめて、震えながら興奮していた。
「はしゃぎすぎだ……バレたらどうすんだ。」
ヴォルドは呆れながらも、微笑ましそうに若者を見ていた。
だが、次の瞬間——
ヴォルドの表情から笑みが消える。
草花で区切られた向かいの通路。
そこに、長髪の青髪を揺らす巨漢が、じっとこちらを見て立っていた。
その存在だけで、空気が一変する。
庭園の空気が“静かに軋む”錯覚すらあった。
「リリィ。楽しんでるところ悪いが……向こうの奴、どうやらうちらに用があるらしい。」
「えぇー!? 折角これからいいとこだったのにぃ……」
ヴォルドとリリィはレオンとミリアの気配を悟らせないよう、逆方向へ動き出す。
それに合わせるように、青髪の男も後方へ歩く。
互いに“距離を取りながら、しかし目を離さない”不気味な歩み。
その張り詰めた空気の中で、ジークからの連絡が入り——
現在へと場面が戻る。
ヴォルドは低く問いかけた。
「お前、どこのもんだ。」
青髪の巨漢は、ただ静かにこちらを見つめるのみ。
リリィはわずかに震えながら、ヴォルドの袖を掴む。
「ねぇ……この人、やばいよ。」
「あぁ。執行者……と同格。
……いや、それ以上かもしれん。」
男は一拍置き、低い声を響かせた。
「……俺の名は——オルグラム。」
その声だけで、庭園の空気が震えた。
三人の影がゆっくりと交錯し、
レオンとミリアから遠ざかるように静かに移動する。
——狩りの前の間合い。
その気配を、誰もが理解していた。
******
ジークからの緊急連絡が切れたあと、
トウマはポケットに通信機をしまいこんだ。
「……あー、嫌な予感ってのは当たるもんだな。」
軽く頭をかく仕草。
しかし、その目はすでに“状況の全て”を予見した人間の鋭さを帯びていた。
言われたのは天空庭園へ向かう指示。
だがトウマは――まっすぐではなく、別の方向へ歩き出した。
その足取りは迷いがなかった。
「……庭園じゃねぇよな。問題の核心はこっちだ。」
向かった先は、
セレスティア・パビリオンの中心にある 劇場ホール。
煌びやかな照明がまばゆく輝くはずのその場所は――
扉を押し開いた瞬間、まるで別世界へ落ちたようだった。
廊下に漂う鉄の匂い。
床に広がる黒い影のような染み。
壁に跳ねた鮮紅。
劇場ホールへ続く大扉が半開きになっていた。
トウマはそこを押し開く。
――次の瞬間、視界に飛び込んできたのは“静かな地獄”だった。
観客席の間に倒れ伏す 観客。
ドレス姿の女性も、燕尾服の男も、スタッフも――
その全てが何の抵抗もできないまま、瞬時に“死”を刻まれていた。
舞台中央だけがぽっかりと空いている。
まるで“主役だけが立つべき場所”のように。
そして――その中心に、
漆黒の甲冑に身を包んだ巨躯が静かに立っていた。
沈黙。
鉄の匂いの向こうで、空気が歪んだ。
トウマは溜息を吐き、
舞台へと続く階段に腰を下ろした。
「ひっさしぶりだなぁ……ゼオハルト。」
黒い甲冑の男は、ゆっくりと顔を上げた。
ヘルムの奥で光った二つの眼光が、トウマを刺し貫く。
「…………」
「お前が出てきたってことは、はっきりしたな。」
トウマは片肘を膝に置き、片手で頬杖をつく。
言葉は軽いが、空気は張り詰める。
「“鍵”に関して、『シュヴァルツドミニオン』が関与してんだろ。
アークもそこに所属してんじゃねぇの?」
ゼオハルトは微動だにしないまま、重く答えた。
「……勝手に想像していろ。」
トウマは鼻で笑い、続けた。
「リオナ。あの子も、お前ら側の人間か。」
僅かに、甲冑の肩が動いた。
「……あの子は特別な子だ。」
「特別?可愛いって意味の“特別”じゃねぇだろうな?」
「……あの子は“アークの娘”だ。」
その言葉に、トウマは思わず目を丸くした。
「マジかよ。あいつに娘いたのか。……そりゃあ驚いた。」
ゼオハルトは黙して語らず。
沈黙が、死体の転がる劇場をさらに重くする。
「でもまぁ……」
トウマは立ち上がり、階段から軽く飛び降りた。
舞台中央、ゼオハルトへ向かって歩く。
「お前ほどのバケモンが、こんな場所でお出ましとは思わなかったな。」
「……我も同じだ。
“抹殺リスト”にお前の名が載っていたこと、信じがたかった。」
「アークといい、お前といい……縁があるのかないのか。
めんどくせぇことばっかだ。」
トウマの影がゼオハルトの足元に重なる。
二人の間には、舞台照明の白い光だけが落ちる。
そして——
トウマの表情から笑みが消えた。
「……ま、とりあえず。」
指を鳴らす。
「——死んでくれよ。」
発動。
「《ブラックインパクト》」
劇場全体を震わせるほどの、重力の衝撃波が走る。
目に見えぬ黒の奔流が、ゼオハルトへ真っ直ぐ叩き込まれた。
だが次の瞬間。
「暗黒断層。」
ゼオハルトの一言とともに、空間が音もなく“ズレた”。
トウマの放った衝撃波は、ゼオハルトに触れる前に——
真横へと引き裂かれ、吸い込まれるように消滅した。
まるでこの空間だけ、別世界の法則で動いているかのように。
「……ズラしやがったな。」
「ズラされるような攻撃が悪い。」
両者の力の衝突はまだ始まったばかり。
だがこの瞬間——
この劇場の“天秤”は完全に壊れた。




