第四十四話
――カジノの喧騒を背に、トウマはひとり廊下を歩いていた。
煌びやかな照明が続く回廊を抜け、VIP専用の奥区画へと向かう。
笑みを浮かべたままだが、その瞳だけが鋭く光っている。
「……なんか嫌な予感がするな。」
かすかに呟いた声は、誰にも届かない。
その足取りは、何かを“探す者”のそれだった。
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一方、展望庭園では――。
噴水のしぶきが陽光を受けて輝く中、
レオン・ミリア・リオナの三人が、微妙な空気のまま並んで歩いていた。
ミリアが口を尖らせながら言う。
「なんでリオナ、アンタまでついてくんのよ。」
リオナはにっこりと笑って、軽く手を振った。
「え~?逆に、なんでミリアちゃんがいるの?」
「はぁ!?」
「だって、昨日はレオン君と私が一緒だったから~♡」
「……ッ!」
レオンは焦って手を振る。
「ふ、ふたりとも……喧嘩はよそう……?」
そのやり取りを少し離れた芝生の丘から見ている二人の姿があった。
ヴォルドとリリィである。
「バチバチだな。」
「恋愛はね、簡単にいくもんじゃないの!」
リリィはキラッキラした瞳で双眼鏡を構え、
「見守らなきゃ!これは尊い!」
と、鼻息を荒くしていた。
ヴォルドが呆れ顔でため息をつく。
「お前ってやつは...」
そのころ、当の三人の間では、火花が散り続けていた。
ミリアが腕を組み、わざとらしくため息をつく。
「ねぇレオン、あの子と昨日なにしてたの?」
「えっ?あ、あの、別に……ただ遊んで――」
「“ただ遊んで”?ふ~ん。」
リオナがわざとレオンの腕に絡みつきながら笑う。
「本当はね、すっごく楽しかったんだよ~♡」
「ちょ、ちょっとリオナ!?」
「え~、事実じゃん~?」
ミリアの眉がぴくりと跳ねる。
レオンは完全に板挟みだった。
「ミ、ミリア、落ち着いて……!」
「落ち着いてるわよッ!」
「(全然落ち着いてない……!)」
そんなときだった。
リオナのポケットの中で、魔導通信機が小さく震えた。
彼女は一瞬で表情を変え、画面を確認する。
そこには――
《ターゲットリスト送信完了》の文字。
表示された顔写真の数々。その中に、レオンたちがいた。
リオナの瞳が静かに見開かれる。
ほんの一瞬だけ、唇が震えた。
しかしすぐに、いつもの笑顔を作り直す。
「ごめんね!ちょっと、少し離席するね...」
レオンが心配そうに首を傾げる。
「え、リオナ?どこ行くの?」
「すぐ戻るよ~!またあとでね、レオン君!」
軽い調子で手を振ると、リオナは足早にその場を離れていった。
ヴォルドが遠くからそれを見て眉をひそめる。
「なんだ、どっか行っちまったぞ。」
リリィが無邪気に首をかしげた。
「お手洗いかな~?」
だが、レオンの胸には小さな違和感が残っていた。
――笑っていたはずのリオナの目が、あのときだけ、
どこか“悲しそうに”見えたのだ。
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一方、美術回廊。
静寂な空間に、場違いな声が響いた。
「なんだこれ。うんこみてぇだな。」
「たしかに~、うんこじゃんこれ~!」
カゲロウが額を押さえ、深くため息をついた。
「……全く、品のない奴らめ。」
だがその頬には、わずかに笑みが浮かんでいた。
キアラとエリスが冗談を交わしながら進んでいた美術回廊。
だが、その足がふいに同時に止まった。
視界の横いっぱいに広がる巨大なキャンバス――
《恋とは悲劇の始まり》 と題された絵画が静かに佇んでいた。
柔らかな光の中で、抱き合う一組の少年少女。
その構図はあまりに甘く、幸福そのものを切り取ったようだった。
だが、背後の闇。
そこでは死神が少女の髪へ触れようと手を伸ばし、
悪魔たちがまるで“熟れた果実”を前にしたかのように舌なめずりをしている。
幸福の構図と、破滅の気配が同じ画面の中で静かに混ざり合っていた。
エリスは思わず息を呑む。
「……これなんか気色わりぃな」
キアラは腕を組みながら眉をひそめる。
「なんか胸がキュッとする……」
そんな二人の横で、カゲロウはしばらく無言で絵を見つめていた。
やがて静かに口を開く。
「……表の幸福より、背後の闇のほうが丁寧に描かれている。
この画家……ただの恋愛画を描いたわけじゃないな」
キアラが視線を向ける。
「どういうこと?」
カゲロウは、絵の中の二人の手を指した。
「互いにしがみつくような手の絡め方をしている。
片方が欠ければ、もう片方も崩れるタイプの関係だ」
エリスが小さく「重……」と呟くが、目は離さない。
カゲロウはさらに言葉を紡ぐ。
「背後の死神と悪魔の表情……見ろ。
“狙っている”というより……“待っている”顔だ」
キアラが少し身を寄せる。
「待ってる?」
「成り行きで崩れるのを、だ。
狩る必要がないほど、この恋は最初から壊れやすく描かれている」
エリスは背中に冷たいものが走るのを感じながら言った。
「……それにしても妙に不気味だな。」
三人はしばらく無言でその絵に見入っていた。
奇妙なほど胸がざわつき、目が離せない。
――この絵は、まるでレオンとリオナの関係を
暗示するかのように語っていた。
しかし、このとき三人はまだ何も知らなかった。
ただ「なぜか惹かれる絵だ」と感じただけだった。
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セレスティア・パビリオンの華やかな喧騒から離れたバックエリア。
スタッフ以外立ち入り禁止と書かれた鉄扉の向こうは、まるで別世界だった。
照明は最低限まで落とされ、壁際の非常灯だけが鈍く光る。
華やかなホールとは対照的に、湿った静寂が張りつめている。
その中央に、リオナはひとり立っていた。
指先はわずかに震えている。
だが表情は、光の届かない深い水底のように静かだった。
――来る。
空間がわずかに揺らぎ、リオナの長いまつ毛が震える。
歪な魔力の波が押し寄せ、空間に黒紫の亀裂が生まれた。
それは、裂け目。
“歪門”と呼ばれる異界の扉。
ギィ……ン、と低い共鳴音を立てながら開いたその扉から、
三つの影がゆっくり滲み出るように姿を現した。
最初に現れたのは、艶やかな赤髪を無造作に束ねた青年だった。
彼は片手をポケットに突っ込み、
まるで遅刻した友人に会うような軽い足取りでリオナへ近づく。
「いやぁ~リオナちゃん?
こんなバックヤードに呼び出すなんて、どういう風の吹き回し?
僕これから女の子とデートだったのにさぁ……台無しだよ? ★」
声は軽い。
だがその笑みの奥には、底の見えない“壊れた光”が宿っていた。
赤髪の後ろから響くのは、金属の軋むような音。
漆黒の古代甲冑に身を包んだ男が、無言のまま歩み出る。
その身体の隙間から漏れ出す暗霧は、見る者の心を静かに締め上げる。
「……呼ばれたということは、
殲滅すべき対象がいるという理解でよろしいのだな?」
低い声は地の底から響いてくるようだった。
最後に姿を見せたのは、前髪が長く垂れ、
表情の読めない巨体の男だった。
呼吸だけが音として存在し、
その度、空気が微かに震える。
「…………誰だ。殺す相手は。」
まるでそれ以外の興味を持たない獣のような声だった。
彼ら三人は、リオナにとって“上位者”ではない。
だが、戦闘力だけなら彼女以上。
それぞれが規格外の存在。
その三人が同時に姿を見せた時、
リオナの胸の奥に、わずかに緊張が走った。
彼女はデバイスを取り出し、淡々と告げる。
「三人とも、来てくれてありがとう。
今から“ターゲットリスト”を送るね。
今回の任務は、この施設内に散らばってる“特定グループ”の殲滅。」
赤髪は肩をすくめて笑う。
「女子供ばっかじゃ~ん。
楽勝すぎて眠くなっちゃうよ、ねぇ?」
黒甲冑は静かに頷く。
「標的が誰であろうと関係ない。
消すだけだ。」
巨躯が短く言葉を吐く。
「……すぐ殺す。」
リオナは声のトーンを少しだけ変えた。
「ただし……“レオン”って子だけは殺しちゃダメ。」
三人の視線がリオナへ集まる。
赤髪が首をかしげる。
「へぇ?リオナちゃんが“例外”なんて珍しいね?恋でもしたの~?」
「う、うるさいっ!///べ、別に……!その……!」
黒甲冑は淡々と確認する。
「レオン以外は全員、排除してよいのだな?」
リオナは静かに頷いた。
「……うん。お願い。」
巨躯は、気にも留めないというように肩を鳴らす。
「なら……順番に殺す。」
その時だった。
「――おい!
そこ、スタッフ以外入っちゃダメだぞ!」
懐中ライトの白光が、突然四人を照らした。
警備員が驚きと警戒の声を上げる。
「な、なんだお前ら……その格好……っ」
彼はまだ知らない。
自分が“世界が終わる瞬間”のすぐそばに立っていることを。
赤髪があくびをし、振り返った。
「見られちゃったねぇ。
どうしよっか、リオナちゃん?」
リオナはほんの一瞬、申し訳なさそうに視線を伏せた。
「……ごめんなさい、おじさん。」
次の瞬間――
光が、音が、世界が。
ぜんぶ消えた。




