第四十三話
月の光を模した蒼白の照明が、滑らかな床を淡く照らしていた。
セレスティア・パビリオン――その名にふさわしく、世界の頂点に立つ者だけが許される幻想の社交殿堂。
磨かれた黒曜石の床は、踏むたびに光が波紋のように広がり、
天井の星々が微かに瞬いた。音楽も風も、すべてが調和している。
まるでこの空間そのものが、呼吸しているようだった。
ラグノワが受付で名刺を差し出す。
白手袋をはめた案内人が、それを両手で丁重に受け取り、深く一礼した。
「リガルド特別顧問ラグノワ様とご一行ですね。
お待ちしておりました。皆様の身分はすでに登録済みでございます。
本施設では各国の成人基準を統一しておりませんが、
十五歳以上のお客様であれば、VIP保証のもと問題ございません。」
穏やかな声でそう伝えると、案内人は中央の巨大な扉へと導いた。
ラグノワが軽く頷き、一同が静かに進む。
扉が、音もなく開いた。
まばゆい光の奔流が視界を満たす。
その奥には、藍白の世界が広がっていた。
足元の大理石には微細な星屑のような紋様が散りばめられ、
壁一面には水晶の柱。頭上にはゆるやかに動く星雲が映り込む。
息を呑む音が、あちこちで重なった。
「こ、ここが……」
ミリアが小さく呟く。
「すげぇ……金持ちの遊び場ってやつか。」カインが口笛を鳴らした。
ラグノワは短く言った。
「本日は完全自由行動だ。ただし――」
仮面の奥から、視線が若手たちを射抜く。
「いくらここでは許されるとはいえ、二十歳未満の者は節度を持て。
お酒も賭け事も、深入りしすぎるな。」
その横で、トウマが笑いながら肩をすくめた。
「まぁやらしてもいいんじゃねぇか?大人の勉強ってことでな。」
アイリが「ボスぅ……それ絶対フラグっすよ」と呆れ顔で言い、
場の空気が少し緩む。
中央ロビーで、光の柱が静かに揺れた。
その先には放射状に広がる七つのエリア。
音、芸術、遊戯、自然――すべてが“上位の世界”として整えられていた。
「さて……」ラグノワが腕時計を見た。
「それぞれ好きに回れ。異常を感じたら即連絡だ。」
メンバーたちは頷き合い、それぞれの方向へ散っていく。
トウマ、ラグノワ、アイリ、カインは金色に輝く大ホール《カジノ・ドーム》へ。
魔導ルーレットが回り、宝石のようなコインが跳ねる音が響く。
ラグノワは「これは楽しみだ。」と小さく呟いた。
一方、イレーネとジークは《音楽ラウンジ》へ向かう。
柔らかな弦とピアノの旋律が流れる蒼のテラス。
ジークは慣れない空気に渋い顔をしながらも、グラスを傾けた。
キアラとエリス、カゲロウは《美術回廊》。
動く絵画が並ぶ静謐の空間で、キアラは「これ、動いてる!?」と目を輝かせ、エリスは「なんだこれ?」と芸術に興味を示していた。
カゲロウは淡々と作品を見つめていた。
リリィとヴォルドは《展望庭園》の手前で足を止めた。
その先、夜空のような庭園の中には――
レオンとミリア、そしてリオナの姿があった。
「ふふ、若いっていいね~」
リリィが小声で笑い、ヴォルドがひげを撫でる。
「泥が……つきそうだな。」
「いいじゃない。恋の火花ってやつ~♡」
二人の視線の先、
展望庭園では海と星の光が交じり合い、
レオンとミリア、リオナの静かな時間が始まろうとしていた。
******
煌びやかな照明の下、金と硝子の粒が空気をきらめかせていた。
セレスティア・パビリオンの中でも最も格式の高い《カジノ・ドーム》。
そこは金を賭ける場所ではなく――名誉を、誇りを、運命を賭ける場所だった。
トウマ、アイリ、カイン、そしてラグノワ。
その4人が、豪奢なカーペットを踏みしめながら中央のホールに足を踏み入れる。
空気が違った。
音は静か。香りは高い。
ワインとシガー、金属チップの冷たい匂いがほんのりと漂っている。
ホールの奥では、魔導光がテーブルを照らし、
自動ディーラーの魔法円がゆっくりと回転していた。
赤と黒のチップが精密なリズムで積み上げられ、金属の響きが耳に心地よい。
ラグノワは一歩前に出た。
スーツの裾を整えると――薄く、微笑んだ。
いつもの冷徹な雰囲気ではなく、少年のような、ほんの僅かな高揚を機械仕掛けの仮面から漏れていた。
カインが小声でつぶやいた。
「なんか……めっちゃ喜んでね?」
アイリも頷く。
「やっぱ好きなんすね、こういうの。」
トウマは肩をすくめながらも笑った。
「ラグノワはガチで強ぇぞ。こいつ世界大会レベルの実力はある。」
アイリが目を丸くする。
「マジすか!?これは見学するしかないっすね!」
ディーラーの案内が入り、ラグノワはテーブルへと腰を下ろす。
その背後に、ギャラリーとしてトウマたちが控えた。
テーブルには6人のプレイヤー。
金髪の女貴族、筋骨隆々の軍人、貿易商、魔導士、そしてラグノワ。
皆、億単位のクレドを軽く動かす猛者ばかり。
ラグノワは黙って札束をテーブルに置いた。
魔導チップに変換され、電子的な音を立てて積まれる。
トウマが軽く言った。
「勝ちまくれよ。俺から資金として100万渡すわ。」
ラグノワはカードを手に取り、わずかに口角を上げた。
「任せろ。」
ブラインド:SB 1,000/BB 2,000
ディーラーがシャッフルを始める。
カードは魔力の光で宙を舞い、均一の軌跡で各プレイヤーへ。
ラグノワの初手は――♠A と ♥Q。
軽く目を細め、表情ひとつ動かさない。
呼吸のリズムが機械のように一定だ。
フロップが開く。
♦Q/♣7/♥3。
トップペア。十分に強い。
だが彼はコールのみ。
対面の軍人がベットを吊り上げ、商人がそれに乗る。
ラグノワの指先が、チップを三枚だけ滑らせた。
カチ、カチ、カチ。
その音が、奇妙に心を揺さぶるリズムになる。
ターン――♠A。
ツーペア。軍人の眉がわずかに動いた。
ディーラーが指を鳴らす。
「レイズ、二万。」
ラグノワは即座にチップを積む。
「コール。」
リバー――♣Q。
静寂の中で、彼のバイザーに反射したカードが淡く光る。
軍人が勝ち誇った笑みを浮かべる。
「こちらはAのスリーカードだ。」
ラグノワは無言でカードを伏せた。
Qのフルハウス。
観客がざわめき、トウマが腕を組む。
「だろ?初手で流れ掴むタイプなんだよ、こいつ。」
チップが音を立ててラグノワの前へ流れ込む。
微笑は崩れない。ただ、わずかに肩が軽く動いた――
“楽しい”とでも言うように。
新しいカードが配られる。
♠6 と ♦5。
弱い。だが、ラグノワの呼吸は変わらない。
フロップ:♣K/♠K/♣9。
相手の魔導士が笑う。
「またついてねぇようだな、鉄面皮さん。」
ラグノワはカードを指で弾いた。
「レイズ、十万。」
場がざわめく。
商人が小声で「こいつ、何を……?」と呟く。
魔導士は挑発的な笑みを崩さず、コール。
ターン:♥7。
ラグノワは再びベット。
「三十万。」
魔導士の表情が一瞬止まる。
トウマが唇の端を上げた。
「ブラフに見えるだろ。でも違う。アイツは“読み”をブラフに見せるタイプだ。」
リバー:♦8。
魔導士がコールを宣言。
「こっちはKのスリーカードだ!」
ラグノワがカードを開く。
6 と 5。
……一瞬、誰も意味がわからなかった。
ディーラーが無機質に宣言する。
「ストレート、成立。」
場がどよめいた。
トウマが笑いをこらえきれず、
「ブラフに見せかけたな。」
アイリが目を輝かせる。
「え、この人……未来見えてるんすか?」
「見えてるんじゃねぇ、“誘導してんだ”。」
残ったのは女貴族とラグノワ。
ブラインドは5万/10万まで上昇。
周囲の観客が完全に二人の動きに飲み込まれていた。
フロップ:♥J/♦10/♠Q。
女貴族が即ベット。
「二十万。」
ラグノワ、無言でコール。
ターン:♣K。
テーブルの空気が一瞬で変わる。
女貴族の口元に自信の笑み。
「まさか、ストレートね?」
ラグノワの声が低く響く。
「“まさか”の先を読むのが私の趣味でね。」
リバー:♦A。
観客が息を呑む。ストレート完成。
だが――女貴族も微笑を崩さない。
「フルハウスよ。これで終わり。」
ラグノワがカードを開く。
K と 9。
一見、ただのペア。だが――
魔導ディーラーの判定が淡々と響く。
「Kのストレートフラッシュ。勝者、ラグノワ様。」
瞬間、ホール全体がどよめきに包まれた。
女貴族が呆然とカードを見つめ、
ラグノワは立ち上がり、静かに一礼した。
「……いい勝負でした。」
トウマが吹き出す。
「やっぱ化けもんだな。」
「もう人間じゃねぇよこれ……」
「いや、最初から人間じゃないっす。」
ラグノワがポーカーテーブルで優雅にチップを積み上げていた頃、
カジノの別フロアでは、煌びやかな光が流れるルーレットホールに人が群がっていた。
トウマ、アイリ、カインの三人がその入口に立っていた。
「ボス、あれっすね!」
アイリが指差す先、金の魔導ルーレットがゆっくりと回転していた。
球の軌道が光を引き、魔石の床に反射してきらめく。
トウマが口元をゆるめる。
「……あれやるか。」
ルーレット台に着くと、トウマは懐から光チップを取り出し、
「お前らにも勉強代だ。ほら、50万ずつ。」
カインとアイリの手にチップを置いた。
「うお、マジっすか!?」
「いっけぇー!今日の俺はツイてる気がする!」
鐘の音が鳴る。
「ベット、スタート!」
アイリは焦り気味にチップを動かした。
「えっと、えっと……黒!黒の20万っす!」
カインはすぐに対抗するように手を伸ばした。
「いや!俺は赤の奇数!オールインだ!!」
トウマは二人の賭けを見届けてから、静かに手元のチップを一つ持ち上げた。
「……なら俺はここだな。」
黒の6に、1000万。
その瞬間、
周囲の視線が一気に集中する。
「一点!?1000万一点賭けだと!?」
「バカかあいつ、確率3%だぞ!」
「まじで正気じゃねぇ……!」
トウマは騒ぐ群衆を無視し、じっとルーレットの回転を見つめた。
その瞳は、球の軌道を“読んでいる”ように冷静だった。
カラン、カラン――球が回る。
音が、遠くに響くようにスローモーションで落ちていく。
黒と赤を行き来して――
「……黒の6。」
ディーラーが息を呑む。
「ウィナー……ブラック・シックス。」
歓声が爆発した。
「うおおおおおお!!!」
「マジかよ!!一点で当てやがった!!!」
光チップが積み上げられる。
ディーラーが震える声で告げる。
「配当……3億6千万クレド。」
アイリが叫ぶ。
「ボスぅぅぅぅ!!やばすぎっす!!!」
カインが口をぱくぱくさせる。
「……俺……神見た……。」
トウマは笑って肩を回した。
「まぁまぁ、たまたまだ。」
しかしその後、カインのチップは次の賭けであっさり消えた。
「うわああ……全部擦っちまった……。」
トウマは苦笑しながら、100万クレドを渡す。
「はい、再挑戦。次は勝てよ。」
カインは目を潤ませながら頭を下げた。
「ボ、ボス……優しすぎる……惚れるっす……!」
「で、次はどこ狙う?」
トウマの言葉に、カインがアイリを見た。
「アイリ!どこがいいと思う!?」
「うーん、自分は**赤の2RD12(13~24)**に置くっす!」
「なら俺は2to1で、赤の18と21だ!」
再びルーレットが回り始める。
群衆が再びざわつく。
そして――トウマが再び口を開いた。
「……じゃ、俺ももう一丁。」
さっきの勝ち金、3億7000万クレドをまとめて手に取り、
赤の21に一点、静かに置いた。
ざわめきが一瞬で凍りつく。
「は……?三億……?一点……!?」
「さっきの当てた金を全部!?狂ってる!!!」
アイリが青ざめる。
「ボ、ボス!?マジっすか!?それ全部!?!?」
トウマは肩をすくめて笑う。
「どうせなら、一度で景色を見てみたくてな。」
ディーラーが手を掲げる。
「ベット、クローズ。」
魔導ルーレットが静かに唸る。
光の粒が軌道を描き、球が弾む。
カラン、カラン――。
人々の呼吸が止まる。
赤、黒、赤……そして、ゆっくりと止まった。
ディーラーの声が震える。
「……ウィナー、レッド・21。」
――静寂。
次の瞬間、地鳴りのような歓声がフロア全体を包んだ。
「うおおおおおおおお!?!?!?」
「まさか二連続一点!?バケモンだ!!」
「運じゃねぇ、予知だろあれ!!」
ディーラーが青ざめた顔で告げる。
「ぺ、ペイアウト……百三十三億二千万クレド……!」
カインがテーブルに突っ伏す。
「……もう……結婚してくれボス……。」
アイリが爆笑しながら肩を叩く。
「ボス~!これもう経済動かせるレベルっすよ!!!」
トウマはチップの山を見下ろし、
静かに口角を上げた。
歓声の余韻がまだホールを包んでいた。
テーブルの上には信じがたい額のチップが積み上がり、魔導灯の光が金色に反射している。
カインは両手を挙げて絶叫していた。
「ボスぅぅぅ!!!もうこれ一生分稼いだでしょ!?!?」
アイリも隣で飛び跳ねる。
「百三十億とかもう意味わかんないっすよ!!!」
トウマは肩をすくめて笑った。
「……まぁ、悪くないな。」
ディーラーが息を整えながら近づく。
「お、お客様……この金額は規定上、即時換金ではなく……」
トウマは手を上げて制した。
「おう、わかってる。」
周囲がざわつく。
トウマはチップの山の一部を軽く押し出した。
「まず――三億二千万。ここの寄付基金に全額回してくれ。
施設の整備でも、従業員の休憩所でも好きに使え。」
ディーラーの手が止まる。
「きょ、寄付……ですか?」
トウマは軽く笑い、
「ここのスタッフ、客の扱いがいい。あんたらが気持ちよく働けるようになりゃ、それが一番だ。」
ホールのあちこちで、拍手が起こった。
次いで、トウマは残りのチップを一気に手前に押し出した。
「あと――三十億分。これはこの場の客全員分だ。」
「え……?」
「ど、どういうこと!?」
トウマは静かに言葉を続けた。
「ドリンクでも、食事でも、景品でも使っていい。
余った分はカジノ側のチップに変換しとけ。」
沈黙が広がり――次の瞬間、フロア中がどよめいた。
「マジかよ……!」
「全部くれるって……!」
「救世主かよあの兄ちゃん!!!」
歓声と拍手が爆発的に広がり、ホールの空気が熱気で満ちる。
シャンデリアの光が眩しく輝き、誰もが笑っていた。
アイリが呆れたように笑う。
「ボス、太っ腹すぎっすよ……」
カインも苦笑して肩をすくめた。
「どこの王様っつうの……」
トウマは手を振り、残ったチップを受け取る。
「――残りは百億。会社の運転資金には十分だな。」
アイリがきょとんとする。
「会社……って、うちらの?」
トウマはグラスを傾けながら、静かに笑った。
「新人も増えたしな。組織が大きくなれば、資金もいる。
まぁ、これでしばらくは“金の心配”はしなくて済む。」
カインが感嘆したように呟く。
「マジでボス、化け物っすわ。」
トウマは視線をルーレットの盤へ向け、軽く微笑んだ。
「まぁ俺の目が良かっただけだしなー。」
静かなその一言に、
さっきまで騒いでいた客たちの声が、自然と静まっていった。
トウマの背後で、煌めく魔導ルーレットがゆっくりと止まる。
その回転はまるで――彼の運命を象徴するように、
赤と黒の境界で、光の線を描いていた。
トウマは軽く背伸びをして、ルーレット台をあとにした。
「さてっと、俺は別のところに行く。」
そう言いながらチップを二人に押し返す。
「お前らは自分達で勝った分を好きに遊んでこい。」
アイリが目を輝かせる。
「マジっすか!? じゃあ遠慮なく!」
カインが苦笑して肩をすくめた。
「まぁ小遣い稼ぎしてくるわ。」
トウマは笑いながら手を振る。
「まぁ負けるのも経験だ。楽しんで来いよ」
そう言い残して、ゆったりと背を向けた。
その歩き方は、勝負師ではなく――
“結果を支配した男”の余裕そのものだった。




