第四十二話
リオナが宿の扉を開けると、部屋の空気がわずかに震えた。
そこにいたのは――白。
全身を雪のような純白のスーツで包み、顔の半分を覆うのは機構的な竜の面。
青白いラインが静かに流れ、無機と神性が同居したその姿は、人間のそれではなかった。
「オ、オルディナス様……」
リオナの喉がひとりでに鳴った。
彼――オルディナスは、組織の最高幹部。
名目上は参謀兼護衛だが、実質的なNo.2……いや、実力で言えば恐らくNo.1。
そんな存在が、なぜ自分のような末端に――。
「お帰りなさい。リオナさん。」
声は静かで穏やか、だが底に揺るぎない威圧を含んでいた。
空気が圧縮されるように重くなる。魔力も気配も一切感じない。
――感じられないのではない、完全に“封じて”いるのだ。
もしそれを解き放てば、この町の住人は息すらできずに倒れるだろう。
「な、なぜここに?」
「少し、お話をしに参りました。休暇中のところ、申し訳ありません。」
白竜のような男はゆっくりと頭を下げた。
その仕草があまりに紳士的で、逆に背筋が凍る。
「お話……とは?」
「この町に、抹殺していただきたい対象がいます。」
リオナの呼吸が止まる。
任務の話――だが、あまりに唐突だった。
「対象は、“解決屋”という組織です。まだ確定リストがまとまっていないので、後ほど送ります。
部下に任せきりだったもので、私自身も状況を把握しきれていませんでした。」
「そ、そうであれば……わざわざお越しにならなくても……」
「いえ。」
オルディナスの碧眼が柔らかく光を宿す。
「休暇中のあなたに命を下す以上、私が直接詫びに伺うのが筋でしょう。」
「そ、そんな!滅相もありません!」
「ふふ……そういえば、先ほど暴漢に襲われそうになっていましたね。」
「えっ……見て、たんですか……?」
「助けようかと思いましたが、あなた自身で解決できそうでしたので。
……しかし、レオン君という方――彼に恋をしたようですね。」
「!?そ、それもお聞きに……!」
リオナの顔が一瞬で真っ赤になる。
オルディナスは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、悪い癖で。人の心を“読み取る”のが得意でしてね。」
彼の声色には、どこか楽しげな人間味があった。
「……若い恋は眩しいものです。どうか、彼と良い時間を過ごしなさい。」
「オルディナス様……?」
「何かあれば、私に直接ご連絡を。あなたの上司――アークは今、休養中ですのでね。」
そう言ってオルディナスは一歩、床を踏みしめた。
その足元から黒紫の紋章が広がり、空間が裂ける。
光も音も呑み込む“神域の門”――禍々しいゲート。
「では、また近いうちに。」
白竜の紳士は淡く微笑み、
そのまま闇の中に姿を消した。
リオナはしばらく、その場に立ち尽くしたまま――動けなかった。
ただひとつだけ確信できた。
彼が動いたということは、もう何かが始まっている。
******
潮風が吹き抜けるリゾートホテルのテラス。
夕陽が海面に線を描き、オレンジの光がガラスのテーブルを照らしていた。
その一角に、解決屋の面々が一人、また一人と姿を現す。
今日ばかりは任務でも戦いでもない――華やかな夜への出発だった。
レオンは鏡の前で悪戦苦闘していた。
「スーツなんて久しぶりで……ネクタイ、全然締まらないな。」
その手元を見て、ミリアが呆れたように笑う。
「貸して。ほら、じっとしてて。」
器用に結び目を整える彼女の横顔が近く、レオンは思わず背筋を伸ばした。
ジークは袖を引っ張りながら、ぼそりと呟く。
「なんか着心地わりぃな、これ。」
「師匠、似合ってないもんね」とキアラが茶化すと、「やかましい」と即座に返ってくる。
いつも通りの応酬だが、どこか穏やかで、仲間たちの笑いが零れた。
エリスは派手なドレスの裾をつまみ、眉をひそめる。
「……こういうの、性に合わねぇな。」
だがアイリが無邪気に両手を叩いた。
「似合ってるっすよ、姐さん!めっちゃ色っぽい!」
不意に褒められたエリスが頬を染め、「そ、そうか?」と口をもごもごさせる。
そんな彼女に「見た目だけは完璧だな」とぼそり呟いたカインの言葉は、すぐに鉄拳でかき消された。
カゲロウはというと、いつも通りの黒スーツ姿だった。
「お洒落ですね」とアイリが感心して言うと、短く「普段通りだ」とだけ返す。
その淡々とした声音が、かえって場を引き締めていた。
やがて、イレーネとヴォルドが姿を見せた。
イレーネは淡い水色のドレスをまとい、まるで光をまとったような気品を放っていた。
通りがかった人々が、思わず足を止めて見惚れるほどだ。
一方のヴォルドは、胸元を軽く開けたシャツ姿。無骨ながらも洒落た格好に、女性客の視線がちらほら集まっている。
「……待たせたな。」
低い声が響いた。振り向けば、ラグノワがいつもの黒いスーツ姿で立っていた。
「ほんと、どんな場面でもブレないですね」と誰かが笑う。
「悪かったな、つまらん姿で。」と淡々と返しながら、彼は周囲を見回す。
「ところで――トウマは?」
そのとき、ロビーの奥から聞き慣れた声がした。
「わるいわるい、ちょっと遅れた。」
現れたトウマは、白いシャツに黒のベストという簡素な装いだった。
けれど、いつもの帽子を外し、髪を上げているだけで印象がまるで違う。
鋭く整った輪郭、淡い光を帯びた瞳。その姿に、女性陣の視線が一斉に吸い寄せられた。
「ボス、イケてるっす!なんでいつも帽子なんか被ってるんすか!」
アイリが頬を紅潮させて声を上げる。
「俺は帽子がないと落ち着かねぇんだよ」とトウマは苦笑した。
だが、彼の背後にもう一つの影があった。
ひょこっと顔を出したのは、昨日出会った少女――リオナだった。
「やっほー!お邪魔しまーす!」
リオナの姿に、ミリアの目がすっと細くなる。
一方で、レオンは思わず見惚れていた。
深紅のドレスに揺れる金髪。昨日よりも大人びて見える。
「レオン君、すっごくかっこいい!いつもの穏やかさと違って、今日はキリッとしてるね♡」
その言葉に、レオンの耳が赤く染まる。
「そ、そうかな……リオナもすごく綺麗だよ。」
その瞬間、ミリアの足元に小さな雷が走った。
「へぇ、いつの間にそんなに仲良くなったのかな?」
リオナは悪びれもせず、唇に笑みを浮かべる。
「昨日は楽しかったね、二人で♡」
「……そう、よかったじゃない。今日は私とレオンが二人で回る予定だから。」
「えー、レオン君はそのチンチクリンちゃんと遊ぶのー?」
「なんですって、このあざと女!!」
空気が一瞬で火花を散らす。
トウマが慌てて割って入った。
「お、おいおい、喧嘩はやめとけって。三人で回ればいいだろ。」
「えー、トウマさんは味方してくれないの?ミリアちゃんが先に突っかかってきたのに~!」
「トウマさん!どっちつかずな態度が一番ムカつく!」
「いや、俺は……その……」
あたふたするトウマの背後から、低い声が落ちた。
「……トウマが優しく言ってるうちに黙れ。いい加減にしろ、ガキども。」
カゲロウの圧が空間を支配し、二人は慌てて同時に頭を下げた。
その様子を、リリィがうっとり見つめて呟く。
「すごい……これ本格的に泥ついてきたわね!」
「お前は止める側だろ」とジークが呆れ、ヴォルドが豪快に笑った。
「がははは!やっぱ若ぇっていいな!」
「――いい加減、行くぞ。」
ラグノワの低い声が響く。
賑やかな笑いとともに、一行は夜の街へと歩き出した。
その先に待つ《セレスティア・パビリオン》が、今はまだただの社交の場に思えた。
だが、誰も気づいていなかった。
――その扉の奥で、物語が新たな段階へと動き出そうとしていることに。




