第四十話
陽光は海を金色に染め、波打ち際ではみんなの笑い声が絶えなかった。
エリスが水をぶっかけ、カインが逃げ、リリィが浮き輪でぷかぷか漂う。
ヴォルドは腹まで海に浸かりながら「がはは!」と笑い声を上げ、アイリとキアラがはしゃいでいる。
その光景から少し離れた場所で、レオンは一人、膝を抱えて座っていた。
潮風が頬を撫で、波が寄せては返す。
海面に光がきらきらと跳ね、どこまでも穏やかな午後。
みんなの姿を眺めながら、レオンは小さく息を吐く。
胸の中には「楽しそう」という感情と、それに混じる小さな“距離感”のようなものがあった。
――自分は、ああいうふうにうまく笑えないのかもしれない。
そんな時、ふわりと日差しを遮る影が落ちた。
「ここ、座ってもいい?」
振り向けば、白い麦わら帽子。
水色のパレオを腰に巻いた少女――リオナだった。
「あ、リオナさん。もちろん、どうぞ。」
レオンが少し慌てて立ち上がると、リオナはくすっと笑いながら隣に腰を下ろした。
潮の香りの中に、ほんのり甘い花の匂いが混じる。
「泳がないの?」
リオナが、砂に指で円を描きながら尋ねた。
「ちょっと……苦手で。沈むタイプなんです。」
レオンが頭を掻くと、リオナは小さく吹き出す。
「そっか。見てるだけでも楽しそうだね、みんな。」
「はい。なんか、見てると……落ち着くんです。」
レオンの言葉に、リオナが目を細める。
「ふふ、レオン君って優しいね。そういうとこ、好きだな。」
「す、好き!?」
「いやいや、“そういう性格が好き”って意味だよ~。」
リオナは笑って手を振る。
けれどその頬は、うっすらと赤かった。
「……僕もリオナさんと話してると、なんか、落ち着きます。」
「へぇ、今度はレオン君が口説いてきた?」
「ち、違いますって!」
レオンの慌てた声に、リオナはくすくすと笑った。
「じゃあさ、泳げないなら別の遊びをお姉さんが教えてあげる!」
リオナが立ち上がり、手を差し出す。
「えっ、遊びって……」
「リゾートってね、海以外も楽しいの。屋台もあれば、ゲームもあるし!」
「でも、みんなに一言伝えてから――」
「だーめっ! 抜け駆けの方が、ちょっとスリルあって楽しいでしょ?」
そう言ってリオナはレオンの手を取った。
冷たくも柔らかい指先。
気づけば、レオンは引かれるまま立ち上がっていた。
「わっ、ちょ、ちょっと待って!」
「いいから、行こっ!」
砂を蹴り、二人は浜辺を駆け抜けた。
遠くでアイリたちの笑い声が小さくなっていく。
夏の風が背中を押すように吹き、レオンの心臓はどくどくと高鳴っていた。
リゾートの街はまるで祭りのように賑やかだった。
並ぶ屋台、ガラス細工の露店、光る貝殻を売る行商。
風鈴の音が涼やかに響き、潮と香水が混じったような香りが漂っていた。
「見て見て! 輪投げ!」
リオナが指差し、嬉しそうに駆けていく。
「えっ、やるんですか?」
「もちろん! こういうの、子どもの頃に憧れたんだ~。」
リオナが輪を手に取り、構える。
目の前の景品は金色の小さなイルカのぬいぐるみ。
彼女が息を止めて放った輪は――カラン、と軽い音を立てて見事に命中。
「入ったっ!」
「すごいですね!」
店主がぬいぐるみを渡すと、リオナは少し照れたように笑った。
「はい、これ。レオン君にあげる。」
「え、僕に!?」
「うん。今日一緒に来てくれたお礼!」
レオンが受け取ると、指が少しだけ触れた。
その瞬間、時間がほんの一瞬止まったように感じた。
次にふたりは射的コーナーへ。
「ぼ、僕こういうの苦手なんですよ……」
「大丈夫、教えてあげる!」
リオナが後ろに回り、そっとレオンの手に手を添える。
「ほら、こうやって……腕の角度を少し下げて。」
耳元に彼女の息がかかる。
心臓が跳ね、手元がぶれる。
「わっ、ちょ、ちょっと近いです!」
「あ、ごめんごめん!」
リオナが笑いながら離れる。
弾が放たれ、的に当たる――見事、当たり。
「やった!」
「すごいじゃん!」
二人の笑い声が夏風に溶けていく。
喧騒から少し離れたリゾートの外れに、小さなテントがぽつんと建っていた。
薄布の隙間から漂うのは、甘くもほの苦い香の匂い。
風に鳴る風鈴の音が静かな呼吸のように響いていた。
「わぁ……ここ、なんか本格的ですね」
リオナが興味津々にカーテンをめくり、レオンの手を引く。
中は薄暗く、ランプの橙光が揺れている。
タロットカードを並べていた老婆が二人を見上げた。
「……いらっしゃい。さて、可愛い二人さん。カップルかい?」
「ち、違いますっ!」
レオンは思わず声を裏返らせ、両手をぶんぶん振った。
だが、隣のリオナがすっと笑って――一拍置いてから、
「はい、カップルです♡」
「えっ!?!?!?」
レオンの顔がみるみる赤く染まる。
老婆はふふっと喉を鳴らして笑う。
「なるほど、仲がよさそうじゃ。」
「ちょ、ちょっとリオナさん!なに言ってるんですか!」
「冗談だよ~、そんなに慌てないの。顔、真っ赤だよ?」
リオナは頬杖をついて、悪戯っぽく微笑む。
老婆が静かにタロットを一枚持ち上げた。
「ふむ、せっかくだ。相性を見てやろう。」
カードの裏面が、光に透ける。
めくれた札には、二人の天使が手を取り合う絵が描かれていた。
――《恋人(The Lovers)》
老婆が目を細める。
「ほう……珍しいのう。出会って間もないのに、このカードとは。」
「ど、どういう意味なんですか?」とレオン。
「相性が抜群ということじゃ。お主らは、互いを映す鏡。
一方が笑えばもう一方も笑い、一方が泣けばもう一方の心も揺れる。
まるで潮のように、惹かれ合う関係じゃ。」
リオナがぱっと笑う。
「やったね、レオン君!“抜群”だって!」
レオンの耳が赤くなる。
「そ、そんな……た、たまたまですよ……」
「たまたまでも嬉しいでしょ?」
リオナが少しだけ身体を寄せて囁く。
「運命、かもよ?」
「う、運命……?」
レオンの心臓がどくん、と跳ねた。
老婆はにやりと笑い、別のカードをめくる。
《太陽(The Sun)》――明るい未来、祝福、希望。
「ふふ……太陽の加護まで出た。よほど縁が強いようじゃな。」
リオナは笑って帽子を押さえた。
「へぇ~。なんだか嬉しいですね。
私、占いって信じたことなかったけど……ちょっとだけ信じちゃいそう。」
レオンが言葉を探すように口を開く。
「僕も……こんな風に言われたの、初めてです。
なんか……恥ずかしいけど、悪くないかも。」
リオナが「でしょ?」といたずらっぽく笑う。
その瞳は、海のように澄んでいて、レオンは思わず視線を逸らせなくなった。
老婆が手を合わせて言う。
「若い二人の縁、今はとても良き流れじゃ。
笑い合う時間を、大切になさるがよい。」
「はい!」とリオナが元気よく答えた。
その声にレオンも釣られて頷く。
テントを出ると、外は茜色の光に包まれていた。
風が心地よく吹き抜け、遠くの波音がやさしく響く。
「ふふっ、レオン君、顔真っ赤。」
「う、うるさいですよ……!」
「だって、“相性抜群の運命の二人”だって言われたんだよ?照れないほうがおかしいって!」
リオナが笑って先を歩く。
その後ろ姿を見ながら、レオンは胸の鼓動を抑えられなかった。
彼女の笑顔が、まるで陽光そのものみたいに眩しかったから。
「ありがとうございました!」
そう言って二人は手を合わせ、布の向こうの明るい光へと出ていった。
――その瞬間。
老婆の指先が、テーブルの下に滑る。
先ほどの占いで、最後までめくられなかった一枚のカードがそこにあった。
黒い背景に、白骨の騎士が馬に乗る――《死神(The Death)》
老婆は小さく息を吐き、誰にも聞こえぬほどの声で呟く。
「……運命の糸は、いつも美しい顔をして近づいてくるもんじゃ。」
香の煙が細く立ちのぼり、光を歪ませる。
その煙の奥、テーブルに残された《死神》のカードが、
ゆらり、と、まるで息をしているかのように揺れた。
******
──その頃、浜辺では
「レオン、どこ行ったのよ!」
ミリアが砂浜をばしゃばしゃと踏み鳴らしながら叫んでいた。
夕陽を映した波が彼女の足元をさらっては戻っていく。
腕を組み、唇を尖らせて、頬をぷくっと膨らませたその姿は、
怒っているというよりも――心配と寂しさが混ざった顔だった。
「落ち着けって、ミリア。」
トウマがジュースを片手に、くっくっと喉を鳴らす。
「まぁまぁ、青春ってやつだ。あいつも男だしな。」
「男だしな、じゃない!」
ミリアは即座に噛みつく。
「どこに行ったのかも言わないで!いっつも抜けてばっかり!
……どうせあのリオナって子とイチャイチャしてるんじゃ....!」
その言葉に、ヴォルドが豪快に笑った。
「がはははは!おいおい、まさか本当にそうなんじゃないか?」
巨大な手でトウマの肩をどん、と叩く。
「こりゃ坊主、抜け駆け確定だな!」
「うるさい//!!」ミリアが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「そ、そんなわけ……ないでしょ!」
リリィが両手を合わせ、キラキラした目でその様子を見つめた。
「こ、これは……泥つく予感っ!」
まるで恋愛ドラマを見ている観客のように、わざとらしく胸の前で手を組む。
「リリィさんまで乗らないで!!」
ミリアは頭を抱えた。
その横で、カゲロウが珍しくも気まずそうに腕を組み、
視線を逸らしながら、ぼそりと呟く。
「ト、トイレじゃないか……?」
一瞬、沈黙。
次の瞬間、トウマが額に手を当て、深いため息をついた。
「……その言い方だと、トイレでいかがわしいことしてるみたいになるだろ、馬鹿。」
「ふっ……ふはははは!」
ヴォルドが腹を抱えて笑い転げる。
「くっ、ははははっ!カゲロウ、お前最高だな!」
「やめろ。」
カゲロウが眉をひそめるが、その顔もわずかに赤い。
リリィがくすくす笑いながら、
「なんだかんだで、みんな気になるんだね。あの二人、初々しいし。」
トウマはフランクフルトの串を砂に突き立て、
波間を見つめた。
「……まぁ、レオンも少しは青春してもいい頃だ。」
その声音は、どこか遠い記憶を懐かしむようだった。
ミリアは小さく息を吐き、砂にしゃがみこんだ。
「別に……いいですけど。
でも、戻ってきたら勝手にどっか行ったこと、ちゃんと怒る……。」
ぽつりと呟く声に、
リリィが「はいはい、ヤキモチ焼きさん♪」と肩を叩く。
波の音と笑い声が混じる中、
夕陽が海に沈み、リゾートの午後は少しずつ夜の色を帯びていった。
******
そしてその頃――。
海沿いの街灯がぽつぽつと灯り始める中、
リオナとレオンは並んで歩いていた。
露店の明かりがふたりの頬を柔らかく照らし、
風に揺れる金魚すくいの紙灯籠が、淡く水面を染める。
リオナがふと立ち止まり、レオンの方を振り返る。
「ねぇ、楽しかった?」
レオンは少し照れながら笑った。
「はい。なんか……夢みたいでした。」
リオナの瞳が、街灯の下でゆっくり瞬く。
「そっか。じゃあ、この時間は“夢の中”ってことにしよっか。」
ふたりの笑い声が、夜風に溶けていった。
それが、“運命”という名の波の始まりだと、
まだ誰も知らなかった――。




