第三十九話
潮騒と喧騒の中――。
屋台通りの一角で、少女はトレイを手に持ち、所在なさげに立っていた。
焼きたてのシーフードサンドとフルーツジュース。けれど、見渡しても空席がない。
あちこちのテーブルは人で埋まり、家族連れや若者の笑い声で満ちている。
(どこもいっぱい……。どうしようかな……)
人混みが苦手な彼女は、少し肩をすくめた。
海風がボブの髪を揺らす。陽の光に淡く透ける藍色――その瞳には紫の輝きが宿っていた。
(……どこか、話しかけやすそうなところ……)
目をやると、ちょうど六人掛けのテーブルに四人だけが座っている席があった。
トウマ、アイリ、ミリア、レオン。楽しげに食事をしているが、どこか落ち着いた雰囲気がある。
(あそこなら……大丈夫、かな)
少女は勇気を振り絞り、一歩踏み出した。
「すみませーん。ちょっと席が足りなくて……ご一緒してもよろしいですか?」
声は柔らかく、波の音に溶けるようだった。
トウマが顔を上げ、にこりと微笑む。
「いいですよ。みんなも大丈夫だよな?」
「もちろん!」「大丈夫です!」
アイリ、ミリア、レオンが口々に答える。
「よかった~!私こういうところ初めてで……」
リオナはほっと息をつきながら、レオンの隣の席に腰を下ろした。
「そうなんですね。」
トウマが興味深そうに尋ねる。
「どこから来たんですか?」
「アストラリアから来ました。」
リオナが微笑むと、日差しの中で紫の瞳がきらりと光った。
「へぇ、魔法国か。なら魔法には相当詳しいんじゃないですか?」
「いえいえ!そんなすごい魔法なんて使えません!基礎魔法くらいですよ!」
両手をぶんぶん振って否定する。
「名前はなんて言うんすか?」
アイリが興味津々で身を乗り出す。
「私の名前はリオナです。皆さんは?」
「俺はトウマ。こっちがレオン、こっちがアイリ、んでミリア。」
トウマが順に指を差して紹介する。
「皆さんすごく若いですね。学生さんとか?」
「レオンとミリアが十五、十六くらいだな。」
「そ、そうです!」
「わ、私十六!」
「で、アイリが十八。」
「ぴっちぴちの十八っす!」
リオナは笑いながら、今度はトウマを見た。
「トウマさんはおいくつですか?アイリさんと同い年?」
「あー……えーと、その……十九、ですかね。ははは。」
アイリが即座に小突く。「嘘つき。」
「リオナさんも僕らと同い年くらいに見えますね。」レオンが言う。
「はい!私は十七歳です!」
「同世代っすね!いえーい!」
アイリがハイタッチを求め、リオナは少し驚きつつも笑って応じた。
「よかったら、俺たちと一緒に遊びませんか?」
トウマが声をかける。
「え、でも……皆さんの邪魔になったら申し訳ないですし。」
「全然OKっす!」アイリが元気に言う。
「ぼ、僕も歓迎します!」レオンも慌てて頷いた。
その様子にリオナがふっと微笑む。
「レオン君……だっけ?可愛いね。」
「えっ……!」
レオンの脳内で何かが爆発した。顔が真っ赤に染まる。
その横で、ミリアがむすっと口を尖らせる。
「こいつ、いっつもこんな調子なんだよ。」
あえて軽く言い放ちながらも、どこか刺がある。
「ふふ。二人はカップル?」
リオナがいたずらっぽく首をかしげる。
「ち、ちがう!」
レオンとミリアの声が揃った。
「へぇ~、まだ違うんだ?」
リオナの唇に浮かんだ小さな笑みが、波の光を受けてきらめく。
ミリアはその笑みを見て、ほんの少しだけ眉を寄せた。
その空気をやわらげるように、トウマが立ち上がる。
「その、なんだ。折角だし、連絡先でも交換しておこうか。海辺で迷子になると厄介だしな。」
「お、いいっすね!」アイリが魔導通信機を取り出す。
リオナも笑顔で自分の通信端末を差し出した。
次々に魔力の光が走り、四人の名前が画面に登録されていく。
「これで、もう友達っすね!」
アイリが嬉しそうに言う。
「はい。……ありがとうございます。」
リオナはほんの少し、胸の奥を押さえながら微笑んだ。
――この日、偶然の出会いとして始まった会話が、
やがて“運命的な出会い”になることを、
このとき誰も、まだ知らなかった。
トウマたちは買った食べ物をトレーにのせ、パラソルの下を抜けてビーチの奥へ戻っていった。
潮風と笑い声が混じり合い、太陽が白く輝く――はずだった。
だが、その一角だけは――明らかに異質だった。
砂煙。轟音。風圧。
そこにいたのは、もはや「遊んでいる」とは呼べない集団。
リリィが審判台の上から必死に笛を吹く。
「しょ、勝負はフェアにいくのです! フェアにぃぃ!!!」
砂浜の中央では、
カゲロウ、イレーネ、エリス
VS
カイン、ヴォルド、キアラ
――の、ビーチバレー……という名の“超常決闘”が繰り広げられていた。
「おらぁっ!!!」
エリスが渾身のスパイクを叩き込む。
空気が弾け、ボールが音速を超えて砂を抉る。
「殺人ボール」なんて生易しいものではない。あれはもう、弾道兵器だ。
「危ねっ!」
カインが咄嗟に滑り込み、両腕でボールを受ける。
砂が爆ぜ、地面がひび割れた。
そのボールを即座に上げ――。
「うらああああっ!!!」
ヴォルドが叫びながらスパイク。
その一撃は、地響きを伴う竜人の豪打。
空気がうねり、衝撃波が観客席(リリィの足元)を直撃する。
「ひゃっ!? 髪が逆立ったぁぁ!!」
そのボールを、カゲロウが冷静に影の触手で軌道修正。
「そんな粗暴なボール、効くか。」
ボールは地を滑り、イレーネの目前に。
「……ナイスフォローです。」
イレーネが杖を構え、手元の魔法陣から風を発生させる。
魔風のトス。
ボールが宙でふわりと静止したかのように上昇し――
「いっけぇぇぇ!!!」
エリスがそのまま爆裂スパイクを叩き込んだ。
砂が爆発する。
風圧で観客のパラソルが数本、海まで吹き飛んだ。
「ひぃぃぃぃ……」
リオナはジュースを手にポカーンと立ち尽くす。
「これ……ビーチバレー、ですよね……?」
「……あぁ。一応な。」
トウマが苦笑しながら首を掻く。
「“一応”って何っすか!」
アイリがフランクフルトを持ったままツッコむ。
レオンは真顔で頷いた。
「たぶん、普通の人が混ざったら即死します。」
ミリアが呆れながら腕を組む。
「ねぇ、あれ……絶対に“遊び”の域じゃないよね。」
リオナが震える指でコートを指す。
「い、今、風の刃みたいなの出ませんでした……?」
「出てましたねぇ。」トウマが肩をすくめる。
「だが本人たちは本気で“遊んでる”つもりなんだ。うちのメンツは昔からそうなんだよ。」
「そらァァァァ!!!」
ヴォルドの豪打を、カゲロウが影で拾う。
「……無駄だ。」
イレーネが風を操り返球。
ボールは一直線にキアラの顔面に迫るが――。
「くらえ必殺キアラパンチ!!!」
キアラが拳で返した。
まさかの人力レシーブ。
その反射を見てエリスがニヤリ。
「いいじゃねぇか……来いよ、竜人チーム!」
次の瞬間、両陣営の足元から砂煙が舞い上がり、ビーチの温度が上がった。
「「「うおおおおおおっ!!!!!」」」
ただのレクリエーションは、完全に戦場へと変わっていた。
そんな阿鼻叫喚の中、トウマはのんびりとポテトをつまみ、リオナに視線を向ける。
「どうだ? リオナさん。あれがうちの“いつも通り”だ。」
「い、いつも……通り……?」
リオナは乾いた笑いを漏らしながら、砂煙の向こうを見つめる。
その瞬間、彼女の瞳が一瞬、紫から金へと揺らめいた。
気づいたのは――トウマだけ。
(……今の魔力反応、何だ?)
トウマの表情がわずかに変わる。
リオナは気づかぬまま、海風の中で笑っていた。
「皆さん、本当に仲が良いんですね。」
「……あぁ。まぁ、そうだな。」
トウマが曖昧に笑い返す。
波の音の向こう、砂と光の中で、
小さな運命の火花が、静かに灯っていた。
砂上の戦場――もとい、地獄のようなビーチバレー大会が終わりを迎えた。
砂まみれの面々が、汗を光らせながらこちらへ歩いてくる。
「いい汗かいたぜー!」
エリスがタオルで髪を乱暴に拭い、満足げに笑う。
「もう腕パンパンだわ……」
カインは肩を回しながら息をついていた。
「がはははは! 楽しかったな!!」
ヴォルドの笑い声はまるで波よりも大きい。
そんな彼がふと視線を移し、トウマの隣の少女を見て首をかしげた。
「……そちらの女性は、どちらさんだ?」
トウマが軽く手を挙げて紹介する。
「さっき仲良くなったリオナちゃんだ。みんな仲良くしてやれ。」
「リオナちゃん、ね。よろしく!」
キアラが手を振ると、リオナは少し緊張したように笑って頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします。」
ミリアが横目でレオンを見て、「ねぇ、あんたさっきからニヤニヤしてない?」と肘でつつく。
「し、してない!」レオンは耳まで赤くなる。
そんな微笑ましいやりとりを横目に、全員で休憩所に戻った。
パラソルの下では、ジークが寝転がっていた。
麦わら帽を顔にかぶせ、口元からはストローが出ている。
見るからに「何もしてません」という顔だ。
「おつかれさまっすー……」
アイリがポテトの袋を置きながらあきれた声を出す。
だが――。
「……ラグノワはどこに行った?」
カゲロウが周囲を見回す。
ジークは無言のまま、指をひとつ上げた。
その指先の先――。
そこには、数人の若い女性に囲まれ、笑顔でビーチボールを打ち返しているラグノワの姿があった。
しかも、さっきまでの無表情とは別人のように楽しげだ。
「……どういう状況だ。」
カゲロウの眉がぴくりと動く。
ジークは無言でジェスチャーをする。
――両手でハートを作り、胸に当て、肩をすくめる。
「……なるほどな。」
全員が一瞬で理解した。
アイリとキアラの口元が同時にニヤリと吊り上がる。
「ねぇ、これ撮っとこっか。」
「うんうん、後で絶対使えるやつ!」
魔導通信機を構え、シャッター音が連写する。
「あとでラグノワへの交渉材料になるな!」
ヴォルドが大笑いしながら声を張る。
「沢山撮っておけ! やつの弱点なんて滅多にねぇ!」
「……珍しいこともあるもんだ。」
トウマは吹き出しながら腕を組む。
そんな中、トウマはリオナの方を向いた。
「そうだ、リオナちゃん。こっちのやさぐれオヤジはジークって言うんだ。」
「よ、よろしくです。」
リオナが小さく頭を下げる。
ジークが目を細め、煙草をくわえたまま体を起こした。
「あー? なんだこの別嬪嬢ちゃんは。ボス、ナンパでもしたのかよ。」
「ちげぇわボケ。」トウマが即座にツッコむ。
「ははっ、冗談だ。まぁよろしくな、嬢ちゃん。」
ジークは軽く手を上げ、にやりと笑った。
――だが、その目の奥が、一瞬だけ鋭く光った。
リオナの笑顔を正面から見た瞬間、
ジークの訓練された感覚が、“何か”を察知した。
空気の揺らぎ、魔力の流れ、周囲との同調率――。
彼女の存在だけ、異様に「静かすぎる」。
風と光が触れても、まるで“そこだけ止まっている”ようだった。
(……こいつ、ただの娘じゃねぇな)
ジークは煙を吐きながら、あえて軽口を続けた。
「嬢ちゃん、日焼け気をつけな。肌が綺麗だからな。」
リオナは照れたように笑い、「ありがとうございます」と答える。
その笑顔が、波の反射を受けて一瞬だけきらめく。




