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リミナス・フロンティア  作者: タコマル
第一部第二章
36/49

第三十四話

◆ーー緊急対策本部


骸骨の群れが地を這い、黒い川のように押し寄せた。

リリィの結界の外縁で、イレーネの冷気が弧を描き、キアラの拳が白閃を刻む。


「はっ!」

氷刃が一薙ぎで十体を砕き、

「どけぇっ!」

鉄槌のような正拳が頭蓋を砕け散らす。


だが――。


「……届かない?」

イレーネの眉が寄った。砕けた骸骨の奥、赤法衣の男――モロキウスに向けて放った氷槍が、まるで見えない膜に弾かれて消えたのだ。


キアラが舌打ちして駆ける。

「雑魚、無視して本体ぶっ倒すッ!」

一直線にモロキウスへ突っ込むその刹那、足元の骨が勝手に積み上がって壁と化し、キアラの軌道を逸らした。次の瞬間、横合いから伸びた骸骨の腕が絡みつく。

「チッ!」 肘で砕き、回し蹴りで振り払う――だが、致命打にはならない。


「……観察終了、条件成立」

ラグノワの声は静かだった。仮面の奥で視線が鋭く走る。


(“骸骨を殺し切る”と、モロキウスへの攻撃は一切通らなくなる。

逆に、“骸骨が場に存在する”間は、物理・術ともに到達し得る……が、こちらの強制系――つまり私の審判は“咎を縫い留める対象”を見失い、不発に終わる)


実際、先の一瞬、ラグノワは仮面の奥で審判を発動しかけていた。

“罪”は灯り、裁きの刃は降りる――はずだった。

だが、刃は降りなかった。

(条件不成立……!)


モロキウスは相変わらず動かない。自らの杖を掲げて指揮するだけ。

(攻めてこない……いや、“攻める必要がない”構造か。軍勢を完全破壊すれば“無敵”。軍勢がいれば“強制効果は通らず”、しかし攻撃は通る。両面待ちの地獄の二択……!)


ラグノワは即断した。

「イレーネ!キアラ!“粉砕”ではなく無力化だ。壊さず、動けなくして留めろ!」

「了解!」

「任せろッ!」


二人は手を変え、骨の関節を凍結し、打点をずらして“崩す”に徹する。骸骨は散らず、ただ積み木のように座り込んだ。

(これで“攻撃は通る”状態を維持――次だ。審判の要件を満たす瞬間はどこだ?)


モロキウスの仮面が、初めてこちらを向く。

「……観察はそこまでで良い。授業の時間じゃ」


杖先の骸口がぱかりと開いた。

目が合う――と思った瞬間、視界が白に塗りつぶされる。


零距離炸裂ゼロ・デトネーション


対象を“見た”座標に、因果をねじ込み爆心を刻む古代術式。

逃げ場はない。避ける時間もない。

イレーネとキアラの身体に遅れて衝撃が走り、二人は結界の縁へ吹き飛んだ。


「イレーネ!」「キアラ!」

ラグノワの叫びに、リリィが結界内から治癒の光を走らせる。二人は辛うじて意識を保ったが、立つことはできない。


(まずい……!)

ラグノワの喉が乾く。

カインは膝をついたまま、動けない。

アイリは結界とドームの両解析で限界まで脳を使っている。

ジークは……椅子の上で、動かない。

(――間に合わん)


ラグノワが前へ出る。仮面に手を当て、審判の文言を唱えかけ――

(駄目だ、また不発。やはり“審判”がすり抜ける……!)


そのとき、結界の内側で少年が走った。

「ジークさん……!」


レオンだ。

放心した男の前で、必死に言葉を探す。

「お願いです……このままだと、みんな死にます。――助けてください!」


ジークの瞳は、底なしの井戸のように暗い。反応はない。

レオンは――叫んだ。

「ゼルロゼさんは……操られてるだけかもしれない!まだ諦めないでください!ここでみんなが死んだら、ゼルロゼさんを助けることだって、できない!」


沈黙。

ほんの、数拍。

微かな火が、井戸の底で揺れた。


「……お前」

掠れた声。

「そうだな。」


ジークはタバコを口にくわえた。火も点いていない。

よろりと立ち上がると、結界から一歩、外に出た。


ラグノワがちら、と横目で見る。

「ようやく目覚めたか。だが状況は、最悪だ」


「すまん」

それだけ言って、歩く。骸骨の波が押し寄せる。

蹴り――一歩。肩から押し分け――一歩。

砕かない。折らない。崩す。動きを奪うだけで前へ、前へ。


モロキウスの仮面が、嗤った。

「勇敢じゃのう。だが無益じゃ」


ジークが止まる。

顔はいつもの皮肉を失い、氷の板のように静かだ。

「今から、八つ当たりだ。――覚悟しろ」


次の瞬間、モロキウスの仮面が揺れた。

拳がめり込んだのだ。

「なっ――なぜ、通る!?」


答えは簡単だった。

骸骨の軍勢は“完全には”倒されていない。

存在が残り続ける限り、モロキウスの“無敵相”は成立しない。


「はぁっ!」

ヴァルハラ式格闘術――最短経路、急所限定、無駄ゼロ。

肝臓、鳩尾、頚動脈、顎角、膝の内側――拳と肘と膝が、必要な場所だけを打ち抜いていく。

モロキウスの体が折れ曲がる。

治癒。

折れる。

治癒。

折れる。

治癒が追いつかない。仮面の奥が焦りを帯び始めた。


「……戯れは終いじゃ」

モロキウスの背で、黒いものが咲いた。

黒翼。

外見が歪み、法衣が禍々しい皮膜へ変わる。

同時に、唱えが奔流となって溢れた。


遠隔軌道逆落リモート・アポリオン――視た座標に重力井戸を穿ち、

魂食宣告アナテマ――生命力の連鎖を切断し、

傀儡の王手ネクロ・マトリ――座標に死体の腕を生やす。


ジークは躱す。躱す。だが、重ねがけは容赦なく蓄積する。

一瞬、足元が鈍った。

零距離炸裂。

白い光。

ジークの体が吹き飛んだ。

「っ……!」 地に伏す。肋骨が鳴り、腕が痺れる。立てない。


「終いじゃ」

黒翼が広がり、死の文様が空気に刻まれる。

リリィの結界が悲鳴を上げた。

ラグノワは一歩、前へ。

(――ここだ)

覚悟が、全身に降りる。

審判が起動しないなら、私自身が盾になるしかない。


そのとき、少年が剣を取った。


「レオン!? 戻れ!」

ラグノワの叱声。

「無茶だっての!」ミリアの叫び。

だがレオンは、ただ首を振った。

「……見てるだけは、もう嫌なんです」


瞳の奥が、金に染まった。


モロキウスが冷笑する。

「小僧に何が――」


言葉が途切れる。

空気が変わった。

少年の間合いが、別物になった。

踏み込み――一歩。

骸骨の軍勢が、一閃で一帯ごと消し飛ぶ。

砕けるのではない。消える。

(な……!?)

モロキウスは思わず仮面を傾けた。

「学習しておらぬな。骸骨を殺し切れば――」

無敵相が立ち上がる――はずだった。


金の光が、強くなった。

少年の瞳が、完全な金へと染まり切る。

肌理の奥から、違う“何か”が立ち上がる。


「お前を――倒す」


一言。

爆ぜるオーラ。

空気が裂け、床板が剥離し、ドームの呪脈が一瞬だけ逆相を起こす。

レオンの体を通して、別の意志が“握り直した”。


彼は、己の手の甲を見た。

不思議そうに、そして懐かしそうに。

「……共鳴、か。――なるほど」

声の響きが、少年のものではない。


ラグノワが鋭く問う。

「レオン!」

「私か?」少年は微笑する。「ああ、そうだ。この器はレオンのものだったな」

仮面がわずかに震えた。

「――貴様、何者だ」


金の瞳が、仮面の奥を見通す。

「審判か。面白い。久々に見る力だ」

少年は、名を告げた。

「私の名はセリオン。人は私を剣神とも呼ぶ」


ラグノワは言葉を失う。

モロキウスが嗤う――嗤い切る前に、視界が切り裂かれた。


斬撃。

斬撃。

斬撃。

どこからどこまでが一振りなのか分からない。

剣は、いつ抜かれた?

モロキウスの黒翼が細切れになり、文様が途切れる。

古代魔法の起点が焼け落ち、詠唱が無音で折れる。


「治癒」

瞬時に肉が盛り上がる。

再生。

次の瞬間、同じ場所に同じ斬撃が重ねられていた。

再生に必要な因果の段取りそのものを、斬られている。


モロキウスの仮面に、初めて“恐怖”が宿る。

(――死ぬ)

理解した瞬間、耳の奥で命令が鳴った。

戻レ


空間が裂ける。

黒い穴が開き、強制転送の引きずりが始まる。

セリオンの剣が、その縁へ向けて振り下ろされ――

間に合わない。

モロキウスの姿は闇にさらわれ、消えた。


静寂。

剣が音なく鞘に納まる――鞘などどこにも見えないのに、そう聞こえた。

セリオンは自分の指を握っては開き、軽く呟く。


「……剣を扱うのは久しい。鈍ったか」


崩れた結界の内側から、歓声が湧く。

「助かった……!」「やったぞ!」

負傷者たちの嗚咽が混じり、誰かが泣き笑いする。


ミリアが走り寄り、金の瞳を睨み上げた。

「あんたレオンじゃないでしょ。誰!?レオンを返しなさいよ!」

セリオンは肩をすくめる。

「返してやりたいところだが――器の主は、今は奥で眠っている。心配はいらん。そのうち自分で起きる」


ミリアは唇を噛む。

「……絶対よ」

「絶対だ」

短い応酬。セリオンは微笑した。その笑みに、少年の面影が一瞬だけ戻る。


ラグノワが歩み寄る。

「……本当に、剣神なのか」

「名乗っただろう」金の瞳が細まる。


ラグノワはわずかに目を見開き、仮面の奥で息を整える。

周囲ではリリィがイレーネとキアラの止血を終え、アイリがドーム結界の解析に戻る。カインはまだ呼吸を荒げながらも、親指を掲げた。


天の上では、まだ光が交錯している。

だが、地上の一点は――確かに、切り抜けた。


セリオンは一度だけ夜空を見上げると、静かに呟いた。

「まだ終わってはいないな。」


大広間の奥壁が、雷鳴のような音とともに内側から弾け飛んだ。

石塵と風圧が渦を巻き、リリィの結界が一瞬だけ波打つ。


砕け散る瓦礫の雲の中心から――黒い龍が現れた。


角は伸び、鱗は鋼のように噛み合い、青い髪は火焔の尾のように長くなびく。

ヴォルド。だが、もう“ヴォルド”ではない。龍脈解放の暴走体。瞳孔は爛々と細く、喉の奥で地鳴りが唸った。


「……戻ったか、ヴォルド」

ラグノワが低く呟くや否や――


咆哮。


大広間が震え、天井の梁が軋む。風圧だけで近くの柱が半ばから裂け、床石にひびが奔る。

理性の影は微塵もない。ただ、あふれ出す龍脈に肉体が引きずられている。


「ヴォルドの兄貴……っ」カインが歯を食いしばる。

「止めないと結界が持たないっす!」アイリが悲鳴混じりに叫び、リリィの祈りがさらに強まる。


セリオンの金の瞳が、愉悦に細まった。

「――竜人か。久しいな。いい気配だ。暴れるなら、私が手懐けよう」


「待って、セリオ――レオン!」ミリアが腕を掴もうとした瞬間、セリオンの気配がふっと遠のく。

一歩。それだけで、彼は暴れる龍の眼前にいた。


ヴォルドの巨拳が反射で落ちる。

空気が爆ぜ、床が陥没――だが、当たらない。

セリオンは顎をほんのわずか傾け、指先で拳の甲を押す。

押しただけなのに、打撃線は一寸だけずれ、巨拳は床を空振りで砕いた。


「やれやれ」

セリオンは、剣を抜かない。掌を軽く構え、刃の代わりに指の腹で鱗の継ぎ目をなぞる。


チッ、チッ、チッ――

小気味よい音が続く。

刃ではない。封だ。


「龍を鎮めるには、龍の道を塞ぐのが早い」

金の瞳が鱗の流れを読み切る。「溢れ出る脈――上がり、巡り、還る三つの送路。ここ、ここ、そしてここ」


ヴォルドの大振り、横薙ぎ。

セリオンは踏み替えず、踝で軽く蹴り返す。

その一撃は“打ち合い”にならない。向きだけを変える。

巨腕は軌道を折られ、自分の肩口へ擦れ違い――

セリオンの人差し指が、その肩甲の一点に触れる。

蒼い火花がぱちり、と跳ねた。


「ひとつ」

龍脈の奔流が、そこから逆流を始める。


ヴォルドが吠える。

さらに荒く、さらに速く。時間が経つほど暴れは増す――

(いま抑えねば、城ごと砕ける)


ラグノワが仮面を押さえ、審判を走らせかけ――止める。

(駄目だ、味方に裁きを落とすわけにはいかない)

仮面の奥で歯噛みする。


セリオンは、もう二点を打ち終えていた。

肘の内側、胸骨の下――刃より速い指先が、鱗の“目”を縫う。

打撃ではない。封穴だ。龍脈の送路そのものに「止符」を刺す古の手業。


「ふたつ、みっつ――」

セリオンの靴裏が床を滑る。

ヴォルドの尾が唸り、大広間を薙ぎ払う。

セリオンは尾の内側へ踏み込む。

鞭の根元――付け根に、軽く、爪で弾くような触れ。

「そこで道が分かれる。塞ぐ」


ドン。

遅れて、ヴォルドの全身が一瞬だけ強張った。

溢れ出ていた“熱”が、出口を失って沈む。

黒い鬣がざわりと逆立ち、咆哮が一段低音に落ちる。


「……まだだな」

セリオンは手首を返した。

空中に、細い円を描く。

見えない剣圧が走り、円は六つの小環に分かれ――ヴォルドの四肢と頸、尾の根元に嵌まる。


龍縛りゅうばくの環。刃ではない、言葉だ」

古代の声調が、彼の喉奥から漏れた。

“竜の名を呼び、竜の道を閉じ、竜の身を留める”――剣神だけが扱える、龍鎮めの句。


ヴォルドが吠える。

環がきしみ、床石が砕け、柱が割れる。

だが――抜けない。

暴れるほど、環は“内側から”締まる。封じられた龍脈が、徐々に穏やかな循環へと戻っていく。


セリオンは最後に、ヴォルドの額へ拳を軽く当てた。

その拳は打たない。

叩かない。

ただ、在る。


「――戻れ。名を持つ竜よ。ヴォルド。」

低い呼び声が、大広間の底に沈む。


長い数息。

黒い鬣が、少しずつ重力を思い出し、肩へ落ちた。

咆哮が荒い呼吸へ変わる。

龍の瞳孔に――微かな、赤が戻る。


「……ッ……」

ヴォルドは無言のまま、膝から崩れ落ちた。

鎧のような鱗に、亀裂が走り、龍脈の黒い輝きが退く。

残ったのは、息荒く伏せる竜人だった。


リリィが結界の内から祈りの帯を投げ、アイリが魔導拘束具を投げ渡す。

セリオンはそれを片手で受け取り、環に重ねて緩衝を作る。

「無理に封じるな。循環を殺すと逆噴射する。……そう、その調子だ」


ラグノワがゆっくりと近づいた。

「助かった、セリオン。……今のは、剣ではないのだな」


「剣は刃だけではないさ」

セリオンは肩をすくめる。「みちを読み、塞ぎ、通す。治すのも剣だ」


ミリアが安堵の息を吐き、ヴォルドの額に濡れ布を当てる。

アイリは解析中、座り込んだまま親指を立て、「レオン君、あとで褒めるっす……」と解析に戻る。


セリオンは、ひとつあくびを噛み殺した。

金の瞳が、わずかに霞む。

「……器の主が、目覚めようとしている。長居はできんか」


「レオン……戻ってくるの?」ミリアが問い詰める。

「焦るな。」

セリオンはふっと笑い、ゆっくりと視線を上げる。


砕けた壁の向こう、夜空ではまだ光が交錯している。

遠雷のような轟き。青と黒と金が絡み合い、ひとつ、またひとつと弾ける。


「竜は鎮まった。今日はここまでの様だな。」

セリオンはかすかに首を傾げ、どこか懐かしむような声音で続けた。


金の光が、ひときわ強く瞬き――

その色が、ゆっくりと琥珀へ、そして少年の黒へと戻っていく。


レオンの膝が、かくりと折れた。

ミリアが慌てて抱きとめる。

「レオン!レオン!」

彼は、静かに寝息を立てていた。頬にかかった髪が揺れ、安らかな顔。


セリオンの残滓は、彼の胸の奥で最後に小さく笑った。

(――いい器だった。)


ラグノワは短く息を吐き、仮面を押さえる。

「全員、気を緩めるな。ヴォルドは拘束を維持、負傷者はリリィの結界内へ。……そして――」


砕けた壁の向こうで、別の轟きが走った。

誰もが顔を上げる。

夜が、割れる。


「――トウマ達の無事を確認せねば。」

ラグノワの声が、静かに全員の背筋を伸ばした。

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