第三十四話
◆ーー緊急対策本部
骸骨の群れが地を這い、黒い川のように押し寄せた。
リリィの結界の外縁で、イレーネの冷気が弧を描き、キアラの拳が白閃を刻む。
「はっ!」
氷刃が一薙ぎで十体を砕き、
「どけぇっ!」
鉄槌のような正拳が頭蓋を砕け散らす。
だが――。
「……届かない?」
イレーネの眉が寄った。砕けた骸骨の奥、赤法衣の男――モロキウスに向けて放った氷槍が、まるで見えない膜に弾かれて消えたのだ。
キアラが舌打ちして駆ける。
「雑魚、無視して本体ぶっ倒すッ!」
一直線にモロキウスへ突っ込むその刹那、足元の骨が勝手に積み上がって壁と化し、キアラの軌道を逸らした。次の瞬間、横合いから伸びた骸骨の腕が絡みつく。
「チッ!」 肘で砕き、回し蹴りで振り払う――だが、致命打にはならない。
「……観察終了、条件成立」
ラグノワの声は静かだった。仮面の奥で視線が鋭く走る。
(“骸骨を殺し切る”と、モロキウスへの攻撃は一切通らなくなる。
逆に、“骸骨が場に存在する”間は、物理・術ともに到達し得る……が、こちらの強制系――つまり私の審判は“咎を縫い留める対象”を見失い、不発に終わる)
実際、先の一瞬、ラグノワは仮面の奥で審判を発動しかけていた。
“罪”は灯り、裁きの刃は降りる――はずだった。
だが、刃は降りなかった。
(条件不成立……!)
モロキウスは相変わらず動かない。自らの杖を掲げて指揮するだけ。
(攻めてこない……いや、“攻める必要がない”構造か。軍勢を完全破壊すれば“無敵”。軍勢がいれば“強制効果は通らず”、しかし攻撃は通る。両面待ちの地獄の二択……!)
ラグノワは即断した。
「イレーネ!キアラ!“粉砕”ではなく無力化だ。壊さず、動けなくして留めろ!」
「了解!」
「任せろッ!」
二人は手を変え、骨の関節を凍結し、打点をずらして“崩す”に徹する。骸骨は散らず、ただ積み木のように座り込んだ。
(これで“攻撃は通る”状態を維持――次だ。審判の要件を満たす瞬間はどこだ?)
モロキウスの仮面が、初めてこちらを向く。
「……観察はそこまでで良い。授業の時間じゃ」
杖先の骸口がぱかりと開いた。
目が合う――と思った瞬間、視界が白に塗りつぶされる。
零距離炸裂。
対象を“見た”座標に、因果をねじ込み爆心を刻む古代術式。
逃げ場はない。避ける時間もない。
イレーネとキアラの身体に遅れて衝撃が走り、二人は結界の縁へ吹き飛んだ。
「イレーネ!」「キアラ!」
ラグノワの叫びに、リリィが結界内から治癒の光を走らせる。二人は辛うじて意識を保ったが、立つことはできない。
(まずい……!)
ラグノワの喉が乾く。
カインは膝をついたまま、動けない。
アイリは結界とドームの両解析で限界まで脳を使っている。
ジークは……椅子の上で、動かない。
(――間に合わん)
ラグノワが前へ出る。仮面に手を当て、審判の文言を唱えかけ――
(駄目だ、また不発。やはり“審判”がすり抜ける……!)
そのとき、結界の内側で少年が走った。
「ジークさん……!」
レオンだ。
放心した男の前で、必死に言葉を探す。
「お願いです……このままだと、みんな死にます。――助けてください!」
ジークの瞳は、底なしの井戸のように暗い。反応はない。
レオンは――叫んだ。
「ゼルロゼさんは……操られてるだけかもしれない!まだ諦めないでください!ここでみんなが死んだら、ゼルロゼさんを助けることだって、できない!」
沈黙。
ほんの、数拍。
微かな火が、井戸の底で揺れた。
「……お前」
掠れた声。
「そうだな。」
ジークはタバコを口にくわえた。火も点いていない。
よろりと立ち上がると、結界から一歩、外に出た。
ラグノワがちら、と横目で見る。
「ようやく目覚めたか。だが状況は、最悪だ」
「すまん」
それだけ言って、歩く。骸骨の波が押し寄せる。
蹴り――一歩。肩から押し分け――一歩。
砕かない。折らない。崩す。動きを奪うだけで前へ、前へ。
モロキウスの仮面が、嗤った。
「勇敢じゃのう。だが無益じゃ」
ジークが止まる。
顔はいつもの皮肉を失い、氷の板のように静かだ。
「今から、八つ当たりだ。――覚悟しろ」
次の瞬間、モロキウスの仮面が揺れた。
拳がめり込んだのだ。
「なっ――なぜ、通る!?」
答えは簡単だった。
骸骨の軍勢は“完全には”倒されていない。
存在が残り続ける限り、モロキウスの“無敵相”は成立しない。
「はぁっ!」
ヴァルハラ式格闘術――最短経路、急所限定、無駄ゼロ。
肝臓、鳩尾、頚動脈、顎角、膝の内側――拳と肘と膝が、必要な場所だけを打ち抜いていく。
モロキウスの体が折れ曲がる。
治癒。
折れる。
治癒。
折れる。
治癒が追いつかない。仮面の奥が焦りを帯び始めた。
「……戯れは終いじゃ」
モロキウスの背で、黒いものが咲いた。
黒翼。
外見が歪み、法衣が禍々しい皮膜へ変わる。
同時に、唱えが奔流となって溢れた。
遠隔軌道逆落――視た座標に重力井戸を穿ち、
魂食宣告――生命力の連鎖を切断し、
傀儡の王手――座標に死体の腕を生やす。
ジークは躱す。躱す。だが、重ねがけは容赦なく蓄積する。
一瞬、足元が鈍った。
零距離炸裂。
白い光。
ジークの体が吹き飛んだ。
「っ……!」 地に伏す。肋骨が鳴り、腕が痺れる。立てない。
「終いじゃ」
黒翼が広がり、死の文様が空気に刻まれる。
リリィの結界が悲鳴を上げた。
ラグノワは一歩、前へ。
(――ここだ)
覚悟が、全身に降りる。
審判が起動しないなら、私自身が盾になるしかない。
そのとき、少年が剣を取った。
「レオン!? 戻れ!」
ラグノワの叱声。
「無茶だっての!」ミリアの叫び。
だがレオンは、ただ首を振った。
「……見てるだけは、もう嫌なんです」
瞳の奥が、金に染まった。
モロキウスが冷笑する。
「小僧に何が――」
言葉が途切れる。
空気が変わった。
少年の間合いが、別物になった。
踏み込み――一歩。
骸骨の軍勢が、一閃で一帯ごと消し飛ぶ。
砕けるのではない。消える。
(な……!?)
モロキウスは思わず仮面を傾けた。
「学習しておらぬな。骸骨を殺し切れば――」
無敵相が立ち上がる――はずだった。
金の光が、強くなった。
少年の瞳が、完全な金へと染まり切る。
肌理の奥から、違う“何か”が立ち上がる。
「お前を――倒す」
一言。
爆ぜるオーラ。
空気が裂け、床板が剥離し、ドームの呪脈が一瞬だけ逆相を起こす。
レオンの体を通して、別の意志が“握り直した”。
彼は、己の手の甲を見た。
不思議そうに、そして懐かしそうに。
「……共鳴、か。――なるほど」
声の響きが、少年のものではない。
ラグノワが鋭く問う。
「レオン!」
「私か?」少年は微笑する。「ああ、そうだ。この器はレオンのものだったな」
仮面がわずかに震えた。
「――貴様、何者だ」
金の瞳が、仮面の奥を見通す。
「審判か。面白い。久々に見る力だ」
少年は、名を告げた。
「私の名はセリオン。人は私を剣神とも呼ぶ」
ラグノワは言葉を失う。
モロキウスが嗤う――嗤い切る前に、視界が切り裂かれた。
斬撃。
斬撃。
斬撃。
どこからどこまでが一振りなのか分からない。
剣は、いつ抜かれた?
モロキウスの黒翼が細切れになり、文様が途切れる。
古代魔法の起点が焼け落ち、詠唱が無音で折れる。
「治癒」
瞬時に肉が盛り上がる。
再生。
次の瞬間、同じ場所に同じ斬撃が重ねられていた。
再生に必要な因果の段取りそのものを、斬られている。
モロキウスの仮面に、初めて“恐怖”が宿る。
(――死ぬ)
理解した瞬間、耳の奥で命令が鳴った。
戻レ
空間が裂ける。
黒い穴が開き、強制転送の引きずりが始まる。
セリオンの剣が、その縁へ向けて振り下ろされ――
間に合わない。
モロキウスの姿は闇にさらわれ、消えた。
静寂。
剣が音なく鞘に納まる――鞘などどこにも見えないのに、そう聞こえた。
セリオンは自分の指を握っては開き、軽く呟く。
「……剣を扱うのは久しい。鈍ったか」
崩れた結界の内側から、歓声が湧く。
「助かった……!」「やったぞ!」
負傷者たちの嗚咽が混じり、誰かが泣き笑いする。
ミリアが走り寄り、金の瞳を睨み上げた。
「あんたレオンじゃないでしょ。誰!?レオンを返しなさいよ!」
セリオンは肩をすくめる。
「返してやりたいところだが――器の主は、今は奥で眠っている。心配はいらん。そのうち自分で起きる」
ミリアは唇を噛む。
「……絶対よ」
「絶対だ」
短い応酬。セリオンは微笑した。その笑みに、少年の面影が一瞬だけ戻る。
ラグノワが歩み寄る。
「……本当に、剣神なのか」
「名乗っただろう」金の瞳が細まる。
ラグノワはわずかに目を見開き、仮面の奥で息を整える。
周囲ではリリィがイレーネとキアラの止血を終え、アイリがドーム結界の解析に戻る。カインはまだ呼吸を荒げながらも、親指を掲げた。
天の上では、まだ光が交錯している。
だが、地上の一点は――確かに、切り抜けた。
セリオンは一度だけ夜空を見上げると、静かに呟いた。
「まだ終わってはいないな。」
大広間の奥壁が、雷鳴のような音とともに内側から弾け飛んだ。
石塵と風圧が渦を巻き、リリィの結界が一瞬だけ波打つ。
砕け散る瓦礫の雲の中心から――黒い龍が現れた。
角は伸び、鱗は鋼のように噛み合い、青い髪は火焔の尾のように長くなびく。
ヴォルド。だが、もう“ヴォルド”ではない。龍脈解放の暴走体。瞳孔は爛々と細く、喉の奥で地鳴りが唸った。
「……戻ったか、ヴォルド」
ラグノワが低く呟くや否や――
咆哮。
大広間が震え、天井の梁が軋む。風圧だけで近くの柱が半ばから裂け、床石にひびが奔る。
理性の影は微塵もない。ただ、あふれ出す龍脈に肉体が引きずられている。
「ヴォルドの兄貴……っ」カインが歯を食いしばる。
「止めないと結界が持たないっす!」アイリが悲鳴混じりに叫び、リリィの祈りがさらに強まる。
セリオンの金の瞳が、愉悦に細まった。
「――竜人か。久しいな。いい気配だ。暴れるなら、私が手懐けよう」
「待って、セリオ――レオン!」ミリアが腕を掴もうとした瞬間、セリオンの気配がふっと遠のく。
一歩。それだけで、彼は暴れる龍の眼前にいた。
ヴォルドの巨拳が反射で落ちる。
空気が爆ぜ、床が陥没――だが、当たらない。
セリオンは顎をほんのわずか傾け、指先で拳の甲を押す。
押しただけなのに、打撃線は一寸だけずれ、巨拳は床を空振りで砕いた。
「やれやれ」
セリオンは、剣を抜かない。掌を軽く構え、刃の代わりに指の腹で鱗の継ぎ目をなぞる。
チッ、チッ、チッ――
小気味よい音が続く。
刃ではない。封だ。
「龍を鎮めるには、龍の道を塞ぐのが早い」
金の瞳が鱗の流れを読み切る。「溢れ出る脈――上がり、巡り、還る三つの送路。ここ、ここ、そしてここ」
ヴォルドの大振り、横薙ぎ。
セリオンは踏み替えず、踝で軽く蹴り返す。
その一撃は“打ち合い”にならない。向きだけを変える。
巨腕は軌道を折られ、自分の肩口へ擦れ違い――
セリオンの人差し指が、その肩甲の一点に触れる。
蒼い火花がぱちり、と跳ねた。
「ひとつ」
龍脈の奔流が、そこから逆流を始める。
ヴォルドが吠える。
さらに荒く、さらに速く。時間が経つほど暴れは増す――
(いま抑えねば、城ごと砕ける)
ラグノワが仮面を押さえ、審判を走らせかけ――止める。
(駄目だ、味方に裁きを落とすわけにはいかない)
仮面の奥で歯噛みする。
セリオンは、もう二点を打ち終えていた。
肘の内側、胸骨の下――刃より速い指先が、鱗の“目”を縫う。
打撃ではない。封穴だ。龍脈の送路そのものに「止符」を刺す古の手業。
「ふたつ、みっつ――」
セリオンの靴裏が床を滑る。
ヴォルドの尾が唸り、大広間を薙ぎ払う。
セリオンは尾の内側へ踏み込む。
鞭の根元――付け根に、軽く、爪で弾くような触れ。
「そこで道が分かれる。塞ぐ」
ドン。
遅れて、ヴォルドの全身が一瞬だけ強張った。
溢れ出ていた“熱”が、出口を失って沈む。
黒い鬣がざわりと逆立ち、咆哮が一段低音に落ちる。
「……まだだな」
セリオンは手首を返した。
空中に、細い円を描く。
見えない剣圧が走り、円は六つの小環に分かれ――ヴォルドの四肢と頸、尾の根元に嵌まる。
「龍縛の環。刃ではない、言葉だ」
古代の声調が、彼の喉奥から漏れた。
“竜の名を呼び、竜の道を閉じ、竜の身を留める”――剣神だけが扱える、龍鎮めの句。
ヴォルドが吠える。
環がきしみ、床石が砕け、柱が割れる。
だが――抜けない。
暴れるほど、環は“内側から”締まる。封じられた龍脈が、徐々に穏やかな循環へと戻っていく。
セリオンは最後に、ヴォルドの額へ拳を軽く当てた。
その拳は打たない。
叩かない。
ただ、在る。
「――戻れ。名を持つ竜よ。ヴォルド。」
低い呼び声が、大広間の底に沈む。
長い数息。
黒い鬣が、少しずつ重力を思い出し、肩へ落ちた。
咆哮が荒い呼吸へ変わる。
龍の瞳孔に――微かな、赤が戻る。
「……ッ……」
ヴォルドは無言のまま、膝から崩れ落ちた。
鎧のような鱗に、亀裂が走り、龍脈の黒い輝きが退く。
残ったのは、息荒く伏せる竜人だった。
リリィが結界の内から祈りの帯を投げ、アイリが魔導拘束具を投げ渡す。
セリオンはそれを片手で受け取り、環に重ねて緩衝を作る。
「無理に封じるな。循環を殺すと逆噴射する。……そう、その調子だ」
ラグノワがゆっくりと近づいた。
「助かった、セリオン。……今のは、剣ではないのだな」
「剣は刃だけではないさ」
セリオンは肩をすくめる。「道を読み、塞ぎ、通す。治すのも剣だ」
ミリアが安堵の息を吐き、ヴォルドの額に濡れ布を当てる。
アイリは解析中、座り込んだまま親指を立て、「レオン君、あとで褒めるっす……」と解析に戻る。
セリオンは、ひとつあくびを噛み殺した。
金の瞳が、わずかに霞む。
「……器の主が、目覚めようとしている。長居はできんか」
「レオン……戻ってくるの?」ミリアが問い詰める。
「焦るな。」
セリオンはふっと笑い、ゆっくりと視線を上げる。
砕けた壁の向こう、夜空ではまだ光が交錯している。
遠雷のような轟き。青と黒と金が絡み合い、ひとつ、またひとつと弾ける。
「竜は鎮まった。今日はここまでの様だな。」
セリオンはかすかに首を傾げ、どこか懐かしむような声音で続けた。
金の光が、ひときわ強く瞬き――
その色が、ゆっくりと琥珀へ、そして少年の黒へと戻っていく。
レオンの膝が、かくりと折れた。
ミリアが慌てて抱きとめる。
「レオン!レオン!」
彼は、静かに寝息を立てていた。頬にかかった髪が揺れ、安らかな顔。
セリオンの残滓は、彼の胸の奥で最後に小さく笑った。
(――いい器だった。)
ラグノワは短く息を吐き、仮面を押さえる。
「全員、気を緩めるな。ヴォルドは拘束を維持、負傷者はリリィの結界内へ。……そして――」
砕けた壁の向こうで、別の轟きが走った。
誰もが顔を上げる。
夜が、割れる。
「――トウマ達の無事を確認せねば。」
ラグノワの声が、静かに全員の背筋を伸ばした。




