第二十八話
◆同時刻――カゲロウとカイン。
カインの靴音が崩れた石畳に連なっていた。砂埃を巻き上げながら、彼は肩を大きく回して振り向く。
「よし!大体見て回ったぞ!城内十周はした!そっちはどうだ、カゲロウさん!」
その声には、普段の気怠さに似合わぬ熱が混じっていた。
だがカゲロウの返答は、相変わらず低く抑えられている。
「あぁ……全部ではないが、影に生命反応のあった者たちは救い出した」
路地裏の瓦礫の隙間からは、影の手が這い出し、震える子どもを救い出していた跡が残る。
救い出された者はもう安全な場所に送った。役目は果たした――そう思った矢先だった。
「んじゃぁ戻ろうぜーカゲロウさ――」
カインが軽口を飛ばしかけた、その瞬間だった。
ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥン……
言葉では表現できない衝撃が、空気ごと押し潰す。
殺気。だがただの敵意ではない。血と瘴気を凝縮して圧縮したような“重み”が、心臓の奥を直接握り潰す。
二人は同時に息を止め、全身が硬直した。
「……なんだ、今のは……」
カインの声が震える。
視線を上げると、城壁の向こう――空に浮かぶ二つの影が見える。
青炎を纏う悪魔と、その対峙者。アークと……そしてトウマ。
「アイツらか」
カゲロウの声が短く落ちる。事態の急変を即座に理解した。
「急いでボス達に合流しねぇと!」
カインが言いかけ、前傾姿勢を取る。
だがその時。
背後から、さらに別の“圧”が忍び寄っていた。
カインの背筋が氷の刃で撫でられたように凍りつく。
振り返った瞬間――そこに立っていたのは。
白いスーツ。
ハット帽子。
黒い仮面。
その仮面は、女性の顔を模したように神聖で整っている。だが、造形が整えば整うほどに“不気味さ”が増していた。
まるで聖堂の聖母像が、皮を剥いで貼り付けられたかのように。
「……誰だ」
カゲロウの声が低く響く。影が揺らめき、臨戦の気配を纏った。
その男は丁寧に帽子を持ち上げ、淀みない口調で応じた。
「お初にお目にかかります。カゲロウさんにカインさん。私は深層教の教祖オルギアス様配下の執行者――ベルファルスと申します」
その名を聞いた瞬間、空気が一段と重く沈む。
「……執行者か」
カゲロウの眼差しが鋭く細まる。
「ルナリエ王国の件……貴様らの仕業か」
カインが歯を剥き出しにした。
「聖女様はどこだ、クソ野郎!」
ベルファルスは仮面越しに笑ったように肩を揺らす。
「あぁ、彼女は計画の生贄となっていただきます」
「……生かしてやる代わりに、聖女を返せ」
カゲロウの声は氷の刃のように鋭く、低く響いた。
だがベルファルスは首を振る。
「それはできません。必要ですし――何より、あなた方に殺される私ではありませんから」
「聖女様は無事なのか!」
カインが一歩踏み込み、怒声を放つ。
「この国の人間も多数捕らえてんじゃねぇのか!どうなんだ!!」
ベルファルスは芝居がかった声で続ける。
「聖女様はまだ殺してはいませんよ。……ただぁ~?すこぉし往生際が悪かったのでね。躾けておきました」
カゲロウの声が冷たく響いた。
「……聖女に何をした」
ベルファルスの声は愉悦に満ちる。
「暴れないよう縛り、指を折り、爪を剥ぎ、水攻めをして差し上げました。あぁ~、あんなに悲鳴をあげられては……私、滾ってしまいましたよ」
その一言で、空気が変わった。
カゲロウの瞳に殺気が宿る。
「決めた。お前は殺す」
普段気怠げなカインですら、血管を浮き立たせて怒声を上げる。
「テメェみてぇなクソ野郎、殺す以外に理由ねぇだろ!」
だが、次の瞬間。
ベルファルスの声色が豹変した。冷笑から、怒声へ。
「殺す?そんな酷いことをされるのですか!?お前らだって――鍵の小僧を攫った時に、人の駒をいくつもブチ殺したじゃないか!」
その声は仮面の奥から響き、まるで千人の声が一斉に叫ぶような不協和音だった。
「……こいつ、狂ってやがる!キチ野郎が!」
カインが戦闘態勢に入る。
だがカゲロウは、低く吠えた。
「カイン、お前はトウマの元に行け。ここは俺がやる」
「でも!俺もこの野郎を許せな――」
「早く行けッ!!」
影が爆ぜるほどの怒声だった。
カインは歯を食いしばり、一瞬の逡巡の後――風と化して消え去った。
残されたカゲロウの視線が、ベルファルスに突き刺さる。
(……ただの狂人ではないな。おそらく俺以上の実力者。オーラで分かる……普通ならカインの速度は目で追えない。だが、こいつは去った方角を確実に見ていた)
ベルファルスは仮面をわずかに傾け、肩を竦める。
「いいんですかぁ~?戦力が減ってしまって」
次の瞬間。
カゲロウの影が裂け、彼の姿はベルファルスの眼前に迫っていた。影の刃が風を切り、仮面の首を刎ねようと迫る。
「あらら……せっかちですねぇ」
ベルファルスの声音は、余裕に満ちていた。
こうして――影と虚言の戦いが幕を開けた。
◆同時刻――エリス。
焦土と化した市街地の一角。
血と煤にまみれた瓦礫の山の頂点に、ひとり腰を下ろす少女がいた。
解決屋最強の火力、エリス。
周囲には無数の魔獣と悪魔の死体。黒煙を上げながら屍は積み重なり、まるで“屍山”が築かれているようだった。
「なんだよ~……雑魚ばっかじゃん。つまんねー」
エリスは欠伸をかみ殺し、背中を丸める。
拳を軽く振れば十匹、蹴り一つで建物ごと吹き飛び。彼女にとって、この戦場の魔物どもは玩具でしかなかった。
「ふわぁぁ……さて、一通り片づけちまったし。ボス達と合流すっかー」
背筋を伸ばした瞬間。
ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥン……
空気が押し潰されるような異常な殺気が、遠くから流れ込んでくる。
エリスの表情が一瞬で変わった。
視線を向ければ、空の一角。
青い炎と闇が激突し、稲妻のように弾けている。アークと――トウマ。
「あー!?あの青いメラメラ野郎いんのか!?」
エリスが怒鳴るように叫ぶ。
「てかボスが戦ってんのか!ずりぃぞ!メラメラ野郎はアタシがリベンジするつもりだったのによー!」
頬を膨らませ、ぷんすかと拳を振り上げる。だが、その背後に――別の気配が忍び寄っていた。
ぞわり、と肌を這い上がる冷気。エリスは振り返る。
「あぁ?誰だ、テメェ」
そこに立っていたのは、修道服に身を包んだ女だった。
首から上は覆われず、漆黒と白が入り混じった髪が肩にかかっている。端正で美しい顔。だが瞳からは涙が滴り落ちていた。
「……なんて野蛮な力。酷い……酷いわ」
女は呟くように言い、両手で顔を覆いながら泣き始める。
「なんだ、気持ちわりぃ!マジで誰だテメェ」
エリスが眉をひそめ、鼻で笑う。
女は涙を拭い、ゆっくりと顔を上げた。
「私は深層教の教祖オルギアス様配下の執行者――アストラエル」
「へぇ、執行者ね」
エリスは腕を組み、真っ直ぐ見据える。
「お前らがこの国をめちゃくちゃにしたってわけか?」
アストラエルは、頷いた。声色は穏やかで、真剣そのもの。
「ええ。すべては……世界を救い出すためだもの」
「はっ!」
エリスは声を荒げ、足元の瓦礫を蹴飛ばした。
「何馬鹿なこと言ってんだ!サイコカルト宗教がよぉ!」
その一言に、アストラエルの顔が歪んだ。
「……今、なんて言ったの」
美しい顔に刻まれる、微細な亀裂。
「深層教を侮辱した……酷い……酷いわ……酷い……酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い……!」
次の瞬間。
アストラエルの端正な顔は、恐ろしい形相へと変貌した。頬が裂け、瞳孔が赤く染まり、涙は黒炎へと変わって滴り落ちる。
彼女の身体から、青黒い深淵の炎が噴き出し、獣の咆哮のような唸り声を上げてエリスへ襲いかかった。
「っは!なんだこの炎は」
エリスは一歩も退かず、拳を握りしめる。
「こんなんでアタシを焼けると思ってんのかよ!」
太陽のような光が、彼女の腕に宿る。
その光の中で、エリスは唇を吊り上げた。
「アタシが嫌いなもんは三つ。ひとつ、カルト宗教。大体ろくでもねぇからな。
二つ、メソメソ泣いてるやつ。見てるだけでイライラすんだよ。
そして三つ目――大儀を掲げて残酷なことするやつ」
エリスの声が鋭く弾け、拳に宿る炎が太陽の輝きに変わる。
「お前みたいなやつは――大ッ嫌いだ!!」
アストラエルもまた、黒炎を膨れ上がらせ、絶叫する。
「私も……あなたみたいな醜くて、野蛮で、下品な人――大ッ嫌い!!」
二つの力が衝突した。
青黒い深淵の炎と、黄金の太陽の炎が、市街を焼き裂く轟音と共に交錯する。
その瞬間、周囲の瓦礫は吹き飛び、夜空は二色の火柱に引き裂かれた。
◆同時刻――ヴォルド。
焼け落ちた塔の麓で、竜人ヴォルドは息を吐いた。
地面に転がる魔獣の死骸は、すでに冷たくなりかけている。竜の拳と爪にかかれば、所詮は紙のようなものだった。
「大方片づけたが……妙に皆、騒いでやがるな」
低く呟く。肩の鱗を鳴らしながら、赤い瞳で空を仰ぐ。
「エリスはうまくやってんのか?まぁいい。取り合えず、ボスのところに――」
ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥン……
空気が圧し潰される。
ヴォルドは即座に気付いた。殺意が奔流のように流れ込んでくる。
「アーク……と、ボスが衝突したか」
竜眼を凝らす。視界が鋭く拡張し、夜空を切り裂いた。
見えた。
青炎を纏う悪魔と、その対峙者――トウマ。
さらに、その少し離れた空域に、もう一人。
長い漆黒の髪を風に踊らせ、黒のドレスを纏った女。
ヴォルドは目を見開き、思わず声を洩らした。
「ゼ……ゼルロゼ……!?生きていたのか」
驚愕と混乱が胸を焼く。だが、迷っている暇はない。
「これは……急いで戻らねばならん」
そう言い、足を踏み出した――その時だった。
大地が低く唸る。
遠雷のような音が地底から響き、次第に近づいてくる。
次の瞬間、街の地盤が揺れ、瓦礫が跳ね上がった。
姿を現したのは、赤黒く染まった巨体。
ヴォルドよりも一回り大きな肉躯。肩から伸びる四本の腕は、それぞれが岩を砕くように膨れ上がり、皮膚には焼き印のような呪文が刻まれていた。
顔の代わりに被さったのは三つの仮面。
正面は「泣き顔」。
左は「怒り顔」。
右は「苦痛の顔」。
神話の彫像をそのまま捻じ曲げて被ったような異様さ。
ヴォルドは鼻先で笑った。
「ほう。この殺気……似た者と前に遭遇したことがある。さてはお前、執行者だな」
巨体は振動するように声を発した。
「如何にも。我こそは深層教の教祖オルギアス様配下の執行者――ネフィラト」
ヴォルドは腕を組み、じろりと睨む。
「……さてはお前、巨人族だな?それも忌み嫌われた一族……」
仮面の奥から、低く軋む声が返る。
「……我を知るか」
「昔、聞いたことがあるぞ」
ヴォルドの声に、竜の低い唸りが混ざった。
「境界と密接に繋がった巨人の世界があったそうだな。呪われた巨人が境界に逃げ延びたって話を。……お前、その拳に“呪い”を込めることができるのではないか?」
ネフィラトの四本腕が同時に握り拳を作り、空気が裂けた。
「話を知っているなら早い。我が拳は“不倶戴天の意思”を宿す。貴様のような半端な竜族などでは、防ぐこと叶わぬ」
ヴォルドの竜眼が爛々と燃える。
「そんなんやってみねぇと分からねぇだろ。これでも力には自信がある方でな」
二人は静かに歩を進めた。
一歩。
二歩。
互いの踏み込みは重く、石畳を陥没させる。
距離は縮まる。
間合いは狭まる。
互いの気配が衝突し合い、空気が軋んだ。
――この場に誰かがいたなら。
トウマですら、カゲロウですら。介入など不可能。
ただ震え、眺めるしかできなかっただろう。
竜と巨人。
至近距離で睨み合う。
ヴォルドは僅かに背丈の高い巨人を見上げ、牙を剥いた。
ネフィラトは僅かに背丈の低い竜人を見下ろし、仮面の下で嗤った。
次の瞬間――。
両者の拳が、互いの顔面に直撃する。
――轟ッ!!
衝撃は爆音を超え、光となった。
閃光が生じ、瓦礫は爆風で吹き飛び、周囲の建物が一瞬で崩れ落ちる。
その光の中心に残ったのは、なお一歩も退かぬ二つの影。
ヴォルドとネフィラト。
竜と巨人の死闘が、ここに始まった。
◆同時刻ーー緊急対策本部
大広間の窓越しに見える夜空では、光と炎が激しく交錯していた。
トウマとアーク。
そのさらに上空では、ゼルロゼとルキウスが異形を背に戦っている。
青炎、漆黒の羽、黄金の閃光――すべてが一国を滅ぼすだけの規模でぶつかり合う。
それはもはや戦いというより、天変地異に近かった。
ラグノワは低く呟いた。
「……さすがに我々では介入できんな」
隣でジークが拳を握りしめ、しかし声を失っていた。
旧セラフィス大聖堂で対峙した怪物。その正体がゼルロゼだったなど――認めたくなかった。
だが、目の前に浮かぶその笑顔は、紛れもなく彼女のものだった。
「…………」
ジークの口からは声が洩れない。肩は重く沈み、かつての豪胆さは影も形もない。
キアラが慌てたように叫ぶ。
「なんですか!あの大怪獣バトル!このままじゃ国ごと吹っ飛びますよ!ラグさん!」
ラグノワは振り返り、冷ややかに応じた。
「今は我々にできることをするしかない。……生き残りをすべて避難だ」
執政官ローデルが机に手をつき、震える声をあげる。
「なんてことだ……我が国が……こんな目に……」
ラグノワは仮面越しに彼を見据え、無情に言い放った。
「――この国は捨てる」
「なっ……!?」
ローデルの顔が蒼白になる。
「この国を見捨てると……そういうのですか!!」
ラグノワは揺るがなかった。
「一時的に見捨てるしかない。生き残り、この国の意思を継ぐ者がいれば――また再興できるだろう。今は生存者の命を最優先だ」
その時、アイリが端末を抱えて駆け寄ってきた。
「ラグノワさん、悪いお知らせっす……」
「なんだ」
「うちら……閉じ込められてるっぽいっす」
全員が顔を上げる。
「なに!?どういうことだ」
アイリは窓を指差した。
「外、見てくださいっす!」
視線を向けると――国全体、城内全域が紫色のドームに覆われていた。
圧縮された瘴気と呪術が織りなす結界。その表面は光を吸い込み、脈打つように揺れている。
「……あれは……」
ラグノワが声を失う。
イレーネの瞳が冷ややかに細められた。
「あれほどの大結界……誰が張ったの……」
「外部との通信も……遮断されてるっすー!!!」
アイリが涙目で叫ぶ。ホログラムの通信画面は砂嵐のように乱れ、完全に沈黙していた。
ラグノワは仮面を押さえ、低く唸った。
「いかん!直ちにすべての人間を集めろ!リリィ、お前が可能な限り最大の結界を張れ!すべてを守れ!」
「わかりました!」
リリィは両腕を広げ、眩い光を解き放った。温かな風が生存者たちを包み、透明な結界が広間を覆う。
ラグノワは続けざまに指示を飛ばす。
「イレーネ!キアラ!アイリ!今、レオンとミリアが避難誘導をしている!三人とも加わり、急いでリリィの結界内に誘導しろ!」
「し、師匠はどうするんですか!?こんな生きた屍みたいになってますけど……」
キアラが振り向く。
ジークは椅子に腰を落とし、虚ろな目で窓を見上げたまま動かない。息をしているのかさえ疑わしいほど。
ラグノワは痺れを切らし、胸倉を掴んだ。
「ジーク!貴様の事情は分かるが、今は優先すべきことがあるだろう!!」
普段冷徹なラグノワには似合わぬ激情。声が響き、兵も子どもも身を竦める。
「……」
しかしジークは応えない。
ラグノワは諦めたように吐息を漏らし、キアラに視線を向けた。
「……だめだ。キアラ、避難誘導の前にジークを運べ」
「わ、わかりました!」
キアラは師を背に担ぎ上げ、歯を食いしばる。
そこへ、レオンとミリアが駆け込んできた。
「負傷者が多すぎて!本部のリリィさんの結界まで全然進めません!」
「私、子ども達連れてく!!」
状況は破綻寸前だった。
ラグノワの思考が急速に回る。
――残り数百人の生存者。動ける兵はわずか。主力は出払った。外部への道は閉ざされ、通信も遮断。リリィの結界は一時間が限度。攻撃を受ければ三十分もたない。ドーム結界の解析・突破には最低二時間。
何が最善だ……。考えろ……何か手はあるはずだ。
時間が圧縮され、全員の動きが鈍重に見える。
その中で、突如声が響いた。
「お待たせしたっすわ」
カインだった。
「な……!」
ラグノワは振り返り、思わず驚愕する。
カインは肩で息をしながら報告した。
「状況報告します。現在カゲロウさんが執行者と交戦中。俺は指示を受けて本部に帰還しました。道中で姐御とヴォルドの兄貴もそれぞれ誰かと交戦してるのを確認しましたっす」
息を切らしながらも、必死に言葉を紡ぐ。
「……で、俺に今できることは?」
ラグノワの胸に久々の光が差した。
「帰ってきて早々すまん。だが、今すぐ全員をリリィの結界内へ押し込め!」
「ラジャー」
次の瞬間、カインの姿は霞となった。
風が弾け、叫びも悲鳴も追いつかない速度で人々が次々と担ぎ上げられ、運び込まれていく。
「か、カインさん!?戻ってきたんですかぁぁぁ!?」
レオンが叫んだ時には、もう彼も子ども達と共に結界の中にいた。
ものの一分で、全員が保護された。
イレーネが最後に辺りを見渡し、頷く。
「カインさん、もう大丈夫そうです!」
「まだあんたが残ってんじゃん」
カインは軽く笑い、イレーネをお姫様抱っこした。
「きゃっ!?」
イレーネの頬が赤く染まる。
竜のように駆け抜け、そのまま結界内へ飛び込んだ。
ラグノワが深々と頭を下げる。
「カイン……助かった。感謝する」
「大したことしてないっすよ」
カインは笑いかけた瞬間、がくりと膝を折った。
「カイン!」
イレーネとアイリが慌てて駆け寄る。
「ちょ、ちょっと走りすぎたかも……」
顔を引き攣らせながら、身体がぴくぴく震えていた。
「……まったく無茶するんですから」
イレーネは小さく呟き、胸を押さえた。
アイリは端末を広げ、ホログラムを展開する。
「とりあえず、第一にすべきことはできましたね。アタシは今から外部との通信を試みるっす!」
幾何学的な魔法陣が彼女の瞳に浮かび、ホログラムと連動して走り出す。
「忘れていたが……解析に関してはお前の方が上だったな」
ラグノワが言うと、アイリが頬を膨らませた。
「はぁ!?忘れてたんすか!?ひどっ!」
「頼んだぞ、アイリ。お前の解析が頼りだ」
「ラジャーっす!」
その瞬間。
広間の奥、暗闇の出口から、異質な気配が滲み出した。
重く、腐臭を伴う瘴気。
赤き法衣。
ヤギの頭部を模した不気味な仮面。
そして、無数の骸骨を繋げて作られた杖をつく長身の異形。
「……こんな時に刺客か」
ラグノワが身構える。
「うむ。まだこんなに生き残りがいたのか……愉快じゃのぉ」
声は老人のようであり、死者の呻きのようでもあった。
「名を名乗れ」
ラグノワの声は鋭い。
「儂は、深層教の教祖オルギアス様配下の執行者――モロキウス」
ラグノワは剣呑に目を細めた。
「また執行者か……目的は何だ」
「決まっておろう。この民をすべて回収し、聖女と共に贄にするのじゃ」
「外道め。貴様に罰を下してやる」
「はっはっは!愉快じゃ、愉快じゃ!罰を下すのは儂の方じゃ!」
ラグノワは即座に状況を計算する。
(カインは疲労でダウン。アイリは解析中。リリィは結界維持。ジークは……動けん。今、戦えるのは私とイレーネ、キアラのみか)
ラグノワは指先で仮面を抑え、低く告げた。
「イレーネ、キアラ。行くぞ」
「はい!」
二人は同時に声を合わせた。
イレーネは剣を抜き、冷気を纏わせる。
キアラは足を開き、ヴァルハラ式格闘術の構えを取った。
ラグノワは二本の指で仮面を押さえ、獲物を射抜くように向けた。
「リガルドの力を見せる時だ。目の前の敵は――我らで撃退する!」
モロキウスの杖が地面を叩くと、骸骨の軍勢が這い出した。
死の軍勢とリガルドの矜持。
両者の激突が始まろうとしていた。
リミナス・フロンティア第二十八話のご愛読ありがとうございます。
よろしければ感想やレビュー、ブクマいただけると大変嬉しいです。
不定期にはなりますが、更新頻度は高めに続けていきます。




