第二十五話
夜がほどけ、森の端を白く縁取る。
まだ湯気の残るマグと、昨夜の団欒の名残り。そんな静けさを破るように、卓上の黒い板が震え、青白い光紋を立ち上げた。
「……本部からか。」
ラグノワが外套の内から同型の端末を抜き、仮面の頬に指を当てる。画面いっぱいに光の紋章が展開し、硬質な声が室内に流れ込んだ。
『ラグノワ、応答を確認。――至急伝達。昨夜、ルナリエ王国が陥落した』
空気が、止まる。
エリスが手にしていたカップを置き損ね、カインの肩がびくりと跳ねた。リリィは胸元で指を握り合わせ、顔色を失っていく。ヴォルドの尾が、ぎゅっと床を打った。
『王族の九割は殺害。軍も市井も壊滅的被害。……聖女ルナリア、消息不明』
「……嘘でしょう」
リリィの声は震えた。
「祈りの国、交易の要……あんなに穏やかで、誇り高い人たちだったのに」
ジークが低く唸る。
「何度か足を踏み入れた。小さいが、芯の通った国だった。……あの連中が、そう易々と膝をつくはずがねぇ」
ヴォルドが拳を固く握る。
「竜族とも往来を結んでいた。節度と矜持を知る民だった。それを――一夜で」
アイリが堪え切れず、声を荒げた。
「法国もリガルドも、黙ってないはずっす! 誰が、どうやって……!」
端末の向こうの声が、わずかに湿り気を帯びる。
『正確な経緯は調査中だ。ただ、各所に残された“瘴気の痕跡”、供物陣と思しき魔方陣、そして“偽鍵”の残滓……どれも、これまで深層教の実験現場で確認された性状と一致している』
イレーネが息を呑む。
「……つまり、教団の関与は極めて濃厚――」
『断定は控える。しかし、単独の山賊や一組織で落とせる相手ではないのも事実だ。ルナリエは小国だが、王国精鋭騎士団は境界内でも一目置かれていた。結界運用と都市防衛に関しては、法国の一部戦力にも匹敵する。容易い攻略ではない』
カゲロウの影が、床に濃く滲む。
「結界が破られるほどの脅威......」
「聖女も、侮れない」
イレーネが静かに続ける。
「光の運用に関しては、我らが知る限り一級の術者。……少なくとも、対瘴気・対邪霊の分野ではリリィさんよりも専門家でしょう」
リリィが小さく頷く。「……私より“深く”光を扱える方です。だからこそ、落ちたという事実が、怖い」
端末の向こうから、情勢が淡々と告げられる。
『各国の動きだ。――法国は臨時シノドス(宗会)を招集。聖竜騎士団の動員準備に入った。ルナリエ国周辺の国々は避難民の受け入れと国境封鎖で対応が割れている。
商人同盟は交易路の一部閉鎖、同時に傭兵ギルドへ有償護衛を大量発注。
……そしてリガルドは緊急警戒レベルを一段階引き上げた』
カインが奥歯を軋ませる。「やばい匂い、ぷんぷんじゃん……」
『だからこそ、だ』
通信者の声色が、さらに引き締まる。
『解決屋に緊急・重要依頼を発出したい。
ラグノワ、キアラ、イレーネは任務を継続し、解決屋に同行。
――対象は三つ。
第一に、ルナリエ王国の現地調査。
第二に、“鍵”の行方の追跡。
第三に、聖女ルナリアの生存確認および奪還。
報酬は規定の最上位枠で支給する。至急、調査隊を派遣願いたい』
皆の視線が、自然とトウマへ集まる。
トウマは帽子のつばに指をかけ、短く息を吐いた。
『本日中の移動を要請する。高速回廊の使用許可は発行済みだ。
日暮れまでに第一報――現場状況の速報を頼む。
並行してリガルド本部は、王族と民間人の生存者捜索を開始する』
トウマが僅かに顎を上げる。「調査後、俺も本部へ顔を出した方がいいか?」
『――それは調査次第で判断する。必要とあらば、こちらから改めて呼ぶ。……くれぐれも注意して遂行を』
一拍置いて、通信者の声がほんの少しだけ和らいだ。
『お願いします、トウマさん』
トウマは軽く帽子のつばを押し上げた。「了解。受けた」
『感謝する。以上だ――』
光紋が静かに萎み、魔導通信機は無音へ戻る。
魔導通信が切れても、端末の黒い画面にはまだ余熱のような光紋が滲んでいた。
森の朝靄は濃く、湖面から立つ白い息がログハウスの縁を洗っていく。ここは白霧境。境界の“揺らぎ”が穏やかで、回廊の結節も近い、比較的静かな帯域だ。
「――起動だ、ホログラム。全投影」
ラグノワが仮面越しに端末へ触れ、アイリに顎をしゃくる。
「はいはーい。マギコン(魔導通信機)二台リンク、ローカル投影ぶち上げます」
アイリの指が踊り、卓上へ薄い光が集まり、立体の地図が咲く。
白と蒼の線が絡み、白霧境 → ルナリエ王国を貫く高速回廊網、渓谷、河川、風向、大気流、そして“揺らぎ”の強弱が層になって浮かび上がった。
「直線で約五百キロ。白霧境・G17ノードから回廊を二回乗り継いで、ルナリエ外郭の門へ。通常なら半日コースだけど、今は軍政優先で混雑中……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
地図に見入っていたレオンが、おずおずと手を挙げる。
「“白霧境”とか“G17ノード”……ぼく、異界出身で、この世界の仕組みがよく……」
「ああ、そうだったね」
アイリがにっこり笑い、肩をすくめる。
「レオン君は異界出身。境界の交通インフラは、初見だと混乱するっす。ざっと説明いくよ」
ラグノワが低く補足する。
「まず白霧境。境界の中でも“揺らぎ”――世界と世界の位相ズレが穏やかな地域だ。環境が安定しているから、人が住める。いわば緩衝地だな」
「で、G17ノードは回廊の結節点。駅と考えればOK」
アイリが指で地図の一点を拡大する。小さな塔と楕円の門、周囲に螺旋状の魔導子機が並ぶ。
「ここから高速回廊っていう“折りたたまれた道”つまりショートカットに入るっす。
空間の距離を短縮して走るから、徒歩だと何日もかかる距離を数時間で移動できる。
で、回廊は軍や公的機関が優先。混雑時は時刻枠の予約がいるって仕組み」
レオンは素直に目を輝かせた。
「なるほど……ショートカット、ですか」
「次。さっき通信で出てきた“揺らぎ”は、地形や法則の安定度ね」
アイリが揺らぎマップの色を変える。
「青は大人しい、赤は荒れてる。赤いと回廊の接続が不安定だったり、魔物が湧きやすかったり、迷いやすいっす。」
ラグノワは、自身の端末から新しいレイヤーを重ねた。
投影に赤い斑点が芽吹く。瘴気推定濃度、供物陣の可能性が高い円域、そして偽鍵の反応が拾われた地点だ。
「これがリガルド側の暫定解析」
ラグノワが淡々と述べる。
「城外北東の丘陵帯に瘴気起点が複数。城内の大聖区画に供物陣のパターン痕。城壁南側は爆圧原因不明の破孔――外からのこじ開けと内からの押し広げが同時に起きている」
レオンが小首をかしげる。
「“供物陣”って、何ですか?」
イレーネが別レイヤーを開く。幾何学と血痕の重なった図形が流れる。
「供物陣は“対価で法則を壊す”術式。血や命、信仰、あるいは鍵の残滓を支払いにして、空間や精神に強行書き換えを掛ける。痕跡は血錆の匂いと祈りの反響が残るから、現場で拾えるはず」
「それでも、簡単に落ちる国じゃない」
トウマが城郭に視線を向ける。
「ルナリエ王国精鋭騎士団は境界でも一目置かれてた。ルナリエ宮廷魔法隊の結界運用の継戦能力は本物。
都市の守りは筋金入りだよ」
「そして聖女」
イレーネが宗紋と術式の履歴を流す。
「聖女ルナリアは、対瘴気・対邪霊の光術の専門家。広域浄化の実績がある。……それでも落ちたという事実は、術式の重ね方が尋常ではなかったことを示す」
レオンがふと、別の疑問を口にした。
「通信で“聖竜騎士団”って……あれは?」
リリィがそっと頷く。
「法国の最精鋭。竜の加護を受けた鎧と武器を扱います。空からの展開が得意で、瘴気にも悪魔にも怯まず、救援と封鎖を同時にやってのける……。彼らが動けば、現場はいっそう混み合うでしょう。」
アイリが操作し、各国の反応レイヤーを重ねる。
地図に金のルーンが走った。
「法国は聖竜騎士団の動員準備。
ルナリエ周辺諸国は“国境封鎖”と“避難受け入れ”で割れ気味。
商人同盟は物流を細くしながら傭兵ギルドへ護衛を大量発注。――現地は、すぐに“他人の仕事”でいっぱいになる」
「戦になる前に、速やかに調査」
トウマの声は低い。
「誰が何を仕掛けたか。鍵の本命はどこにあるか。……生きている者が、どれくらい残っているか」
投影に時間軸が重なり、出立 → 回廊投入 → 国境の揺らぎ層 → 城外到達までの目安が刻まれた。
「割り振り、出す」
ラグノワが手早く隊形を組む。
先行索敵班:カゲロウ(影潜行)、カイン(高速散策)。
治療・補助:リリィ(瘴気の浄化/治癒)、レオン&ミリア(補助・鍵の在りかを特定)。
制圧・護衛班:ヴォルド(前衛突破/崩落区画の物理確保)、エリス(遮断・焼却)。
統制・通信管制:トウマ(全体管制)、ラグノワ(リガルド権限/法的調整・許可処理)、イレーネ(臨機判断補助)、キアラ(近接護衛)、アイリ(現地映像収集/ルート管理)
支援保安:ジーク(後背警戒/退路確保・実力行使)。
「遭遇プロトコル、更新」
イレーネがホログラムの片隅に条項を出す。
一、聖竜騎士団との遭遇は交戦回避、任務提示、情報交換を第一。
二、生存者優先。敵性と決めつけない。
三、供物陣・瘴気源は証跡確保後に無効化。前後比較記録を必ず残す。
四、教団残党に遭遇した場合、討滅より追尾優先。背後を暴く。
五、偽鍵を見つけた場合、直接接触禁止。遮断箱に封じ、遠隔で解析。
ラグノワが淡々と続ける。
「民間の避難線に干渉しない範囲で、リガルドの特権で高速回廊の緊急便を押さえた。いつでも使える。」
「白霧境からルナリエまで五百キロ」
トウマが投影の線をなぞる。
「回廊が落ちたら森帯の踏破に切替え。危険もこれまで以上かもしれない。それでも行く」
リリィが静かに息を吸う。
「今回もみんな無事に帰ってこれますように...!」
「鍵の残滓は僕が見つけます」
レオンは拳を握り、真っ直ぐに声を出した。
「父の残した鍵の気配、覚えてる。偽鍵でも、近い匂いはあるはずです」
ヴォルドがゆっくりと頷き、肩を鳴らす。
「……レオンもいい顔つきになってきたな」
その言葉に、ジークがニヤリと口端を吊り上げる。
「おいおい、褒めすぎると調子に乗るぞ」
「そーそー。どうせまたすぐヘマするんだから!」
ミリアが横目で突っつくように言い放つ。
「ちょ、ちょっと! 僕だって――!」
レオンが真っ赤になって抗議するが、場の空気はどこか和んでいた。
キアラが拳を軽く打ち合わせる。
「アタシも負けてらんない!近接での護衛は私がやる。あと師匠、煙草はほどほどに」
「へいへい。」
ジークが短く返し、すぐ真顔に戻った。
ラグノワがホログラムを畳みながら、最後の確認を置く。
「現地での法的交渉は私が前に出る。トウマ、混線したら交代を」
「任せる。俺は線が絡んだ時に出る」
トウマが帽子のつばを指で弾く。
「――今日中に見て、今日中に返す。口だけの正義は、もう間に合わない」
扉の向こう、朝霧がひとしきり流れては、湖へ吸い込まれていく。
誰かが小さく息を飲む。その重い沈黙を破ったのは、やはり低い呟きだった。
「……ゼルロゼ」
ジークの瞳が、火を映したように揺れる。
「お前も……そこにいるのか……」
ジークの言葉を飲み込むように、誰も口を開かなかった。
ただ、霧の向こうに広がる見えぬ国の姿を、それぞれの胸に思い描いていた。
白霧境の朝は、なおも静かだった。
しかし次の瞬間には、解決屋とリガルドの連隊はルナリエへ向けて動き出す。




