第二十四話
台所では、イレーネ・リリィ・ミリアが並んで腕を振るっていた。背後では、アイリが端末を構えて料理風景を撮ろうとしている。
「リリィちゃん、玉ねぎ切って。……おい、カイン!つまみ食いすんな!」
ミリアが包丁を握りながら鋭く声を上げる。
「へいへい。味見だよ、味見」
カインはしれっと揚げたての具材を口に放り込む。
「カイン君、まだ駄目だよぉ~?」
リリィが子供を諭すように微笑み、軽く肩を叩いた。
「よっし、じゃあアタシも一つ」
エリスが横から手を伸ばし、揚げ物をひょいと口に運ぶ。
「ほら!火傷するよ!」
ミリアがシッシッと手を払う。
「アタシがこれくらいの火で火傷するかっての」
エリスは涼しい顔で頬張り、にやりと笑った。
「うわ〜いい感じっす!映える〜!……って、あれ?また電波入らないっす!」
後ろでアイリが叫ぶ。端末を振っても画面は沈黙したままだ。
「こんな時までSNSすんなって」
エリスが横目でため息をつく。
一方、エプロン姿のイレーネは黙々と野菜を刻んでいた。刃先からひやりと冷気が走り、切り揃えられた野菜は瑞々しさを保ったまま整っていく。
「イレーネさん……料理、できるんですね」
レオンが驚いたように声を漏らす。
「生き延びるために必要な技能です。……レオン君、目の痛みは引きましたか?」
「はい!リリィさんのおかげで、もう平気です!」
レオンの答えに、イレーネは小さく頷いた。
リビングでは、ジークが煙草を咥えたまま台所を眺めている。
「……いい匂いがしてきたな。腹減ってきた」
紫煙を吐き出す彼に、ソファにちょこんと座ったキアラが眉を吊り上げた。
「師匠!口より手動かせ!」
「飯作りは戦場じゃねぇし、担当でもねぇ。……それにお前だって座ってるだけだろ」
ジークは少し口元を緩め、煙をふぅと吹き掛ける。
「うわ、煙草くっさ!!こっちに吐かないで!服に染みる!」
キアラはバタバタと手を振り、むせながら睨み返した。
そんな賑やかな空気の背後で、ラグノワが仮面を軽く押さえ、低い声でトウマに話しかける。
「……トウマ。今夜はここに泊まらせてもらう。明日にはリガルドへ帰還する予定だ。異存は?」
「好きにしな。……ただし飯代ぐらいは払えよ?」
「……リガルドの経費から落とすとしよう」
イレーネが小さく咳払いをし、キアラがぱっと顔を輝かせる。
「やったー!ラグさん、今日はご馳走だ!」
「……騒がしい。頭が痛くなる」
ラグノワがぼやくが、カインは笑って受け流した。
「いやいや、こういう空気大事っすよ。団欒ってやつ」
「そうですね。こうして無事に帰ってきて、皆で同じ食卓を囲めるのは……ありがたいことです」
リリィがにこやかに微笑む。
その言葉に、一瞬だけ静けさが宿った。
暖炉の火がパチリと爆ぜる。
料理がずらりと並び、湯気と香ばしい匂いがログハウスの食卓を包み込む。
木の皿や陶器の器に盛られた料理は、どれも素朴ながら温かみのある彩りを放っていた。
「いただきまーす!」
カインが勢いよく箸を伸ばした瞬間、ミリアの拳骨が頭に落ちる。
「待ちなさい!まだ皆揃ってないでしょ!」
ミリアが眉を吊り上げて睨みつける。
「いってぇ……!ちょっとくらいいいだろ」
カインが頭を押さえながら口を尖らせた。
「ダメです。こういうのは皆で一緒に、ですよ」
一瞬ざわついた空気を、エリスが手を合わせて引き締めた。
「じゃあ改めて――」
仲間たちが顔を上げ、自然と両手を合わせる。
「――いただきます!」
暖炉の火がパチリと爆ぜ、食卓に温かな声が響いた。
「そういやラグさんって……どうやって食べるんすか?その仮面のまま?」
アイリが身を乗り出して問うと、場がざわついた。皆がちらりとラグノワに視線を向ける。
「まさか中にストローとか……?」
カインが冗談半分に言う。
「いやいや、まさか点滴?」
エリスが茶化すように笑う。
「……そういや見たことなかったが、食えねぇってことはないよな。」
ジークが酒を飲みながらぼそりと呟いた。
ラグノワは短くため息をつき、「こうだ」と低く呟く。
次の瞬間、仮面の口元が――**ガバッ!**と異様に開いた。内部は暗く、無機質な歯車のような構造がちらりと覗く。
「ぎょええええええっ!?」
アイリ、カイン、エリス、ジークが一斉に悲鳴を上げた。
「え、なにそれホラー!スクショ撮れないのが悔しいっす!」
アイリが半ば本気で震える。
「……普通に食事をするだけだ。騒ぐな」
ラグノワは淡々とスープをすする。そのあまりのギャップに、場は笑いで包まれた。
トウマはその様子を眺め、帽子のつばを軽く指で押し上げて小さく笑う。
「相変わらずだな」
ラグノワも仮面の奥でふっと息を漏らす。
「……昔も今も変わらん」
その一言に、自然と皆の視線が二人へ集まった。
アイリが興味津々で身を乗り出した。
「えー!なになに?二人っていつからの知り合いなんすか?」
ラグノワは少しだけ姿勢を正し、仮面を指先で叩く。
「リガルドが設立して間もない頃だったな。私は元々、とある偉大な魔女の従者として造られた存在だ」
「魔女!?」
ミリアが目を丸くする。
「主は出かけたきり帰らず、私はただ待ち続けていた。……ある日、扉が開いて、やっと戻ったと思ったら――そこにいたのはこいつだった」
ラグノワがちらりとトウマを見る。
「おー、ボス登場!」
カインが茶化すように声を上げる。
「主と知り合いだったトウマから、訃報を聞かされてな。その時、本来なら私の役目は終わるはずだったのだが……」
「そこでボスにスカウトされたってわけか」
ジークが煙を吐きながら口を挟む。
「……まぁ、そんなところだ」
ラグノワが淡々と答えると、テーブルのあちこちから驚きの声が上がる。
「え、ちょっと待って。ボスってその頃からもう動いてたんすか!?どんだけ年上なんすか!」
アイリが両手をばたつかせる。
「ボスはやっぱジジィなのか……」
エリスが呆れ気味に呟き肩を竦めた。
トウマは肩をすくめ、軽口で受け流す。
「歳の話はするもんじゃねぇ。……ほら、冷めないうちに食え」
その言葉に場が笑いに包まれ、暖かな団欒が再び戻っていった。
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深淵祭殿――教団の心臓部と呼ばれるその場所は、地上から閉ざされた異界のようであった。
石畳の広間には赤黒い燭火が数百本、粘つく光を投げかけ、壁の聖紋は歪み、血のような亀裂から瘴気が漏れ出している。
祭壇の前に立つアークの青炎が、場を照らす唯一の清涼さ。
彼は腕を組み、静かに言葉を落とした。
「……執行者が三人もやられたか。あの連中、やはり侮れないな。どうする? ――オルギアス」
その名が告げられた瞬間、奥の帷幕がふわりと揺れた。
冷たい風が吹き込み、燭火が一斉にしなる。
現れたのは、漆黒の法衣を纏う女だった。
金糸で紡がれた紋様が衣を流れ、光を受けて毒々しく輝く。
仮面で半ば隠された顔――だが露わになった唇は、艶やかで血のように赤い。
その一歩ごとに、燭火は縮こまり、広間の空気は自然と彼女に膝を折らされた。
「私の邪魔を許すものは存在しない」
声は澄んでいた。
だが耳に触れた瞬間、心臓を氷で握られるような寒気が走る。
「計画を急ぐ。“鍵”さえ御せば、理は我が掌に堕ちる」
オルギアス――深層教の教祖。
慈愛と冷酷を同時に孕む声が、広間を圧倒した。
アークは炎を伏せるように揺らし、静かに頭を垂れる。
「承知した。私にできることがあれば命じてくれ」
その時だった。
――くす、と女の笑い声。
祭壇の影がざわりと揺れ、長い髪を垂らした人影が浮かび上がる。
「やだ。ずいぶん物騒な話をしてるじゃない」
燭火に照らされたその女は、白磁のような肌に黒衣を纏い、虚ろな瞳に愉悦を宿していた。
彼女は影の中を滑るように歩き、祭壇の縁に腰を掛ける。
まるで、そこが自分の居場所であるかのように。
「……ゼルロゼ」
アークの炎が一瞬揺らぎ、声が低くなる。
ゼルロゼは唇を吊り上げ、嬉しそうに告げた。
「聞いて、会ったんだよ。ジークに。それから……ボスにも」
細い指先で頬をなぞりながら、彼女は夢見るように目を細める。
「懐かしくてさぁ。まるで昔に戻ったみたいで……ふふ、最高だった」
オルギアスの視線が仮面越しに細められる。
仮面の奥の瞳は、笑っているのか、それとも警戒しているのか――判別できない。
アークは冷ややかに言い放った。
「……余計な真似はするな。お前の力は強大すぎる。計画をかき回されては困る」
ゼルロゼは足を組み替え、唇に笑みを刻む。
「邪魔なんてしないよ。ただ……“会えた”のが嬉しかっただけ」
その声音は甘やかで、少女のように無邪気。
だが底に潜むのは、愛か、執着か、狂気か――誰にも読み取れなかった。
祭壇の燭火がひときわ大きく爆ぜ、広間を支配する空気はさらに冷たく、張り詰めていく。
燭火が揺れる広間に、重い扉がきしみを上げて開いた。
冷気と血の匂いが流れ込み、粘つく瘴気が燭火を震わせる。
黒衣の影が四つ、ゆらりと姿を現した。
その先頭――背の高い執行者は、両腕にぶら下げたものを無造作に投げ出す。
――生首。
銀の兜をかぶった騎士たちの顔が、石床を転がり、鈍い音を響かせた。
まだ血が滴り、床に赤黒い筋を描いていく。
「ルナリエ王国の兵はすべて処理しました」
低く無機質な声が広間を支配する。
「王族も九割方、殺しております。残りは地下牢に」
二人目の執行者が進み出る。
背後では、白衣に身を包んだ若い女――ルナリエの「聖女ルナリア」が鎖に繋がれ、無理やり引き立てられていた。
白衣は泥と血で汚れ、素足は裂け、赤い血が滴っていた。
手首に食い込んだ鉄鎖は皮膚を裂き、膿のにじむ傷を作っている。
だが胸元の月を象った銀のペンダントだけは、なお微かに輝きを放っていた。
「……ルナリエは……最後まで戦った……!」
掠れた声で、彼女は必死に叫ぶ。
「法国も……リガルドも……他の国々も……あなたたちの所業を絶対に黙っていない!
必ず裁きが下る……こんなこと、許されるはずがない……!」
涙で濡れた頬に泥と血が混じる。
だがその瞳は誇りを失わず、真っ直ぐに敵を睨みつけていた。
しかし、首を放り投げた執行者が無感動に吐き捨てる。
「裁き? 抗い? くだらん。死体は何も語らん」
ルナリアの肩が震えた。だが唇は食いしばられ、声はまだ消えていなかった。
オルギアスが祭壇の上から進み出る。
漆黒の法衣をまとい、仮面の奥から冷徹な声が響いた。
「黙れ。……国も組織も、我が計画の前には等しく塵だ」
その声は冷ややかで、しかし抗いようのない威圧を孕んでいた。
「“鍵”さえ制御できれば――法国も、リガルドも、誰ひとり抗うことはできない」
燭火がざわめくように揺れた。
執行者の一人が深々と頭を垂れ、低く応じる。
「承知しました。この娘は、次の段階で利用いたしましょう」
そう言って聖女ルナリアの髪を無造作に鷲掴みにする。
「いやっ……やめて……!」
泣き叫ぶ声が広間に響き渡る。
彼女は必死に床を爪で掻きむしる。
爪が剥がれ、血が石床を赤く染めても、その体はずるずると引きずられていく。
燭火の下、ペンダントが床を擦り、甲高い音を立てた。
それはまるで――国の誇りが踏みにじられる音のようだった。
ゼルロゼが祭壇の縁に腰掛け、頬杖をつきながら楽しげに笑った。
「ふふ……あのルナリエの聖女があんな無様な姿になっちゃって。」
アークは青炎を揺らし、冷ややかに答える。
「……必要な犠牲だ」
オルギアスは一度も笑わず、淡々と宣告した。
「世界を変えるために――すべては供物だ」
その瞬間、広間は完全な沈黙に沈んだ。
残されたのは、血の匂いと、どこまでも続く絶望の余韻だけだった。




