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リミナス・フロンティア  作者: タコマル
第一部第二章
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第二十三話

車輪が瓦礫を跳ね飛ばし、焦げた夜気を切り裂いて走る。

誰も口を開かない。息づかいとエンジン音だけが、張り詰めた車内を満たしていた。


レオンが額を押さえ、呻き声を漏らす。

「……視界が……赤いままで……リリィさん……」

リリィが震える手で光を編み、彼の目を覆う。

「失明はしていません。裂けた毛細血管からの出血……落ち着けば回復します」

そう言いながらも、彼女自身の唇も蒼白だった。


ヴォルドは窓枠を握りつぶさんばかりに拳を握りしめ、低く唸った。

「……あれはなんだったんだ。」


カインが笑うでもなく吐息を漏らす。

「無理無理無理。あれは無理っしょ。」


エリスは膝に肘を置き、俯いたまま荒い息を吐いていた。

唇を噛み、かすかに震える声で洩らす。

「……動けなかった」

短く、それだけを吐き捨てた。


アイリは小さな声で続ける。

「ログ……解析しても、データにならないっす。……存在自体が、記録拒んでるみたいで……」


ジークはうつむき、震える手でタバコに火をつける。

一口吸ったはずなのに、煙が肺に届かない。息が上手く吸えないのだ。

「……ゼルロゼ。あれは……お前、なのか……」


ミリアは両腕を抱きしめ、必死に声を震わせた。

「あんなのと戦いたくない.....怖い....死にたくない.......」


キアラは窓の外を見たまま、虚ろな表情で口を閉ざしていた。

「……」

その無言こそが、彼女の恐怖を雄弁に物語っていた。


イレーネは座席で体を丸め、両腕で自分の体を抱きしめるようにして震えていた。

「……あれは……一体。全身の震えが止まりません……」


カゲロウは額に汗を滲ませながら、低く吐き捨てる。

「……俺の影が……飲まれたんだ。俺の影がだぞ。すべてを飲み込まれたのは……初めてだ」


沈黙の中、ラグノワが仮面を押さえ、低く吐き捨てる。

「……異常だ。あれは虚像でも幻影でもない。世界そのものが“拒絶”を形にしたような……」


トウマは運転席で無言。

ただ背中から、神々しい光の残滓がまだ車内を満たし、全員を守っていた。

彼の表情は、誰にも見えなかった。

やがて、トウマがようやく低く声を洩らした。

「……生きて帰れただけで上等だ。今は、それでいい」

その言葉に全員が顔を伏せ、返す声はなかった。





――やがて。


車が闇を突き抜けると、不意に景色が歪んだ。

瓦礫の街並みは音もなく途切れ、湖畔の森が現れる。

次の瞬間には、見慣れたログハウスの前に車が停まっていた。


ドアが軋みを上げて開かれる。

仲間たちは一人、また一人と重い足取りで降り立った。

冷たい夜風が肌を撫でても、あの大聖堂の血と腐臭が鼻にこびりついて離れなかった。


ヴォルドが肩を回し、苦笑めいた息を吐く。

「……やっと帰ってきたってのに、全然落ち着かねぇな」


ラグノワは仮面を外すことなく、低く言った。

「当たり前だ。今日は“人智の外”を覗かされた……忘れろと言う方が無理だ」


重苦しい声が、再び沈黙を呼ぶ。


------


扉が閉じられ、ログハウスの中に重苦しい静寂が広がった。

暖炉の薪は燃えていたが、その温もりすら冷たさに遮られているように思えた。


リリィはレオンを床に座らせ、治癒魔法を彼の目に当てている。

イレーネとキアラ、ミリア、カインはテーブルに突っ伏すように座り込み、息を整えるだけで精一杯だった。

エリスは壁際に腰を下ろし、腕を組んだまま目を閉じる。拳は小刻みに震えていた。

ジークは椅子にもたれ、震える指でタバコを燻らせながら、ただ虚空を睨んでいた。

カゲロウは影に閉じこもったままだ。


そんな中で、テーブルを挟んで向かい合う二人――トウマとラグノワだけが、声を失わなかった。


トウマは帽子を軽く押さえ、低い声で切り出した。

「……あれは“鍵”に関わってる。間違いねぇな.....」


ラグノワが仮面の奥で淡々と応じる。

「鐘楼、中央堂、地下墓地――三か所で拾った残滓。

性質は異なるが、全てが“鍵”に干渉する性質を持っていた。そして最後に現れた“あれ”。……偶然と考えるには、筋が通りすぎている」


トウマが口の端を吊り上げた。

「おそらく、奴らの狙いは“鍵”を利用して何かを解放する。俺たちは、その布石を踏み荒らしたってわけだ」


仮面がわずかに傾き、ラグノワの低い声が続いた。

「……だが教団の目的は依然不明。あの呪われた天使の群れも、巨大な影も――繋がりを示す兆候にすぎん」


暖炉の火がパチ、と爆ぜた。

その音に一瞬だけ仲間がびくりと肩を震わせる。だが二人の声は揺るがなかった。


「……トウマ。問うぞ。あれは――何だったと思う?」


ランプの炎が揺れ、沈黙が波紋のように広がる。

皆が顔を上げる中、トウマは帽子を深く被ったまま、しばし口を閉ざしていた。

やがて、短く吐き出すように答える。


「……ゼルロゼの気配は感じた。間違いない。

ただ――“あれ”はゼルロゼなのか....あるいは何かと融合していたような。

虚像に映っていた大天使……あれはおそらく.....」


ジークの拳が強く震えた。

「ゼルロゼ……やっぱり……!でも融合って……一体何とだ……」


ラグノワは仮面の歯車をかすかに鳴らし、低く続けた。

「……これは古い伝承だ。

かつて、大天使のひとりが人間と恋に落ちた。

だが神はそれを許さず、他の天使に命じた――“その人間を殺せ”とな」


室内にざらつくような緊張が走る。

ラグノワは淡々と告げた。


「命を果たしたのは同胞の天使たち。

怒りに駆られたその大天使は、仲間を手にかけた。

結果、神の怒りを買い、呪いを受けたのだ。

翼は血に汚れ、姿は恐怖そのものとなり……永遠に赦されぬ影と化した――そう伝えられている」


ランプの灯りが、仮面の奥を鈍く照らす。

重苦しい沈黙が広がり、誰も笑うことができなかった。


リリィは思わず胸元で十字を切り、声を震わせる。

「……そんな、大天使が……本当に……」


カゲロウが影から這い出て、低く呟いた。

「つまり……“あれ”が、その呪われた大天使の虚像……そういうことか」


トウマは帽子のつばを押さえ、短く言い放った。

「……セラフィエルと融合したってか....」


「何?」

ラグノワの仮面がわずかに揺れる。


トウマは炎の明滅を睨みながら、短く吐き捨てる。

「伝承ってのは少し間違ってるな。……まぁ大まかには合ってるが。

もう二度と会うことはないと思っていたが――まさか、な」


その声音には、わずかに懐かしさすら滲んでいた。


仲間たちは一斉に息を呑む。

ラグノワが淡々と仮面を傾け、低く告げる。


「やはり……お前は、何をどこまで知っている」


トウマは炎の明滅を睨みつけながら、ぽつりと呟いた。

「セラフィエルってのは、もともと“愛”の天使だった。歌声で人に加護を授け、美しい姿で多くを魅了した……誰からも敬われる存在だったんだ」


仲間たちは息を呑み、言葉を挟めなかった。

トウマはわずかに帽子を指で押さえ、静かに続ける。


「だがな――セラフィエルが唯一本気で恋してしまった人間がいた。最初は互いに愛を語り合い、幸せだった。……だがその愛は、次第に歪んでいった」


ジークの拳がわずかに震える。


「セラフィエルの愛は強すぎた。あの人間に近づく女は、不審な死を遂げた。天使の寵愛に嫉妬して笑い者にしようとした男も、すぐに命を落とした。……日に日にその愛は増していき、いつしか相手にとって“恐怖”になっていった」


イレーネが無意識に身を抱きしめ、かすかに震えた。


「……だから、その人間は神に願ったんだ。

『セラフィエルから逃してくれ』ってな」


トウマの声が低く、重く落ちる。


「だが神は答えた。『セラフィエルからは逃れられぬ』と。……それで人間は最後に願った。

『ならば、殺してくれ』とな」


リリィの顔色が蒼白に染まる。


「神は承諾し、断罪として処刑を命じた。……だがセラフィエルは強かった。命令を果たそうとした天使たちを次々と手にかけ、ついには神の怒りを買った」


ランプの炎が揺れ、部屋に沈黙が満ちていく。


「呪いだ。翼は血に汚れ、姿は恐怖に歪められ、二度と赦されぬ影と化した。……そして、ようやく呪いで力を封じられ、殺された。

その亡骸は“旧セラフィス大聖堂”に安置されたはずだ。……何千年も前にな」

トウマは口を閉ざし、帽子を深く被った。

仲間たちは誰ひとり声を出さない。

ただ、その場にいる全員が――背筋を冷たい手で撫でられたような感覚に囚われていた。


ラグノワが仮面の奥でわずかに目を細めた。

「……お前まだ何か隠しているな?その話は真実か?」


トウマは帽子を深くかぶり、口角を吊り上げた。

「この話は伝承より真実に近い……ただ、真実ってのは全部聞かない方がいいぜ。」


その言葉にどういう意図が隠されているのかをその場にいる全員が考え沈黙が走る。


沈黙を切り裂いたのは、アイリの声だった。

彼女は両手を膝の上に置き、視線を外さずに問いかける。


「……なんでボス、そんなことまで知ってるんですか」


誰もが一瞬、息を呑んだ。

だがアイリは構わず続ける。

「前から思ってはいたけど……みんな、敢えて聞かなかっただけです。

見た目は18そこらで、私やエリス姐、カイン君、イレーネさんと年が変わらなそうに見えるのに――

まるで、ここの誰よりもずーーーと長く生きてるみたいな話じゃないですか。

ジークさんと長い付き合いなのも知ってましたし、見た目が若い大人と昔から思ってました。」


カインがタバコを指で転がし、口を開く。

「……ボス。俺もぶっちゃけそこ聞きたかった。ずっと前から。

俺にとっちゃー親みたいなもんだから敢えて黙ってた。でも今ここで聞く。

あんた一体ナニモンなんだ?」


エリスが低く呟く。

「……ボスは、人間なのか?」


その言葉に、場の空気が張り詰める。

古参組――ジーク、ヴォルドは押し黙り、視線を伏せた。

イレーネとキアラも言葉を飲み込み、ただトウマを見つめている。


そしてラグノワが仮面を押さえ、低く吐き出した。

「……トウマ。私もお前とは長い付き合いだが――底が知れたことは一度もない。

少しは素性を明かしたらどうだ。少なからずただの人間ではないことは確かだ。」


炎の明かりが静かに揺れ、誰もが次の言葉を待っていた。

トウマは帽子のつばを掴んだまま、静かに顔を上げた。

その瞳はランプの明滅を映しているだけで、何かを語る義務を伴っていないようにも見えた。

「……俺は、人間であって人間じゃない。

もう齢は数えてすらいない。

言えることは――ただ、その時代に生きていたってことくらいだな」


室内が一瞬で凍りつく。言葉は短かったが、その重みは誰の胸にも刺さった。

アイリが小さく息を漏らし、カインの指先がわずかに震える。ジークの顔が影に沈んだ。


「……それって、つまり――」と誰かが問いかける前に、トウマが続けた。

「いずれ話すよ。だが今は時期じゃない。重要なのは目先の話だろ?ちゃんと近いうちに話す。」


ラグノワの仮面の奥で、かすかな音がした。彼の声は静かだが確固としている。

「ならば、今はそれで良い。だが、隠す理由があるならば――我々はその理由を理解する必要がある。お前一人の事情で、全員が危険に晒されるわけにはいかん」


トウマはわずかに肩をすくめ、帽子を深く被り直した。

言葉はそれ以上出なかったが、そこには約束めいたものが滲んでいた。


重苦しい静寂が戻る。

やがてジークが煙を吐き、リリィがそっと手を握る。

誰も今は問い詰めず、だが誰もが「いつか語られるだろう」と内心で覚悟を決めた。

トウマの短い言葉は、核心を隠しつつも――仲間にとっての一種の支えにもなっていた。


エリスがふっと肩の力を抜き、短く言った。

「おけー。わかった。飯にしよ。」


そのひと言に、場の張り詰めた空気が思わずプツリと切れる。

一瞬の静寂のあと、誰からともなく突っ込みが飛んだ。

「……おい、切り替え早えな、姐御。」

カインがため息を付きながら言う。

「そうだ、飯だ飯。腹が減っては戦は出来ぬってな」

ジークが苦笑混じりに呟き、ヴォルドが肩を叩いて笑いを誘う。


アイリは顔を上げ、真っ直ぐにトウマを見据えた。

「私、ボスのこと信じてますからね。」

その言葉は、ほんの少しの緊張を残しつつも、皆の胸に温かいものを落とした。

トウマは一瞬だけ目を細め、帽子のつばを軽く押し上げると、ふっと前に身を乗り出した。


そして、迷うことなくアイリを両腕でぎゅっと抱き寄せた。

「ありがとな、アイリ。」


思いがけない距離に、アイリの頬が一気に紅潮する。

「ちょっ、ちょっ、ボスっ!? な、なにすんすかあっ!?」

パニックに陥った彼女は顔を真っ赤にし、手をバタバタと動かした。その動きが過剰すぎて、頭から湯気でも出そうな勢いだ。


周囲からはあからさまなツッコミと笑い声が湧き上がる。

キアラが顎に手を当てて微笑み、カインは大げさに目をそらした。

ラグノワは仮面越しに苦笑を漏らし、イレーネは少し困った顔で目を伏せた。


アイリはパニックのあまり、両手を振り回して一歩よろめき、そのままソファの端に頭からダイブするように倒れ込む。勢い余って彼女はそのまま気絶――というか、照れ負けでノックアウトしたかのようにぐったりと目を閉じる。


トウマは肩越しにため息混じりに笑い、そっとアイリの頭を撫でた。

「いいさ。飯にしよう。動けるやつは台所、頼むぞ」


エリスがさっさと立ち上がって腕まくりをし、ミリアとリリィが慌ただしくキッチンへ向かう。

残る者たちもそれにならい、重苦しかった空気は少し和らぎ、ログハウスにほんのささやかな日常が戻ってきた。


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