第十八話
霧深い北門。
夜明け前の冷気が漂うその場所に、解決屋の一行は足を運んだ。
石畳の広場は薄暗く、街のざわめきも届かない。人の気配はなく、ただ門を閉ざす鉄扉と、霧に溶ける灯火だけがそこにあった。
――その扉の前に、既に一つの長身が立っていた。
黒いハットと仮面に身を包んだラグノワ。
彼は静かに佇み、こちらを振り返る。
その背後から、二つの影が現れた。
一人は小柄な体に短剣を帯びた少女。橙色の髪を後ろでざっくり束ね、鋭い眼光で一行を睨みつける。
一人は長身で冷たい美貌を持つ女。白髪で漆黒の外套を揺らし、ラグノワの横に無言で立つ。
「……おっ、懐かしい顔がいるな」
ジークが紫煙を吐きながら片眉を上げた。
「キアラ。お前リガルドでいじめられてねぇか?」
少女――キアラは鼻を鳴らす。
「余計なお世話!師匠こそ、まだ煙草なんか吸ってんの?いい加減、肺ボロボロで死ぬんじゃないの」
「減らねぇ口は相変わらずだな」
ジークは肩をすくめたが、その目には一瞬だけ、懐かしさが滲んでいた。
その横で、トウマが軽く手を上げる。
「……イレーネも久しぶりだな。相変わらず表情筋が死んでる」
長身の女――イレーネは視線すら動かさずに答える。
「お久しぶりです、トウマさん」
ラグノワが仮面の奥で小さく笑った。
「――紹介する。キアラはジークの傭兵時代の教え子。イレーネは私の側近だ。今日から一緒に動く」
短いやり取りの中に、それぞれの歴史が滲んでいた。
キアラは腰の短剣を軽く叩きながら、ジークをジト目で見つめる。
「前より老けた?」
「……余計だ」
ジークが淡々と返す。
「ふん。あんたの背中、散々見てきたんだからさ」
キアラは挑発的に笑った。
「師匠がヨボヨボでも、ちゃんと護ってやる」
「誰がヨボヨボだ」
ジークのこめかみに青筋が浮かび、ヴァルドとカインが吹き出した。
「……元気のいい後輩じゃねぇか」
エリスが口角を吊り上げ、腕を組む。
「アタシと気が合いそうだな」
「いやだ、姐さんみたいな人と一緒にされたら寿命縮む~。噂は聞いてるよエリスさん。」
キアラが顔をしかめ、再び場に笑いが広がる。
その傍らで、イレーネは一切表情を変えずに冷たい視線を巡らせていた。
「……無駄口は任務の妨げになります」
「はいはい、お堅いお姉さんも相変わらずだ。」
トウマが苦笑混じりに手を振る。
ラグノワは仮面の奥で小さく息を吐き、場をまとめるように声を落とした。
「遊びはそこまでだ。――旧セラフィス大聖堂は危険区域だぞ。」
その一言で、漂っていた笑気がすっと引いていった。
******
黒い局用車が石畳を滑るように走る。魔導と機械を融合させた重厚な車体は、森を抜ける度に鈍いエンジン音を響かせていた。
運転席はイレーネ。真っ直ぐな背筋でハンドルを握り、視線を前から逸らさない。
助手席にはヴァルドが肘を窓に突っ込み、景色を眺めながら退屈そうにしていた。
後部の広いシートでは解決屋の面々と、ラグノワ、キアラが並んで座っている。
沈黙を破ったのはトウマだった。
「……で、本部組は元気か?」
ラグノワは仮面の奥で一瞬だけ笑ったような気配を見せる。
「ああ。相変わらず元気だ。相変わらずやかましく、相変わらず忙しい」
「はは、変わってねぇな」
トウマが帽子を軽く押し上げる。
「また顔を出せるといいが……俺たちが行ったら迷惑か」
「お前が行けば確実に騒ぎになるな」
ラグノワが淡々と切り捨て、車内に小さな笑いが漏れた。
ラグノワは膝に置いた書類を閉じ、仮面越しに低く声を響かせた。
「――旧セラフィス大聖堂での調査。目的は三か所だ」
全員の視線が一斉に集まる。
「一つ、中央堂。事件当時の儀式の痕跡が残っているはずだ。鍵の反応もここが最も強い」
ラグノワは指を二本目に立てる。
「二つ、鐘楼。夜ごと鳴ると噂の呪われた鐘がある。高所で崩落の危険もある。不安定な場所だ」
さらに三本目の指。
「三つ、地下墓地。……一万人の遺骸が眠る。瘴気は最も濃く、最悪の危険地帯だ」
重苦しい空気が車内を支配する。リリィが思わず小さく祈りの印を切った。
「三か所同時に調査する。時間をかければかけるほど危険は増す。――だからチームを分ける」
ラグノワは仮面をわずかに上げ、冷たく告げる。
「中央堂には――トウマ、レオン、リリィ、イレーネ」
「鐘楼には――カゲロウ、カイン、アイリ、キアラ」
「地下墓地には――ジーク、ヴァルド、エリス、ミリア、そして私が行く」
その瞬間、ジークの口元がわずかに歪んだ。紫煙を吐きながら、低く笑う。
「……地下墓地、ね」
ラグノワがチーム分けを告げ終えると、車内にはしばし重苦しい沈黙が落ちた。
その空気を払うように、トウマがふっと笑みを浮かべる。
「……まぁ、不安になるのも無理はない。せっかくだ、ここにいる“リガルド組”の連中について説明しておくか」
アイリがぱっと身を乗り出す。
「ナイスっす!自己紹介なしで一緒に組むとか、緊張で死にそうっすよ!」
トウマはまず、仮面の男を顎で示す。
「まずは改めてラグノワ。……こいつは俺たちより前から境界異常を追ってる古株だ。
調査が主な仕事。こいつの調査のおかげで色々リガルドは情報を掴んでる。」
「性格の悪さも昔から健在だがな」
助手席のヴァルドがぼそりと吐き捨て、車内に小さな笑いが広がる。
続けてカゲロウが口を挟む。
「次はイレーネ。ラグノワの右腕だ。剣も魔術も一流、隊を束ねる器もある。……局内じゃ“氷の女”なんて呼ばれてるな」
「事実無根です」
イレーネは視線を前から逸らさず、淡々とハンドルを回す。
「事実だろ」
エリスがニヤリと笑い、腕を組む。
「いいじゃねぇか。あんたと一戦やったら楽しそう」
「任務外です」
イレーネの返答は感情を欠き、冷たい水のようだった。
最後にトウマは小柄な少女へと視線を移す。
「そしてキアラ。……こいつはジークの教え子かつ大後輩だ」
「えっ!?」
レオンとミリアが同時に目を丸くした。
ジークは渋い顔で煙草をくゆらせる。
「教え子っつーか、勝手に背中を追ってきたガキだ」
「はぁ!?勝手にじゃないし!」
キアラが即座に食ってかかる。
「師匠の戦い方、ぜんぶ見て覚えたんだから!」
カゲロウが薄く笑う。
「……喧嘩っ早さといい無鉄砲さといい、血筋かと思うくらい似てるな」
「誰が似てるか!」
ジークとキアラが同時に声を荒げ、車内に笑いが広がった。
トウマは肩をすくめ、軽くまとめる。
「――まぁそういう奴らだ。心配するな。命を預けるに足る実力はある」
ジークとキアラの言い合いで車内が一瞬和んだあと、再び沈黙が落ちた。
ラグノワが仮面越しに窓の外を見ながら低く告げる。
「……本題に入るぞ。目的地はもう近い」
黒い局用車は森を抜け、石畳の街道を進む。やがて視界が開け、巨大な廃墟が姿を現した。
旧セラフィス大聖堂。
崩れた尖塔が空を突き、砕けたステンドグラスの残骸から赤黒い朝日が差し込む。
荘厳でありながら、不気味な影を落とすその姿に、一行は息を呑んだ。
車が正面で停まる。イレーネが無言でギアを落とし、エンジン音が低く途切れる。
ラグノワはゆっくりと立ち上がり、背負っていたケースを開いた。
ケースを開き、内部からいくつかの装備を取り出した。
「……まずガキども。お前らにはこれだ」
彼は一本の軽剣をレオンに差し出し、ミリアには二本の短剣を放るように渡した。
「っ……!」
ミリアは慌てて両手で受け止める。
「ちょっと投げないでよ!でも……これ、悪くない」
手にした短剣を軽く回すと、刃が月光を反射し、彼女の動きにしっくり馴染んでいた。
「へぇ、似合うじゃねぇか」
エリスが腕を組み、口元を吊り上げる。
「ふふん、伊達に盗賊やってないからね!」
ミリアは短剣を構え、少し得意げに笑った。
一方、レオンは剣を握りしめ、慎重に刃を確かめる。
「……ありがとう。絶対に大事にします」
「壊しても構わん。持ち主ごと無事に戻ってくればな」
ラグノワは淡々と返した。
さらに彼は腰のポーチから、小さな耳飾りのような魔導具をいくつも取り出す。
「そしてこれだ。魔導通信機。互いの声を直接届けられる。範囲は大聖堂全域……遮蔽物や結界の干渉はあるが、合図くらいは送れる」
「わ、便利っすね!」
アイリが目を輝かせる。
「気をつけろよ。繋がるってことは、切れたら何かが起きた証拠だ」
カゲロウが低く警告を添え、車内に緊張が戻る。
全員がそれぞれ通信機を耳につけ、準備を整える。
ラグノワは仮面越しに全員を見渡し、低く告げた。
「――ここから先はチームごとに行動だ。中央堂、鐘楼、地下墓地……それぞれ自分の役割を果たせ」
トウマが一歩前へ出て、重い扉に手をかける。
「……入るぞ」
ギギギ、と扉が軋み、冷たい風が流れ込む。
それはまるで、一万人の亡者が一斉に息を吐いたかのようだった。
******
旧セラフィス大聖堂。
幾千の祈りと絶望を呑み込んだ廃墟は、今なお荘厳さと不気味さを併せ持ち、一行を迎え入れた。
ラグノワの指示で三手に分かれた仲間たちは、それぞれの目的地へと歩を進めていく。
耳には魔導通信機。だが、この先でそれが本当に役に立つかは誰にもわからなかった。
ーー中央堂ーー
分かれ道で他のチームと別れ、トウマ、レオン、リリィ、イレーネは中央堂へと続く正面扉の前に立った。
「……うぅ、なんか……すごく嫌な感じがする」
レオンは剣の柄をぎゅっと握り、視線を扉から逸らした。
「こ、ここ……本当に入るんですか……?」
「大丈夫。私が一緒だよ」
リリィが笑みを浮かべ、彼の肩をぽんと叩く。
「安心するのは勝手。でも、足手まといになるくらいなら下がってろ」
イレーネが冷ややかに言い放つ。
「っ……!」
レオンは言い返せず、俯いたまま唇を噛む。
「……もう行くぞ」
トウマが帽子の庇を押さえ、重い扉を押し開けた。
ギギギ、と軋む音と共に冷たい風が吹き込む。
広がったのは、かつて祈りの声が響いた大空間だった。
砕け散ったステンドグラスから差し込む光が床に赤と青の模様を散らし、崩れた椅子や祭壇に陰影を落とす。
だが、その美しさを打ち消すように、床一面の黒い染みと煤が広がっていた。
「……こんな場所が、聖堂だったなんて」
リリィの声は、かすかに震えていた。
「っ……鍵が……すごく近い……!」
レオンは胸に手を当て、苦しげに息を吐く。
その時だった。
「――原版の子」
低い囁きが、レオンの耳元で響いた。
思わず飛び上がるように振り返ると、そこには天使の石像。
だがその口がわずかに動き、赤黒い光を瞳に宿していた。
「なっ、喋った……!?」
レオンの声が裏返る。
次の瞬間――トウマの拳が像の顔面を粉砕した。
石片が飛び散り、ただの残骸へと戻る。
「……幻影か」
トウマが低く呟いた。
直後、堂の奥から空気が震える。
祭壇の上に、揺らめく影が立ち現れた。
白髪を結い上げた貴婦人。仮面で顔を覆い、豪奢なドレスの裾を優雅に揺らす。
「あら……“原版の子”。どんな顔をするのか、ずっと楽しみにしていたわ」
艶やかな声に、レオンは思わず剣を構える手を震わせた。
リリィは祈祷の光を強め、イレーネは素早く剣を抜く。
トウマは無言で帽子を深く押し下げる。
――幻影の執行者、セレナ・ヴァルク。
ーー鐘楼ーー
崩れかけた螺旋階段を、カゲロウ、カイン、アイリ、キアラは慎重に登っていた。
鐘楼の内部は想像以上に広大だった。石造りの円筒は十数階分もの高さを誇り、中央には巨大な鎖で吊られた鐘がぶら下がっている。
外周を沿うように組まれた階段は所々が崩れ、吹き抜けから下を覗けば、遥か彼方に砕けた石の床が見えた。
風が吹き抜けるたび、古びた鎖が軋み、金属が擦れるような不気味な音を奏でる。
「……でけぇな。落ちたらひとたまりもねぇぞ」
カインが舌打ち混じりに呟く。
「足元、崩れやすいっす!マジで油断したら死にますからね!」
アイリが声を上げる。
「影が切れる……」
カゲロウは低く呟き、周囲の影を探る。
「吹き抜けが多すぎて、影渡りは不安定だ。ここじゃ力を制限される」
「じゃあ、その分は私が動く」
キアラが短剣を抜き、軽快に跳ねるように駆け上がった。
「狭いよりマシでしょ」
「……ガキは元気だな」
カインが肩をすくめる。
そうして一行は階段を登りきり、鐘のある最上階へとたどり着いた。
そこは風が吹き荒れる開けた足場で、頭上には巨大な鐘が鎖に揺れている。古びた銅の表面には、赤黒い染みのような紋様が浮かんでいた。
「っ……耳障り……!」
アイリが顔をしかめる。鐘が鳴っていないのに、耳の奥で金属を叩かれるような感覚が響いていた。
そのとき――
カァァァァァン……!
鐘が、誰の手も触れていないのに鳴り響いた。
耳を裂くような共鳴音が塔全体を揺らし、石壁に不気味な振動が走る。
「っ、耳が……!」
キアラが呻き、カインが苛立たしげに舌打ちした。
やがて、その鐘の上から逆さに吊られた人影がゆらりと降りてくる。
ピエロの仮面に派手な衣装。細い腕が鐘を軽く叩くたび、耳を切り裂くような共鳴音が広がっていった。
「カーン……!いい音だろう?これは君らの鎮魂歌さ」
ひっくり返った体勢のまま、道化は舞うように回転し、誇張した仕草で両手を広げる。
不気味な笑い声が塔内にこだました。
「……何者だ」
カゲロウの目が細く光る。
答えはなく、ただ鐘の余韻と狂気めいた笑いが響き渡る。
――鳴鐘の道化、マルコ・ジャレル。
ーー地下墓地ーー
厚い石扉を押し開けると、冷気が一行の頬を撫でた。
地下墓地へと足を踏み入れたのは――ジーク、ヴォルド、エリス、ミリア、そしてラグノワ。
四人の足音が石畳に重く響く。
そこは地上の荒れ果てた大聖堂とは対照的に、驚くほど静謐で荘厳な空間だった。
延々と続く石の回廊。両脇の壁には整然と並んだ納骨棚が連なり、蝋燭を立てた燭台が所々に残されている。
石と土の匂いに、古びた香の残り香が混じり、鼻腔をくすぐった。
「……随分と整ってやがるな」
ヴォルドが低く唸る。
「荒れ果てた上と比べりゃ、こっちはまだ“聖域”って感じだ」
「それが逆に……怖い」
ミリアが怖気ながらつぶやく。
「何百年も前に祈りが絶えたはずなのに、まだ“守られてる”みたいで……」
ジークは黙って歩いていた。
灯りの届かない奥を睨み、その手は自然と腰の剣へ。
ラグノワが仮面の奥でくぐもった声を洩らす。
「整然としすぎている……死の匂いが薄いな」
「……は?」
ヴォルドが怪訝そうに振り返る。
「普通なら、もっと腐臭や崩壊の跡があっていい。ここは“死”を閉じ込めている。
――まるで生き物を保存する標本のようにな」
その冷徹な言葉に、エリスが突っかかる。
「……おい、おっさん。あんま変なこと言うなよ...」
「事実だ」
ラグノワはあっさり切り捨て、足を止めず進む。
ジークはふっと鼻で笑った。
「皮肉屋は相変わらずだな」
「お前にだけは言われたくない」
ラグノワが即座に返す。
わずかに張り詰めた空気を、ヴォルドが咳払いで振り払った。
「おいおい、湿っぽくなるなよ。骨がどうだろうと、俺たちは生きて歩いてんだ。
死者に呑まれる気なんざ、これっぽっちもねぇ」
その豪快な言葉に、空気が一瞬だけ和らいだ。
だが――
カン……カン……。
鉄を擦るような音が奥から響いた。
鎖が揺れるような乾いた響き。誰も触れていないのに、納骨棚の隙間から赤い光が滲み出す。
「……今の、聞こえたか」
ジークが剣に手をかける。
「あぁ。間違いなく……誰かいんな。」
エリスがにやつきながら答えた。
やがて、納骨棚の石蓋が内側から弾け飛び、骨壺が砕け散る。
そこから鎖を引きずりながら、仮面の人影がゆっくりと現れた。
長い外套、鉄の仮面。背後からは無数の鎖を引きずり、その一歩ごとに石床を削っていく。
「……鎖が鳴ってやがる」
ヴォルドが低く唸る。
「安らぐべき死を、乱す者たちよ」
仮面の奥から、冷酷な声が響いた。
鎖が跳ね、壁に、床に、天井に絡みつく。
空間そのものを拘束するかのような圧力が、地下墓地を覆い尽くした。
「チッ……面倒なのが出てきやがった」
ジークが剣を抜く。
ラグノワは仮面をわずかに傾け、淡々と告げた。
「……“看守”か。墓場にしては似合いすぎるな」
――鎖葬の看守、エンリコ・ダラン。




