第十七話
扉が閉じ、ラグノワの気配が消えた。
事務所に残るのは、重たい沈黙だけ。
「……やっぱヤバいんすよね、今回の依頼」
アイリが口火を切る。
「相当ヤバい」
カゲロウが影の中から低く言う。
「旧セラフィス大聖堂は……ただの廃墟じゃない」
「どういうことなんですか?」
レオンの声は小さく震えていた。
カゲロウは視線を横に流す。
「……あの場所のことを語れるのは、ジークだけだ」
皆の視線が集まる。
ジークは煙草に火を点け、しばらく紫煙をくゆらせていたが――やがて低く語り始めた。
「……俺には、ゼルロゼって相棒がいた。傭兵時代の女だ。レオンにはもう言ったな。」
エリスが片眉を上げる。
「女の相棒か……そりゃまた珍しいな」
「腕は確かだった。俺と組んで数えきれねぇ戦場を渡ったよ」
ジークは苦い笑みを浮かべ、続ける。
「ある任務で“ボス”と出会った。……その時に解決屋だったのはカゲロウ、ヴァルド、リリィだけだったな」
ヴァルドが懐かしそうに頷き、リリィも寂しげに目を伏せる。
「任務は吸血鬼討伐。……地獄みたいな夜だった。
そこでゼルロゼはボスの依頼で、ほんのわずかな間、解決屋に加わったんだ」
「へぇ……そんな時代があったんだ」
エリスが感心したように口笛を鳴らす。
ジークは煙を深く吸い込み、吐き出した。
「……ゼルロゼには旦那がいた。考古学者でな。
偶然、“鍵”を見つけちまったんだ」
ジークの声は低く、乾いていた。
「鍵……!」
レオンが身を乗り出す。
「もちろん、法国が黙ってるはずがねぇ。
旦那は捕らえられ……処刑された。
――正直、鍵に触れた時点で、もう手遅れだったんだ」
紫煙が漂う。ジークは続けた。
「旦那を失ってから、ゼルロゼは変わった。
戦い方は荒れ、血に飢えた獣みてぇに敵をねじ伏せ……
目の奥の光は、もう消えていた」
重苦しい沈黙が落ちる。
「そしてある日、ゼルロゼが出向いた先で……事件が起きた」
「それって……」
レオンが息を呑む。
「ああ。セラフィス大聖堂だ」
ジークの声が深く沈む。
ミリアが小さく呻く。
「思い出した……確か、あの大聖堂にいた一万人が死んだっていう事件……」
「そうだ」
ジークが頷く。
「ただし、一人を除いてな」
ヴォルドが重い声を落とした。
「その日――”何か”が顕現した。リガルドの観測情報だ。
一万人は、そのための生贄だったのではないかと推測されている。」
部屋の空気が凍り付く。
「……ゼルロゼは、その日、その場所を最後に姿を消した」
ジークが言葉を絞り出す。
「死んだと思ってる。……そう思うしかねぇ」
再び沈黙。
紫煙だけが天井に揺れ、夜の事務所は息苦しいほどの重さに沈んでいた。
「……だから普通じゃねぇし、行きたくねぇ」
ジークの声は低く、だが重みを帯びていた。
トウマがその横顔をじっと見据える。
「お前の因縁が、また動き出してる気がする。
ここから先、お前に何が降りかかるかわからん。……覚悟はできてるか?」
ジークはゆっくり紫煙を吐き出し、鋭い眼光をトウマに返す。
普段の飄々とした姿ではなく、歴戦の猛者のそれだった。
「……すべてがわかるなら、望むところだ」
******
ジークは一人で事務所を抜け出し、外の石段に腰を下ろして夜空を見上げていた。
煙草の赤い火だけが、小さく瞬いている。
「……勝手に抜け出すなよ」
トウマが後を追うように現れ、隣に腰を下ろす。
無言で煙草を取り出し、ジークから火を借りる。
「奥さんと子供は元気か?」
トウマがふと口を開く。
ジークの目尻がわずかに緩む。
「ああ、元気だよ。ここ数年会ってねぇが……連絡で写真を送ってくれる。
ボス、お前もうちに色々送ってくれてんだろ。……家内がな、“ボスに久しぶりに挨拶したい”なんて言ってやがる」
トウマは苦笑いした。
「えー……お前の奥さん怖いからな。ついでに文句も山ほど言われそうだ」
「ちげぇねぇ」
ジークも笑う。その声はどこか柔らかかった。
紫煙の合間に、ふとジークが呟いた。
「そういや……孫ができた」
「……は?」
トウマが目を剥いた。
ジークは懐から折れ曲がった写真を取り出し、差し出す。
写っていたのは、幼い赤子を抱く奥さんと、大きくなった子供たちの姿。
トウマは写真を眺め、思わず笑った。
「……お前に似てねぇな」
ジークが煙を吐き、愉快そうに笑う。
「そりゃあいいことだろ」
写真を返しながら、トウマがぼそりと呟く。
「過去の件も、そろそろ清算しろよ。……家族に目を向けてやれ」
ジークは無言で煙を吐き、夜空を仰いだ。
――その瞬間。
「……って、えぇぇぇ!?孫いるんすか!!」
扉の隙間からアイリの叫び声が響いた。
振り返ると、レオンもミリアも、カインもエリスも、ヴァルドもリリィも――全員が半分体を乗り出して覗いていた。
「じ、ジークさんって……おじいちゃん……!?」
レオンが真っ青になる。
「え、マジで!?全然そんな風に見えねぇっすけど!?」
カインが腹を抱えて笑い出す。
「じぃじ……」
ミリアが悪戯っぽく口にすると、ジークが額に青筋を浮かべた。
「ぶっ殺すぞ」
笑い声が、夜空へと響き渡った。




