第十六話
コン、コン――。
扉が二度、静かに叩かれた。
音は妙に重く、事務所の空気を凍らせる。
「……誰だ?」
ジークの声が鋭くなる。
扉が軋み、夜風と共に長身の影が差し込んだ。
黒のスーツにハット、顔は歯車の組み込まれた機械仕掛けの仮面。
異形の輪郭が月光を背に浮かび上がる。
その姿を見た瞬間、トウマが低く吐き出す。
「来たか……遅かったな、ラグノワ」
トウマが低く呟いた。
「ずいぶん楽しそうだな。相変わらず元気が有り余ってそうで。」
仮面の奥から、皮肉を帯びた声が返る。
「……お前か」
ジークの声が険しくなる。
ヴァルドは肩を揺らして笑った。
「おぉ!生きてやがったか。久しいな!」
「お前も生きていたかヴォルド。」
ラグノワはさらりと返す。
カゲロウも薄笑いを浮かべた。
「……相変わらずだな。リガルド調査員」
古い面々の応酬に、エリスが腕を組んで首を傾げた。
「……誰だ、この仮面のオッサン」
「俺も知らね」
カインも胡乱げに目を細める。
レオンとミリアも顔を見合わせ、きょとんとした表情を浮かべていた。
そのとき、リリィが小さく目を見開いた。
「……ラグノワさん~久しぶり~!」
仮面の奥から、先ほどまでの皮肉が嘘のように和らいだ声が返る。
「ああ、リリィ。ずいぶん久しいな。変わらず元気そうで安心した」
その柔らかな響きに、一同は思わず驚きの視線を交わした。
冷たい皮肉屋の口から、リリィにだけ向けられた温かさ。
さらに、アイリが恐る恐る声を上げた。
「ひ、久しぶりっす……ラグノワさん……。
あの時ぶりっすね……」
ラグノワの仮面の奥の視線が、彼女を正面から射抜く。
「……大きくなったな、アイリ」
アイリは思わず肩をすくめ、居心地悪そうに目を逸らした。
ラグノワは仮面の奥で息を吐き、ゆっくりと視線を巡らせる。
まずはレオンを射抜いた。
「――これが“鍵の坊や”か。……ずいぶん頼りなく見えるな」
「!」
レオンは背筋を強張らせ、言葉を失う。
続いてミリアへと視線が滑った。
「……そして、傍に寄り添うのは小娘か。
器用そうだが、芯が折れやすそうだな。」
「なっ……!」
ミリアの目が見開かれ、思わず反論しかける。
だがラグノワは淡々と告げるだけだった。
「――評価は事実に基づくだけだ。」
室内の空気が一層冷たくなり、レオンとミリアは言葉を失った。
ラグノワの冷たい評価に場の空気が張りつめたところで、リリィが小さく手を挙げた。
「……で、今日は何の用で来たのですか~?」
仮面の奥で一瞬、音もなく笑った気配が漂う。
「用件か。……トウマに頼まれて来たんだ。
古い借りを返すのも兼ねて、な」
視線をゆっくり巡らせる。
「それにしても……懐かしい面々だ。ジークにヴァルド、カゲロウ、リリィ。
そして――エリスとカイン。……お前たち、私のことは覚えていないか?
アイリはこの前、別件で会ったが。」
「……え?」
エリスが目を瞬かせる。
「無理もない。十年以上前の話だからな」
ラグノワは淡々と続ける。
「十年以上……?」
カインが半眼のまま首を傾げる。
エリスは頭をかきながら笑った。
「悪いけど、おっさんのことなんか覚えてねぇやー」
その無遠慮な物言いに、ジークとヴァルドが吹き出し、カゲロウが肩を震わせる。
ラグノワは小さく肩をすくめた。
「……まぁ、そうだろうな。子供の記憶など、風と同じだ」
「紹介しておく。こいつは――リガルド調査局の局員、ラグノワ。
解決屋より前から“境界異常”を追っている古株だ」
トウマが淡々と告げる。
ミリアが首をかしげた。
「リガルド……って何?」
すかさずアイリが端末を開きながら答える。
「えっと、“境界異常対策本部”。正式名称はそうっすね。
リガルドは本格的に異能犯罪とか未確認現象を専門に扱う、けっこう大きな組織っすよ。
わたしら解決屋みたいな独立事務所とは、まぁ別モノっす」
ラグノワが仮面の奥でクッと笑った。
「別モノ、ね。……半分は正しい。半分は間違いだが」
アイリが首をすくめる。
「え……?どういうことっすか」
「その話は後でいい。――例の“物”を見せろ」
ラグノワが手を伸ばす。
レオンが不安げに箱から取り出した黒い珠を差し出すと、ラグノワは掌に収め、仮面の奥で低く呟いた。
「……なるほど。波形は粗い。けれど基盤は“原版”をなぞっているな」
「原版……やはり、レオンの鍵を?」
ジークが眉をひそめる。
「そうだ。模倣にしては精度が高い。――これを作った連中は、相当深く鍵を解析している」
レオンの喉が鳴る。
「ぼ、僕の……せいで……?」
ラグノワはちらりと視線を上げる。
「責任を気にするのは勝手だが、現実は変わらん。
鍵が存在する限り、連中は追う。それだけのことだ」
冷酷な言葉。しかしリリィだけが柔らかく声をかけた。
「でも……レオン君を守るのが、わたしたちの役目です」
その言葉に、ラグノワは初めて僅かに仮面を傾け、声色を和らげた。
「……そうだな。お前が言うなら、そうなのだろう」
再び珠に視線を落とし、歯車の音が微かに響く。
「――結論を言おう。これは単なる罠じゃない。
“器と鍵”を引き寄せるためのビーコンだ。」
沈黙が重く落ちた。
レオンは拳を握りしめ、ミリアは隣で言葉を探していた。
誰もが次の言葉を待つ中、ラグノワが仮面を傾けて場を切る。
「――さて、本題に移るぞ」
低い声が空気を裂いた。
トウマが視線を上げる。
「……依頼ってやつか」
「その通りだ」
ラグノワは机に指先を置き、淡々と告げる。
「次の痕跡が確認されたのは、旧セラフィス大聖堂。
数十年前に閉鎖され、今では廃墟となっているが……内部で“偽鍵”に酷似した波形が観測された」
「大聖堂……?」
レオンが息を呑む。
「セラフィス大聖堂……随分古い場所っすね」
アイリが端末に走らせた指を止め、顔をしかめる。
「信者の大量失踪とか、不審な儀式事件とか……黒い噂しかない場所っすよ」
ラグノワは静かに頷いた。
「そうだ。法国の記録からは抹消されたが、我々リガルドは経緯を把握している。
――おそらく、教団が再び利用している。放置すれ悲惨な事態が起こされるだろう」
「うわぁ……絶対ヤバいやつじゃん」
アイリが両手を上げて呻く。
エリスは鼻を鳴らし、腕を組んだ。
「大聖堂なんざ、ろくでもない信仰の残骸だろ。……胸糞悪い匂いしかしねぇ」
カインはソファにだらりと寝そべったまま、ぼそりと。
「また面倒なとこに行くのか……」
ヴァルドは拳を鳴らして笑う。
「よし、なら派手にぶっ壊してやろうぜ」
ラグノワは一同の反応を聞き流し、結論だけを突きつけた。
「――解決屋に依頼する。旧セラフィス大聖堂の調査、それがお前たちの次の任務だ」
ラグノワは立ち上がり、黒いハットの庇を整えた。
「――今回は私も同行する。大聖堂の調査は、それだけ危険ということだ。
明日、日の出前に北門の前で待ち合わせだ。遅れるな」
事務所の空気が再び引き締まる。
重大任務――その言葉の重みを、誰もが感じ取っていた。
踵を返し、扉へと歩みかけたラグノワは、ふと立ち止まる。
「……トウマ」
仮面越しに声が投げられる。
「そろそろこっちと合流したらどうだ?お前ほどの力が、独立事務所で燻っているのは惜しい。」
ジーク、ヴァルド、カゲロウ――旧知の面々が一瞬、言葉を飲み込む。
トウマは椅子から身を起こし、静かに首を振った。
「いや……まだだ。今はここでやるべきことがある」
ラグノワは短く沈黙し、やがて肩をすくめた。
「……そうか。ならば好きにしろ。それとトウマ、こいつらに鍵についてのし....いや何でもない。」
仮面の奥から視線を外し、扉を押し開ける。
「明日だ。忘れるなよ」
冷たい夜風と共に、彼の姿は闇に溶けていった。




